May : Day 02 - Part 2

Episode 032 「隠し事は願い事」

 件の新一年生が相談に訪れてから数日後のことである。とある男子生徒が昼休みにカウンセリングルームのドアを叩いたのだ。


「先日、男子テニス部の一年生がここに来ましたよね? おれ、あいつの友達なんです」


 彼は同じく一年生であり、同じくテニス部に所属しているらしい。

 早川に勧められてソファに座ると、開口一番にこう言った。


「ほんとにありがとうございます。あいつを、おれの友達を助けてくれて」


 深々と頭を下げ、真摯に礼を述べる。

 それはまさしく友人のためを思う優しい人間の姿だった。


「そんなに畏まらないでいいのよ。ひとまず気持ちは理解したから。ね?」


 困り顔の早川が呼びかけるも、その男子はこうべを垂れ続けた。


「おれは、薄々分かってはいたんです。このまま部活を続けたら、あいつが潰れてしまうんじゃいないかってこと。だけどおれは、応援して、見守ることしかできなかったから」


 ようやく彼が顔を上げた。

 すると、慌てて不足していた要点について説明し始める。


「そうだ、まず伝えなきゃいけないことがあるんだった。ええと……あいつは、約一ヶ月間テニス部で頑張ってたんですけど、昨日テニス部を退部したんです。中学から一緒に励んできた仲間としては少し残念でもあるんですが、正直……ホッとしました」


 表情に一抹の寂しさが滲む。けれどその穏やかな双眸は、安心の意を色濃く映していた。

 一つの結果を知り、智史も同じように安堵する。笹原も小さく息を吐いていた。


「あいつ元々、中学の時から体力のあるほうじゃなくて。大会を目指すような上昇志向の強い空気もなかったから、割とゆとりを持って活動することができてたんです。だけど、この高校のテニス部は良くも悪くも全力っていうか、部としてちゃんとした成果を出すっていう至極当然の目標をしっかり掲げてるんです。仮入部の段階からそれは明白で。負担は大きくなるから入部考え直したほうがいいって、おれは何度か言い聞かせたんですけど、あいつ今回だけは凄く頑固だったから……」


 その理由を、この場にいる三人は十全に知っている。


「テニス部に入部はしたものの、案の定基礎練の段階からペースについていけてなかったんです。先輩からも球拾いが遅いとか、テニスコートとか道具の整備に時間使いすぎたって怒鳴られることも多くて。顧問に退部を申し出るべきだって何回説得しても、ずっと『頑張れるから』の一点張りで。その上あいつ、入学してからクラスメイトと全然話せてないとか言い出すし。昔から色んなことが総じて不器用なんですよ。そういうところがなんとなく弟みたいな感じで、いつも放っておけなくて。……こういうの、お節介って言うんですかねっ」


 気恥ずかしさのせいか、彼は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。

 早川が首を振る。次いで、その行いをたたえるように微笑んだ。


「そんなことないよ。きっとあなたがいたから、あの子は頑張ることができたんだと思う。それはとっても素敵なことだわ」

「……ありがとう、ございます」


 自分の選んだ対応が、必ずしも間違いではなかったのだと。意味があったことを強く肯定するように、彼は感謝を述べた。


「あいつのために、せめておれだけでも応援したかった。頑張り続けることを、あいつ自身も望んでたから……。でもやっぱり、それだけじゃ駄目だった。無理なら無理ってしっかり言うべきだった。もっとうまく立ち回れたら良かったんですけど。まだまだだなあ」


 友人が抱える問題を、彼は自分自身のことのように捉えている。

 未熟な部分は多々あるのかもしれない。

 しかし、彼らの間に築かれている関係性、その絆は代えがたく尊いものだ。

 持たない者が見れば、より一層、なお眩しく。


「大丈夫だよ。クラスが違っても、同じ部活仲間じゃなくなっても。お前みたいな心強い味方が傍にいるなら、きっと大丈夫」


 触れられない芸術品を愛でるかのように。

 智史は二人の関係性に希望を見出していた。


「そうですね。そう在りたいって、思います」


 言葉を噛み締め、そして彼は続けた。心底嬉しそうに。


「良かったですよ、みなさんがいてくれて。そのお陰か、あいつも徐々に変わろうとしてるみたいなんです。言ってましたよ、クラスメイトとも少しずつだけど、話せるようになったって」

「そっか。ちゃんと前に、進めてるんだな」


 しらせを聞いた智史も心から嬉しそうだった。


「ええ。……だから本当に、ありがとうございました」


 最後にもう一度、彼は大きく頭を下げた。




 残った昼休みの時間は緩やかに流れている。


「良かった。無理なく順調に学校生活を送れてるみたいで」

「そうね。話を聞いた限り、新しい問題に追われてるわけでもないみたいだし。改めて無事にスタートできたってところかしらね」

「…………」


 笹原と早川が言葉を交わす中、智史だけは物思いに耽っていた。


「どうかしたの? もしかしてまだ、あの子たちのことで気になることがあるの?」

「そういうのじゃ……ないです、けど」


 下級生である少年が、口下手な一年生が、心機一転して友達作りに励んでいるのだという。

 その事実、その意味を深く考えていたのだ。

 智史は気弱だった少年の緊張を解すために、互いの間にある差は年齢しかないとさとした。それ以外に異なる要素はないのだと告げた。

 けれど分かっている。智史はどうしようもなく自覚している。

 二者には歴然とした大きな違いがあることを。

 だからこそ、第三者にも感じ取ることができてしまう。


「もしかして君は……本当は友達が欲しいって思ってるんじゃないの?」


 数秒だけ、智史の意識は何も受けつけなかった。

 笹原が表現した言葉の意味合いを、頭がやっと読み解き始める。


「……どんな根拠があって、そんなことを言うんだ?」


 問いただそうとする声はかじかむように震えていた。

 早川は、この場でその指摘が飛び出したことに驚いていた。

 構わず笹原が切り込みを入れる。


「今まで君と接してきたけど、まだ出会ってから一ヶ月くらいしか経ってないけど。顔を合わせるたびに何回も君と口論してきた。口論を繰り返すごとに何度も君の主張を耳にしてきた。だから、なんとなくだけど分かることもある。それに加えてこの間も、今日だって君は……羨ましそうに二人のことを見てたよ。手の届かない理想に焦がれるみたいに、二人の在り方、純粋に友達について考える姿を眺めてた。自分から友達がいないような言動をして、平気な態度を演じてても、無関心ではいられないんでしょ?」


 気持ちが悪いくらい観察してるんだな――そんな感想を抱いた。抱いていただけで、智史には口にする余裕などなかった。

 否定できる部分のほうが少ないからだ。


「君は決してコミュニケーション能力が欠落しているわけじゃない。穿った見方をすることも多いけど、かといって視野が狭いわけでも、他人と真正面から向き合えてないわけでもない。まるで、友達を作れない振りしてるみたいだよ。……本当はさ、君がその気にさえなっていれば、今頃きっと――」


 笹原が口にしようとした希望的観測を、智史は言わせたくなかった。

 なればこそ。故意に、狙い定めたような戯言ざれごとを浴びせた。


「お前は、誰よりも恵まれてるんだって。顔もスタイルも悪くないし、多くの男子から好意を寄せられているみたいじゃないか。告白だって何度もされてきたんだろ? 周りの女子もさぞ羨んでることだろうな。それなのに恋愛には興味関心がないみたいじゃないか。どうして誰とも交際しないんだ? お前なら選び放題なんじゃないのかよ」

「な、何を急に知ったふうな口を……ッ」


 反射的に言い返そうとする笹原。しかし、辛うじて口走りかけた異議を呑み込む。自分の見立てを遮って、智史が上から目線で配慮の損なわれた発言をした、その意図に気づいたのだ。


「……そうよね。私が言えた義理じゃ、なかったわよね」


 掲げられた矛と矛は、刃も交えず下ろされた。あるいは威嚇を実行した時点で、二人の脆い側面は傷を負っているのかもしれない。

 カウンセラーは、傍らで智史と笹原の応対をつぶさに観察し、一連の流れが意味することを分析していた。

 そこには、一本の線が引かれている。

 その線は最初から二人を分断していた。その先の領域を垣間見ることがあっても、踏み込むことを互いに許してはいなかった。


 加えて、二人は自覚していない。

 否定的な自衛を行うのは、その先に核心に触れる部分が潜んでいるからであると。相手が嫌がること、望まないことを区別し把握することは、人間関係において大切な工程であると。

 相手の心と正対できているからこそ、それらが可能になっているのだ。本当に気が合わず見向きもしていなければ、今の二人のようにはならなかったはずなのだ。

 もしも、智史と笹原が早川と同年代の知り合いだったとしたなら、取るべき選択はシンプルなものだっただろう。適当な助言を用いて自覚させ、背中を蹴り飛ばし、互いを意識させるだけで良い。刺激さえ与えてしまえば、自ずと気持ちがはっきりして、収まるところに収まったに違いないのだから。


 ただそれは――早川の一方的な願いに過ぎない。

 二人を引き合わせた、それ以上の我儘を押し付けることはできない。

 スクールカウンセラーという領分では、干渉できることは限られてしまう。

 それでも関わろうとするのなら。


「知ったふうな口なんて今さらなんじゃないの? それともお互いに気遣いができるようになったんだ? 二人も少しずつだけど変化してるんだねえ」


 智史と笹原の共通の友達として、そっと寄り添うに留める。

 少し離れた場所から、ちょっとした茶々を入れるような、身の軽い隣人として。


「気遣いなんて優しいものじゃないでしょう、これは。牽制し合ってるだけですよ、これ以上来るなら相応の用意があるっていう意味の。一種の外交政策です」


 条件反射の要領で智史は文句を捲し立てた。


「もう。そんな言い分ばっかり達者になるんだから。もっと素直にしてればいいのに」

「素直も何も、初期の頃から一貫してこういう感じでしたよ」

「そういうところだけは、なぜかそのままなのよね。不思議と」

「やだなあ。人間早々変わるわけないじゃないですか」

「……ほんと、見てて飽きないわ。まったく」


 開き直る智史の態度を前にして、早川は呆れ返った。

 幸か不幸か、変化を感じるほどに不変のものもあることを知る。


「あなたはあなたで、飽きないわよね……綾乃」


 智史と早川のやり取りについて、笹原はお節介な心遣いを感じ取る。

 呆れ混じりに零れた文句。それが耳に入ったとしても当人の姿勢は変わらないのだろう。

 カウンセラーとして、あるいは友人として二人と関わり続ける早川は、聞こえた愚痴に対して微笑みだけを返した。

 言い表さずとも二人は互いの心情を察する。

 世話焼きがする行為であることは、最初から知れていた。

 何より本人が度々明言している。

 スクールカウンセラーが考えることは、生徒のことに決まっているのだから。


 早川は願う。

 智史と笹原が素直な気持ちを表せるようになる、その日まで。

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