数年前


 こうして病院のベッドで横たわるのは今年何回目のことだろう。体の弱かった俺は、小学生の頃こうして度々入院を繰り返していた。目には連日無機質な天井の白色が入ってくるだけ。閉鎖された空間で子供ながらに、心も体もボロボロだった。

「あ~クソ、また体壊しちまった」

 ふいに聞きなれないぶっきらぼうな声が響く。どうやら相部屋の中に新しい患者がやって来たらしい。おそるおそる、と布団から顔を覗かせたときだった。

 「なんだお前、随分しけた顔してんな。ハハッ」

 「!」

 こんな言葉を掛けられるなんて誰が予想しただろう。それまで、横たわる自分を見た人は誰も彼もが「大丈夫?」や「大変だね」と心配そうな眼差しを送ってくるのが常だった。いつしかそれが当たり前のように思えたのかもしれない。だから、その言葉はショックを越して俺に反発心を植え付けた。

 「しけた顔なんか……してないよ!!」

 自分でも信じられないほどの大声。隣の部屋にいた看護婦が何事かと覗き込んでくる。

「なんだ、そんだけ元気なら病院なんか来る必要なくね? 」

 「え? 」

 言われて初めて俺は自分の体が起き上がってることに気づいた。軽く腕や脚をさすってみたが、特に痛みは感じられない。

 「ホレ見ろ。部屋に篭りすぎだから疲れてんだ。今度外出許可取って来いよ、おもしろいもん見せてやるぜ」

 俺もまわりの患者も返す言葉がなかった。

 ともかくまあ、これが俺と賢さんこと片山賢の最初の出会いだ。彼は昼間、工業系の大学院生として過ごし、夜は整備工場でバイトの日々を送っていた。後に聞いた話だが、病院に来てたのは、そうした日常に没頭するあまり、十日間一睡もしなかった故に体が音を上げたからだという。そんな多忙な日々を送る賢さんが、時間の合間を縫って没頭していた趣味、それは……。


  久しぶりに触れる外の風は爽やかで優しい。病弱だった当時、外に出ることなど考えもしなかったが、賢さんのいう「おもしろい物」というのが気になった俺は、外出許可を貰って電車を乗り継ぎ、隣町まできていた。

 「え~っと、本町東ニ丁目だから、この辺りかな? 」

 渡された地図に記された住所は病院から比較的近い町工場の一角だった。道路を挟んで両側の建物からはせわしなく金属の加工音する音が響く。

 「おう、睦。ここだ」

 キョロキョロと辺りを見回していると、すぐ左にある建物のシャッターがガラガラと開いて、賢さんが現れた。ツナギにタオルという出で立ちからして、何かの作業をしていたのか。

 「で、そのおもしろい物を見に来たんだけど」

 「見ろよ、これだ」

 通された先は十畳ほどの、工房というより物置のようなところだった。鉄くずや工具が散乱して狭苦しいそこには、カバーで覆われた巨大な物体が鎮座している。その外見はどこからどう見ても……。

 「車? 」

 「いいからカバーを剥がしてみろ」

 おそるおそる、けれど最後は一気にカバーを剥ぎ取った先に現れたのは小型のオープンカー。当時車に興味はなかったが、それでも流線型のボディは普通とちょっと違うと気づいた。しかし、それよりも

 「え~っと、これ……」

 「ロードスターだ、マツダの」

 「いやそうじゃなくて」

 目の前の物を正確に表すなら、ロードスター「だったもの」か。フロント部分は大きく潰れ、車体全体の塗装は剥げかかっている。廃車同然の代物を目の前に、俺は少し戸惑った。

 「こんなの置いといてどうするの? 」

 「決まってんだろ。直して乗るんだよ」

 ドン、と得意げに胸を叩く賢さん。どことなく無謀な考えだったが、不思議と、その姿は頼りに見えた。

 「見た目程この車のダメージはひどくない。フレームまではイカれちゃいないし、後ろも叩けばすぐ元通りになる。俺達で作り直してみないか」

 何かに取り憑かれる、というのはこういう事をさすのだろう。数秒もしないうちに、俺は首を縦に振った。

 それが悲劇の始まりとも知らずに。


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