第二話 解釈人の解釈

「すごい顔してたんだろうね、月夜つきよちゃん」

 そう言いながら僕の顔には目もくれず、手に持ったスマートフォンをしきりに操作する。

「正しく解釈違いをその表情に現出させる――しかもそれが相手に過不足なく伝わる。タタリちゃんが君を気に入ったわけだよ。凄まじいショートカットだ。よし、今回もよく燃えた」

 どうやら最後のひとことがスマートフォンを使った作業が終わったという宣言だったらしく、それを机の上に置くと、ようやく僕の顔を見る。

「ドロップキックはなしだよ、月夜ちゃん。オジサンはちゃあんと話を聞いてるからね」

「いつの話だよ――」

 僕はげんなりとして目の前の男を睨む。自宅のダイニング。両親は二人とも仕事中の平日昼日中である。そこにいい年をした男が笑顔で居座っているというのは、自分で招いておきながらぞっとしない光景ではある。

 立待月日――僕の伯父であり、ダダーへの斡旋、そしてタタリさんとの面会を企てた男。タタリさんをして関わり合いになってはいけないと言わしめた、社会のゴミである。

 父の実家――つまりは僕の祖父母の家に未だ独身で冷や飯食いをしているが、これをとやかく言うつもりはあまりない。将来的には介護やらなにやらは任せておいてほしいと父に言っているそうだし、結婚しなければ一人前ではないなどという言を振りかざす輩は幸い親族にはおらず、いたとしてもこの男には馬耳東風であろう。

 問題は、その職業である。

 僕が物心ついた頃に自称していたのは、「スーパーハッカー」だった。稚い当時の僕は目を輝かせたらしいが、小学生の頃には自称が「まとめブログ管理人」に変わっていた。

 おや? と思ったのは、中学生の頃。その当時まとめブログへの風当たりが強くなっていたのを、BLにどっぷりと浸かり始めていた僕は気付いていた。そこで僕が非難を込めて問いただすと、自称が「転売屋」になっていた。

 転売行為が同人文化で――もっと言えば商業流通全体でも――いかに忌み嫌われるか、この時の僕が理解できないはずがなかった。

 僕が非難の言葉を真正面からぶつけると、伯父は、ヒイヒイ言った。

 笑ったというよりは、おぞましい話だが喘ぎ声や嬌声のような代物だった。伯父は感慨深げに何度も何度も頷きながら、大きくなったねぇ――と全身が総毛立つような猫撫で声を発した。

「オジサンはね、月夜ちゃんに、邪険に扱われるのが大好きなんだよ」

 僕は言葉を失った。この男はおかしいどころの騒ぎではない。変態や倒錯者などという言葉ですら生温い、醜悪の権化だった。

 だが、同時に気付いたこともあった。伯父が今まで自称してきた職業は、その時々、最も胡散臭いものをチョイスしているのだ。

 つまり、自称したどの職業も、彼の職業ではないということだ。それに僕が気付き、非難の目を向けるのを――ずっと待っていた。

 その瞬間、僕はその得心をありありと表情に浮かべたのだろう。伯父は僕の顔を見て、詰まった悲鳴のようなものを上げた。ここまで溜め込んできたものが解き放たれたカタルシスに、伯父がどんな反応を示したのか――絶対に考えたくなかった。

 ただ、それで伯父は急速に落ち着いた。年単位での賢者タイムは相当効いたようだった。以降もその胡散臭さと職業不詳なのは変わらないが、僕の趣味にきちんと理解を示してくれる身近な唯一の存在として、一応の信頼は置いている。ただし伯父が僕の趣味を知ったのは、僕の部屋を勝手に物色して感付いたという、ひと悶着を挟んでのことだったが。

「で、タタリちゃんはきちんと説明してくれて――はないだろうなあ。あの人完全に感覚タイプだから『わからせる』のは死ぬほど上手いのに、自分の口で筋道立てて説明するのには向いてないから。で、オジサンに聞けと」

 タタリさんは興奮したり機嫌がいいと一人称が「タタリさん」になるが、この男が僕と話す時の一人称は、徹底して「オジサン」だった。

 曰く、まだ若い時分に僕から「伯父さん」と呼ばれて――目覚めたのだという。僕は父の兄であるから周囲の勧めのまま「伯父」と呼んだのだが、それをこの男は、まだ若いのにオジサン呼ばわりされたというアイデンティティーの瓦解を、福音として感受してしまった。その時に僕から「伯父さん」と呼ばれることをまるで女王様からの鞭のご褒美を乞うかのように何度も求め、幼い僕が泣き出したことは親戚中の語りぐさになっている。

 僕からの呼び方だけでは早々に満足できなくなったのか、以降一人称は完全に「オジサン」で固定された。僕は辟易して呼び方を変えようかと何度も思ったが、それでまた新しい扉を開けてしまって状況が悪化するかもしれないという危惧から、結局現状維持で「伯父さん」と呼んでいる。

「伯父さん、どうせ黒幕なんでしょ」

「否定はしない。月夜ちゃんをタタリちゃんに引き合わせるために、いろいろと陰謀を巡らせたからね」

 女っぽいのであまり好かない僕の名前を、伯父はわざわざちゃんづけして呼ぶ。小学生の頃にやめてほしいと頼んだが、それを聞いて伯父は小躍りした。不気味に感じ、家の中でだけのことだしまあいいかと放置しておいたが、果たしてそれは正解だった。伯父は僕がいやな顔をすればするだけ喜ぶ――下手に騒ぎ立てなくて本当によかったと、全てを理解したあとに冷や汗をかいたものだった。

「じゃあ月夜ちゃん、無論わからないのは当然としてだけど、タタリちゃんの仕事を見て、どこまで理解できたかな?」

 優しいというよりは甘ったるいような声で、伯父は僕に訊ねる。馬鹿にしてやがるな――と思った瞬間、伯父の表情が邪悪に歪んだので、僕は努めて冷静に自分の見解を述べていく。

「解釈というのが、一番重要なキーワードなんだと思う」

 解釈を敷衍する――自分の解釈によって導かれた世界観を、他者に無理矢理押しつけてしまう。そんなことが可能な人間が存在する。

 あの男の場合、それは薬だった。これこれこういう薬なのだと相手に吹き込み、服用させることで、言った通りの効果を相手に起こさせる。それは偽薬――プラセボという実際に起こり得る効果だが、タタリさんはそれを「触媒」と言った。つまりは自分の解釈を敷衍するため、彼の中で最適化されたのが薬という形だったのだろう。

 解釈人と呼ばれるそうした人間同士の衝突や諍い――領土争いを未然に防ぐために、タタリさんは解釈人を解釈する。解釈して、分解してしまう。二度と解釈を敷衍できないようになるまで、こてんぱんに叩きのめす。

 そのために、タタリさんは僕を使った。今までやってきたということはタタリさん一人でも解釈人を解釈してしまうことは可能なのだろうが、僕という人間の顔に浮かぶ表情は、解釈の余地を与えない――そこに、「解釈違い」という表情を浮かべさせられると、仮にも己の解釈を敷衍している人間であれば、自分の解釈が完全に否定されてしまったと理解できてしまう。

 伯父の言った、「ショートカット」である。タタリさんは僕を、言ってしまえば触媒として使ったということだろう。

 話し終えると、伯父はにやにやと笑う口元を手で半分隠す。

 伯父が今日この家にきたのは、僕が呼んだからである。タタリさんはダダーの最寄り駅で別れると、何も言わずにふらふらと消えていってしまった。その、タタリさんとの出会いから別れまでを、まず伯父に話した。タタリさんと僕を繋げたこの男が、何も知らないわけはないからだ。伯父もそれを承知の上で、僕をおちょくるようないつもの態度をとっていた。

「いや――成長したねぇ。オジサンちょっとびっくりしちゃった。月夜ちゃんの見た範囲で得られる情報については、ほぼ全部正解。手取り足取り教えてあげようと思ってたんだけど、アテが外れちゃったなあ」

「そりゃあ、マジで死にかけたからね」

 男の偽薬――解釈は間違いなく僕に敷衍された。それを否定できなければ、僕は本当に死んでいただろう。

「タタリちゃんも無茶をするなあ。月夜ちゃんが死んじゃったら、オジサン立ち直れないよ。まあ――これからもタタリちゃんに付き合うのなら、それ以上の危険がしょっちゅうだろうけどね」

 いつものおちょくるようなものではなく、試すような視線を投げかけてくる。僕の表情を見た伯父は、つまらなそうに脱力した。

「で、月夜ちゃんはタタリちゃんのこと好き?」

 封印するのだと誓ったはずの暴力を振るうことを考えた。それはつまり、伯父の思惑通りの反応ということなのだが、そんなことを考える余裕は残念ながらなかった。

「オジサンはタタリちゃんのこと好きだよ」

 その言葉と、それを発する伯父という絵面に、僕は絶句する。その僕の顔を見て、伯父は甲高い爆笑を起こした。

「うん、世の中のあまねく人間が全員破滅すればいいと常々思っているオジサンが、この人はどうか幸せになってほしいと願った数少ない相手が、タタリちゃんなんだ。というか、タタリちゃんと正面切って話し合って、好きにならない人はいないんじゃないかな。社会のゴミのオジサンまでが肩入れするようなんだから、相当だよ」

 その言い分は伯父の口から出たものにも関わらず、よくわかる。だから、物怖じすることなく、僕は口を開いた。

「僕も、タタリさんは好きだよ」

「残念。だがよろしい! じゃあ、タタリちゃんに割り当てられた役割を果たそうか」

 伯父はスマートフォンを操作し、地図アプリで僕たちの暮らす土師はじ市全域を表示した。

「解釈人というのは、月夜ちゃんの考えた通りの存在だ。自分の解釈を他者に押しつけることで、己の解釈を敷衍してしまう。まあそもそも解釈というものは、時には国のあり方だって変えてしまう、取り扱い注意の代物なわけだよ。そんなものを敷衍する人間がわらわら湧いて出るのが、ここ土師市なんだよね」

 伯父は市の境を画面に触れずになぞる。

「最初の例は、オジサンも知らない。でも、それは多分、派手にやりすぎた。偉ァい人たちから、目をつけられたんだね。解釈人になる条件はたった一つ。気付いてしまうことなんだよ。自分の解釈が、他者を侵してしまえるということに気付いた途端、解釈人として成立する。それはそのまま、解釈人という存在自体が、新たな解釈人の萌芽の呼び水になってしまうということでもある」

 タタリさんは無知な解釈人が出てきて困ると嘆いていた。つまりこの町自体が、解釈人を生み出している――それが起こるだけの数の解釈人がうごめいているということなのか。

「ここ土師市は、言うなれば解放区であり、隔離区画なんだよ。最初期に大暴れした解釈人を、土師市内に封じ込めたのね。この市内ならどれだけ解釈を敷衍しようと口は出さない。でも、その解釈を外に持ち出そうとするなら、物理的解釈で対抗する――と、偉ァい人たちは取引をした」

「物理的って――」

「察しがいいねぇ。そう、どれだけ解釈をこねくり回そうが、そんなもん知らねー! ギャハハハハ! って核を落とされたらそれで終わりなんだよね。解釈人も、こちらの事情なんてものを知らないヒットマンにパンパンパンされたら死ぬ」

 単純な話だが、法治国家でまかり通っていい話ではない。伯父が誇張しているという部分もあるのだろうが、解釈人という存在がそこまで危険視されて然るべき人間なのだということは理解できた。

「それで、ひとまず解釈人とその伝播は土師市内に封じ込めることに成功した。その結果ここは解釈の無法地帯と化して、抗争に次ぐ抗争の果てに、現在では冷戦状態といったところかな。まあ解釈人というのは個人個人の一匹狼でしかなり得ないし、抗争と言っても自分の解釈の敷衍領域をどれだけ押し広げられるかっていう囲碁みたいなものだから、血腥さとは無縁だけどね」

 それゆえに、お偉方の脅しは効いたのだろう。ただ、タタリさんは知識もない解釈人が下手に暴れればほかの解釈人に目をつけられて死ぬと宣告している。だから、決して穏当な相手ではないということは確かだ。

「さて、ここで我らがタタリちゃんの登場だ。タタリちゃんは解釈人ではない。いわば『解釈人の解釈人』であり、彼女目的はそのままそれだ。解釈人を解釈し、解体し、無害化してしまう――この土師市の解釈人の天敵――根治療薬といったところだね。ただタタリちゃんは頭がいいから、わざわざこの町に混乱を巻き起こすような真似はしない。分別を弁えている長老格エルダークラスは放っているし、むしろ連中が下手に動かないように、雑魚の処理を積極的に行っている」

 僕を連れていった時の相手も、その『雑魚』なのだろう。それで死にかけたのだから、全く恐ろしい話ではある。

「とはいえそれは片手間でやっている雑務みたいなものだね。本当に怖いのは解釈人同士のいざこざの仲裁だ」

 僕は血の気が引く思いがした。

 解釈人はそれぞれが自分の解釈――世界観を確固として持っている。それが真正面からぶつかりでもしたら――互いに解釈違いであるのに、一歩も譲らないという地獄のような光景が広がるだろう。

 譲れるわけがないのだ。自分の解釈を、世界観を、領土を、尊厳を守るのに、人は手段を選ばない。選んではいけない。

 だというのに、それを――タタリさんは仲裁してしまえるのか。

「そういうわけで今の冷戦状態も、タタリちゃんの尽力があってこそなんだよ。だから長老格の連中はみんなタタリちゃんに頭が上がらない。本来なら天敵であるタタリちゃんを野放しにしているのも、そうしたわけなんだね」

「タタリさんって、一体――」

「ああ、タタリちゃんはね、『妖怪を研究している妖怪』だよ」

 軽薄に笑いながら放つ冗談を、僕ははいはいと受け流す。どうやら真面目な話はここまでだという合図らしい。

「一応ありがとう。よく理解できた」

 僕が感謝を述べると、伯父はいやいやと照れるように手を振った。僕に軽蔑されることをなにより好むこの男は、少しでも好感情を向けられると胸焼けを起こしてしまうそうなのである。

 さてと立ち上がり、伯父はスマートフォンを素早くチェックする。

「そうだ、そろそろオジサンの職業をきちんと教えたほうがいいかな」

 邪悪に笑う伯父を、僕はにべもなく追い払おうとする。長居は無用で迷惑だと理解させる必要はない。この男はそれを最初から理解した上で僕の反応を楽しむ。

「現代インターネット最悪の名無し――誰もオジサンを知らないし、気付かないけど、確かに一人の悪意の上で無数の人間が破滅していく――タタリちゃんはね、オジサンに辿り着いた唯一の存在なんだ」

 世迷言を――僕のげんなりとした表情を見て愉悦に顔を歪めたまま、伯父は玄関を出ていった。

 だが――今までの自称と違い、今回はなんというか、わかりにくい。それは伯父の示した、解釈の余地なのか。

 僕は自嘲する。そんなものを目の前に出されても、僕が何も導き出せないことなど、とっくにわかっているだろうに。

 僕は解釈人にはなれない。

 自分の解釈というものを、失ってしまった。譲ってはいけないはずの解釈違いを、享受してしまった。結局僕が持っていた気になっていた解釈など、吹けば飛ぶような無価値なものでしかなかった。

 だから、僕は無だ。

 それがタタリさんの役に立つというのなら、喜ばしいことではある。僕はタタリさんが好きだ。力になれるのなら、なりたいと願う。

 そしてもし、その無に、タタリさんが解釈を示してくれるのなら――僕が自分の解釈を得ることも、ひょっとしたらできるのかもしれない。

 その期待は、僕を突き動かす。命の危険を踏み越えてでも、タタリさんについていきたい――タタリさんはまだ僕の名前だって覚えていないのに、そう、思ってしまう。

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