メンドクサイヒロインダナ

タイヤ交換じゃあるまいし、そんな簡単にブレーキ交換なんかできるかよ。

そう疑問に思っていた俺は度肝を抜かれた。必要な用具が持ち込まれてすぐ、彼女は瞬く間にロードスターをジャッキアップし、足回りをバラし始めたのである。

 「ねぇ、ブレーキのほうはどうにかしておくから、私の車駐車場に移動させておいてくれないかしら? 『AUTO』モードにしておけば自動で走るから」

 「お、おう」

 車体の裏から届く声。言う通り、俺は目の前にあるその車に乗り込むと、またしても腰を抜かすこととなった。

 無機質なコックピットには大小二つのスクリーンを備え付けており、俺が小さいスクリーンのほうで点滅する、『AUTO』ボタンを押すと、車体が静かに動き出した。車はひとりでに、ゆっくりと坂道を降りる。それなりに凹凸のある路面のはずだが、サスペンションが良いのだろう、揺れを全く感じない。そして存在感をはっきり感じるのに、エンジン音はないに等しいものだった。やがて車はゆっくりと左折し、外の駐車場に入った。そしてしばらく進んだところで空きスペースを見つけ、エンジンが止まる。

 スゲえ、こんな車があるなんて。

 最新テクノロジーの集大成とわかる車に、俺は舌を巻いた。

 いや、もっと驚く存在を忘れていた。

 ヴヴォヴォヴォヴォ。

 車内で放心していると、聞き覚えのある低くくぐもった音が夜空に響き渡った。あの音はロードスターで間違いない。しかし、もう交換が終わったのか。

 元来た道を引き返しピットを覗くと、工具箱を手にした彼女とすれ違った。

 「最低限の応急処置は施しておいたから」

 「お、おう……。サンキューな」

 ここからのやり取りが、後に大きな誤解を生む火種となった。

 「それにしても驚いた。あなた、JMAのエリート会員だったのね」

 「はぁ? 」

  JMA(日本モータースポーツ協会)とは、草レースから全国レベルまでのモータースポーツの統括団体であり、その中のエリート会員とはセミプロ級の腕を持つ、優秀なドライバーのことである。

 「トランクにバッジがあったわ」

 ああ、とそこでようやく気づく。それは俺じゃなくて、前のオーナーがそうだったのだ。

 しかしそう伝えたくても、彼女は止まらない。

 「だからセッティングがしっかりしてたのね。クロス気味のギアに、少しだけ柔らかめの足回り。ちょっとだけ走らせてもいいかしら? 」

 「い、いいけど」

 断れなかったのは、先ほどの借りがあるからだろう。が、一つだけ引っかかることがあった。

 「やっぱちょっと待て」

 エンジンがかかったところで慌てて助手席に回り込む。

 「腕がどうとか言ってるけど、あんな自動運転のに乗ってる奴がそんなことわかんのかよ?」

 プッチン。

 何かがキレた音が聞こえた気がした。

 「いい度胸ね、隣乗って」

 そう呟くと、俺がシートベルトもしないうちに彼女はロードスターを発進させた。身軽に飛び出すその面影は、チーターを髣髴とさせる。あっという間に第一コーナーが迫ったところで、白い腕がシフトレバーに伸び、目にも止まらぬ早業でシフトダウン。間を置かずして車が向きを変え、体に強烈なGがかかる。

 本当に俺のロードスターか? 

 そう思わずにはいられない。普段より数割増しで回るエンジンも、より鋭敏に切れるステアリングも、全てが別物のようである。

 そんな俺の思いはどこ吹く風とばかりに彼女は、林道入り口のコーナーをクラッチ操作だけでクリア。

 「久しぶりだわ、こんなの」

 ハイスピードの中で、彼女は呟くが、その声は笑っていない。間違いなく俺より速くて安全なはずなのに、どこか暴力的な走りは少しだけ嫌悪を覚えた。そうこうしている内に、ロードスターは最終コーナーへ。

 「走るなら周りもちゃんと見ないと」

 先程の俺への皮肉も込めつつ、ハンドルを握る主はフルブレーキングからアクセルを煽りつつのコーナリング。こんな大胆なペダルワークはどこで覚えたんだか。しかし、その答えを見つける隙も与えず、彼女はあっさりと速度を緩め、再びピットに戻った。車から降りると、辺りは静寂に包まれた。

 「少しはわかったかしら? 」

 まるで間違った生徒を咎めるような口調で、彼女は俺に詰め寄った。

 「負けたよ。俺が悪かったわ」

 ブレーキを直してもらったこともあるし、下手に出ざるを得ない。

 「で、あなたはどう走るのかしら? 」

 「どうって……」

 「今度こそ、JMAエリートの本気を見せてもらおうかしら」

 「走らねぇよ」

 どうして、と詰めよるその目があまりにも純真だったからか。俺は思わず腹の内をぶちまけることとなった。

 「法律が変わって随分経つが、見ろよ。誰も走ることに興味なんか持ってないだろ。今だって俺達しかいないし。それに正直、走るのはあんまり好きじゃないんだ」

ならどうしてこんな所にいるといえば、約束を果たしに来たとでも言うべきか。

 「色々助けてくれてありがとな」

 「だったら、」

 踵を返し、受付に戻ろうとするも、その腕を引っ張られて前に進めない。何事かと振り返ると、不服そうな彼女が俺を睨みつけている。

 「まわりの人間が車に関心を持てば、腕を磨くことに意義を感じられるようになるってことかしら? 」

 「いや、そういうわけじゃ……」

 俺としては単に興味が無い、その程度のつもりで言ったんだが。他にかける言葉も見つからず、困惑する俺を見て、彼女ははっきりと宣言した。

「それなら、誰もが車に興味を持てるようになる場所を作ってあげるわ。あなた天城高校の郷永くんでしょう? 明日の放課後待ってなさい」

 そう言うと、彼女は踵を返して歩き始めた。けれど姿が見えなくなる前に、もう一度だけ、毅然としたシルエットがこちらに向いた。

 「忘れてた、私は貴良。苑浦貴良よ」

 凛とした目元に、どこか熱い闘志があったのを、俺は今でも覚えている。けどそれと同じくらい感じたのは、

 アイツ一体何なんだ? 

 狐につままれると言うのはこんな気持ちのことを言うのだろう。星明りの下で俺はしばし呆然としていたが、やがて下宿先の主の顔を思い出し、慌てて帰り支度を始めた。

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