運命の分岐点

 「へぇ~、君たち自動車部のメンバーなんだ。いいねぇ」

 「まだ作ったばっかですけど」

 苑浦が走り出して暇を持て余した俺たちは、見晴らしのいいラウンジ席に座って富士の景色を楽しんでいた。仕事柄若者と接する機会が少ないからだろう、なぜか一緒についてきた川澄館長はご機嫌な様子である。

 「いやいやホント、法律変わったのに車好きの若者いないからね。それはまぁおいといて、」

 白髪の館長が指差した先、そこには2000GTを駆る苑浦の姿。

 「随分上手く乗りこなしてるね。さすが苑浦さんトコの娘さんだ」

 「え、さっきも言ってたけどそれってどういう……」

 割っては入ったのは瀬雄である。やはりファンクラブの代表だけあって気になるんだな。

 「ああ、苑浦グループっていう割と大きな会社の娘さんが、レーシングカートをやってるって話を前に聞いてさ。ウチもちょっとお世話になってて、さっきのチケットもリニューアルの記念に贈ったものなんだよ」

 俺たちがそんなことを駄弁ってる間にも、エンジンのついた白馬はアスファルトの大地を豪快に駆けてゆく。その動きは、とても女子高生が操ってるとは思えない。

 「こりゃ是非、一年後を見てみたね」

 「一年後? 」

 ソフトクリーム片手に牧島先輩が首を傾げる。

 「あれ、君達知らなかったのか」

 それに答えたのは楓姉さんだった。それから彼女は鞄から何枚かの新聞記事を取り出し、机の上に置いた。

 『日本のスポーツカーレースの草分け的存在でありながら、永らく休止されていた日本グランプリが一年後復活することが正式に決まった。詳細なレギュレーションは随時発表される予定であり、記念すべき第一戦の舞台は東京の特設コースで行われる模様』

 「この年になってもう一度あの伝説が見られるとはねぇ。長生きするもんだ」

 川澄館長によると、オリジナルは60年代に行われていたらしく、中身はともかく外観は市販車の車がサーキットを疾走する姿に、それは心打たれたという。そして、今回もその伝統は引き継がれるらしい。

 「んじゃ、時間あったら見に行きますか」

 「そうね。いかにも自動車部の活動っぽいじゃない」

 しかし、のんきな俺たちに掛けられたのは意外な言葉だった。

 「どうせなら出場してみない? 」

 「は? 」

 川澄館長が続きの記事を手渡す。

 『尚、JMAによると、モータースポーツの敷居を低くする為に、高校生枠が新設されることとなった。資格としては、国内A級ライセンスを持つ満十八歳以下であり、一定の審査に合格した者』

 「……けどこれ、僕たちには難しいと思いますけど」

 「う~ん、多少問題はあるかもしないけど、他の高校生だって似たようなものさ。けど、正式な手続きは三ヵ月後だから早めに考えたほうがいいかもしれないね」

 どこか現実味を帯びてきた話に、俺たち三人は呆然と顔を見合わるしかない。と、そこへ。

 「すみません、少し休憩したいのですが。あれ、どうしたの? 」

 透き通った声。鍵を手にした苑浦がやって来た。余程熱心に運転したのだろう、火照った顔が妙に色っぽい。

 「いいとこに来た。ちょっと見てほしいものがあるんだけど」

 ここは冷静に判断できる奴に頼るしかない。記事に目を落とした苑浦は、黙々とその情報を頭に叩き込み始めた。しかし、ある程度まで読み込んだところで、その顔色が一気に変わる。余程のことなのか、その手は小刻みに揺れていた。

 「ちょっと、大丈夫? 」

 「え、ええ。ありがとうございます。あの、ところでこれって……」

 牧島先輩が差し出した水を飲んで深呼吸。それから、彼女は川澄館長に記事のある部分を見せた。

 「おおこれかい。勿論、一応JMA主催だからね。そこからレーサーのキャリアを目指す人だっているだろう」

 「そういうものなんですか? 」

 「ああ。昔、あの業界で働いていた頃、そういう若者をたくさん見たものさ」

 瀬雄の問いに、川澄館長が懐かしそうに目を細める。ちなみに、先ほど苑浦が運転した2000GTは、グランプリ復活を記念して、その当時のカラーリングに塗り替えたものだそうだ。

 「ねえ、何とか出場出来ないかしら? 」

 ほえ~と俺たちが感心していると、おもむろに苑浦が切り出した。あまりに唐突な話だが、反発の声は上がらない。それだけ強い意志が、彼女の瞳に宿っていたからだった。  

 「やれる所までならやってもいいか」

 「そうね。思い出作りくらいにはなりそうね」

 瀬雄に至っては川澄館長から渡された資料をもう読み始めている。

 「……ありがとう。絶対に出場して良い結果を出しましょうね」

 あまりに真っ直ぐな言葉に他の連中がぽかんとしている中で、俺は気づいた。

 苑浦がこんなに笑ったの、初めて見たかも。

 氷の女神とでも形容できる彼女が、ここまで表情を崩した理由はわからない。どこか納得のいかない俺だったが、

 「いいんじゃないの、目標みたいなのが見つかって」

 楓姉さんが察したように俺の肩を叩いた。

 「せっかくだし私ももう少し調べてみるよ。睦、フェアレディの鍵返して。ノートパソコン取って来るから」

 「あ」

 給油するの面倒だからサービスエリアに置きっぱなしだ。

 「う、嘘でしょ!? 」

 「ガス欠の車押し付けるほうが悪いでしょ」

 「聞いてよ皆、睦がいじめる~」

 俺に不条理な濡れ衣を着せると、楓姉さんはそこで派手に突っ伏した。うう、まわりの視線が痛い。瀬雄や牧島先輩もこれにはどうしていいかわからず、居心地悪そうに視線をさまよわせている。

 「でしたら」

 切り出したのは苑浦だった。その表情はまだ、微妙に興奮している。

 「帰りがけでよければ海老名まで送りますよ」

 「マジ? やった!」

 ガバっと楓姉さんが起きて、苑浦に抱きつく。

 「悪い。従姉が不甲斐ないばかりに」

 「聞こえてるよ、睦」

 とはいえ自分にも非があるのを感じたのか、楓姉さんはそれ以上は責めず、牧島先輩達を促して、展示コーナーの方へ去って行った。

 「気にしないで。それより一つお願いがあるんだけど」

 急に苑浦が間合いをつめてきた。人形のように整ったその顔に正面から見つめられ、思わずどぎまぎしそうになるの堪えつつ、俺は続きを促す。

 「明日の昼休み、床橋スピードウェイに来てくれないかしら? グランプリ出場する為に、まずはあなたのドライビングを鍛えてないと」

 「お、おう。いいけど」

 「ありがとう。それじゃあ、私達も展示を見ましょうか」

 そう言うと、苑浦はどこか軽やかな素振りで俺の手を取り、歩き出した。

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