4ー3 遥はマザコン

「まだ私たちはたった二周しただけだよ。まだ何がどうなるかなんてわからないよ。やれることをやってみて、それから考えようよ!」


 カナタは、力強く拳を突き出し、力強くいった。瞳には闘志がみなぎっていて、諦めの気持ちは見えてはいなかった。

 カナタの前向きさに、遥は少し救われたような気がした。

 思わず悲観的になってしまったけれど、確かにまだやれることはあるはずだ。嘆くのはそれからでも遅くはないはずだ。


「それで、何か考えはあるのか?」

「まだないよ。だけどね、私たちだけ前の記憶が残っていて、他のみんなには残っていないってことには、何か意味があると思うんだよ」

「フィクションの世界なんかだと、大抵は情報や記憶を、何らかの方法で持ち越すものだからな。そして問題を解決していく」

「私たちにとって、相当有利な状況だよ。だって記憶を持ち越すことに、今のところ苦労はないんだから」


 タイムリープする物語において、何らかの形で記憶や情報を、次のループ先に持ち込むことで、問題の解決に繋がるケースが多い。ループを逃れる特定の場所や条件を探し出し、次の自分たちにヒントを残す。ある種の謎解きめいたやりとりが、タイムリープ物の醍醐味だ。

 その点、二人の状況は良心的だ。条件はまだわからないが、何事もなく記憶を引き継げている。何かしらの細工に気を配らなくていい分、自由度の高い行動ができる。

 その事実は、二人の意志に火をつけるには、充分だった。


「それじゃあ、がんばってみるか。それで、こんな時って何から始めればいいんだろうな」

「私たちには過去の経験が蓄積されているから、行動に変化をつけてみればいいんじゃないかな」

「そうやって、何かしらの糸口を掴まなきゃいけないもんな」

「もしこの状況が、可能性は低いけど人為的なものであるのなら、きっと解決策はあるはずだよ」


 超自然現象的なものであるなら、どうなんだろうか。

 この疑問は、心に留めた。まずはやってみよう。悩むのはそれからだ。

 遥はこの時代にきた目的を思い出していた。この時代にタイムスリップした原因は不明だが、目的は母親であるリムと会うためだ。それは毎度、果たせている。

 会うだけでは、ダメなんだろうか。

 今のところ二回とも、帰る寸前になぜか引き止められ、タイムスリップは失敗を果たしている。

 となると、飛躍しすぎた発想かもしれないが、リムに引き止められないことが、タイムリープを抜け出す突破口となるのではないだろう。

 ただの思いつきではあったが、実行に移す指標にはできるのではないかと考えた。

 思いついた考えを、カナタに話してみると、肯定的な答えが返ってきた。


「それも一つの発想だね。じゃあ早速、実行してみよう」

「実行するっていったって、まずはどうすりゃいいんだろう」

「うーん。なぜかはわからないけど、リムちゃんは最初から遥に好意的だよね」

「そうなんだよ。本当になんでかわからんけど」

「じゃあ、ちょっと安易すぎるかもしれないけど、逆に嫌われてみようか」

「嫌われる? どうやって?」


 カナタは、にひひと笑った。いたずらを思いついた子供のような笑みを、カナタが浮かべることはとても珍しい。


「女の子はね、乱暴でガサツな男って嫌いなものなんだよ」






 12月22日の昼過ぎ、いつも通りの鉄橋の下で待ち伏せていると、案の定暁とリムは二人の元へやってきた。

 同様の流れでリムに抱きつかれた時、カナタは遥に目配せした。ここで演技を開始しろと、そういっているようだった。

 遥は、心を鬼にする気持ちで気合を入れた。


「なにいきなり抱きついてきとるんじゃいワレ!」


 遥は、考えうる限り口汚い言葉を選んだ。突然の怒声に、暁は呆気にとられて後ずさっていたが、カナタは笑いを堪えていた。

 そして、一番反応が気になる、リムについては。


「……遥」

「な、なんやねんゴラァ」


 星々を思わせる瞳は、遥をジッと見つめていた。何もかも飲み込んでしまいそうな黒々とした虹彩は、まるでブラックホールのようだった。

 この視線の正体を、遥は思い出していた。真っ直ぐに視線を固定し、口元はきつく結ばれた時のリムは、決まって遥を嗜める時だった。


「乱暴な言葉遣いは、ダメでしょ?」

「あ、あんたには関係ねえじゃろ」

「あんたじゃなくて、リム。そう教えたでしょ?」

「……お、おう」


 リムが伸ばした手が、左の頬に触れた。人差し指でちょんちょんと、咎めるように数回当てられて、気恥ずかしさに体が熱くなった。


「乱暴な言葉は、いけません。わかった?」

「……はい。ごめんなさいでした」

「ん。よろしい」


 突かれてた指は手のひらに広がって、そのまま遥の頭を撫でた。半紙を間に敷いているような、触れるか触れないかギリギリの撫で方は、もどかしさもあり、焦れったかった。

 そんな気持ちを察したのか、リムの口元は緩み、そのままかき乱すように頭皮まで手が触れた。頭を撫でられて喜ぶ歳はとっくに終えているのに、なぜか逆らえず、それどころかポカポカとした幸福感すら感じていた。

 悔しいけれど、気持ちがいい。


「よしよし。いいこいいこ」


 途中から、完全に扱いが子供のようであった。

 横目で周囲を見渡すと、羨ましいのか引いているのか、判断しづらい表情の暁。その後ろで、額を抑えてうなだれているカナタの姿が映った。

 カナタは、行動でいっていた。

 作戦失敗、と。






「はる、じゃなかった。マザコン。次の作戦はどうしよっか」

「その呼び方、もうやめてもらっていいですかね?」


 作戦が失敗して以降、カナタにずっとマザコン扱いされていた。色々といいたいことはあるのだが、マザコンと失敗は事実なため、反論はできなかった。

 幼い頃にいなくなって以来、この歳になるまで母親の温もりとは縁がなかった遥は、恥ずかしいと思いながらも、充足感に満たされつつあった。年齢は違えど、リムから滲み出る雰囲気や感覚的な匂いは、小さな頃に抱かれた幸福感を思い起こされた。母親との接し方が、幼い状態で止まってしまったせいか、母親であるリムには、抗いがたいようだった。


「嫌われる方向でのアプローチは無理そうだね」

「不甲斐なくてすまない」

「しょうがないよ。マザコンだもん」


 決して声を荒げたりはしなかったが、珍しく怒りが昂ぶった。


「……カナタの方こそ、もし父親に会いにいってさ、わざわざ嫌われてこいなんていわれたら、できるのか?」


 カナタはその場で目を閉じた。きっと、父親と対峙した際のシミュレーションをしているのだろう。たっぷり十秒以上の時間をかけて、目をつむり続けていた。表情が苦悶に満ちてきたと思えば、開かれた両目には涙が浮かんでいた。


「……むちゃくちゃいって、ごめんなさい」

「きついだろ? まあわかればいいんだ。ファザコン」

「ぐっ。次は別の方向で考えてみようか、マザコン」


 傷口を広げ合う応酬は、ただ単に不毛だった。

 ただでさえ切迫しているはずの状況なのに、妙に呑気なやりとりだった。変に重苦しい空気に飲まれないところが、ハルカナコンビのいいところなのかもしれない。


「そうだ。それなら、真逆のアプローチっていうのはどうかな?」


 カナタがいたずらっぽい笑みを浮かべる時は、おそらくロクな結果にならないと、確信めいた予感を感じていた。






 翌日になり、またしても予定調和的に、リムと暁に遭遇した。

 気乗りはしないとはいえ、カナタと話し合った方法を、さっそく試してみることとした。


「あー疲れたなんかもうすごく疲れた。これはもう無理だなー。誰か優しい女の子が膝枕とかしてくれないかなー」


 カナタが考えた次の手は、ドン引きするくらいに甘えろという内容だった。嫌われるよりは気持ち的には楽だけれど、上手な甘え方を学んできた自信はなかった。


「いいよ」

「誰かいないか……え? いいの?」

「おいで」

「いや、そんな、マジでいくとなると心の準備が」


 睨みを効かせた暁の合間からカナタを覗く。助けを求める視線を送るが、帰ってきたのはゴーサインだった。

 女子高生の母親に膝枕をせびるとか、一体何をやっているのだろうか。変な虚しさが押し寄せてきて、正常な思考は奪われていくようだった。

 リムは、ポンポンと自分の膝叩いていた。表情は変わっていないはずなのに、心なしか気合いを感じた。早く来い、と漆黒の瞳に訴えられているようだった。

 ええいままよと、遥は頭を下げた。


「ふおお」


 人生で出したことのない声が漏れ出した。単純な柔らかさだけでなく、沈み込む頭を、支えてくれる弾力が心地よい。母親にしてもらっていることを抜きにして考えても、至高の感触だった。全ての安心を詰め込んだ枕を使っているような心境だった。圧倒的な安寧に満たされ、今にも眠りにつけそうだ。もし命の終わりを迎えるのなら、誰かの膝の上に寝転がりながら逝きたい。そう思わず願ってしまうほどの肌触りだった。油断すれば、思わず涙すら流れ出てしまいそうだった。感動か、悲しみか、言葉に言い表せない感情が形となって漏れてしまいそうだった。


「ふふ。いいこいいこ」


 優しく手が添えられた。あまりの幸福感に、生きていて良かったとすら思えた。自分の人生は、今この瞬間のためにあったのではないかという錯覚。幼い日に感じた寂しさも、全部が全部吹き飛んでしまいそうだった。

 透明なヴェールに覆われて、無音の賛美歌に祝福されている心持ちとなり、限りなく意識は遥の手を離れていった。欲望よりも根源的な、欲求が顔をのぞかせていた。ごく自然と、意識を外れて言葉が取り出された。それは空気を震わせる振動となって、声帯を通って声に変換される。意味のある、それでいて核心的な言葉に、変換された。


「きもちいいよ、ママぁ」

「ふふふ。遥はかわいいでちゅね」


 今この場だけは、何者も介入を許されない、二人だけの世界となった。

 カナタは、必死に笑いを堪えながら、もはや言葉も届かない遥に、音を出さずに口だけで言葉を送った。

 マザコン、とだけ。

 暁はドン引きしていた。




 そして、今回も遥とカナタは帰還に失敗した。

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