第12話 エロ本争奪戦vol.1


 机の上にエロ本――。


 俺にとっては日常茶飯事の光景なのだが、学校という公衆の面前でこのシチュエーションに巡り会う日が来ようとは。エロ本所持歴約二年半。ああ、俺も俺の息子も立派に成長するには十分な月日が流れたもんだ。

 そしてそのエロ本に興味津々なのは、なんと、俺だけではない。

 左側赤コーナーには安城寺聖来あんじょうじせいら

 右側青コーナーには渡紘わたりひろ

 仲良くなった女友達とエロ本を囲んでキャッキャウフフとおしゃぶりが……おしゃべりができる――これが俗世間で通称されるリア充というヤツなのか。もしこれがそのリア充という素晴らしいものならば、


「森田にはこの後、宿題も見せてもらわなくちゃいけねぇんだよ。だからさっさとどっか行けってんだ」

「ああ、そう! じゃあ森田くん、渡さんに宿題見せてあげてよ。その間にちょっと森田くんは借りてあっちで話してくるから、どうぞ渡さん、ご自由に」

「おいおいおいおい待て待て待て待て。俺にこれを一人で読めってのか? さすがに無理があるってもんだろ」

「…………」

「横槍出すなとか盾突くなとか言ったけど、ここで黙ってんじゃねえよ。俺が痛い人間みたいじゃねぇか。それとも何か? 言葉より拳で語りたいってか?」

「それ、読みたいのなら読めばいいじゃない。私はあくまでもそのエロ本に興味はないの。森田くんに用があるの。あなたはそのエロ本に用があるの。利害は一致しているの。あなたはえっちしているの」

「し、してねえだろうが、何言ってんだてめえ、頭イカれてんのか!?」


 もしこれがそのリア充という素晴らしいものならば――俺は喜んで爆発しよう。

 ――もちろんいろんな意味で。

 おしゃべリア充の俺は爆発、おしゃぶリア充の俺の息子も爆発。ドッカンドッカンおっぱいミサイルにやられて俺は戦死、戦場に撒き散らかるのは精子ッ、ヒェッ☆


 どうやら頭がイカれているのは俺のようだ。

 

 てか安城寺さん? エロ本に興味ないとか嘘は言っちゃいけません! 俺はあんたの堂々としてるところに尊敬してるってつい数分前に気付いたばかりなんだから、その幻想ぶっ壊すようなことはやめて。


 そもそも俺の頭がイカれちゃったのはお前たちのせいだ。

 肌がひりつく緊迫感を超至近距離から浴びせられ、敏感な俺の全身、その毛穴から冷や汗が噴き出している。キャットファイトが今にも始まりそうな威圧感を漂わせ、両者互いに譲らず睨みを利かす。

 いつも優し気な安城寺も自分好みのエロ本が関わっているせいで虫の居所が悪いのか、怒りに任せてらしくない暴言を撒き散らかしている。学校で安城寺が怒りをあらわにしているところを一度も見たことはない。


 おそらく、口の悪い渡紘を相手取っていることも、怒りに拍車をかける原因になっている。


 一見すれば男子高校生と見紛う風貌と背丈に、言動までもまるで男そのもの。伸びる手足はスマートで、もしスカートなんてものを履いていなければ、誰もが男として疑わないだろう。着崩した制服からは胸元は見えるが谷間がないせいで一段とそういった印象を強くしてしまう。

 安城寺を睨む一重まぶたで釣り目の双眸は、凄まじい眼力をもって相手を征しようとしている。

 眉目秀麗イケメンな男子高校生と容姿端麗イケメンな女子高校生。

 だから喧嘩の原因は痴情のもつれ、おしどり夫婦の痴話喧嘩に見えなくもない。もしたちが付き合うことになれば、学校一のベストカップルに認定されること請け合いだ。――容姿だけを考えればね。


 とまあ、そんな相手と安城寺は言い争いをしているのだから、多少ムキになっても仕方のないことなのかもしれない。


「森田くんはどう思ってるの!」

「森田はどう思ってんだよ!」


 双方の流れ弾にタイミングよく同時に被弾。話の流れが不安定すぎて、俺に何を求めているのかわからない。というか何も聞いてなかった。本能が聞かない方が身のためだと判断したのだから仕方あるまいよ。


「ちょっと何してるの、二人とも! 廊下まで声が聞こえてきたわよ!」


 今日は持ち物検査でもなければチャイムも鳴っていないのに、さぞお早いご到着だこと。

 第三勢力――保科先生のご登場だ。

 俺はエロ本を隠そうとした。が、二人の剣幕に圧倒されていたせいで出遅れてしまった。早く片づけなければまた卒倒させてしまう。


「……しゅ、森田君、に注意したこと忘れたの?」


 日曜日に家庭訪問までしておいて当の要件を忘れていた人に言われたくはない。


「いやーあの後鞄から抜き出すの忘れちゃってたみたいで。ホントにすみません」

「……え? これ金曜日のと違うよね」


 とぼけてみても無駄だった。ちっ、さすが俺のエロ本で卒倒しただけのことはある。ちゃんと覚えてやがったか。

 でも俺はとぼけ通す。そして反撃の狼煙を上げる。


「いやいや、本当に忘れちゃってたんですって――亜衣お姉ちゃ……あ、保科先生」

「あ、うん、そうだったね、よく見たらそうだった、うん、そうだった」


 全然よく見てない。動揺しすぎて視線が四方八方に散らばっている。

 保科先生の介入によってちょっとした沈黙が生じ、そこから新たな緊張が増幅してはまさかの三すくみ状態。

 安城寺聖来、保科亜衣、そして渡紘。

 どうやら俺があの日グリモワールエロ本から呼び出した悪魔は三人もいたらしく、各々相性が悪いときた。童貞の魔法は三十歳になってから。その禁忌を犯した代償は俺には荷が重すぎた。


「保科先生――はどうも」


 先手を打ったのは安城寺だった。

 えー昨日なにかあったの? それはねえ――などという会話が安城寺の背後で繰り広げられる。学校中の生徒全員を味方につけている彼女にとって、集団戦術は最強の攻撃手段となっている。

 さらに先ほどの俺と同じ攻撃手段で保科先生への牽制、いや、脅迫が今ここで行われている。昨日あったことを言われたくなければ、保科先生も私の味方につけ、と。

 こうなると三竦みも二対一の構図へと早変わりし、渡が劣勢となるのは道理だ。保科先生は『先生』というポジションで、安城寺は学校一の『人気者』ときた。その結託した正統派二人相手に勝つ見込みはなく、敵うわけがない。


「ほら、渡さん、早く席に着きなさい」

「はあ? どうして俺だけなんだよ。この女だって同罪だろうが」

「いいからはやく」


 なんだか渡が不憫に思えてくる。

 渡は「これだから教師ってのは」と吐き捨てつつも、保科先生の言うことをちゃんと聞き入れた。高校一の不良少女と例えてみたものの、体裁だけの問題で、中身はこんな感じで素直なところもある。ただ不器用なせいで理解されなかったり、トラブルメーカーとして名を馳せてしまっている節があるのがあだとなっている。

 ――ということを俺はつい数分前に初めて理解した。

 体裁だけなら安城寺に軍配が上がるのは仕方ないこと。

 中身まで考慮すると……はは、考えたくもないね。


「それから森田君、これは没収させてからね。……睨みつけてもダメです」


 さすがに脅しはもう通用しなかったか。


「いや、ちょっと待ってくれ、保科先生」


 渡だ。一度は素直に言うことを聞いた渡だったが、身を乗り出してきた。エロ本を手に取ろうとしている保科先生に牽制を入れた。


「ここはひとつ勝負といこうじゃないか」

「……勝負?」

「おうよ。このままだと安城寺にも負けたようで決まりが悪ぇし、それに……二度も俺のせいでエロ本パクられんのは申し訳ないからな」


 怪訝そうに渡を見つめている保科先生の顔は、そのうちあきれ顔に変わった。

 話だけは聞いてあげようという姿勢らしい。ひとつため息をついて承諾のあかしとし、安城寺は保科先生の意思を組み無言で腕を組んで答えてみせた――腕を組む行為は威嚇そのもの。受けて立とうとする安城寺の仁王立ち姿が凛として絵になるもんだからちょっと腹立たしい。


「この勝負で勝ったヤツがこのエロ本を手に入れるとができる。……いいな?」

「もちろんいいわよ」


 安城寺が快諾を。どうしてお前に決定権がある。

 あのー、エロ本の現所有者である俺は参加できないのでしょうか。


「よし、決まりだ!」

「私まだやるってひと言も――」

「まあまあ先生、単なる余興でも楽しむ感じでお願いしますって。先生と生徒の距離を縮めるコミュニケーションってノリでさ! 最近生徒のことでわからないことがあって頭かかえさせられてんだろ?」

「うん、まさに今がその状況」

「だろ? だから俺たちと一緒に楽しめば、生徒の考えてることわかるかもしれねえじゃん! ……な?」

「……確かに」


 いやいや保科先生、いいように言い包められてますけど。チョロイン属性だったんですけど。これだから兄貴ごときにコロッとやられちゃったのか。もしかしたら先生を脅しながら強引に迫ればチャンスが……現実味があって洒落しゃれにならない。


「おい森田ァ、なんかいい勝負ないのか」

「ここに来て俺に丸投げかよ」


 まあ、渡に『二度もエロ本パクられるのは申し訳ない』とまで言わせておいて、ただ傍観者を決め込むのも心が痛む。

 何かないか考えてみよう。朝礼はさておき一限目まで残された時間は限られている。その中で手っ取り早く、暴力に発展せず、かつ皆が公平に戦える勝負は……。 

 ――あれでいくか。

 俺に仕切らせたこと後悔するなよ。俺を差し置いてエロ本争奪戦を始めたお前たちには少しだけ痛い目にあってもらおうか。女であり使い魔であるお前たちのみにくい争いを、主たるこの俺が見届けてやる。


「じゃあ、早口言葉で勝負ってどうだ?」


 クラス中から「は?」という心の声が聞こえてきたのは幻聴として聞き流して、俺はルール説明を続ける。


「早口言葉を三回言うから、俺に続いて詠唱する。一回目と二回目は練習で、三回目にもっとも完璧に早口言葉を言えた人の勝ちとする。……質問は?」

「三回目を完璧に言えればいいってことはさ、三回とも同じことを言わせるつもりってこと?」

「さすがは安城寺、察しがいいな。さすがにまったく同じってわけじゃないけど、似たような韻とリズムだから、一回目と二回目に釣られてひっかからないように」


 三人は無言で頷いた。さあ、ゲームスタートだ。


「それでは始めます――生むぎ生米生たまご」

「生むぎ生米生たまご」「生むぎ生米生たまご」「生むぎ生米生たまご」


 一回目。


「生むぎ生米生たまご」

「生むぎ生米生たまご」「生むぎ生米生たまご」「生むぎ生米生たまご」


 二回目。ここまで全員パーフェクトか。ではラスト。


「ナマ脱ぎナマゴムナマたマンゴォッ」

「生脱ぎ生ゴムタマタマンゴ」「生脱ぎ生ゴム生マンゴ」「生脱ぎ生ゴ生たマ……」


 誰か一人『生マンゴ』って言った奴いるな。最近女子大生の間で人気だからって背伸びして語尾に『ンゴ』なんて使っちゃいけません。誤用の原因になっちゃうんだから。ちゃんと用法用量は守らないと。男子が、とくに童貞男子が空耳でえっちな妄想しちゃうから。

 それでは俺はそれにのっとりちゃんと使わせてもらおう――やっちまったンゴw

 あと『タマタマ』はもう救いようがないな。

 

 結果として、生脱ぎは全員正解。

 次のナマゴムで一人脱落。どうして言えなかったのかな。ナマを何かとして勘違いしたのかな。ナマゴムって靴底に使われてるゴムのことだよ。

 最後の単語にいたっては、正解者ゼロ。

 よって全員三回目を完璧に詠唱すること叶わず。残念でした。


 名誉のために誰が何を言ったかは伏せておこう、あえて言及する必要はない。全員敗北して勝者なんていないんだから。誰が何を言ったのか、それはこれを聞いていたクラスメイト、みんなのご想像に任せることにしよう。

 ま、俺は誰が何を言ったのか知っているんだけどね。ということで、


「全員不正解で引き分けです。なので、この勝負は俺が預かりますね。その場合、もちろんこのエロ本も俺預かりになるので、ご理解の程よろしくお願いしまーす」


 戦いに参戦せずして勝利を得る。何も戦うことだけが勝利を手に入れる方法ではない。大事なのは局面を的確に理解し、場を支配すること。

 つまり、渡が俺にゲームマスターをやるように促した時点で勝負は決していた。

 グリモワールエロ本の回収無事完了。さらに俺の中でただ今注目株の女陣からえっちぃ発言や恥じらいの表情を得ることもできた。

 さて、これで心置きなく一限目の英語の授業に集中できるぞ。


「……そのいかがわしい本は没収します。もう許しません」


 保科先生が他を寄せつけない物言いは、俺の詭弁も当然寄せつけなかった。

 さすがにおいたがすぎた。俺にはこれ以上保科先生に逆らうことはできなさそうだ。

 そうガッカリしていると、ひとりの女子高校生が助け船を出してくれた。


「先生、この勝負引き分けだったしさ、今回のところは見逃してくれねぇかな」

「それもそうね。こればかりは渡さんに賛同させてもらうわ」

「ちょっと二人とも、そ、それは、先生が没収します」

「なんだよ、先生、もしかしてそんなにこのエロ本読みたいのかよ。こりゃあ参ったなぁ。……確かにこの年で彼氏一人もいないんじゃ、の魅力で男落とすしかないもんなぁ。はーあ、かわいそうだなー。ごめんな、先生、何もわかってあげられなくて」

「わ、私だって彼氏くらいいますっ!! ……あっ」


 教室内が瞬く間に歓喜に狂い湧き上がる。

 保科先生は生徒に詳細を聞かれ答えの繰り返し押し問答。エロ本にかまう余裕はなさそうなので、こっそり鞄の中にしまいました。

 この勝負、渡の一人勝ちでもよさそうだな。

 俺のエロ本を守ってくれた勇者にはご褒美を。優勝賞品はあげられないが、敢闘賞くらいはあげてやらないとな。

 俺は一限目の英語の宿題となっていた英文翻訳をしてあるノートを開いて渡の机の上にさり気なく置いた。


「二時間目の数学の宿題も頼むぜ」


 と小声で図々しくも頼んでくる渡に、


「あとで見せてやるから、とりあえずそれ写しとけ」


 と寛大な措置をしてやった。

 エロ本に興味を持つヤツに悪い者はいない。兄貴から教え授かった訓示はあながち的を射ていることが多いので信じることにしている。

 早口言葉を言ってくれた彼女たちは、みんな――。

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