第20話

 ∇∇∇


 ガタン! と大きな音がして、目が覚めた。

 今の自分の状況がわからなくて、目を開けるが何も見えない。真っ暗だ。

 どうやら私は、狭い箱のような物の中に入っているらしい。かなり狭く、身じろぎができない。試しに手や足を動かそうにも紐のような物で、手は後ろに足は足首を縛られていて動かせない。口も猿轡をされていて、くぐもった音しか出せない。

 とりあえず頭を整理しようと動きを止めた。

 私はキースと共に図書館へ行き、キースとは別行動。念願のディルベル・レコーインの原画の入った絵本を読んだ。その後、司書さんとキースを探しに図書室を出たら、司書さんが居てキースの所まで案内してくれた。

 ……ここまでは、良い。ここまでは普通だった。この後だ。

 確か、その後にキースが仮眠室に居ると司書さんが言った。それで二人でキースの所に行った。それで部屋に入った後、司書さんが紅茶を淹れてくれて部屋を出て行った。……それで、なんだったっけ? あー……そうだ。キースと私は紅茶を一口飲んだ。そのまま意識を失った。で、目が覚めたら他の場所に移動している……と。

 ……まぁ、これはアレだ。誘拐ってやつか。

 ……うん、マズイな。

 体の感覚やお腹の状態からして、そこまで時間は経っていないはずだ。しかし、レーニゲン様との約束の時間には間に合わないだろう。

 猿轡に邪魔されながらもくぐもった溜息を吐いた。

 筆頭執事のダイルが自分の精霊に言付けて、レーニゲン様に事情を説明してくれるはずだ。しかし次に行くときは、だいぶ拗ねているレーニゲン様を相手にする事になるだろう。酒を三升ほど準備して、私も最後まで付き合う事になりそうだ。

 とりあえず、クィール達精霊の誰かを呼び出せばなんとかなるだろう。闇魔法は風魔法や他の属性の魔法のように攻撃魔法は無い。だから魔法で倒すことは出来なくとも、縄を解いて外へ出ることは可能だろう。外へ出る事ができればそこから何とかなるだろう。

 胸元にある首飾りに意識を向けると、ちゃんとそこにあった。まぁ、契約者以外は触れる事が叶わないから、当たり前だが。この精霊の心臓は契約者以外は触れる事ができない。そこには見えるが、触れようとすれば手が通り過ぎるだけだ。

 それの一つ、トエイラのものに文字をなぞるように魔力を流し込もうと自分の中の魔力を外に出そうとした時、強烈な痛みが首を中心に体全体に走った。


「グゥッ!?」


 予想もしていなかった痛みで唸るような声が喉から絞り出される。反射的に歯が食いしばられる。

 こ、れは……。『ベルベナの祝福』か……。まさか自分に使われる事になるとは……。

『ベルベナの祝福』というのは、ベルベナという魔除けの草を満月の夜に取った地底湖の水に、夜三日月になる日中に丁寧に混ぜて布で絞ると出来上がる、少し粘り気のある液体だ。魔法を使う人間に塗ると、魔法を使おうとするたびに激痛が体を走るようになる。効果は完全に塗料が肌から取れるまで続く。塗料は本当に剥がれにくく、専用の除去剤で取らないと絶対というほど取れない。

 ベルベナは価値が高い。ただの誘拐犯に買えるはずのないものだ。かなりの金がないと買えないから、油断していた。

 はぁ、と溜息をつく。

 さて、どうしたものか……。痛みの発信源からして、首元に塗られていると思う。まぁ、知ったところでどうしようもないのだが……。

 残る痛みが脳天にまだ響いている。

 とにかく我慢して魔力を流せば案外いけるんじゃないか、と思いもう一度試す。覚悟を決めて、歯を食いしばる。

 そろりと魔力を外へと出そうとすると、すぐに凄まじい激痛が首を中心に走った。


「グゥ……ウ!! ウウウッ、グ!!」


 痛みを堪えて魔力の操作を続け、銀板の文字の半分までなぞる。痛みで頭が朦朧とし始めた。

 っ、これはダメだ……っ!

 我慢ならなくなり、一度魔力を流すのを止める。いつの間にか息が荒くなっていた。猿轡の所為でくぐもった息遣いが耳についた。

 あのまま続けたら痛みで意識がまた落ちる事になる。そうなったら脱出できる機会を見逃す事になるだろう。下手にその機会を逃すわけにはいかない。

 とりあえず、なんとかこの箱の外の状況さえわかれば良いのだけど……。いつ外に出される事になるかは、分からないし……。

 はぁ、本当に困った。

 溜息をつく。今日で何回溜息をついただろうか……。この溜息のせいで、一生分の幸せが逃げてしまったらどうしようか、なんて関係ないことをつらつらと考えていると、微かな何かを開く音がした。その後に誰かの足跡がこちらへと向かってくるのが分かった。

 その足音に、何が起こっても良いように体を固める。

 足音が私のすぐ前で止まった。

 不意にガリッと、何かが私を閉じ込めている箱を引っ掻くような音がした。それの音は数分の間、続いた。そしてまた不意に止まる。不気味な間が空く。

 箱の外に何がいるのか知らないが、多分友好的なものではないだろうなぁ、とまた溜息をつきそうになった。

 そして足音が動いた。私からほど遠くない場所に足を止めると、またあの引っ掻く音がして、しばらくして止まる。

 そのまま足音は動き回り、何かを私の入っている箱の近くまで引きずる。引き摺っている何かが、床を削る音がする。

 また音が止まった。

 正直言って気味が悪い。正体不明のものが外で動き回っているだけでもかなりだが、それがこの狭い箱の中に閉じ込まれながら聞いているのだ。正気の沙汰じゃない。

 足音がまた私の前まで来る。ガッと何かが箱を掴む音がして、いきなり私の視界が開け、光が差し込んだ。今まで暗闇の中にいたため光が眩しく、思わず目を細め何度か瞬く。

 目が慣れた時、そこには予想通りと言っても良い人物が私を見下ろしていた。

 その人物は私に右手を伸ばすと、脇の下に差し込んで起き上がらせて、立たせた。足を縛られたままの私をそのまま引きずると、私が入っていた箱の横に置いてある二脚の椅子の一つに乱暴に投げ出す。私も抵抗することなく椅子にバランスを崩しながら座る。床に目を落とすと、引きずった跡があってさっきの何かを引きずる音は、この椅子だったのかと納得する。

 周りの景色を観察すると、ここはどこかの小部屋のようだった。窓がないため、何時なのかはよくは分からない。部屋の中は蝋燭の光で灯されており、目が慣れると意外と薄暗いことがわかる。

 出入り口は木でできたドアが一つだけ。

 床には私が入っていた箱と間をあけて、もう一つの箱がある。私の箱の近くには釘が数本と釘ぬきが落ちている。

 なるほど、先ほどの箱を引っ掻くような音は、箱の釘を抜いていた音だったのか。

 あちこちに視線を巡らせる私を興味深そうに見ていた人物は、思い出したかのようにもう一つの方の箱に足を向ける。

 私の時と同じように箱の蓋をあけると、人を一人引き摺り出す。

 キースだった。

 なんとなく予想はしていたが、キースも私と同じように手足を縛られていた。首には首輪のように『ベルベナの祝福』がぐるりとキースの細い首を囲んでいた。

 きっと私も同じように塗られているのだろうな、と考えながらもキースをよく見る。

 多少混乱はしているようだが、理性を失うほどではない。何か方法はないかと、頭の中で考えていたのだろう。瞳は光を失ってはいなかった。

 何度か魔法を使おうとしたのか、苦しそうな息遣いに額には脂汗が浮いている。

 キースは引きずられに私の隣に座らされると、目の前に立つ人物を睨んだ。

 睨まれた方は、なぜか口元に微笑みを浮かべている。クスクスと声を漏らすとその人物は私とキースに手を伸ばす。

 とりあえず害をなす気はないようだ。じっとしていると、その手は口の猿轡にかかり下へずらすように外した。

 隣のキースも同じように外される。

 私は何も口にせずじっと目の前の人物を見る。キースは一瞬沈黙した後、口を開いた。


「……なんで。……司書さん」


 痛みのせいなのか、微かに掠れた声でキースが問いただす。

 それを聞いた人物、司書さんは益々顔を緩ませる。図書館で見た笑顔と寸分違わないその笑顔は、逆に不気味さを醸し出す。


「ふふ、ふふふ。なぜ、ですか……。私自身に理由などないのですよ、ルフォス様。強いて言えば、私の愛の為、ですかね?」


 小首をかしげながら司書さんが答えた。彼女の髪の毛がさらりと揺れる。

 そんな司書さんをキースは、普段ののんびりした姿からは想像できないほどの強い光を宿した瞳で睨め付ける。


「もしかして、少し前から連続している誘拐事件……。司書さんの仕業?」


「さて、どうでしょうか? ……レイラさんは、どう思いますか?」


 先ほどから黙っている私が気になったのか、司書さんが私に話を振る。普通の令嬢や女の子のように怯えきっていないのが気になっているのだろう。

 司書さんの質問に私は彼女の顔をジッと見つめたまま口を開く。


「さあ? 私には分かりそうにもありません。司書さん、一つ質問をしても?」


「えぇ、どうぞ」


 司書さんの微笑みを浮かべる顔から、一秒でも目をそらすまいと瞳を固定する。


「司書さんのご結婚は嘘ですか?」


 聞いたことに一瞬司書さんの表情が動いた。微かな動きで、ジッと見つめていないとわからないほどの変化だ。だがその刹那の表情はすぐに怪訝そうな表情に塗りつぶされる。


「……結婚したというのは事実ですよ? ただし私の方は愛など、ありませんでしたが」


「そうですか」


 その答えに、なるほど、と心中で呟いて私はまた口を閉じて司書さんの顔を見つめた。

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