第28話 第六章 式神とはなんぞや(二)

 鴨川が手拭いを出して汗を拭きながら、気分よく評価した。

「噂はね、色々と聞いているよ。陰陽師の修行しながら、短い期間で成果を出しているそうだね。悪霊と化した狒々の霊を倒した、とも聞いているよ。中々やるじゃないか。私はね、結果を出せる人間は好きだよ。もちろん、結果を出す奴には、それなりに報いる」


 龍禅はきちんと報告を上げているらしい。これは、ひょっとすると、特別ボーナスでも出るのだろうか。


 ボーナスが出たら、きちんと龍禅に付け届けも持っていかねばならない。魚心あれば水心と、時代劇の商人も教えている。


 鴨川が手拭いをしまい、淡白に発言した。

「ただ、陰陽師とは、方向がどんどん離れていっているとも聞いているよ。なんか、金ピカのマスクを被って、英語で祭文を読んでいるそうじゃないか。鈴や太鼓の代わりにエレキ・ギターを使うとも、聞いているよ」


 誤算だった。龍禅に鴨川が洋風嫌いの頭の固い老人だ、と言い含める行為を忘れていた。


 無理かもとは思ったが、取り繕ってみた。

「それは、まあ、色々と事情が、ありまして。止むにやまれないと申しましょうか。現状では試行錯誤の段階でして。もちろん努力はしています。斬新かつ先鋭的な方向で。とりあえず年内は、温かい目でいただけないでしょうか。きちんと、目的の場所に到達してみせますから」


 話している郷田自身でもわかるほど苦しい発言だった。まだしも「故意ではなかった。手違いだった」と言い張る食品偽装の謝罪会見のほうが立派だ。


 やはりというか、鴨川が脇息を叩いて怒鳴った。

「馬鹿者が! 何が斬新かつ先鋭的な方向で、だ。行く方向が間違っているのに、どうして正しい場所に着くんだよ。方向を間違えて努力すれば努力するほど、時間が過ぎれば過ぎるほど、目的地から遠くへ行くよ。私は君に霊能者になって欲しいのではなく、鴨川新影流の陰陽師になって欲しいんだよ」


 苦しいながらも弁解に努めた。

「大丈夫ですよ。社長、霊能者も陰陽師も、似たようなものです。ちょっと包装紙を替えたら、アッという間に陰陽師ですよ」


 影のある笑顔で、低い声で凄んで発言した。

「似たようなセリフを口にした肉屋がいたよ。アメリカ産の豚肉を、国産黒豚だと偽って売りつけようとした不埒者だよ。私が、ただの豚カツ屋の親爺だと思って舐めたんだろうね。その肉屋がどういう末路を辿ったか、知りたいかね」


 陳腐な脅し文句だが、鴨川が口にすると、ギャング映画のボスが話しているように凄みが出る。豚カツ屋の社長は表の顔で、裏の顔が別にありそうな気配さえするから、不思議だ。


 郷田は素直に頭を下げて「それは、またの機会に」とお茶を濁した。


 鴨川が不機嫌な顔で、厳しい口調で言い放った。

「君は本当に、何もわかっていないよ。ちょっと変えたら成れるなら、式神の一つも使ってみろよ」


 郷田は場の空気を良くしようと、適当に合わせた。

「そうそう、陰陽師といえば式神ですね。いやー、ちょうど、少し背伸びをして、式神にも手を出そうと思っていた段階なんですよ。狒々と戦った時もですね、式神があれば、もっと楽だったのになー、と思っていたんですよ。今なら、式神の修得もできる気がします」


 鴨川の表情が怒りから懐疑に変った。疑いを隠さないが、淡い期待するような口ぶりで鴨川が聞いてきた。


「郷田君、それはないだろう。四月に修行を始めた人間が、たった五ヶ月で式神を使えるようになるとは、思えんなー。できたら、天才だよ」


 四ヶ月だろうが、四十年だろうが、いくら修行をしようと、人間に式神を使えるようになるとは思えなかった。


 裏を返せば「今なら、できる」と発言しても「一生できない」と発言しても、同じ結果だ。なら、前向きな発言をして期待感を煽ってもいいだろう。


 老い先短い老人には、希望が必要だ。とはいえ、できないと鴨川が怒る態度は明白なので、退路も残そうと決めた。


 自信に溢れる口ぶりで、流れるように語った。

「式神の修得に手を出したいんですけど、陰陽師の式神って、各流派で独特の存在でしょう。鴨川新影流の式神については資料がないですから、困っているんですよ。今、龍禅先生に探してもらっています。いってみれば、龍禅先生待ちですかね」


 我ながら上手いセリフが口から出たと感心した。これなら、できなくても「龍禅先生がー」「龍禅先生がー」と、人のせいにできる。


 鴨川が予想外の行動に出た。

「よし、待っていろ」と鴨川が座椅子を立つと、社長机の前に移動した。鴨川が社長机の一番下の抽斗から、何かを取り出して持ってきた。


 鴨川が差し出したのは、真新しい白い紙で綴じられた一冊の本だった。

 表題として『鴨川新影流・式神使役方法』と行書体で書かれていた。


 少し興奮した様子で、鴨川が饒舌に語った。

「これはね、鴨川新影流陰陽道の口伝書だよ」


「口伝書って、なんですか?」と聞くと鴨川が「奥義や秘伝について書かれた物だよ」と口を尖らせて教えてくれた。


 郷田は嫌な予感がしたが、鴨川が気分の良い顔で、熱心に話し続けた。

「妹の旦那さんが、去年のお盆に亡き妹の荷物を整理していたら、口伝書を見つけてね。妹が実家から持って来た大事な物だからと、奈良の装潢師そうこうしに復元依頼を出していたのよ。そうして、今年になって復元本が完成したわけ。仏壇に口伝書が載っている場面を見たときは、魂消たまげたよ」


 とんだ誤算だった。まさか、このタイミングで口伝書が出てくるとは、微塵も思わなかった。

 しどろもどろに「い、いいんですか、持ち出しても?」と聞くと、鴨川が機嫌よく答えた。


「これは、復元した口伝書のコピーを製本したものだよ。一冊、持っていけ。ただし、コピーだからといって、粗末にしたら駄目だよ。この本には鴨川家の歴史が詰まっているからね」


 郷田が口伝書を手に何も言えないと、鴨川が景気よく郷田の背を叩いた。

「きっと、これは御先祖様の「鴨川新影流を復興せよ」との意思だよ。これで問題ないだろう。式神を修得してみせろ。できたら、きちんと褒美を出すよ」


 最後に鴨川が景気よく大声で笑った。郷田も一緒に笑ったが、心中は穏やかではなかった。


 鴨川の声の大きさは、期待の大きさ。失敗すればいたく不興を買う事態になる結末は、目に見えている。郷田には鴨川の笑い声が悪魔の笑い声にすら聞こえた。

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