放課後

 放課後、凛は約束どおり芽亜凛を校内案内に連れていた。

 六月は特に室内活動が増える時期だ。今日みたいな日は、体育館や廊下のあちこちで運動部の姿が見られる。そのかけ声は静かな三階にまで響いていた。


「ここが美術室。みんな作業してるっぽいから、なかまでは入れないけど……」


 凛が声をひそめて言うと、芽亜凛は「授業までの楽しみに取っておくわ」と頷く。すかさず凛は、おや? と首を傾げた。


「もしかして橘さんって選択美術? 私と一緒!」


 芽亜凛は「絵を描くの、好きだから」と照れくさそうに笑った。

 芸術の選択科目は、音楽、美術、書道、工芸の四つ。凛は美術で、芽亜凛もまた美術を選択したらしい。


「やったぁ! これで橘さんといられる時間が増えるね」


 無邪気に喜ぶ凛を見て芽亜凛は嬉しそうに微笑む。

 凛は「部活動もう決めた?」と会話を続けながら、四階の案内に向かった。芽亜凛は後ろを付けつつ「ううん、まだ決めてないの」と首を振る。「お誘いはいくつか頂いたのだけれど」


「そっかあ、そりゃあ悩んで当然だよ」

「百井さんはどこの部活動に?」

「私はねぇ――」


 その先を言う前に、湿気でキュッキュと靴を鳴らしながら、階段上から男子バスケ部の集団が走り降りてきた。普段なら体育館で走りこむ彼らは、雨の日になるとほかの部活動との譲り合いで、校内の一階から四階までを室内ランニングしている。

 凛は進行を妨げないよう、慌てて壁際に寄った。二列に並んで目の前を通り過ぎていく男子たち。凛はその後列を見て驚いた。


「渉くん……!」


 そこには最後尾で気怠そうに走る、幼馴染の姿が。

 渉は凛と芽亜凛に気づくと、踊り場で緩やかに足を止める。


「おう、凛と……、」

「橘さんだよ」


 凛の紹介で渉は小さく会釈を交わす。芽亜凛はゆっくりと瞼を閉じるだけの、アイコンタクトで応えた。


「なーに、雨の日でも駆り出されてんの? 便利屋は大変だねぇ?」

「仕方ないだろ、ヌギ先輩が付き合えって言うんだから。そっちは校内案内?」

「うん、これから四階に行くところ」

「あっそ。じゃあまた」

「え? あ……うん」


 最後まで言い終わる前に、渉はハイペースで階段を降りていった。まるで愛想のない幼馴染の返事に凛は戸惑う。


「何あれ、素っ気ないなあ」


 渉が無愛想なのは普段からだけれど。今日はいつにもまして、突き放すような態度が気にかかった。


「……彼氏さん?」

「へ……!?」


 突拍子もないことを言って、芽亜凛は凛の顔を覗きこむ。凛は全力で首を振り、「違う違う!」と声を上げた。


「えっと、幼馴染ってやつだよ。本当は帰宅部なんだけど、ああやってほかの部活に駆り出されてるんだ。運動神経には自信がある奴でねぇ」


 渉のように部活動未所属の生徒は帰宅部に分けられる。塾やバイト重視の生徒、そのほか家庭の都合で参加できない生徒など、多くが含まれる。

 凛は四階の案内を進めた。実験室、家庭教室、第二コンピュータ室。一番奥には古い物置部屋がある。授業中も放課後も、基本的にはひと気のない場所だ。

 さらに上には屋上へと続く階段があるが、手前をチェーンで封鎖されているため進めない。仮にチェーンを跨いで行ったとしても、屋上の扉は常に施錠されている。


 ひととおりの案内を終えて、凛と芽亜凛は二年E組の教室に戻った。教室にはまだ談笑中の生徒や、黒板の落書きを楽しむクラスメートらが残っている。勝手に凛の席に座っていた女子生徒は、二人に気づいて手を振った。


「凛ちゃーん!」

「ちーちゃん! 待ってたの?」


 彼女の名前は、松葉まつば千里ちさと。凛の中学からの親友で、響弥と同じ二年C組に所属する。

 千里は、うん、と頷き、「今日部活休みでしょ? 一緒に帰ろうと思って」と、視線を横に流した。「あれ? そっちの人って……」

 芽亜凛は薄い笑みを浮かべて肩をすくめる。


「橘芽亜凛です。百井さんに校内を案内してもらってて……」

「もしかして噂の転校生さん!? わたし、松葉千里です!」


 ぴょんと勢いよく立ち上がり、千里は人懐っこい笑みを見せる。


「よろしくね、松葉さん」

「千里でいいよぉ。わたしも芽亜凛さんって呼ぶね!」

「ちょっ、ちょっとちーちゃん!」

「えー? なにー?」


 あたふたと出遅れる凛を、千里はからかうように笑った。コミュニケーション能力が人一倍高い千里は、計算も意識もしていない自然体で、誰とでもすぐに仲良くなってしまう。

 芽亜凛も釣られて、ふふっと笑った。


「百井さんにも、芽亜凛って呼んでほしいわ」


 凛は驚いて瞼を持ち上げる。


「じゃ、じゃあ……私のことも、凛でいいよ!」

「ほんと? 嬉しい」

「なんですかお二人さん、その新婚のような反応はぁ」


 親友の冗談に、凛と芽亜凛は顔を見合わせて笑った。転校初日での名前呼び。芽亜凛との距離がまた縮まった気がして、胸の奥がぽかぽかと温かくなる。

 そうして帰りの支度をはじめたとき、凛は「よかったら芽亜凛ちゃんも一緒に帰ろ?」と、

 当然の提案を口にした。


「いいの……? お邪魔にならない?」

「えーっむしろ歓迎だよぉ! わたしも仲良くしたいもん!」


 帰る準備万端な千里もそう言ってくれる。しかし、人のいい芽亜凛はそれでも遠慮しているのか、ためらう素振りを見せた。

 だが最後には、おずおずと頷き、


「……じゃあ、ご一緒させていただくわ」


 凛と千里はよっしゃ、と揃ってガッツポーズした。

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