第六撃 七転八倒


 「起きた?始めるわよ。立ちなさい」

 

 まだ霞む視界には構えたツェナーが映る。立たなくちゃ。ゆらり、とイハは重たい身体を持ち上げる。

 

 刹那、ツェナーが砂を蹴り飛び込んできた。腕を立てたイハが紋様を集めようとした僅かな隙に、両腕の間をツェナーの拳が貫く。

 

 「ァッ……」

 「展開が遅すぎる」

 

 髪を振り乱しながら、ツェナーは左脚の回し蹴りを間髪入れずに刺す。イハは小さく呻きながらツェナーの足の甲を横腹で受けた。



――さっきは出来たのに、なんで――?



疎らに浮いた紋様は、イハの戸惑いを示しているようだった。

 

 「こんなので怯んでちゃダメ」

 

 言葉を投げると、右足を引いて再び半身の構えを取る。試しに受けさせてみたが、マナを吸収された手応えはなかった。攻撃に怯んで疎展開しているようではほとんど吸収などできないのだ。

 

 「もう一回、お願いします!」

 

 口角を手首で拭ったイハが叫ぶ。紋様が手の甲の初期位置に戻ったのを確認して、ツェナーは再び飛び込んだ。

 

 「ッぐ、」

 

 肩。腿。腕。

 容赦ない打撃がイハに浴びせられる。反応し交わそうとする身体を抑えて、イハはひたすらに耐えようとした。筋肉を収縮させて、衝撃を受ける。

 

 まだ疎らではあるが、徐々に怯まず対応して紋様を展開できるようになってきたようだ。重なった痣の上を紋様が忙しなく駆け巡る。

 

 「融合したばっかのあんたが強くなるには、そうやってもらい続けるしかないの。口で説明して頭で理解しても、なかなか繋がらないところだから――」

 

 淡々と言葉を紡ぎながらも決して緩めることなく拳を降らせる。イハは痛みに顔を歪めながらも、繰り返し与えられる衝撃に意識を集中させているようだった。

 

 ある程度攻撃に対して紋様が密に組めるようになってきたようだが、ツェナーにはマナ吸収されている手応えがない。――もしかして。

 

 紙一枚の間を残して、大きく振りかぶった拳をイハの頬の前に止めた。頬に集められた紋様からはマナの微放出を感じる。やはりそうだった。イハは突然止んだ衝撃に少し目を見開いてから、ツェナーを窺った。

 

 「イハ。攻撃を拒絶していてはだめ。衝撃を緩和しようとしてマナ吸収ではなくマナ放出が起こってしまう」

 「放出……」

 

 ツェナーの言葉の切れ端がイハの記憶を引き出す。イハは初出撃の時にダンに掛けられた言葉を浮かべた。

 

 

 ――このばかたれが。吸収と放出を間違えおって――

 


 「攻撃に恐れを抱きながらも、受け入れる」

 「恐れを抱きながら受け入れる……?」

 

 ツェナーは戸惑うイハの胸をしっかりと叩いた。

 

 「ガームは魔具じゃなくて身体でマナを扱う――だからこそ、心の在り方も、格闘における立ち回りと同じくらい重要になってくる」

 「心……?」

 

 イハは眉をひそめて、力強くも柔らかな手のひらが触れている自分の胸に目をやった。

 

 

 ――なんだよ。心とか、拒絶とか、恐れとか、どれもこれも掴めねえものばっかりじゃねえか――

 

 

 今まで道場で受けてきた具体的な技術指導とは大きく離れた精神論の乱立が、イハを途方に暮れさせていた。腕を下ろしたツェナーが笑い飛ばす。

 

 「やっぱり口で言って分かるようなもんじゃないわね。説明しても繋がらない――だったら身体で理解するしかない」

 

 イハは痛む身体で構えを取り、間合いを取るツェナーに無言で応える。痣がずきずきと吼える度に、イハは対面式で会ったガーム達の顔を思い出していた。

 

 

 ――部屋にいっぱい転がってた先輩達ガーム、あの人たち、皆これ出来るんだろ。早く追いつかなくちゃ――

 

 

 焦りを唾液と共に飲み干して、踏み込んでくるツェナーの攻撃を見定める。

 

 どれほど時間が経ったかはもはや分からないが、ツェナーの素早さに目が慣れて来たのをイハは感じていた。紋様の展開が完全に追いつき始めた。本気を出したツェナーの動きをより把握できるようになってきたのも原因か。

 

 いずれ来る痛みを知っておきながら、逃げない。急所にだけは当てられないように降り注ぐ拳をいなしながら、イハは感覚を研ぎ澄まそうとした。

 

 しかし、何度殴られ蹴られても、マナの微放出によって衝撃を緩和することしか叶わない。紋様がすばやく密に組めるようになってきた分、放出されていくマナも多くなっていく。

 

 「……ッ……ッ……」

 

 ついに、赤黒く腫れた腕が下がり始めた。肩で息をするイハの重心はあからさまにぶれている。ツェナーは拳を下ろすと、腰につけていた布切れをイハに差し伸べた。

 

 「マナの源は感情、次に生命、最後は魂。あんだけ放出しまくってたら気力も体力もほとんどもってかれたんじゃない?」

 

 イハは布切れを受け取らずに、構えを取り続ける。太陽のような強い輝きをずっと奥の方に宿した黒い瞳が、ツェナーをただ見つめていた。

 

 「……執念があるというのは、いい事よ。でもね、頭を冷やすってのも肝心な事よ」

 

 ツェナーはイハの顎を強く蹴り上げた。イハの身体はあっけなく宙を舞い、空気の抜けた浮きのように地面に沈んだ。

 

 「だってそうじゃないと、魂までマナとして持ってかれちゃう――って、ねえ、聞いてる?」

 

 ぴくりとも動かなくなったイハをつま先で軽くつついて、完全に伸びていることを把握したツェナーは大きく息を吐いた。

 

 「はぁ……私が教えるといつもこう。男ってのはどいつもこいつも甲斐性ないわね」

 

 罵りながらも脈や息を手早く確認し、ツェナーは胸に下げている緑の小さな鉱石に話しかけた。

 

 「ムーラちゃん?私。ツェナーよ。ごめん。また一人伸ばしちゃったからお願いしていい?大丈夫よ、今回骨は一本も折ってないもの。あー、南の練習場。今二人しかいないから転送陣使ってくれて平気」

 

 ツェナーは葉巻を取り出すと、また指に移動した紋様で火をともす。

 

 「あーそうそう、十九時までに、食事が喉を通るようにしといてくれない?ええ、もちろん古代時間単位で十九時よ。必要なマナは工面してあげるから。ね、お願い。ごめんだけど、私この後やらなきゃいけないことあるの。じゃあね」

 

 通信子を無理に遮断したツェナーは、砂を踏み練習場を後にした。

 

 

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