破:決意の形、代価の命

 すべては順調に進んでいる、と思えた。

 英国騎士団団長はルシアを捕まえた後、魔術師に降魔の儀を始めさせる。

 再びベリアルを呼び出せれば、自分たちの任務は達成したようなものだった。

 英国を護る。そのためならば、己の命さえ捧げよう。この国を封印し、結界内に残された我々は悪魔たちと戦い続ける。

 たとえ、最後の一人になったとしても、悪魔に向けた刃を納めることはない。一匹でも多く悪魔を殺し、少しでも多く未来への可能性を増やす。

 今の英国では、悪魔の軍勢を駆逐することは不可能だ。

 だが、未来の英国ならば――必ずや憎き悪魔どもを殲滅し、勝利の栄光を掴み取ってくれる。あの女王陛下が仰ってくれた。約束してくれた。

 だから。

「我々は栄光の礎となる」

 そう言い切った瞬間のことだった。

 砲撃でも受けたかのように、精霊塔の天井が砕かれる。木片や屋根材が乱れ落ち、作業をしていた魔術師集団を呑み込んだ。

「なっ…………!?」

 吹き抜けとなった天井。夜空も見えない漆黒の空から、使者が舞い降りた。

 異形の使者は、背に生えた翼を羽ばたかせ、ゆっくりと地面に着地する。

「アブネーアブネー。やッぱり、ニンゲンはズル賢いネー。またベリアルを喚ばれたら、ボクでもなすすべがなかッたよ」

 使者の姿を知っている。それは人間に化けていた悪魔――。

「アンドラス!」

「おゥヤー? ボクを知ッているんだネー。サインでも欲しい? カカカカッ!」

 異形の使者アンドラスは、ニンマリと笑う。

 その笑みとは反するように、団長の表情は険悪なものへと変わっていった。

「外壁には防護の祝福を施してあったはず! 貴様、どうやって突破した!?」

「あァ、『騎士団以外には触れることができない』ッていう聖術だネッ。さてさて、ここでモンダイ。ボクはどうやッてきたんでショー? ヒントは……『これ』だよ?」

 そういうアンドラスの手には、人間の足が握られていた。

 太股から上がない右足。甲冑に包まれた足は、一目で足の主が何者であるのか判断できた。

「貴様っ、それは……っ!」

「ありャ? わかッちッた? おッかしいネー。壁にタタきコワすために、ハンベツができないほど、グチャグチャにツブしたんだけどナー」

 アンドラスは騎士団員の足を放り投げる。まるで玩具に飽きた子供のように。

「下衆め……!」

「カカカカッ! そんなに褒めないでヨッ!」

 剣を抜く。

 これ以上、あの汚れた化け物の言葉を聞くことなど耐えきれない。

 くびり殺す。

 例え、相手が序列を有する上級悪魔であろうと、聖なる加護を受けた自分なら負けはしない。

 だが、団長の闘志を吹き消すようなことが起きた。

「痛いっ! 放してぇ……!」

 部下である騎士たちがルシアの腕を引っ張り、アンドラスの元へと歩み寄る。

「貴様ら! 何をしている!?」

 彼らの返事はない。

「カカカッ! ナニをしてるんだろうネー?」

 嘲笑が響く。

 団長は動揺した状態でも、彼らの身に何が起こったのか――理解してしまった。

 じっとりと汗が、全身から吹き出てくる。

「操られたか!」

 おぼつかない足取りで、騎士たちは進む。

 即座に騎士たちの行動を阻もうとするが、四人の騎士の内、二人がこちらに刃を向けてきた。

「くっ!」

 騎士達の瞳には光がない。

 正気ではないことは、一目でわかった。

「ひとつ。イーこと教えてあげるよ。正確には、ボクの“能力”はヒトを操るものじャない」

 余裕を露わにし、アンドラスは語り出す。

「ボクは、“不和”にさせているだけなんだよ。ヒトとヒトが築き上げたカンケーをハカイする。仲違いの能力。ヒトはダレでも、ダレかに不満をモッている。その不満や不安をゾーフクさせる。それがボクの能力“不和”。ボクのマエでは、どれほどカタく結ばれたキズナも一瞬にして断ち切る――なァんてネッ! どう!? カッコイー!?」

 顔を歪め、ケラケラと笑う。

 その間にも、ルシアとアンドラスの距離が縮み、団長と対峙する騎士との間合いも短くなってくる。

 ルシアがアンドラスの手に落ちたとき――それはこの場で最悪のケースだ。

 故に団長は剣を握り、

「その程度か?」

 眼前にいる騎士の一人を叩き切った。

 仲間であろうと容赦なく、致命傷の一撃を放つ。

「アンドラス、貴様の能力はその程度のものか? 我が部下を裏切らせた――その程度で、英国騎士団を凌駕したつもりか? 片腹痛いッ!!」

 もう一人の命も奪い取る。

 信頼できる部下だった。

 だからこそ、彼らの意志に背くことを許すわけにはいかない。

 一撃で逝かせてやらねば――。

「カカッ、カカカカカカカカカカカカカッ!」

 肩を震わせて笑い飛ばす。

「キャー! カッコイー! 大義のためとかイッて、ナカマをコロすなんてシンじられなーい! ニンゲンッてアクマより残虐ゥ! カッコイー!」

「貴様……!」

「ほォら、早くしないとッ! この子、食べちャうよ?」

 すでに封印の鍵は、アンドラスの元に引き渡されていた。

 鍵――ルシアの表情は絶望に染まる。

 声も涙も出せないほどの恐怖。

 その様子を楽しむかのようにアンドラスは笑みを深くする。

「させん!」

 団長が踏み込もうとした瞬間、堅く閉ざされていた扉が開かれた。同時、流れ込むように二人の騎士が団長へと飛びかかる。

「カカカカッ! ほらほら、ユダンしてるとミンナ仲悪く死んじャうよ?」



 階段を上るタリスは異様な静けさに胸騒ぎがした。

 上に向かえば向かうほど、周囲の音だけが綺麗に切り取られたかのように、足音が木霊する。

 おかしい。

 ルシアを送り届けてから、時間が経っているのにも関わらず、一向に封印が行われていなかった。

 不安は次第に確信へと変わりつつある。聖堂での異変といい、おそらく上も何かが起こっているに違いない。

 タリスは一段飛ばしで、上階――降魔の部屋へと向かった。

 階段が終わり、大きく口を開ける扉が目に留まる。

 本来、そこにいるはずの騎士が――いない。

「まさか……!」

 急ぎ、部屋に踏み込むと、

「………………っ」

 最悪の光景が広がっていた。

 立っている人影は三つ。

 翼を生やした悪魔。

 悪魔に囚われた少女。

 ……血塗れの人間。

「団長!」

 タリスが叫ぶと同時、鮮血に染まった団長は地面に倒れた。

 瞳孔の開いた瞳が、宙を見つめている。がらんどうの瞳は、生きた人間のものではなかった。

「そんな……」

「んんー? また新しいのがキタのかァ。もうメンドーだナー」

 悪魔の声を聞き、そこでようやく悪魔が大物である事に気づいた。

 序列の位、63の席に座する悪魔アンドラス。

 普通、63という値に驚異を抱くことはない。だが、それは人類の数よりも多い悪魔の場合なら、話が違う。限りなく無限に近い数の悪魔の中から、二桁の序列を持つ悪魔――その存在は、生きる伝説と言っても過言ではない。

 タリスは自分の手が震えていることを自覚する。

 それは恐怖によるものだった。

 対峙するだけでも足が震える。

 逃げ出したい。出来ることならば、このような場から一秒でも早く消え去りたい。

 勝てるはずがないと、分かりきっていた。あれは人間がどうこうできるような存在ではない。正真正銘の化け物、悪魔なのだ。

「さァて、ボクはもう飽きちャッたし――そこのキミ、どうする?」

 まるでタリスの思考を読み取ったかのように、アンドラスは問いかける。

「な、何を――」

「ここをツブせば、ツギは英国だネー。オスマン帝国とかもイマはこの国みたいにオソわれてるだろォしィ……」

「何が言いたいんですか?」

「……ネェ、ボクと約束しない? ここでボクをミノガしてくれれば、英国もミノガしてあげるヨッ」

 空腹時に好物を見せつけられるようだった。

 今、タリスの眼前には涎を垂らすほどの“餌”が下がっている。それはとても甘い、罪深き禁断の木の実。同時に、手に入れなければいけない目的でもあった。

 ここでアンドラスに刃を向けなければ、英国は安泰の地となる。英国の存続――それは英国騎士団の使命の終着点だ。

 だがリスクがある。

「アンドラス……あなたの言うことは本当ですか?」

「シンじるか、シンじないかはキミ次第ッ! だけど、アクマは契約をカわしたら、ゼッタイにヤブることはないヨッ!」

 そうだ。これは悪魔の契約なのだ。

 ルシアという少女の命を代償として、自分の命と英国の運命を救う。

 アンドラスの提案の意図は分からない。

 それでも契約は契約だ。

 その道が汚れていようと構わない。

 英国騎士団としてではなく、母国を愛する一人の男として――タリスは道を外す覚悟をした。

「いいでしょう。その契約――」

「ぶえっくしょん!」

 突如、神経を逆なでするようなくしゃみが塔内に響いた。

 くしゃみはアンドラスのものでも、タリスのものでも、ましてやルシアのものでもなかった。

 タリスは目撃する。この場――アンドラスの背後――に佇む一人見覚えのない人物を。

「あぁ、だりぃ。この場所……俺にゃあ、少しきついな」

 見知らぬ少女だった。背に巨大な盾を背負い、走りにくそうな服装をしている。風貌といい、顔つきといい、この国の人間ではないことは一目で判断できた。

 ――否、そんな些末なことはどうでもいい。

 問題は三つ。

 少女が何者であるのか。

 少女の存在をどうして気づけなかったのか。

 そして少女はどうやって、ここにやってきたのか。

 タリスは部屋で唯一の出入り口に立っている。ここを通らない限り、普通の人間ではこの部屋にはいることなど不可能なはずだ。

 結論は自然と導かれていく。

 つまり、少女は人間ではなく、

 つまり、彼女は異常で、

 つまり、化け物であると。

「やッほー! バケモノ少女ちャん!」

「うるせぇ、悪魔。俺に気安く話しかけんな。死ね」

 振り返ったアンドラスが気軽に声をかけるが、少女は何も臆することなく毒気のある言葉を返した。

 二人が顔見知りであるという事は、

「あなたも悪魔ということですか」

 タリスが問うように呟くと、少女の表情が一層不機嫌なものへと変わった。

「……あぁ? テメェ、もう一度言ってみろ。額、割るぞ?」

 怒りの矛先が、タリスに向けられる。肝の冷えるほどの殺意が、一矢の如く襲いかかった。

 ――この殺気、どこかで……?

「ネーネー、バケモノ少女ちャん! あのブシドーは、いないのかなァ!?」

「うぜぇなぁ。清六なら今に来るぜ。テメェの首を落とすついでにな」

 一瞬のことだった。

 天井から何かが落ちてくる。その何かは、アンドラスの頭上へと落下し――

「ギィイイイイ!?」

 ルシアの束縛する腕を両断した。

「蓬莱清六、助太刀に参ったでござるよ!」

 天井から落ちてきた少年――清六は解放されたルシアを引き寄せ、悪魔の血に濡れた刀を構えた。



 何とか間に合った。

 ルシアを救出した清六は安堵する。

 だが同時に、自分の実力不足が如実に感じ取れ、苛立ちを覚えた。

 本来ならアンドラスの首を落とすつもりだった――が、相手に気づかれてしまった。

 致命傷を避ける挙動を取った瞬間、清六は必殺を諦め、ルシアの解放を優先させた。

「イタいッ! チョーイタいッ!」

 両断されたアンドラスの右腕から、人と同じ赤い血を吹き出す。アンドラスは傷口を押さえてはいるものの、血は止まる様子がなかった。

「ルシア殿! 大丈夫でござるか!?」

 アンドラスを警戒するため、視線は前に。

 返事はないが、それでも服にしがみつく感覚とすすり泣く声で、彼女が健全であることを判断する。

「イッタァァァいなァ! ニンゲンのくせに、キシューなんて、アジなマネしてくれるじャん! ツネに見下していたボクが、まさか頭上からオソわれるとはネッ! 一本トられたヨッ!」

 怒りと喜びが入り交じったような表情を作るアンドラス。

 気を引き締めるように、刀を握りしめる。と、そこで清六は無意識の内に体が震えていることに気づく。

 また――だ。

 強敵を相手取るのに、闘志よりも恐怖が勝っている。

 ――つくづく、拙者は弱いでござる。

「それにしても、イタいなァ……あァあ、イタイイタイ」

 まるで何かに水を差されたかのように、アンドラスのテンションが一気に急落する。考えられる原因としては、おそらく片腕を失ったからなのだろうが、どこか腑に落ちない。

「……もうヤメた。ボク、もう帰る」

 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。

「そもそも、ボクは、いまオソってくるアクマ連中のナカマじャないし。腕一本トられたら、もうヤルキなんてカンゼン・ショーメツだよ。地獄にカエッて、センソーごッこでもしてるよ」

「退くのでござるか……?」

 あまりにも清々しいアンドラスの物言いに肩すかしを食らった。

 アンドラスはにっこりと笑って、首を縦に振り、

「ウン。ウソに決まッてるじャん」

「清六っ! 後ろだ!」

 背後から衝撃が走る。

「カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカッ!」

 腹部から熱が伝わってくる。

 熱い。

 焼けるような熱さ。

 熱い。

 熱が痛みに変換される。

 痛い。

「清六っ!」

 珠代の悲鳴。

 ――何が起きた?

 痛い。

 ――この痛みは一体……血?

 神経が完全に繋がるように、視界が真っ白に焼け付くほどの激痛が意識に叩き込まれた。

「――――――――――――――!?」

「申し訳ありませんが、斬らせていただきました」

 耳元で囁かれるタリスの声。

 視線をゆっくりと下げると……腹部は白刃によって貫かれていた。

「すべては英国のため。あなたの血は流すべき血です」

 引き抜かれる剣。栓がなくなった傷からは鮮血が迸り、さらなる激痛が全身を支配した。

 痛みに耐えきれず、清六はルシアから手を離して膝をつく。

 珠代が駆け寄り、何かを言っているが、清六の耳には一切入ってこなかった。

 蝕む痛みと戦いながら、必死に意識を取り持つ。

 頭がクラクラする。

 まずい。

 意識を保て。

 意識を集中させろ。

 意識を、意識を、意識を――

「いやあああああああ!」

 ルシアの悲鳴が、気力を取り戻す切っ掛けとなった。

 視線を上げる。

 タリスがルシアの腕を取り、アンドラスに向けて突き飛ばした。

「ルシアさん、許してくれとは言いません。ですが、あなたが犠牲になれば多くの人が救われます」

 清六にはタリスの言っている意味が少しも分からない。

 だから――吠える。

「自分が……何をしているのか……! 分かっているのでござるか!?」

「清六っ、喋んな! お願いだから、安静にしてろ!」

 横から珠代が傷口を押さえつける。電流のような痛みが走り、清六はそれ以上口を開くことができなくなった。

 代わりに目で訴える。

 何を考えているのか。

 タリスと視線がぶつかり合う。しかし、何も答える様子はなかった。

 視線が外され、その瞳はアンドラスへと向けられる。

「さあ、悪魔アンドラス。僕と契約してください。その子を渡して、あなたを見逃す代わりに英国に手を出さないと」

「契約って……テメェ、何ふざけたことをっ!」

「アンドラス、早くしてください。ほかの邪魔が入る前に早く契約を――」

 タリスの焦る言葉とは裏腹に、アンドラスはニヤニヤと笑い、

「イヤだネッ」

 舌を出し、拒絶した。

「なっ!? 契約を破棄するつもりですか!?」

「カカカカカッ! ダメだネェ! チャント、ボクのハナシをキかないとッ! ボクがキミに言ッたのは“契約”のハナシじゃなくて“約束”のハ・ナ・シ! アクマにとって契約は絶対的なモノだけどッ、アクマの約束は絶対的にシンじちャいけないモノなんだよッ! カカカカカカッ! ダマされちャッたねッ! カカカカカカカカカカカカカカッ!」

「……っ!」

 アンドラスがルシアの体を小脇に抱えた。

「ひっ!」

 ルシアの短い悲鳴が漏れる。それと同時――アンドラスの翼が羽ばたく。

 逃げるつもりだと悟った瞬間には遅かった。

 アンドラスの体は宙に浮き、まっすぐに天井を目指し、闇に紛れる。

 人では捕らえることのできない空へと逃げられた。

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