第2話 意識高い系? 髪サラサラ系?

「君たち、あと3分いいかな。折角大学に入ったんだし、少しは自分たちを取り巻く社会のことを考えてみようよ」


 冒頭の話を聞いただけで、未来は外に出ようとした。伊咲いさき一縷いちるの方を見ながら席を立ちかける。ところが、一縷だけは真剣なまなざしで、前を向いたまま動こうとしない。


「ヤバ系だよ、出ようぜ」


 未来が小さな声で耳打ちするが、一縷はその声を無視した。


「一縷、行かないの?」


 伊咲も壇上の女性と一縷の顔を交互に見ながら、もう一度、席を立つよう促す。ところが、一縷は煩いとでも言うように、右手を横に払う。彼の視線の先では、ボタニカル柄のワンピースを、ウエストの濃いピンクのベルトでキュッと締めた色白の女性が、右手のマイクを強めに握り締めていた。


 ちっ…… 


 未来の舌打ちは壇上の女性にも届いたようだった。


「キミ! 興味がなきゃ退出結構! 余計な邪魔はしないで!」


 透き通った声がぴしゃりと未来にくぎを刺す。はっきりした目鼻立ちの彼女の声には言葉以上のチカラがあり、未来は静々と元の席に座り直した。


「世の中は矛盾だらけだと思ったことない? みんな、ここでこれから数年間勉強する訳だけど、それは自分のためだけでなく、ある種の社会貢献や社会還元の意味があると思ってるよね。でも、キミたちには本当のところ、何が出来るのかな? キミたちは自分の善良さをどこまで信じられる? 」


 いきなり挑発的な発言から始まった。さすがに新入生といえども聞き逃せない者もいたようで、室内がざわつき始めた。


「想像してみて。理由も解らず家を焼き払われ、深夜、海に逃げ込むしかない子供たちがいて、翌朝、母親は抱いていたはずの子供が冷たくなった事に気づく。だけど、もうひとりの子供のために死んだ子は海に流すしかない。そんな絶望的な人々が、今この瞬間にこの地球上に生きているのに、ここには何も知らない自分たちがいる。平気な顔でのんびりスマホを触るだけ。スマホの中にも生々しい情報があるけど、どこか絵空事だしリアリティーがない。そんな鈍感な自分たちの善良さなんて、一体どこまで信じられる?」


 あまりに一方的な内容で、教室の後方からはっきり否定的な言葉が聞こえてきた。


「いいよ、意見があるなら言いなよ」


 彼女がその柔らかな出で立ちからは想像もできないほど挑発的な言い方をした。


「いきなりそんなことを言われても、何も考えてない訳でもないですから!」


「意識高い系の人に偉そうぶられると、それだけで思考停止するんですけど」


 教室の後方から、数人の男子学生がぶっきらぼうに返事した。


「まるで考えてない訳ではないけれど、常に考え続けている訳でもない。耳障りな意見を聞くだけで思考停止に陥る。それでいいのかな?


 踏み込んで考え続ける、それが重要じゃないかな? 自分たちが何を知り、何を知らないか、何を知らされていないか。今、自分たちが生きている世界を注意深く観察する、そういうことも必要だと思うんだ」


 彼女の横の黒縁メガネの男が、時計を指さして持ち時間の終了を告げている。


「わずか3分やそこいらで、議論もなにもないよね。いきなり壇上から生意気なこと言ってゴメン。でももし、今話したようなことにちょっとでも関心があったら…… えっと、どこだっけ? 」


 彼女はもう一度横の黒縁メガネに確認するとこう告げた。


「13:30から学生会館204号室でこの続きをやるよ。興味あったらそっちに顔出して。それじゃ」


 そう言って壇上から降りようとする彼女を黒縁メガネが慌てて押し留める。


「そうそう、現代史ジャーナル! アハハ、サークル名言うの忘れてた」


 明るいブラウン色の髪が彼女の肩の上で軽やかに舞った。さっきまでの挑発的な印象と真反対の、こぼれるような笑顔で、彼女は大講義室を立ち去った。




「なんだよ、あれ? ?」


 未来は憮然とした顔だ。伊咲は心配そうな顔をして一縷の顔を覗き込む。


「一縷…… もう行こう?」


 伊咲の言葉に無言で頷くと、一縷は時刻を確認し、学生食堂に向かって急ぎ始めた。




「いろんなヤツがいるな。大学って」


 既に長い列ができた配膳コーナーの最後尾に並び、未来が不機嫌な顔でふたりにぶつぶつ言い始めた。あの女性にくぎを刺されたことを、まだ根に持っている感じだ。


「千尋先輩に雰囲気が似てるけど、話す内容は全然違うよな」


 未来は演劇部の先輩の名前を再び出した。ふたつ年上のその女性に、高一の一縷が熱を上げていたことはふたりともよく知っている。


「全然違うよ! 千尋さんはあんな挑発的なものの言い方しない、絶対!」


 伊咲も未来に同意した。ふたりは一縷の言葉を待って彼の顔を見つめた。


 ところが、彼の口からは全く別の言葉が放たれた。


「学生会館の204号室ってここの上だろ?」


 そういうと、一縷は食堂の天井を指差した。未来と伊咲は思わず顔を見合わせた。


「まさかあの話の続きを聞きに行くつもり?」


 伊咲が怪訝な顔になる。明らかに止めて欲しいという顔だ。


「マジで? 髪の毛サラサラしてた?」


 未来は茶化そうとしたが、一縷が無表情なままなのを確認すると、彼も硬い表情に変わった。


「伊咲、どう思う?」


「髪の毛? サラサラしてたかな…… 一縷ってそういう女性に弱いんだから」


 伊咲は冗談めかしたが、一縷は彼女の言葉にも全く反応しない。


「コイツ、時々マジになるからな…… 今どき、そういうの流行らない、っつーの!」


 未来は、今度ははっきり否定の意思を顕にした。だが、それでも一縷は相変わらず相手にしない。


 困ったように未来と伊咲は顔を見合わせるしかなかった。一縷が言い出すと他人ひとの意見をまるで聞かないことを良く知っていたのだ。


 ランチトレイを抱えた三人がようやく空席を見つけて座ると、諦めた未来が伊咲だけに話しかける。


「伊咲、オレ達は先に帰ってようぜ」


 伊咲はキャンパス下の女子学生専用マンションに部屋を借りている。未来は、そこから3分と離れていないところにアパートを見つけて住んでいる。もう一部屋空いてるからお前も一緒に住め、と一縷を誘ったが、彼は頑なにそれを断り、4キロも離れた海岸沿いにアパートを借りている。


「そうだな。伊咲、未来と一緒に帰れ。お前はああいうのは興味ないだろうし」


 一縷と付き合いが長く、カンのいい伊咲は、お見通しだよ、やめときなさいよね、とでも言いたげな顔で一縷の顔を覗き込んだ。思わず一縷は伊咲から目を逸らす。


「そうね、帰ろ。興味ないもん…… 」


 伊咲は余計なことは何も言わず、黙ってオムライスを食べ始めた。一縷も黙ってメンチカツを齧っている。未来は大盛りにしたスペシャルランチを食べながら、繰り返し一縷と伊咲の顔を見比べた。

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