第15話

 中に入ると、荘厳な光景に思わず息を飲んだ。

 凄まじく広い空間に、四階までが吹き抜けになっており全ての壁という壁に、本本本本! 壁だけでなく空いているところにも、十分な隙間を作りつつもぎっしりと棚が建てられている。天井は丸く作られ、透明なガラスで覆われている。そこから光の筋が降り注いで館内を淡く照らしていた。本が日焼けしないための策だろう。幾分か薄暗い所には明かりが灯っており、不思議な雰囲気を醸し出している。入り口から続く、広い通路を真直ぐ行くと一階の中央部分に出る。机と椅子が置いてあり、ところどころ勉強や本を読んでいる人が見えた。そのまた奥には、大きな横長の机が置いてあり貸出や返却、案内などのを行なっているのが見える。それにしても、装飾が美しい図書館だ。美術館だと言われても違和感がない。

 小声でキースに言葉を漏らす。


「すごい……。こんなの見たことがないよ」


 それに、キースも小声で返す。


「僕も、初めて入った時は声を失ったよー。すごく綺麗だよね」


 本好きには堪らない冊数だ。私も少なからず本を嗜んでいる身として興奮してしまう。それに、王立の図書館だ。今日探していた本も複製版ではなく本物を見れるかもしれない。

 思わずソワソワしだすと、隣からの空気が震えた。クスクスと微かな笑いも聞こえてくる。


「探し物だったら、先に案内の方に行くといいよー。すぐに見つかるよー」


 ほらこっち、と先導してカウンターの方へ進むキースの後ろを歩く。何かを書いている音と微かな音以外しない館内に私とキースの足音が響く。カウンターに着くと、眼鏡をかけた穏やかで優しそうな長身の女性がキースに気付く。


「あらルフォス様、こんにちは」


「こんにちはー、司書さん」


 のんびりと挨拶を返すキースに司書さんと呼ばれた人物は、穏やかに笑顔を返す。


「今日は、お連れ様がいらっしゃるのですね。初めまして、ディライラユーニン・レイロと申します。長いので司書さんでも全然大丈夫ですよ」


 穏やかな声で自己紹介をしてくれた司書さんに、私もつい気が緩むような気持ちで言葉を返す。特に家名を名乗る必要は無いだろうと名前だけを名乗る。


「レイラです。よろしくお願いします」


「レイラさんですね。よろしくお願いします」


 丁寧に深々と頭を下げる彼女に、ギョッとした。この国には、よほどのことがない限り頭を下げる人はいない。例えば自分よりも上の身分に大切なことを伝えたり敬意を示すとき。そしてひれ伏さなければ気持ちが伝わらない状況(感謝でも謝罪でもだ)であれば頭を下げるが、普通はそんな簡単に頭は下げない。

 頭を下げるという行為は降伏、または従属などの意味を持つため、必要に迫られない限り下げることはない。

 今私は家名を名乗っていない。

 どういう事か頭を捻っていると、キースが司書さんの頭を上げさせる。


「司書さん、また簡単に頭下げてるよー」


「あっ」


 注意されて初めて自分がしている事に気が付いたように、司書さんが慌てて頭をあげる。


「すみません。昔の癖がまだ抜けないようでして……」


 ははは……と自身に苦笑いをする司書さんにキースが補足を入れてくれる。


「司書さんは、この国の出身じゃないんだよー。北東のテスタロンだったっけ?」


「ええ、そうです……。なかなか癖が抜けず……。申し訳ありません」


 あー、なるほど。テスタロン出身だったら説明がつく。あそこは頭を下げる事に、独特の美学があるのかよく頭を下げる。否定はしないが、習慣が違うとやはり違和感が拭えないものだ。


「あー、全然大丈夫ですよ。癖ってなかなか抜けないものですし……。この国には、どうして移住されたんですか?」


 ここの司書として働いているという事は、移住しているという事だろう。まぁ、テスタロンから来る人はそこまで珍しいというわけでもないが……。

 聞くと司書さんは照れ臭そうにはにかんだ。


「夫の故郷がこちらでして……。どこに居を構えるか話し合ったところ、やはりリーヴェルの方がいいという事でこちらに……」


 結婚してどれくらいか聞くと、まだ半年だと言う。


「まだ新婚じゃないですか、おめでとうございます。司書さんをもらった旦那さんは幸せ者ですね」


 そう言うと両頬を赤く染めた司書さんが、「いえいえ、そんなそんな!」と恐縮したように両手を小さく振る。左手の薬指には金色に煌めくシンプルで優美な指輪が嵌っている。

 可愛い人だなと思わず頬を緩めると、さらに司書さんが頬を染めた。そして話をそらす様に口を動かした。


「え、えっと! それで、今日は何かお探しですか? ルフォス様は、新しい蔵書でも?」


「いや、僕は自分で探せるからー。レイラの方をお願い」


「畏まりました!」


「じゃあ、僕はそこら辺にいるからー。何かあったら呼んでー」


 ゆったりと言い置いて、キースがフラリと何処かへと向かって行った。その後ろ姿は棚と本の森に埋もれてすぐに見えなくなった。

 さて、と空気を改める様に司書さんが手を合わせる。


「では、今日は何を?」


「ディルベル・レコーインが作画を担当した、絵本を見たいのですが……。できれば、原画が載っている物なんてないかなと」


 私の憧れの画家の名を言うと、知っていたのか司書さんが瞳を輝かせた。


「ディルベル・レコーイン! お好きなのですか?」


「えぇ、憧れの人でして……。いつかあんな絵が描けたらな、なんて。おこがましいですが、思っていまして……」


 司書さんがあの画家を知っていることが嬉しくて、夢を思わず語ってしまう。それを笑いもせずに、そうなんですか! と言ってくれる司書さんに口が緩んだ。

 司書さんはカウンターの後ろにある棚から身長の半分もありそうな、大きな本を取り出すとバサリと開く。館内の本の何がどこにあるのかが書かれている物らしい。大きなページをめくっていくとあるページで司書さんの手が止まり顔が曇った。

 もしかして、無かったのだろうか……。少しガッカリして、肩を落としてしまう。


「すみません、レイラさん……。複製版ならばいくらでも読むことができるのですが、原本となりますと貴重な本となっておりますので伯爵以上の爵位か許可証が無ければ見せられない事になっているみたいです……」


 耳に届いた言葉に、ハッとして顔を上げる。


「え!? 本当ですか!」


 私の言葉に、申し訳なさそうにしている司書さんはどうやら勘違いをしている様で、理由を口に出し始めている。


「えぇ、そうなんです……。もし破損した場合や、何かあった場合は伯爵以上の方達でしたら修理代などを払えますし、身元もはっきりしているので……。本当にすみません……。ですが! 複製版でもいいところが!」


 なんとかフォローしようとしている司書さんを宥める。


「司書さん、大丈夫です。先ほどは、きちんと名乗らなくてすみません。私のフルネームはレイラ・H・ウェストル、公爵の娘です」


 そう告げると、司書さんが見るからに動揺した。赤くなったり青くなったりしている。


「あ、え!? そ、そうだったのですか!?」


 思わず声をあげた司書さんに、近くにいた同僚が注意をすると司書さんは慌てて謝る。

 司書さんは声を落とすと、慌てて何かの紙を取り出しペンを添えた。


「あ、じゃあ、そのですね……! ウェストル様にはこの同意書にサインを頂きまして……!」


 公爵の娘だと分かったからか、言葉と名称まで今まで以上に堅苦しくなってしまっている。

 今まで、レイラと呼んでくれていたのに……と少し寂しくなった。


「司書さん、レイラのままでいいですよ。そっちの方が、私としても居心地がいいですから」


 笑顔を浮かべ、説得するがやはり司書さんは頑なに元に戻してくれない。何度か応酬を繰り返すと、やっと折れてくれた。

 同意書を軽く一読する。先程司書さんが言っていた様に、何かあった時には責任を取る様にとの事が書かれている。そこにサラリとサインをするとペンごと司書さんに返した。

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