第6話 伝説は神を知る
翌日。
オレとリリィは、アグナポットの中央に鎮座する円形闘技場――セントラル・アリーナを訪れていた。
5つあるアリーナの中でも最大の大きさを誇るここは、大会などのイベントでのみ使用されるそうだ。
国家間をテレポートするための装置であり、国家の《核》でもあるポータルも、このセントラル・アリーナのロビーに存在する。
「すごい人だな……」
元より教都エムルに勝るとも劣らない人口密度だったが、今日のこの場所は比較にもならない。
まるで人気のアイドルやバンドのコンサート会場だ――自由に身動きできないほどの人でごった返している。
「ジンケ。手」
「……手?」
「はぐれちゃうとダメ」
……まあ……確かに、この人混みではぐれると非常にめんどくさい。いい大義名分を見つけやがったな。
「……仕方ねーな」
「うん。仕方ない」
「喜んでないか?」
「うん。うれしい」
「………………」
好意をストレートにぶつけられるのって、どうしてこうも慣れないんだろうな?
リリィと手を繋ぐ。ひんやりしていて、すべすべだった。……ただの事実だ。他意はない。
人混みの中を進む。広いロビーには大きなモニターがあり、ネット番組が映っていた。どうやら今日の試合を実況中継する番組のようだ。
チケットがなくて会場に入れなくても、ここでモニター越しに観戦することは可能らしい。
無論、現実世界でパソコンや携帯端末を使って観ることも可能だし、MAO内の他の場所や、別のVRゲームでだって、VR対応ネットブラウザを使えば観戦可能だ。
ならば、なぜ会場観戦チケットが入手困難なほど人気なのかと言えば――それはきっと、VRMMORPGというゲームジャンルが隆盛したのと同じ理由だろう。
……最初は、こんなチケット、無視してやろうかと思った。
何せ、あのコノメタとかいう女の怪しさったらない。リリィにプロゲーミングチームの人間だと教えてもらわなければ、何かの詐欺だと思ったことだろう。
リリィによると、
つまり、あのコノメタとかいう女は、なりすましではないのだ。
――プロゲーマー。
ゲームをすることで生計を立てている人間たち。
いくらゲームから離れていたとはいえ、その存在をまったく知らないわけではない。
プロゲーミング――いわゆるeスポーツは、今や国にも認められた、れっきとした競技だ。選手には公的なプロライセンスも発行される。
活動資金の源は、主にスポンサー企業。チームならば、その中から選手たちへ、活躍に応じた給与が配分される仕組みが、最近は多いらしい。それプラス、イベントの出演料や大会の賞金などがボーナスとして支払われる。今のトッププロは、年収が億に届くことだってあるという話だ。
先進国は韓国とアメリカで、日本はその次くらいだったが、国産VRゲームが世界的人気を博すようになったことが後押しとなり、最近ぐいぐいと人気と力を伸ばしている……らしい。
そういうわけで、プロゲーマーという職業は、21世紀も4分の1を過ぎた今にあっては、決して怪しい肩書きではないのだ。
無論、あの女がプロゲーマーだから従ったわけじゃない。
リリィがせっかくだから行きたいと言ったからだ。
格ゲーから距離を置きたい、というのは、オレの極めて個人的な感傷に過ぎない。それに彼女を付き合わせるのは気が引けることだった。
試合場の中には、受付なども通らず、簡単に入ることができた。チケットのチェックは、わざわざ受付を設けずとも、ゲームのシステムがやってくれるのだ。もしチケットなしに無理やり入ろうとすると、物理的に弾かれてしまうらしい。
中央のステージに向かってすり鉢状に低くなった観客席――その最前列に、オレとリリィは並んで座る。
すると、目の前にピロンとウインドウが現れた。今日の試合を紹介する動画が流れ始める。パンフレットみたいなものも読めるらしい。
「『苛烈にして可憐――戦場のみで舞い踊る戦乙女、闘神《アテナ》』……ねえ。闘神だなんて、ずいぶんと大袈裟な煽り文句だな」
「あれ。知らないの。《五闘神》」
「寡聞にして」
「そっか。一般的にもそこそこ有名だと思ってた」
意識的に知らないようにしてただけだ。
「VR格ゲー界隈で一番強い5人を、慣例的にそう呼ぶの」
「ふうん……。四天王みたいなものか」
強い奴を祭り上げたがるのは、昔と変わらないな……。
オレは目の前のウインドウを操作し、パンフレットを開いた。
「……《ミナハ》……」
現在、VR格ゲー界の頂点に君臨する《五闘神》の一角――ギリシャ神話の
パンフレットには、彼女のアバターの姿が載っていた。
所属するチームのユニフォームだろう、絢爛豪華な真紅の衣装には、各部にスポンサー企業のロゴが刺繍されている。
「女の子なのか。オレたちと大して変わんねー歳に見えるけど」
「《ミナハ》は今年で16歳。現役女子高生プロゲーマー。ちょっと前までは女子中学生だったけど」
「現役JKプロゲーマー……カネの匂いがする肩書きだな」
「ホントだよ。リアルで顔出しもしてるから」
今時、女性プロゲーマーなんて珍しくもないみたいだし、そりゃあ中には高校生もいるか。
「ちなみに、可愛いのか? このミナハって子は」
「…………ジンケ」
「いや、違うって。もし可愛ければ、アイドルみたいな人気もあるんだろうなって思っただけだ」
「言って。先に。わたしに。可愛いって」
「……わかったよ。リリィは可愛いな」
「うん」
「特に胸が可愛い」
「うん」
あれっ、効果がない。
胸の大きさをイジったら誤魔化せるかと思ったのに―――
「ジンケ」
「ん?」
「わたしもたまには怒るから」
「いだだだだだだっ!!」
耳を引っ張るな!
仮想世界だから痛覚はないんだが、なぜだか反射的に痛いと言ってしまう。
「(……そんなに、リアルのわたしの胸が可愛いなら……)」
「え?」
引っ張られた耳に、リリィが囁きかけてきた。
「(ジンケが、おっきく育ててくれる?)」
「……………………」
オレは呼吸を止める。
おっきく、育てて……。
耳を摘まむリリィの手を払った。
「あうっ。いたい」
「おまっ、お前な! そんなのどこで覚える!?」
「ジンケ、赤くなってる」
「なってない!」
「惜しかった。もうひと押し」
「惜しくない!」
リリィは肩を寄せてくる。
ぐぬぬ。
周囲の座席にはとっくに他の観客が座っていて、逃げる場所がない。……果たしてオレは、試合の内容を覚えて帰れるんでしょうか。
『――会場にお集まりの皆さん! 配信をご覧の皆さん! こんにちは!』
試合場の上空にホログラム画面が現れた。二人の人間が映っている。
『こちらからは、第2回MAOクラス統一トーナメント・拳闘士の部の本戦最終日をお送りします! 実況はわたくし、e-Sportsキャスター・星空るるが務めさせていただきます! そして解説はこの方です!』
『ExPlayerS所属のプロゲーマー、コノメタでーす♪ よろしくー!』
「あっ!? あの女!」
ゆうべ、オレに斬りかかってきた奴じゃねーか!
格好こそ企業のロゴが複数刺繍されたユニフォーム姿で、昨日の辻斬りそのものな雰囲気は欠片もないが、間違いない。
昨日の今日でカメラに向かって愛想を振りまいてやがる。
「チッ……あんな顔で辻斬りなんてしてやがったのか」
明るい場所で見てみりゃ、可愛らしいもんだ。
「……ジンケって、意外と女好き?」
「はあ?」
「でも大丈夫。1回までなら許してあげる」
「何の回数!?」
そして2回以降はどうなるんだ……。
『初めての方もおられると思いますので、今一度ルールを確認いたします!』
あの女……コノメタの隣に座るキャスターの女性が、はきはきとした声で喋り出す。
『本大会はその名の通り、全員が同じ
「《拳闘士》……」
オレは初日に会得したスキルのことを思い出した。
あれ以来、《拳闘》スキルは封印している……。
『やっぱり徒手空拳は格ゲーの花形だよね』
コノメタがリラックスした声で言った。
『このクラストーナメントで頂点を取ることには特別な意味があると思うよ。特にこの街――アグナポットではね』
『仰る通りです! 何せこのクラスのディフェンディング・チャンピオンは、かの《闘神アテナ》! 彼女が闘神と称されるようになったのは、まさにこの大会を制してからのことです!』
ふうん。
要するに、クラスごとの
そして、格ゲーとしてのMAOの花形クラスである《拳闘士》で、女だてらにトップを取った……。多少は特別視もされようものだ。
オレはパンフレットに目を移し、改めて《闘神アテナ》――ミナハという少女を見る。
「……………………」
なんだろう、この感じは。
オレは……この子を、見たことがある?
ネットニュースや動画で見たんだろうか……。
『では、本戦の細かいルールをご説明します!
本戦は2ラウンド先取1セットマッチのトーナメント戦です。
アイテム使用は不可。
装備効果も無効。
キャラクターレベルおよび流派レベルは50固定。
スキルおよび魔法熟練度は100・0固定。
MP半減スタート。
ラウンドごとに、勝者は最大値の4分の1、敗者は3分の1、MPが回復します。
スキル構成とステータス・ビルドはラウンドごとに変更が可能ですが、一度構成から外したスキルはその試合では使用できなくなります――』
実況キャスターによる細かい説明を聞き流していく。
実況解説による見所の紹介や、大会展開の推測などを聞いているうちに、時間が流れていった。
『――準備が完了したようです! お待たせしました、皆さん! 本日の第1試合を開始します!』
歓声がわっと沸き起こり、選手たちが入場する。
そして、闘いが始まった。
このクラス統一トーナメントには、アマチュアも大勢出場しているらしい。必ずしもプロゲーマーのほうが強いとは限らず、誰も彼もが、これまで見たどんなプレイヤーよりも凄まじい動きのキレだった。
何せ、観客席からだとパンチがほとんど見えないのだ。気付いたら相手がノックバックしてるって感じで、とても現実の光景とは思えない。漫画やアニメの世界を覗き込んでいるみたいだった。
一見、何も起こっていない睨み合いの間に、どれだけの読み合いが行われているのだろう。細かい牽制が繰り返されるごとに、緊張感がオレの肌まで刺していく。
そして曲者なのが、ラウンドごとにスキルを変更できるルールだ。これによって、選手たちはリアルタイムに自分の能力を変えていく。もちろん、相手の手の内を予想しながら。さながらカードゲームのような頭脳戦だった。
MAO歴1週間のオレをして、とんでもないレベルの大会だとわかった。
バケモンだらけだ。
これを見ると、初日に出会った初狩り野郎がどれだけヘボかったかがわかる。この大会の出場者なら、あの程度の奴が何人揃ったところで一蹴だろう。
しかし、それだけすごい連中でも、勝敗は生まれる。
負けたほうは姿を消す。
8人が4人に、4人が2人になり――
――最後には、ただ1人が残った。
そして。
『――さあ! 休憩も終わりまして、ついにタイトル戦! トーナメント優勝者による、クラス・チャンピオンへの挑戦を行います!』
歓声が湧くと同時、試合場の入口にスモークが起こった。
それを斬り裂くようにして、一人の少女が姿を現す。
炎を具現したような真紅のユニフォーム。風に揺れるアプリコットの長髪。堂々として、かつ美麗なその佇まいは、なるほど、女神なんて呼びたくなるのもわかる。
ミナハ。
VR格ゲー界の頂点に君臨する《五闘神》の一人。
《闘神アテナ》の異名を取る、女子高生プロゲーマー――
『試合前に、チャンピオンにインタビューしたいと思います!』
いつの間にか試合場に実況の星空るるが降り立っていた。
拳闘士
『チャレンジャーのtukituki選手は卓抜したガード力が持ち味ですが、どのように戦っていくおつもりでしょうか!?』
『……特別な対策は用意していません』
落ち着いた声が、マイク越しに響きわたる。
『日々の研鑽をぶつけます。そうすれば勝利のほうからやってきてくれると、私は信じています』
『なるほど! 対策など必要ない、と!』
そうは言ってねーだろ、と思ったオレだったが、会場は大いに盛り上がった。
それから、チャレンジャーがミナハの反対側から姿を現す。
星空るるは、そちらにもマイクを向けた。
『タイトル戦でパーフェクトできたら、カッコいいですよね』
こちらはリップサービスに長けた男で、暗に『チャンピオンの攻撃なんて全部かわしきってやる』と宣言し、会場を大いに盛り上げた。
星川るるが試合場から実況席に戻り(テレポートした)、解説のコノメタと話し始める。
『ずばり、試合のポイントは?』
『やっぱり、tukituki選手がミナハ選手の攻撃を捌き切れるどうかだね。ご存じの通り、チャンピオンは攻撃的なプレイスタイルで有名な選手だから』
『発生2Fとも言われる超速弱パンチですね! ミナハ選手のパンチを見切れる人間は地球上にはいないとも言われております!』
発生2
フレームというのは、60分の1秒を意味するVR格ゲー界のスラングだ。元々、非VRの格ゲーにおける時間の最小単位が60分の1秒だったことに由来する。
つまり、『発生2Fのパンチ』とは、予備動作も何もない状態から60分の2秒――およそ0.03秒で威力を発揮するパンチということだ。
人間の反射神経の限界は大体0.2秒くらい。鍛えても0.15秒ってところだろう。0.03秒のパンチなんて、見てから防げるわけもない。
「さすがに盛ってるだろ、発生2Fってのは……非VRの格ゲーでもせいぜい3Fくらいじゃなかったか?」
「そうでもない。MAOのリアルアクションは、AGIさえ上げればいくらでも速くできる」
「理屈ではそうだけどな……」
ちなみにリアルアクションってのは、体技魔法などによるシステムアシストに頼らない、プレイヤー自身の意思での動作のこと。充分なAGIと、それを制御できる実力があれば、リアルの肉体ではとても不可能な領域まで速くできる。
「……まあ、見ればわかるか」
これまでに出てきた選手も、みんな化け物揃いだった。
その頂点にいるという、あの少女――いったい、どれほどのものなのか。
……あれ?
オレ、いつの間にか楽しんでないか?
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