第38話 プロ見習いは差し入れされる


「よう。どうだった?」

「黒星スタートだわ。今回《ダンマシ》はハズレかも」


 各アリーナのロビーでは、自分の試合を終えた《RISE》参加者たちが、次の試合の開始を待つ間に、知り合い同士で談笑していた。


「そういや、ジンケのスタイル見た?」

「見た見た。《魔除けのルーン》入ってたな」


 それは談笑であると同時に、貴重な情報交換の場でもある。

 1試合目を終えて公開された情報をもとに、様々な推測や意見が飛び交った。


「《ダンマシ》見てんのかな」

「どうだろな。HP無振りの強気ビルドだろ? そんな奴が申し訳程度にMDF上げるためだけにスロット1枠使うか?」

「それな」

「んじゃデバフメタか。なんかいたっけ。《バイプリ》以外でデバフ使う奴」

「《バーサークヒーラー》?」

「《ブログ》はもともと有利だろ」


 ジンケだけではない。名のあるプレイヤーが試合を終え、スタイル情報が公開されるたび、多くの考察がさざ波のように広がってゆく。


「プラム終わった」

「こっちも《ブログ》で2連勝か」

「やっぱ自信あるやつ先に使いたいよな」

「俺あとに残す派」

「ジンケよりMPと耐久に振ってるな」

「やっぱりねえよな、耐久無振りにする勇気」

「この構成、安定しそうでいいな……」

「でもちょっと火力足りなくね。《タンク型》でガチガチに固めれば勝てそう」

「それができたら大体の奴に勝てるんだよなあ」


 場外で繰り広げられる剣のない闘いは、ほんの束の間に進行した。


「あ。2回戦決まった」

「いってら」

「いってらー」


 2回戦が始まるにつれ、プレイヤーたちは再び対戦室へと戻っていく。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 3回戦が終わったところで昼休憩になった。

 オレは一度MAOからログアウトし、自室のベッドで起き上がる。


「うーん……」


 意識は現実世界に戻ってきても、魂はまだゲームの中に惹かれたまま。


「《魔除けのルーン》はどうなんだろうな……」


 今のところは無敗だ。3戦全勝。新スタイルの方も隠し通せている。

 けど、《ブロークングングニル》に《魔除けのルーン》を入れたのは失敗だったかもしれない。

 風の噂によれば、オレが《魔除けのルーン》を採用したことに注目が集まっているみたいなんだが、すまん、今んとこあんまり機能してない。

《ダンシングマシンガンウィザード》を持ち込んでる奴が思ったより多かったから、それに強くなってる分でギリギリ許されてる感じだ。


 名が売れた分、マークもキツい。どいつもこいつも、オレのスタイルを完璧にリサーチした上で挑んでくる。

 さっきの相手なんて、公開されてないはずのショートカット構成まで把握してやがった。

 3回戦を終えて、全勝者はすでに16名まで絞られている。次に当たるのはそのうちの誰かだ。そこで勝っても、その次に当たるのは残った8名のうちの誰か……。

 勝ち続ければ続けるほどに、猛者としか当たらなくなっていく。

 マークがキツいこの状況で、果たして、そいつら相手に勝ち続けることができるのか……。


「……メシだな、とりあえず」


 考えてばかりいてもしょうがない。

 カップラーメン、まだあったっけか……。そんなことを考えながら部屋を出て、1階に降りる。

 ――ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴った。


「ん?」


 郵便か何かだろうか。

 たまたま玄関が近かったこともあって、靴を足に突っかけながらドアを開いた。


「どなたです……か……?」


 ドアの向こうにあったのは、見覚えのある顔だった。

 派手すぎないながらもガーリーな私服を着たそいつは、身体の前に何やら大きな包みを両手で提げ持って、無表情のまま、抑揚のない声で、白々とこう告げた。


「来ちゃった」


 ……正直に言おう。

 いつか絶対やると思ってたよ、森果。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 オレがあんまり驚かなかったことに不服そうな様子の森果を、とりあえず家の中に入れた。


「お邪魔します」


 玄関で靴も脱がないまま、森果は家の奥を覗き込むようにした。


「どうした?」

「……家の人は?」

「今はオレしかいねーけど」

「ハッ……」


 森果はわざとらしく片手を口に当てる。


「ちゃんとした下着つけてきてよかった……」

「大会中だよ!」

「知ってる」


 しれっと言って、森果は靴を脱いだ。


「じゃあ、とりあえずリビングにでも――」

「ジンケの部屋行きたい」

「……リビングにでも――」

「ジンケの部屋見たい」

「ちょっと変わってんじゃねーか!」

「ダメ?」


 オレの目をジッと見て、森果は言う。

 ……だからさあ。

 卑怯なんだって、それ。


「わかった……。2階だから」

「うん」


 森果を連れて階段を上がる。

 ……うおお、なんか緊張してきた……! オレ、今、女の子を自分の部屋に入れようとしてる……!

 MAOの中じゃ同じ部屋で過ごしたことなんていくらでもあるってのに、どうしてこうも違うのか。

 緊張を悟られないように頑張りながら、オレは自室のドアの前で振り返った。


「……別に面白いもんはないぜ?」

「エッチなものは?」

「それもない」


 強いて言えば今から入るお前がそうだ。


「……残念。研究したかった」

「何のだ。何の」

「聞きたい?」

「…………やめとく」


 大会中だからな。


「じゃあ……どうぞ」


 森果を中に入れてから自分も入り、後ろ手にドアを閉める。

 ついでに鍵も閉める。

 ……い、一応な?

 防犯意識の高さに定評がある男として、鍵を開けっ放しではいられないだけだ。決して不意に帰ってきた家族にいきなり部屋に入ってこられると困るようなことをするわけではない。


「ふむふむ」


 森果はオレの部屋をあちこち見回して、なぜかしきりに頷いた。

 勉強机に椅子、漫画ばかりの本棚、ローテーブル、ベッドやその脇に置かれたバーチャルギアのドック。本当に変わったものなんて何にもないんだが……。

 森果は両手に持っていた包みをローテーブルの上に置いた。

 そして、


「とうっ」


 何の躊躇もなくオレのベッドにダイブした。


「うおおおいっ!? お前ぇぇーっ!?」

「くんくんすんすん……はあぁー……」


 オレがさっきまで頭を乗せていた枕に顔を埋め、深呼吸を繰り返す森果。

 コイツにはブレーキという機構が備わってねーのか!?


「ジンケの匂い……んんー……はむはむ」


 うっわ! 枕を食べ始めた! 変態性を欠片も隠そうとしねーぞコイツ!


「やめろー! 食うな! 枕を!」

「イヤ。今日のわたしのお昼ご飯、これ。もう決めた」

「勝手に決めるな!」


 森果の手の中から力ずくで枕を救出する。

 あーもう……歯形残ってるぞ。


「ああー……」


 名残惜しそうに伸ばされる手が届かない場所に枕を放り投げると、未だベッドを占拠している森果に告げる。


「さあ。ベッドを明け渡すがいい。これ以上危険人物をオレの大切な寝床に置いておくことはできない」

「やだ。帰るまでずっとゴロゴロして、わたしの匂いを染み込ませる」

「動物のマーキングかよ……」

「そうすることで、仮にジンケがこのベッドに別の女を連れ込んだとしても、『別の女の匂いがする!』ってなって、自動的に浮気を防止できる仕組み」

「マジのマーキングじゃねーか」


 連れ込まねーよ、そもそも。

 オレは諦めて、床に直接座った。

 森果はベッドにうつ伏せになったまま、靴下に包まれた足をぱたぱたと上下させる。

 ……オレがいつも寝てるベッドに、森果の胸やらお腹やらが擦りつけられている……。


「うぐぐ……」


 天然なのかわざとなのか。

 大会中だって言ってんのに、全力で誘惑しに来てるじゃねーかよ、コイツ。


「で?」


 オレは森果から顔を背けながら言った。


「何の用だ? 集中したいから一人にしてくれって言ったはずなんだが」

「んー」


 チラッと横目で見ると、森果はごろんと寝返りを打った。

 仰向けになって、両手を頭の上に持ち上げた究極に無防備な格好になる。

 そんなことをすれば当然、スカートも乱れて、白い太股が露わになった。

 ああー……!! こいつ、マジでぇ……!!


「差し入れ」


 悶々とするオレを知るや知らずや、森果は短く言った。


「持ってきた。お弁当」

「へ? ……昼飯?」

「そう」


 ごろんと、今度は横向きになって、森果はローテーブルの上に置かれた包みを指さす。


「家の人が作ってるかなって、思ったんだけど。……誰もいないみたいでよかった」


 ああ……それでか、真っ先に家族の所在を確認したのは。

 誰もいないうちにシたいことがあったわけじゃなく。


「……そういうことなら先に言っといてくれよ」

「来ちゃった、って、やりたかった」


 だろうと思った。


「いや、ありがてーわ。実は何も考えてなくて、カップめんでも食おうと思ってたんだ。……開けてもいいか?」

「ん」


 森果が頷いたのを見て、オレは包みを開ける。

 でけえ……。おせちかよ。

 蓋を開けてみると、よりどりみどりのおかずが所狭しと詰め込まれていた。

 全体の半分を占めるご飯は、おにぎりにすれば3個分くらいにはなりそうな感じで、いや、でけえ。まあ旨そうだからいいか。


「これも、やっぱりお前が作ったのか?」

「うん」

「すげえな……」


 普通にすげえ。

 EPSのメイドも当たり前にできてるし、普通の女子高生のスキルじゃねーだろ、これ。


「じゃあ、ありがたく……。お前も来いよ」

「染み込ませ中」

「中断だ、中断。お前も昼まだだろ。さっき枕食おうとしてたし」

「やだ」

「ベッドから出てきたらあ~んしてやる」

「食べる」


 相変わらずの変わり身の早さである。

 あっさりベッドを降りて、森果はオレと弁当を挟む形で正座した。

 なぜ正座。

 ……まあいいか。


「いただきます」


 おかずに順番に箸をつけていく。

 定番の卵焼きや、エビフライ、鶏の生姜焼き、レバニラ……。


「なんか、よく見ると、妙にスタミナの付きそうなメニューだな……」

「ゲームでもカロリーは消費する」

「まあな。……で、ひとつ見てもわからんおかずがあるんだが、これは?」


 森果は無言で目を逸らした。


「オイ。このプリプリしたやつはなんなんですかね、森果さん」

「…………スッポン」


 やっぱり!


「お前、オレに大会のこと忘れさせようとしてねえ……? 今日イチの危機を感じるぞ」


 ここで約束も何もかもぶっちぎって欲望に身を任せたら、見事に未来が消滅するんですが。

 森果はふるふると首を振った。


「そんなことない。……ただ、多少は興奮してくれてた方が、話が進めやすいかなと思って」

「話?」

「その前に」


 森果はオレの方に少し身を乗り出して、口を開けた。


「あーん」

「はいはい。あ~ん」


 せっかくなのでスッポンを箸で挟んで、森果の口に近付けた。こんなのどうやって手に入れたんだよ……。

 ……っていうか。これ、間接キスじゃ?


「あむ」


 気付いた直後に、森果が箸をくわえた。


「んっ……ちゅっ……ちゅぱっ」


 そして怪しい音を立てた。


「箸をねぶるな!」

「秘技・間接ディープキス」


 ただの箸ねぶりだろ――と突っ込めない程度には、動揺してしまっているオレがいた。掌の上かよ。


「……で? 話って?」


 森果の唾液まみれになった箸(……ゴクリ)をいったん置いて、オレは尋ねる。

 森果は平然とした顔で、極めて簡潔に告げた。


「ジンケ、デートしよ」


 ……………………。

 デート?


「……そういえば、したことなかったっけ?」

「うん」


 MAOの中で一緒にクエストに行ったり町中を歩いたりすることは多かったが……確かに、リアルでは、一緒に出かけたりしたことって……。


「前にも言った。ゴッズランク1位取ったら、ご褒美を考えてるって」

「ああ……」


 そういえば言ってたな、そんなことも。

 その直後から《RISE》の準備が始まったから、思い出してる余裕もなかったが……。


「その『ご褒美』がデート?」

「兼、下見」

「下見?」


 こくりと頷いて、ここで初めて、森果は恥ずかしげに目を泳がせた。


「……ファーストキス……する場所の、下見」


 心臓が激烈に跳ねる。

 プロになったら、告白の返事をする。

 プロになったら、キスをする。

 考えてみれば中学生みたいなその約束は……この大会、《RISE》にオレが優勝した瞬間、果たされることになる。

 だから、今のうちに、その約束を果たす場所を決めてしまおう、と……。


「初めては……その……一生の、思い出だから……ちゃんと、場所、決めたくて……」


 取り繕うように、森果が補足した。

 うわ、うわあ。

 なんでかわかんねーけど、めちゃくちゃ顔が熱い。

 恥ずかしいのか嬉しいのか恥ずかしいのか、とりあえず死ぬ! 死にそう!

 跳ね回る心臓を深呼吸で宥めすかし、オレはようやっとの思いで声を絞り出す。


「わ……わかった」


 自分でもみっともなく思うくらい、上擦った声だった。


「行こう……下見」

「うん」


 とてもじゃないが、視線を合わせられなかった。

 なんなんだ、このいけないことをしてる気分は。

 そりゃ、普通のカップルはしねーだろうけどさ、ファーストキスの下見なんて、わけのわかんねーことは。


「あ……あー!」


 意味もなく大きな声を出して空気を誤魔化す。


「行くとしたら、本戦の前だよな!?」

「うん。ジンケが予選を突破できたら」


 本戦の前。

 本来ならそんな大事な時期に、デートなんてしてる場合じゃないんだろうが――

 どうもオレの場合は、問題はなさそうだ。

 だって、


「なんか……すげーやる気湧いてきた」

「でしょ」


 森果がかすかに微笑む。


「これが、本当の差し入れだから」

「……最強のマネージャーだな、お前は」


 燃え上がるようなモチベーションが胸の底から湧いてきて、身体中を駆け巡った。

 残り4戦。

 マークはキツい。

 対戦相手も強くなる。

 勝てば勝つほどに対策は進み、勝率は下がっていくだろう。


 それでも――負ける気がしなかった。

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