第30話 第六章 式神とはなんぞや(四)

 龍禅は仕事の手が空いていたせいか、十日間で現代語訳の『鴨川新影流・式神使役方法』を作成してくれた。完成したのでケリーにも見せようかと思ったが、思い止まった。


 郷田自身がまず読んで理解していないと、説明しようがない。もし、質問されて全く役に立たなかったら、大恥を掻く。


 家に持ち帰って、さっそく中を拝見した。

 龍禅の仕事は、驚くほど丁寧だった。本は単なる現代語訳ではなく、注釈が充実していた。


水垢離みずごり」とあると、単に「神仏に祈願するために身を清める」と書いてあるだけではなかった。


 きちんと、やり方として『現代では滝や井戸水を使用するのが難しい。代用法として、

①風呂場を綺麗に洗う。特に排水溝は綺麗にする。

②風呂場を常に換気して風を入れるよう心掛ける。できなければ、少し窓を開ける。

③使用する冷水ではなく温めのお湯でも可。

④お湯は浴槽三百五十リットルに対して、塩大匙三杯を加えたものを用意。

⑤裸になり、いきなり頭から浴びるのではなく、手、足、顔から始めて、慣らしてから、浴びる』

 ――と書いてあった。


 他にも郷田がわからない儀式については「これは、こうだけど、現代では難しく、代用法として――」と記載があった。結果、翻訳された八十四ページの本は、二百ページ以上に増えていた。


 金の力とは、つくづく偉大だと思った。龍禅がここまで、詳細かつ親切丁寧に儀式について教えてくれた過去はなかった。


 これなら、五十万円以上も払った価値がある。領収書と一緒に鴨川に見せれば、経費として認めてもらえる仕事だ。


 さっそく、式神修得の準備に取り掛かった。部屋の掃除をして祭壇を作り、神饌を買い揃えた。


 本には詳しく祭壇の作り方が図解されていた。神饌も、どこで調達すればいいかまで書いてある。翻訳本があれば苦労したが、一人でもやれそうだった。

 祭壇を造り、神饌を揃えた。祭壇は一万円以下でできたが、必要な種類の神饌を揃えると、二万円を越えた。


 中国産食材や発泡酒を使えば、もっと安く上がる。されど、龍禅が郷田の思考を見越していた。きちんと、注意事項として「神饌は国産使用」とあり、御神酒も純米酒のこれこれと銘柄が指定されてあった。


 準備を整えて、決められた時間に起きて身を清め、決められた食事を摂り、決められた祭文を読み、踊る。


 全てに決まりごとがあり、窮屈に感じた。

 たどたどしく、儀式を終えて夜になったが、何も変化がない。有態にいえば、失敗だ。


 龍禅にうまくいかないと電話すると「一回では、うまくいくわけがないわよ」と即答され、電話を切られた。


 翌日、もう一回、チャレンジしようと決めた。祭壇は使い回しできるが、神饌は使い回しができない。正確には儀式の最後で神饌を食する直会があるので、儀式が終ると、神饌を食べなければならない。


 なので、神饌をまた買いに行かねばならない。二万円の出費だが、神饌に使っている食材は良い物を使っているので美味しいから、まあいいかと思った。


 二回目をやると、一回目では間違っていた箇所がわかったので、修正する。修正しても、失敗した。


 また、二万円を出して神饌を買うが、失敗。いくら美味しい食事でも、三回も喰えば、飽きた。


 資金的にも、かなり厳しくなってきたので、「神饌代を支給して欲しい」と、鴨川に電話で頼んだ。


 鴨川から、すぐに厳しい言葉が返ってきた。

「陰陽師になるために使った金だから、もちろん、失敗した分も支給するよ。ただ、その都度、いちいち払うと、君はダラダラいつまでも失敗する。だから、支給は成功してから全額一括払いだよ」


 式神使役法の怖ろしさが、段々とわかった。失敗するたびに二万円が消えていく。毎日二万円が消えていくのなら、軽いパチンコ依存症と変わらない。


 神饌の材料はカードで買っているので、すぐには資金繰りには困らない。カードの限度額は五十万円。リボ払いは金利が馬鹿らしいので一括にしている。されど、連続で失敗すれば、リボ払いに切り替えなければならない。


 失敗が続けば続くほど、負担は大きくなる。もし、延々と失敗すれば「神饌破産」しかねない。かといって、儀式を続ければ、毎日ずーっと同じ物を食べねばねらず、生活も刑務所暮らしのように制限される。


 一回や二回の儀式なら修行だが、ずっと続けば、ちょっとした拷問だ。かといって、休憩を挟むとカードの支払日が迫ってくる。大きな口を叩かねばよかった。


 だが、もう後には引けない。無茶でも無理でも、なんらかの形を残さないと、前も後ろも金もなくなる。

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