第50話

「キースが逃げる前に、私なんて言ったっけ?」


「……」


 キースは思い出せないようで、口を閉じている。


「私がキースに言ったのはね、捕まっちゃいけないってことだけだよ」


 それを聞いて、キースはやっと思い出したように目を瞬かせる。しかし、その言葉の真意がまだ分かっていないみたいだ。

 これから言うことは、聞く人によっては酷な事を言っているようにも聞こえるだろうが、躊躇いは一瞬で消す。


「つまりは、ね、キース。キースができる最善のことがあれだったんだよ」


「え……」


「キースのできる最大のことがあれだったんだよ? キースは自分が私の足を引っ張ってる自覚はあったんだよね?」


「……うん」


「それに馬で逃げ出す時に司書さんが迫ってきてるの見えてたんでしょう?」


「……うん」


「あれで、あのまま私も一緒に逃げて行こうとしたらどうなる?」


 そう問いかけると、少し考えてからキースは口を開いた。


「……追いつかれたかもしれない……」


「そう、あのまま馬をもう一頭、頭絡をつけたまま乗って逃げたとしたら司書さんには追いつかれないにしろ、馬はもう何頭か残ってた。それを使われて追い詰められてた。それにキースの乗馬の技術を考えると長時間は乗れない。いつかは追いつかれる。そうでしょう?」


「……うん、そうだけど……。でも……僕が」


 キースが何を言うか察して言葉を割り込ませる。


「キースが私の代わりに残ったとしても、意味がないのわかってるよね? 魔法は封じられてたし、キースは体術なんてできない。それで残ったとして、すぐに司書さんに倒されておしまいだったよ。運が悪ければ手足が吹き飛んでたかもしれない。司書さん達が札を持ってたのは話で聞いて知ってるよね? それにほとんど素手で挑んで無傷で済むほうがおかしいんだよ? だから、私が怪我したのはキースのせいでもなんでもない。私自身のせいなんだよ。キースに責任は一切ない」


「……っ、でも、それでも……レイラが怪我したのは僕を逃がすためで」


 苦しそうに言葉を吐き出すキースに、私は軽くため息をついた。

 まだ自分を責める理由を探すか。


「……正直に言うよ? 私を理由に落ち込まれたらこっちが困る。残ったのは本当にキースの為だけじゃなく、私自身とか他に捕まってた洞窟の中の人達とかのためだったし。私があの場に残ったのは、私自身の決断だったの。キースの存在に大きく左右されたわけじゃない」


 キツく言い切るのではではなく、なるべく諭すような口調できっぱりと言い切る。

 キースの瞳が揺れる。……よし、もうすぐで意識を変えることが出来そうだ。


「でも……でも……」


 まだ自分を許し切ることが出来ないキースが、他に自分を攻める材料を探そうとする。

 もう、これ以上はただの自分自身の粗探しだ。終止符を打とう。


「私はね、キース」


 穏やかに優しく、包み込むような声を出す。それに合わせて顔が自然に緩んだ。


「キースがヒューバレル達に、私がどう言う状況なのか示してくれたから助かったの。キースが死にものぐるいであの馬にしがみついて、ヒューバレルやニールに私の存在を示してくれたから私はここにいる。キースがそう示さなかったら、特にニールはもっと隠密に慎重に動いてた。そうなってたら、私の足はここには無かったんだよ」


 そう言って私は包帯が巻かれている足を示す。


「本当にありがとう。それに……私は謝られるより、ありがとうって言って欲しいな。そっちの方が気分が何千倍もいいよ」


 そう言い切ると、ハッとしたようにキースがこっちを向いた。やっとキースの焦点がこちらに合う。

 キースの側に松葉杖を使いながらゆっくりと歩み寄る。そして手が届く位置まで近づくと、松葉杖を片手で持ちキースの頭に手を伸ばした。

 そのまるで鳥の巣のような、荒れていてフワフワな髪に手を二度弾ませる。


「あり、がとう……」


 無意識にこぼしたようなひどくか細い声でキースが声を出すと、まるで決壊した川のようにキースの口から次々と言葉が溢れ出る。キースの顔が歪んだ。


「あ、ありがとうっ。レイラッ、ごめんねっ、ごめんねっ、ありがとうっ。ありがとうっっ!」


 今度は先程のように体を丸める事なく、淀みを洗い流すかのようにキースの涙が流れ落ちる。大きく声をあげながら、泣くキースに呆気に取られていたセンドリック達がホッとしたように、嬉しそうに顔を緩ませて両肩に二人が手を置く。

 私は手を離すと、そのまま退場しようとしたがキースの手によってそれを阻まれる。キースの両手が私の服を掴み、腹に頭を当てられる。

 まるで小さな子供が母親に縋り付くような姿に振り払うことも出来ず、そのままその場に止まる。そしてセンドリックとヒューバレルの手が伸び私の背中に軽く当てられる。

 まるで円陣を組んでいるような姿勢に、暖かいな、と笑みが浮かんだ。

 キースは私たちに向かって、『ありがとう』と『ごめんね』と言葉を重ねながら、涙を流し続けた。

 しばらくして落ち着くと、キースが私の腹から顔を離すタイミングを見計らって口を開く。


「あー、そうそう。キース、前に言ってたお礼の画材は絵の具一式で」


 キースは涙をゴシゴシと拭き取ると、晴れやかな笑顔を顔に浮かべる。


「うん!」

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