スパイダー、カブリオレ、ロードスター

 雲ひとつない空の下で、一台のオープンカーが気持ちよさそうに走っていた。けれど、シートの背もたれの感覚をはじめ、あらゆる物がぼやけてて今ひとつはっきりしない。

 「どうだ、高速だとまた違った感じがするだろ」

 「うん!けど不思議だよね。同じスピードでも、家の車より、こっちの方が乗っててなんか楽しい」

 「そうか、睦もこの楽しさがわかるか」

 助手席の俺に、その人は嬉しそうに目を細める。

 「だからって特別速い車じゃないんだけどな。ただ、純粋に運転が楽しめるのがスポーツカーの魅力なわけよ。例えば今から行く、」

 「箱根ターンパイクか」

 

 「え……? 」

 そこでゆっくりと体の感覚が戻り、目の前にクリアな視界が現れた。エンジンのノイズやシートの背もたれの感覚が、神経を通じて体に染み渡る。そして、

 「やだビックリした。起きてたの」

 少し驚いた様子の牧島先輩がこっちを覗き込んでいた。その顔と、今まで見てたはずの顔が違うので、ずっと夢を見てたんだと気づく。家から海老名サービスエリアまで結構な距離があったし、無意識のうちに神経を使っていたのだろう。

 そのせいか、妙な夢を見た。

 「けどよくここが箱根ターンパイクだってわかったわね」

 「あれ、ホントだ」

 見渡すと本当にターンパイク入り口の料金所がある。まるで、何かに引き寄せられたかのようだ。

 「そうだ。一つお願いがあんだけどさ」

 一人呆けてると、シャツの袖が引っ張られる。

 「何すか? 」

 「屋根開けて走ってみたいの」

 「別にいいですけど」

 やった!と小躍りする先輩を見て、はたと気づいた。今まで屋根を開けて走ったことなかったな。“ロードスター”という言葉自体、オープンカーを表す語だったりするのに。

 「サンキュッ。あ、幌外すの手伝って」

 「あいよ」

 エンジンを切り、ルーフ上部のロックを解除してフックを外す。それから俺達は車から降りて、リアウィンドウを軽く抑えながら、幌を後部に折りたたむ。わずか三十秒ほどで、愛車はオープンカーに変身した。

 「よし、行くか」

 学生証を見せて料金所をパスすると、いよいよ関東屈指のドライブルートの始まりだ。近年ターンパイクは時間ごとの一方通行制を敷いているため、対向車の心配は無用。しかし、

 「……大丈夫、絶対事故らない。絶対事故らない」

ステアリングの主は、ブツブツと不吉なことをいた。健康的な小麦色の肌も、微妙に青い。

 「あの~先輩? 」

 「は、はいっ!何でしょうか? 」

 いかん、キャラまで変わってきたぞ。そのせいか、急勾配の割りに加速はゆったりだ。それでも幌をオープンにしているからか、体感速度はいつもより速く感じる。富士を横目に、二シーターの小型ロケットは文字通り風を切っていた。

「先輩、橋だ。速度落して」

「りょ、りょーかいっ」

 目の前にはこの道の名所の一つ・御所の入橋。おだやかな左コーナーと共に視界が開け、眼下の街並みが姿を現す。かすかに磯の香りを纏った風を浴びるこの爽快感は、車じゃないと絶対に味わえないものだろう。

 そう感傷に浸る間にも、景色は流れる。視界は再び森に戻り、新緑のトンネルが俺達を包む。リズミカルに駆け抜けるのは、ロードスターの十八番だが、それだけでなく、

 「運転上手いっすね」

 「……ありがと」

 意外や意外。牧島先輩の運転は、予想以上の物だった。徹底して無駄な動きを省く機械的な苑浦とは違い、どこかリズミカルに走らせる様は、ロードスターのまた別の側面を引き出していた。あれかな、ステアリング握ると違う人格が現れるという性質なのだろうか。だって現に今、

 「何でさっきからそんなに無口なんですか? 」

 「ふえっ。じ、実は結構運転するのって苦手で」

 流し目で訊ねる俺に、牧島先輩がビクッと震える。その割には、高速からターンパイク一口まで俺を眠らせた程だから、間違いなく人並み以上に上手いんだけど。そう思う俺に彼女はポツリポツリと呟き始めた。

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