第35話 最低だ

 「ん・・・」


 額に水のような、なにかが当たったような感覚。

 あれ、俺、寝てたのか?

 それが引き金になって、ぼうっとしていた意識が徐々に覚醒していく。

 まだふわふわとした感覚が残る中、今まで自分の身に起こったことを、俺は糸を手繰り寄せるように思い出していく。

 そうだ、確かミコト様の親父さんに、急にヘンテコな部屋に叩き込まれて、そんでもう一人の俺に会って、そいつが俺の心の闇部分であることがわかって、腹を貫かれて―――、


 ってこれ、寝てる場合じゃないじゃんっ!?

 

 急速に頭が冴えわたり、目を開き、がばっと体を起こす。周囲の確認のため、辺りを見回してみるけれど、


「あれ?」


 真っ暗。何も見えない。目の前を黒いペンキで塗りつぶされたかのようだ。

 さっきまでの真っ白い部屋とは、まるで対照的。気を失う前まで目の前にいたの姿も見えない。

 光のない、闇の中。そのはずなのに、視線を下にやって自分の姿を見てみると、自分の体や手足ははっきりとわかる。自分の体にだけ色がついているようで、少し不思議な心持ちになる。

 ここは、何処なんだ? さっきの部屋とはまた別の場所なのだろうか。そう思った矢先、


「ここはてめえの心の底だよ。俺が引っ張りこんだのさ」


 俺自身の声が、後ろから聞こえた。

 反射的にぐるんと体をを後ろに回すと、あいつ――――、もう一人の俺が不敵な笑みを浮かべて立っていた。


「何が目的なんだよ? 俺をここまで引っ張り込んだ意味は、何だ」

 

 恐怖を隠して打ち消すために、ありったけの闘気と敵意をむき出しにして、目の前の俺に問いかける。

 まぁ、目的は何となくわかっちゃいるんだけど。



「おいおい、わかってんだろ? でも、まぁ、答えといてやるよ。お前の体、乗っ取るためさ。せっかく実体を持てたんだからな。」



 やっぱりそうか。というか、さっきそういう趣旨のことを言っていたっけ。 

 向かい合って立つ俺は、首をぐりん、と一回転させ、骨をゴキリと鳴らすと、うずいた体を鎮めるようにリズムよく飛び跳ねる。


「さて、と。さっさと済ませてやるか。さっさと終わらせねーと、余計な邪魔が入っちまうかもしんねえからなぁ」


 そして跳ねるのをやめ、少し静止したあと、


「消えろゴミぃ!」


 俺に向かって勢いよく突っ込んだ。


 見えない速さじゃない。その気になれば後ろに回り込んでカウンターを仕掛けることだってできる。けど、

 くそ、体が重い! 

 心に鎖が巻き付けられて、それがそのまま自分の動きをも縛り付けているようだ。

 体が思うように動かない。少なくとも技を返すのは無理だ。


「くそ!」


 体を無理に動かして、自分の腹部めがけて迫るストレートパンチを受け流す。後方に突き出た相手の腕を、右腕と脇腹でがっちり挟んでホールドした。

 

「俺を乗っ取るなんて、そんなことさせると思うか? さっきも言ったろ。俺はお前を―――、」


「打ち負かすってか? あぁ、そりゃ殊勝なこった。じゃあ、そんなお前に一つ教えといてやるよ」


 自分でも少し驚くくらいの低い声で放った威嚇の言葉。それをまるでコバエを叩き落すようにいなしたもう一人の俺は、下から顔を突き上げるようにして俺を見る。

 そして、少し声を潜めて囁いた


「ここで起こることは、全て俺の思いのままなんだよ」


 瞬間、心臓に、ダイレクトに重い衝撃が走る。後ろから、誰かに突き刺されたようだ。これは、さっき心の間で腹を貫かれた時と同じ感覚だ。

 心が滲むように、痛い。

 ぎこちない動作で顔を後ろへ向ける。するとそこには、


「ミコト、様・・・?」


 優しくて、薄暗い笑顔のミコト様が、そこにいた。

 薄暗いと感じる理由は、目だ。いつもは光輝いている目に、光が宿っていない。

 チラリと見えた手には、小刀らしきものの鞘を握っていた。


「なぁ、羅一」


 ミコト様は顔を俺の耳元までグイっと近づけて、小声でささやく


「昨日、お前はアタシのこと、大切だって言ってくれたよな? すげー嬉しかったぜ。でもよ・・・千歳のことは、どう思ってんだ? あいつのこと、さんざん大切だって言ってたよな?」


 違う。これはミコト様本人じゃない。これは、俺自身が作り出した、幻想だ。だから、コレに耳を貸す必要なんて、ない。


「二人とも、か弱い"女の子"なんだぜ? そんな奴らに調子のいいことばっか言って目移りして…最っ低だと、思わねえか?」


 でも、そう頭でわかっていても、この心臓の痛みは、彼女の言葉は、俺の体の力と精神的な気力を奪っていく。


 これは、本当に心の底で俺が思っていることなのだろうか? その通りだと、肯定してしまっている自分がいるのか?

 だから、こんなに体が重いのか?


「そうだよ。大麦君」


 また、心臓を貫かれるような痛みが走る。今度は、左脇からだ。

 横を見ると、そこには包丁で、俺を刺している千歳さんがいた。


「本当に、その通りだよ。大麦君。勝手だね、私のこと、想ってるくせに、ミコト様にも惹かれちゃってさ。本当に君は・・・」


『最低』


 2人の声が、同時に聞こえる。その途端体がずしりと重くなる。腕が重力に逆らえなくなり、だらんとだらしなく垂れ下がる。

 意識が、遠のく。


「ま、こんなもんか。じゃあ、とどめ行くとしますかね」


 目の前に立つ俺は、何処から取り出したのか、刃渡り70センチ位はあろう日本刀を持ち上げて、切っ先を俺の喉元に向ける。


 くそ、まだ、まだだ。消えるわけにはいかない。だって、俺は、彼女達に、何も返せて––––––!

 必死に手を動かして、横の千歳さんがもの包丁の柄を握りしめて、引き抜こうと外側に手を押し出す。


「おいおい、無駄な足掻きだなぁ。もうお前に残された力なんざ・・・ッ!?」


 突然、なんの前触れも無く、目の前の俺は苦しそうに顔を歪める。


「くそ、てめ・・・!邪魔ををぉぉぉおおっ!!??」


 突如として、ぶわりと意識が天高くまで引っ張りあげられるような感覚に襲われる。

 痛みと、痺れも幾分か取れた。

 目の前に光が見えて、それが急速におおきくなって––––––、


「はぁっ!!」


 目が覚めた。

 がばりと起き上がって辺りを確認する。

 真っ白な世界。卓袱台と、その上に乗っかる湯のみが右側に見える。

 心の底から、戻って来れたのか?

 でも、何故?


 そして、目の前を見ると––––––、


「ぐっ・・・。おい、どういうつもりだ? ミコト様?」


「・・・・・」


 息を切らしながら、もう1人の自分の首根っこを掴んで持ち上げる、ミコト様がいた。




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