第8話 伝説は幼馴染みに再会する


「――ジンケ! ジンケってば!」


 セントラル・アリーナを出たところで、リリィが追いついてきた。


「待ってよ……!」

「あ。……ああ、悪い、リリィ……」


 リリィを置き去りにしていたことにようやく気付いて、オレは歩調を緩める。


「どうしたの? そんなに急いで」

「いや……ちょっと、さ。用事を思い出したんだ」

「用事?」

「先に行ってるから、あとで合流しようぜ」

「あっ……」


 オレは広場の人混みを、早足で通り抜けていく。

 一刻も早く、ここから離れたかった。

 正確には――あいつから。


《闘神アテナ》の異名を取るプロゲーマー・ミナハ。

 その本名は、春浦はるうら南羽みはね


 ……見たことがある気がするなんて、当たり前のことだったんだ。

 何せ、オレとあいつは、小1の頃からの付き合いで。

 2年くらい会ってなかったけど、幼馴染みと言える唯一の存在で。


 オレが格ゲーをやめた理由なんだから。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




『――えーん……! えーん……!』


 あいつのことを思い出すとき、記憶はいつも泣き声から始まる。

 小学1年生の頃からの縁だった南羽は、何かにつけすぐ泣く奴だった。


『泣くなって、ミハネ! オレがついててやるから!』

『ぐすっ……うん』


 運動音痴で、要領が悪くて、泣き虫。南羽はそんな、絵に描いたような『か弱い女の子』だった。オレは幼馴染みとして、いつも彼女を背に庇っていた。

 小学校高学年になり、オレが友達に誘われてゲーセンに通うようになってからも、南羽との関係は変わらなかった。南羽はオレと一緒に遊んだり、オレのプレイを見てうまいうまいと笑ってくれた。

 同じゲーセンに通っていた友達にからかわれたりもして、ウザいと思わなかったわけでもないが、それで南羽を遠ざけるようなことはしなかった。


 ……今にして思えば。彼女を背に庇うことは、オレにとってとても気持ちのいいことだったんだと思う。

 守ってみせ、慰めてみせ、思いやるようなことを言いながら――実際には、オレは、自分のちっちゃな自尊心を満たしていただけに過ぎなかった。


 ――こいつはオレが守ってやってるんだ。

 ――こいつはオレがいないとダメなんだ。


 そう思うことは、いつしかオレのアイデンティティになっていたのだ。

 オレの格ゲーの腕がめきめき上達していったのも、きっと、そんなこすっからい自尊心を支えるためだった。


 そうさ。当時のオレの名は《JINK》。

 本当はいつもの仇名をそのまま《JINKE》と入れようとしたのだ。ところが、スコアネームが四文字までだったせいで、最後のEが取れて《JINKジンク》なんて気取った響きになっちまった。

 VR格闘ゲーマーの間で語り継がれる神話――その主人公、謎の最強ゲーマー《JINK》。

 その名前の由来も、蓋を開けてみれば、こんなくだらないオチだったってわけだ……。


 友達が次々にやめていっても、オレは格ゲーにのめり込み続けた。

 なぜか? 今となっては明白だ。南羽が『すごいね』『つよいね』って言ってくれたからだ。

 足が速ければ。ドッジボールが強ければ。その程度のことで認められた時代が終わると、オレにはゲームしか残っちゃいなかったのだ。

 南羽を背に庇える、頼りがいのある奴でいるために――オレは、仮想空間で殴り合い続けるしかなかった。


 でも、そんなのは砂上の楼閣だった。その程度のことにも気付かないのは、当時のオレみたいな馬鹿だけだろう。

 中学一年生のある日、オレは負けた。

 誰に?


 ――南羽にだ。


『すごいでしょ、ツルギ! 隠れて練習してたの!』


 試合後、南羽の笑顔を見て、オレは世界が崩れるくらいのショックを受けた。

 もちろん、本気で戦って負けたわけじゃない。使ったのはサブキャラだった。南羽相手だからと侮っていた部分もあった。


 ――それでも、負けた。


 オレはそのとき、かかとの後ろに崖があると感じた。

 怯えていたのだ。南羽が強くなることに。もしかしたら、オレよりも強くなってしまうかもしれないことに。

 それは、崩壊だった。

 これまで、6年もの間、大切に大切におっかなびっくり積み上げてきたものが、崩れ去るかもしれない可能性だった。


 ほんの1パーセントかもしれない。

 現実には起こらないかもしれない。

 でも――その『かもしれない』をこそ、オレは恐ろしく感じたのだ。


 ――違う。


 心の奥で唱えた。


 ――違う違う違う。


 呪詛のように。

 祈りのように。


 ――オレは強い。

 ――オレのほうが強い。



 ――それを、証明してやる。



 次の休日、オレは別の街のゲーセンに遠征した。

 そして、閉店まで。

 ――伝説が、演じられた。

 オレは285人に対して、1ラウンドとして負けることがなかった。


 ゲーセンを追い出されると、オレは夜の街を歩きながら笑った。


 ほら。

 どうだ。

 オレは強い。

 オレのほうが強い!


 ―――そして、南羽と出会ったのだ。


 彼女は黙ってどこかへ行ってしまい、遅くまで帰ってこなかったオレを心配して、探し回っていたのである。

 オレを見つけるなり、南羽は怒った顔でこう怒鳴った。


『何してるの、こんなところでっ!!!』


 瞬間、オレはカチンときた。

 ――なんでだよ。

 ――褒めろよ。

 ――285人も倒してきたんだぞ?

 ――なんで怒るんだよ?

 ……そんなこと、話しちゃいないんだから、南羽が怒るのは当たり前だ。

 でも、ゲーセンの外ではクソガキでしかなかったオレには、その程度のこともわからなかった。


 気付けば口論になっていた。売り言葉に買い言葉で、南羽も今まで聞いたこともないような激しい声を何度も出した。

 南羽が、オレと対等に口喧嘩なんかしている――その事実自体が、そのときのオレには認められないことだった。

 だから――つい。


 手が出たのだ。


『……あっ……?』


 それは、オレが思っていたよりも、ずっと強いパンチだった。

 けれど、それはいつもと同じパンチ。

 仮想空間で、ゲームのアバター相手に出しているパンチだった。


『……ぅぅ……』


 南羽は地面に倒れ込んで、呻いた。

 ぽつぽつと涙をこぼしていた。


 ……オレは、何を。


 このときになって、オレはようやく、自分がおかしくなっていたことに気が付いた。

 謝ろう。南羽を助け起こして、傷があるか診て――

 そのときだった。

 オレは、地面に白い石みたいなのが転がっているのに気付いた。

 それは――歯だった。

 誰の歯なのかなんて、考えるまでもない。

 折れたのだ。

 南羽の歯が。

 オレのパンチで。


 右手がじんじんと痛んだ。

 仮想空間では一度も感じなかった痛みだった。


 殴ったオレが、こんなに痛いなら。

 殴られた南羽は、一体、どんなに――

 そう考えた瞬間、身体がぶるぶると震え始めた。

 気付いてしまった。

 気付いてしまったのだ。


 自分が今まで、ゲームの中でどれだけ恐ろしいことをしていたのか。


 こんなはずじゃなかった。

 オレが南羽を殴るなんて、あるわけがない。

 でも、癖で――癖で殴った。

 


 オレは背中を向けて逃げた。

 南羽は追いかけてこなかった。


 それ以来、格ゲーはやっていない。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「痛って! おい、こんなとこで走ん――」

「すみません! 急いでいるんです!」

「――え!?」


 人混みを抜けるべく早足で歩いていると、後ろがにわかに騒がしくなった。

 リリィがまだ追いかけてきているんだろうか。悪いが、助けてやれそうにない。あいつには今度埋め合わせを―― 


「おい、今のミナハじゃ……」

「は? さっき試合終わったとこだろ――えっ!? マジだ!」


 背筋に冷や汗が浮いた。

 途端、足音が聞こえる。オレを追いかけてくる足音が。


「……ッ!」


 オレは走り出した。文句を言われるのも構わず、人混みをかき分けた。


「まっ……待ってっ!!」


 遠い記憶に覚えのある声が聞こえたが、振り返らない。


「このっ……!!」


 頭上を影が通り過ぎた。

 前方の人垣が、驚きの声を上げて逃げ散っていく。できたスペースに、オレを飛び越えた何者かが着地した。オレは立ち止まらざるを得なかった。


「やっと……追いついた」


 ――ああ。

 ついに、と反射的に思う。


「2年ぶりね……ツルギ」

「……そうだな。ミハネ」


 あの日、彼女を殴って逃げたオレは――今日、ついに彼女に捕まった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「ずっと、あなたを探してた」


 2年ぶりに会った幼なじみは、まっすぐな目でオレを見据えた。会場を抜け出してきたのか、あのアオザイ風のドレスのまま。

 昔と変わらない。ビビりのくせに、どこか頑固で――泣き虫のくせに、オレからは決して目を逸らさない。


「番号も、アドレスも、IDも変えて、会ってくれなくなって……あんなに強かったゲームも、やめてしまって」

「……飽きたんだよ。よくあることだろ」

「そんなはずない!」


 どうしてお前にそんなことが言える?

 そう言い返しかけた自分に気付いて、慌てて口を噤んだ。……これじゃ、繰り返しだ、あのときと。

 南羽――ミナハは、息をつく。

 たぶん、オレと同じ……。頭の中にこもりかけた熱を、逃がすための息だ。


「会えると思ってたわ。ここで闘っていれば」


 冷静な声で、ミナハは言った。


「……そうか。オレはお前に会うなんて、これっぽっちも想像してなかった」

「試合、見てくれたんでしょう? 私、たくさん頑張ったのよ?」


 オレに勝ってハシャいでいたときの笑顔が、今の彼女にダブる。

 ……違う。

 もうオレは、あの頃みたいなクソガキじゃない。


「ああ……見てたぜ。強くなったな。驚いた」

「ホントに?」

「ああ。ホントだ」

「ホントにホント?」

「ホントだって――」


「――だったら、こっちを見て言ってよっ!!」


 瞬間、オレは反射的にミナハのほうを見る。

 怒鳴られたからじゃない。

 ミナハが神速で距離を詰めて、拳を振り被っていたからだ。


 ――左頬。


 無意識に攻撃箇所を見極め、腕でガードする。

 ガィンッ!! という硬質な音が鳴り、ミナハの右拳が弾かれた。

 ここはPK不可エリア。デュエル時以外の対人攻撃は無効化される。


「……おい、見たか今の……?」

「あいつ、ミナハの超速パンチを……」


 遠巻きにしていた通行人たちがざわめき始めた。

 チッ。さすがに目立ってるな。


「……どういうこと?」


 周りの様子なんてお構いなしで、闘神は眉をひそめる。


「半テンポ反応が遅い。まさか……無線!?」

「ケーブルを買う金がもったいなくてな。今時の無線LANはなかなか快適だぜ」

「ふざけないでッ! 無線なんかじゃあなたの反応力についてこられない!!」

「買い被りすぎだな。Li-Fi回線はWi-Fiの100倍の速度だぜ? それでついてこられない奴なんていやしない――いるとしたらそれは、伝説やおとぎ話の中だけだ」


 半ばおどけて言うと、ミナハはだだっ子のように首を振る。


「……伝説じゃない……!! 伝説なんかじゃないわ、《JINK》は!! どうして本人あなたまで、有象無象の外野みたいなことを――」


「なんだ? 喧嘩か?」

「おい、あれって……!」

「うそっ!? まさかミナハ!?」


 注目が集まっている。この場を離れるか、ミナハを落ち着かせるかしなければ、厄介なことになりそうだ。


「さっきからキンキンうるさい」


 ヒートアップしたミナハとは対照的な、まるで感情の窺えない淡々とした声が、急に割り込んできた。

 リリィだった。

 彼女は相変わらずの無表情でオレの隣に並び、真っ向から闘神アテナを見据える。


「公共の場で騒がないで。わたし、怒鳴る人きらい」

「……なんなの。関係ない人は引っ込んでて」

「関係ないのはそっち」


 リリィはぐっとオレの腕を抱き寄せて、自分の(仮想)巨乳で包み込んだ。

 ミナハは口と目を両方開ける。


「ん、なっ……!」

「今のジンケは、わたしのパートナーだから。ちょっかいかけるなら、わたしを通してほしい」


 そんな許可申請制にした覚えはないが。

 ……ともあれ、助かった。リリィを口実にして逃げさせてもらおう。


「そういうわけだから、悪いが――」

「大体、ゲーマーがぎゃあぎゃあ言うのは見苦しい」

「――ん?」


 リリィが動こうとしない。

 どころか、未だかつてないほど舌を回し始めた。


「人にぐだぐだ文句を言うゲーマーがうまかったためしはない。未練がましく終わったことを蒸し返すゲーマーも。闘神が聞いて呆れる。失望させないでほしい。あなたもゲーマーなら、譲れないことはゲームで決めるべき」


 あ、あれ……?

 こいつ……怒ってる?

 表情も声色も変わらないからわかりにくいが。


「そもそも」


 普段よりかすかにトゲのある声で、リリィは告げる。


「無線でも有線でも、面白いゲームは面白いの。コンマ1秒もないラグごときでゴチャゴチャ言わないで」


 ああ……そうか。

 オレがリリィと普通にMAOで遊んでいることを、ミナハが貶すような口振りで言ったのが、許せなかったのか。

 なんだか、じんとする。このたった一週間のことを、こいつも、大切に思っていてくれてたんだな……。


「…………そうね」


 呆気に取られた様子だったミナハだが、やがて平静を取り戻すと、打って変わって落ち着いた声で言った。


「私が間違ってたわ。そうよ。私はあなたを怒鳴りつけたかったわけじゃない。だったら、彼女の言うとおり、ゲームで決めるべき」


 ミナハがメニューを操作する仕草をしたかと思うと、その手に白い布が握られた。

 あれは……手袋?


「うおっ!? デュエル手袋!?」

「野良デュエル!? ミナハが!?」

「なにこれ? 大会のイベント?」


 周りがやけに騒がしくなった。ミナハの手に握られた手袋のせいか。


「なんなんだ、あの手袋……?」

「あれは、《決闘の手袋》――通称デュエル手袋」


 リリィが説明してくれた。


「野良デュエルを挑むときに使うもの。相手の顔に投げつけると、対戦申請を出したことになる」

「……ずいぶんと粋なシステムじゃん」


 だが、今のオレにとっては余計なお世話だ。


「受け取りなさい」


 白い手袋をオレに突きつけて、ミナハは告げる。


「この2年、私がどんな気持ちでいたか、拳を合わせればわかるわ」


 ミナハは白手袋を、勢いよく投げつけてきた。

 正々堂々たる決闘の申し込み。

 闘いに臨む者の決意の形。

 オレは、それを――


 右手で弾き落とす。


「はっ!?」

「弾いたあっ!?」

「ミナハの手袋を!?」


 ミナハは険しい目で、地面に落ちた手袋を見つめた。


「悪いが、お前と殴り合う気はない」


 一切の誤解を生まないよう、オレははっきりと告げる。


「あの日にJINKオレは死んだんだ。この世のどこにもいない、ただの伝説になった。……これからも好きに語り継いでくれ。草葉の陰から見守ってるぜ」

「……そう」


 ミナハは低い声で呟いた。


「やっぱり―――私が、弱かったから」

「……は?」


 ミナハは答えなかった。ただ、挑むようにオレを睨み、


「―――だったらっ!」


 直後、彼女の身体が弾かれたように動く。

 その手には、いつの間にか白手袋が戻っていた。

 こいつ、まさか……!?


「力ずくにでも、顔にぶつけてあげる!」

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