愚か者(ジェントルマン)

 痙攣するように、びくりと影の身体が揺れる。


 離れようとするが、肘は万力のように締め付けられ、自分より背が高いテニアに抱き寄せられて踵が浮き、上手く力が入らない。


 手刀を引き抜き、もう一度打ち込んでやろうとするが、左の肘を砕かれる勢いで掴まれ思わず呻く。血流はとうに遮られており、上腕の圧迫感と、欠乏による下膊かはくの麻痺が、影の焦りを加速した。


 噛み付かれた喉は深く裂かれ、噴き出す血諸共、食い千切るようにテニアは更に歯を突き立てる。

 血を飲む程に腹の傷が塞がっていくのを感じると、影の手刀を掴んで引き抜き、腹に膝蹴りを浴びせた。


 吹き飛ばされた影は受け身を取るが、背後からブラスコに腕を取られ、床に組み伏せられる。

 影の暴れる力がそれまでより、格段に下がっている事にブラスコは気付いた。


「無駄ですよ」


 傷付けられた髪を鬱陶しげにいじりながら、テニアは影に言う。


「我々は、不死の力を持つ悪魔とその魔法使いです。同族同士での戦いなら、負けはしても死にはしません。そんなに疲弊したいのなら、まだ暴れて貰っても構いませんが。大人しくなった方が何かと便利ですし」

「テニっちゃ……」

「どうかご主人もいい加減に。恩義は分かりますが……」


 言いかけてやめようとするが、心を鬼にして続ける。


「――冷静さを欠くような情は、枷と同じです。雪村様は我々を利用したのですよ? あなたはもう勢澄会の人間でもなければ、あの方の右腕でもありません。……戻りたいなら戻りたいと、そう雪村様に言えばいいではないですか」


 テニアは自分が冷静さを欠き始めていると気付き、教会の外を見る。

 ドアの向こうには、無数のガスパールファミリーらしき死体が見えた。雪村達が去ってから静まり返っているので、予想はしていた事ではある。


「違う。俺は、そんな風に女を傷付けるような奴の為になんか動いてねえ。俺はただ……」


 テニアは鬱陶しげに、ブラスコへ振り返った。

 一体自分は何を苛立っているのかと、心のどこかでは落ち着こうとするものの、今は勢澄会への怒りが治まらない。


「――分かりましたこの話は後でしましょう。警察が来たら厄介です。ここにいてはガスパールファミリーを潰したのは、我々だと思われます。……まあそこのちびを捨てて、全ての責任を負って貰うのも乙ですが?」


 テニアは忌々しげに呟くと、ブラスコに取り押さえられている影に近付く。


「はっ!? いや、それは……」

「はん!? 何温い事言ってんですかそもそもこいつの所為ですよ!? また面倒なタイミングで現れてくれて……! どーお落とし前付けて貰いましょうかねこのちんちくりんがァ!」

「だー駄目だって乱暴しちゃその子――!」


 ブラスコの言葉を聞かず、テニアは怒鳴りながら片膝を着くと、影の頭からフードをむしり取った。

 現れた顔に、思考が止まる。


 下ろせば首を覆うぐらいにあるのだろうか。雀の尾のように、無造作に縛られた黒髪がまず飛び込む。

 矢張りアジア系だったらしく、この国では酷く幼く見えた。どんな悪人面をしているかと思えば、無機質な印象を与えるが端正な顔立ちで、黒い瞳を持ち、見た目は幼いが十代半ばを思わせる雰囲気を纏う、少女だった。


 驚愕の表情を浮かべていたテニアは、 目を見開いて少女を見る。


「……女性……!? それも、子供――」

「ずっと喋ってたのは悪魔の方だったんだよ。ねえ?」


 ブラスコはへらへらと笑みを浮かべると、同意を求めるように少女に話しかけた。不愉快そうに向こうを向いて無視されたが。


「知ってたんですか!?」


 ブラスコを見るテニア。


「え……気付いてなかったの?」


 ぽかんとするブラスコ。


「いやだってそん――いや確かに、さっき確かめるチャンスは無視しましたけれども!」


 ブラスコはいい顔を作ると、作った渋い声で得意げに言う。


「ハッハァ。いついかなる時も、女性の気配を察するのが男というものさ」

「要は股間に忠実なだけって話でしょうが……。あぁもう全く……」


 女性、まして子供が相手と分かっていたなら、もっと別の方法を取っていたのにと、テニアは額に手を当てると嘆息した。 


 この便利屋においてのルールの一つには、弱き者、特に、女性や子供を乱暴に扱わないと、ブラスコから設けられたものがある。

 場合によっては温いと感じるテニアも、まあ概ね理解を示し付き合っている。確かに下品な振る舞いは、嫌う彼女でもあった。


 例え世間のルールから外れようと、それでも人として守らなければならないと定めた一線が、ならず者達にも必ずある。それは例えば、属する組織への忠誠であったり、約束は必ず守る事であったり、仲間を裏切らない事であったり。

 時にそのルールは枷となるが、何を裏切り誰を敵に回そうと、守らなければならない誓いとなる。法を外れた彼らにとって、 それが唯一の道標となり、 己の誇りそのものとなるのだから。


 さてお立合い。


 それはまさに傍若無人。トニス・ダウアを壊滅させ、四大組織がいち、ガスパールファミリーにまで喧嘩を売った、新進気鋭の魔法使い。当然捕まれば地獄行き。現に先程は容赦無く発砲され、この場で殺されていてもおかしくなかった。

 そこに勢澄会は策略に裏切りと、悪魔であろうと女性である相棒に傷を負わせれば、尽きぬ事の無い不義の所業。

 然しそれでも、先程は雪村を庇うようにザックへ飛びかかり、この少女、黒い魔法使いを攻撃するような動きは取らず、昨日は敢えて逃がしていたブラスコの真意とは。

 テニアは全てを理解すると、呆れ果てて息を吐く。


「……律儀は一体どっちですか」


 例え、かつてのボスを裏切る事になろうとも、見知らぬ少女を守っていたなど。


 然しそんな無茶と我が儘が出来るのも、寛大な悪魔というテニアがいるからこそであり。

 ブラスコは申し訳無く、苦笑を浮かべて口を開く。


 幾ら小言を浴びせられようが、結局は許し付き合ってくれるのだから。


「魔ののりに生きる者だからねえ」

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