第15話 気まずさを取り払う方法は――えっち?(2)

 もう少しですべてをノリと勢いのせいにして膝まくらを堪能できそうだったのに。

 結論から言ってしまえば未遂に終わった。そういうことだ。

 誰かが保健室に入ってきたせいで、俺は体を飛び上がらせた。あやうく一線を越えてしまうところだったぜ。……もうメデューサと挨拶をかわわして一戦をまじえている俺に一線も何もないか。


 保健室に入ってきた人数は少なくとも二人以上。男女の会話が聞こえてくる。森田がどうの安城寺がこうの、と。……ん? 俺たちの名前?


「ここにいるって先生言ってたよな。まぁだ寝てんのか?」

「でもどちらかはもう帰ったんじゃないのか、カーテン片方しか閉まってないからな。……まさか二人一緒に寝ているわけではないだろうな」

「まま、まっさかぁ、そそっそ、そんなわけないだろ。森田にゃそんな度胸ねぇよ」

「どうしてお前が動揺しているんだ、ひろ


 そのまさかなんですけどおぉおおおおッ……!?

 おそらく二人。二人がやって来たまではよかった。

 俺たちの話題があがり、カーテンには人影がちらつく。保健室で膝まくらという人に見せられない行為をしようとしていた背徳感に、俺たちは完全にパニックに陥っていた。

 いつも堂々としている安城寺も、何を思ったのか、俺を強引にベッドの中に招き入れ、布団をかぶった。こんなので隠れきれるわけないだろッ、それならベッドの下に隠れた方が、それより椅子に座ったまま普通に会話をしている風を装った方がよかったのでは。膝まくらとか膝まくらとか膝まくらとか、これっぽっちもけしからんことはしてなかったと。

 というか、今の方がけしからんことになってるんですけど!?

 そもそも隠れる意味なんてまったくなかったよね!?

 今からでも遅くはない。脱出を試み――いぎぃぅ。ほっぺたつねられた。


「ちょっと動かないでよ、え、えっち、くすぐったいから」

「はい」


 小声も小声で話しかけてきた安城寺に、俺は真剣真顔でそう言った。

 布団の中に充満している安城寺の熱と香り。俺の体と密着する安城寺の柔らかくしなやかな身体。嫌でも伝わってきてしまう彼女の激動する心拍。

 今、俺は人生最大のピンチを迎えている。

 まったく身動きが取れない。正確には動けるのだが、密着しているせいで動いてしまうと、今ならもれなく彼女の身体を愛撫してしまう。そして息苦しい。酸欠はともかく、呼吸をすればするほど、女の子が無自覚に放つ不思議な甘い香りによって理性が消し飛び、俺を本能に身を任せろと誘惑する。

 どうしたものかと思案を巡らせるも愚策すら思いつかない。

 ピンチもピンチ、大ピンチ。


「おーい、入るぞー」

「あ、あら、渡さん、それに風紀委員長」

「風紀委員長だなんて他人行儀な。少なくとも毎朝顔をあわせているではありまあせんか」

「それもそれね、成宮なるみやくん」

「ところであの森田俊平はもう帰ったのですか? まったくアイツは、今朝といい、素行の悪さには少しばかり指導の余地がありそうだ」


 だが、ピンチはチャンスでもある。

 俺の右手は、たまたま、本当にたまたま、とあるものの上にある。毎日昼食にメロンパンを食べている俺にはわかる。この混乱に乗じて『あ、ちょっと動いたら手があたっちゃってさ』と言い訳すれば、何をしても許されそうな気もしないでもない。

 このピンチに乗じてしまえば、何も怖くない――きゅるるるるうぅうう。


「安城寺、腹減ってんのか?」

「え、あ、ううん、大丈夫だよ」


 やっべえぇええッ、腹鳴っちまったッ!? メロンパン思い出したら腹減ってることも思い出しちまったよ。俺の存在バレてないだろうな……バレてないよなッ!?


「こ、これ、やるよ、メロンパン。……あと、昼はごめん」

「いいのよ、私もどうかしてたから。むしろ止めてくれて助かったくらいだし」

「いや、俺もあの時はついカッとなっちまってさ。お前みたいな華奢なヤツが俺なんかに吹っ飛ばされればどうなるかくらいわかってたはずなのによ。……ホントすまねえ。許してくれ」


 どうやら何事もなく会話が続いているっぽい。ギリギリセーフ。

 満たされない食欲の代償に、いつもより過剰に満たされたがる俺の性欲。

 右手の中に収まるか収まらないかの大きさのものが。毎日予行練習をこなしてきた俺には揉まずしてわかる――これは、おっぱいだ。はい、タッチアウトォオオオッ!


「渡さんのそういう素直でまっすぐなところ、すごく好きよ。ありがとう。……それに私の方こそごめんなさい。渡さん、私のせいで停学になったんだよね」

「ああそのことならいいんだって、気にすんじゃねぇよ。明日から学校サボれて俺は最高にハッピーなんだぜ? 学校公認でサボらせてくれるたぁ、たまには気の利いたこともできるんだな」

「紘、仮にも風紀委員長が隣にいるんだ。言葉には気を付けてくれ」

「お、わるかったな、成宮」


 おっぱいに気を取られてとくに気にしてなかったけど、今会話をしているのは誰なのでしょうか。渡はわかる。あと二人は誰? 安城寺の声をした誰? 俺と話する時と雰囲気もリズムも接し方も何もかもが違うんですけど。キレイな安城寺って言えばいいのか、いいとこ出の令嬢の皮を被ってますけど。

 まあ、男の方はどうでもいいか。


 それよりも今は右手だ――我が右手の下におっぱいが。


 揉みたい――そして知りたい。本物を揉んだときの感触を。

 エロスを知ろうとして何が悪い。無知は罪だ。そして無知と知りながら知ろうと努力すらしないのはさらに罪深い。重罪だ。だから俺は知ろうと思う。その結果その道が地獄へと続いていようとも俺は喜んで突き進もう。罪を背負い、罪を償った先には天国が待っていると信じて。

 俺はおっぱいの上にある指を数ミリだけ動かした。


「――――ッ!?!?」


 安城寺の身体がわずかにビクンとした。ノーブラだからダイレクトに手に柔らかさが伝わってくる。反作用的に安城寺には触られた感触がダイレクトに伝わったらしく、身体が素直に反応している。

 本当にごめんなさい、マジでごめん。心の底からごめんなさい。もっともっともっと揉みてぇ。もっと手に弾力が伝わってくるように。だからあと一回だけ、一回だけ許してほしい。……ああ、でもダメだ。こんな誰かに見られている状況でそんな羞恥プレイをさせてしまっては――あれ、いいんじゃないか?

 どうしよう、正当な理由を見つけてしまった。

 これは言い訳ではなく正当な理由。俺のためではなく、お前のための理由だ。

 一度も二度も変わらない。二度も三度も変わらない。三度も四度も変わらない。続けて続けて九十九度も百度も変わらない。つまり一度も百度も変わらない。それならすでに一度揉んでしまったのだから、もう何度揉もうが同じこと! ……では。


 ほう、ほほう、ほうほう、おほおほおほ、やっ……ふぅ。


 五回ほど揉んで我に返った。

 早い、それは早い賢者タイムの到来。安城寺が俺の右手を強く握ってきた。その指が絡みついてくる手は震え、小さな手ながらも俺のはやる心を鷲掴みして正気に戻してくれた。

 変態相手だからといって何をしていいというわけではない。変態である前に女の子であることを忘れてはならない。

 もっと揉んでみたい――という気は失せ、大人しくすることにした。

 それからどれだけ時間がたっただろうか。

 もう三十分くらいたっているかもしれない。確かに地獄の道に喜んで突き進もうと豪語したが、この生殺しは予期していなかった。そろそろつらい、いろいろと。


「それじゃあ俺たちは帰るからよ、また明日……来週な!」

「ええ、待ってるわ」

「それでは安城寺さん、失礼します。お大事になさってください」


 カーテンが閉められ、扉が閉められる音がした。

 握られたままの手をそのままに、俺は布団からひょこっと顔を出した――が、まるで一緒の枕で添い寝しているラブラブカップルのような錯覚に気恥ずかしくこそばゆく気まずくなり、すぐさま安城寺の手を離してベッドから出ようとした。


 はずなのに――。


 俺は安城寺の顔の両側に手をついて、顔を突き合わせてしまった。

 俺が手を離そうとしたとき、安城寺はさらに強く手を握り締めてきて、気のせいだとは思うが、少しだけ手を引かれたような気がした。そのせいでバランスを崩してしまった俺は、片方の手を繋いだまま押し倒してしまったような体勢で安城寺に覆いかぶさる。

 動けない。体が固まってしまって動けない。安城寺に見つめられて動けない。

 今まで何度も顔を接近させたことはあったのに、今日は、今は、この一瞬は、完全に悪魔に見つめられて呑まれてしまった。

 おそらく誰にも邪魔されることのない時間帯と保健室というの学校モノではド定番お馴染みの場所。そして、この状況が生み出す雰囲気と二人きりであるという条件。TPOが整ってしまっている。時、場所、場合、これらに応じた服装、態度の使い分けを意味する和製英語であるTPO。それにのっとるのであれば、俺は服を脱ぎ、目の前の女の子をリードしなくてはならない。


 気まずいなどと躊躇している場合ではない。


 脅迫してくる動悸は呼吸を乱し、乾く喉を潤をそうとする唾は口内のどこにも見当たらない。初めての緊張感が俺を圧倒し怖気づかせようと全身に訴えかけてくる。だけどな、正直な俺の体は過敏に反応したとしても、心まで屈するわけにはいかない。

 俺は男なのだから――なあ、安城寺?

 どうして抵抗しないの。

 どうして顔だけじゃなく耳まで真っ赤にしているの。

 どうして恥ずかしいはずなのに、俺から目線を外さずにじっと見つめたままなの。

 どうして今その柔らかそうな舌で自分の唇をぺろっと淫靡に濡らしたの。

 言葉なんていらない。そんな気がした。

 惹きつけられる彼女の唇に俺の唇が吸い寄せられていく。


「なにしてるの」


 ビタッと俺の動きは完全に止まった。そしてゆっくりと顔を後ろに向けた。

 そこには蔑みの視線を送ってくる保科先生がいた。

 俺は目の前のことに囚われすぎていた。あさはかだった。よく考えてみるべきだった。どうしてあの二人が保健室に来ることができたのかを。

 けっして授業をサボって来たわけではない。休み時間だったからか、あるいは終礼が終わって放課後になったからだ。保科先生は保健室から出ていく時、俺に確かに言った。終礼が終わったらまた来る、と。

 さらに、俺たちの不運は保科先生の目撃だけにとどまらなかった。

 やって来たのは保科先生だけではなく、もう一人先生がいた。

 保科先生だけなら言い訳のしようがあったのかもしれない。もしかすると見逃してくれたかもしれない。が、同伴していた先生にはどう考えを巡らせても言い逃れの口実が思いつかず。案の定、言い訳をしてはみたものの、まったく聞く耳持たず「職員会議にかける」の一点張りでまるで効果がなかった。


 こうして俺に一度下された『厳重注意』という寛大な措置は取り消されて『三日間の停学』を余儀なくされた。胸を揉ませてくれたせめてものお礼に、俺が安城寺を襲ったことにし、安城寺をお咎めなしにすることに成功した。

 ――のはいいものの、冷静になれば高い買い物をしてしまったことに気づかされる。なるほど、これが地獄への入り口というわけか。目の前に吊るされたエサにまんまと引っかかってしまうとは情けない。

 だからもう本物にはうんざりだ。

 俺にはエロ本グリモワールがあるのだから。背伸びせずに自分に見合ったでするとしよう。何も変わらない、いつも通りにな。まあ、今日は今後の妄想をはかどらせるためには最高の展開でしたよ、ごちそうさまでした。これからもよろしくお願い致します。


 次に登校するのは金曜日。さて、来月の中間テストに向けて勉強でもしようかね。

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