9−2

 聡介が怒鳴ると、ヒトミはすっと冷めた表情になる。冷たい目だ。

「ふざけてなどいない。わたしはお前を試した。試した上で、力不足と判断したんだ。だから帰れ」

「だったら、どうして昨日感謝してるなんて言ったんだよ! 利用するんじゃなかったのか。息子を助けるなら、何を犠牲にしても構わないじゃなかったのか!」

 聡介はヒトミの腕を掴み、引き寄せる。細い腕だ。ごく普通の女の人の腕だ。力を込めれば容易に傷ついてしまいそうな。こんなか弱い腕でどうやって立ち向かうと言うんだ。

「今さらなんだよ……! 一人で行くなら、最初から巻き込むんじゃねぇよ!」

「離してよ」

「俺よりずっと強いんなら、振り払って行けばいいだろ」

 逃げられないようにとさらに引き寄せようとすると、ヒトミは小さく悲鳴を上げた。

「……痛いっ」

「あ、ごめ……」

 思わず力を緩めると、すかさずヒトミは聡介の手から逃れ走り出した。

「あー、もう! めんどくせーな」

 ヒトミを追いかけようとしたところで、突然、前方で火柱が上がる。溶岩の塊がこちら目がけて飛んできた。ヒトミのほうが先に気づいたが、逃げるには間に合わない。

 聡介は走りながら腕のバングルに触れた。

 光に包まれ身体が変化し始めると、走るスピードも上がる。

 呆然としているヒトミを腕の中に庇い、伏せた。

 ヒトミを抱く腕が黒く硬く変化するのと同時に、足元で溶岩の塊が落下し赤く爆ぜる。直撃は免れたが、跳ね上がった欠片がいくつも聡介の背中を襲う。

「あっちぃ……」

 思わず呻いたが、ちょっと熱いくらいで済むのは、やはりこの姿は人間よりもずいぶんと頑丈なのだなと改めて思う。

「大丈夫か」

「聡介……」

 ヒトミは動揺したように視線を泳がせたあと、小さく頷く。

 度々吹き上がる溶岩の中に、ずんぐりとしたシルエットの者がいた。

「あれか……名前、なんて言ったっけ」

「フェルムよ。まだ小さいけれど、だいぶご機嫌斜めね」

 見た目はほとんどヒグマだった。ただ、体表はドロドロとした赤いマグマのようなものを垂れ流している。

 マグマグマといったところか。立ち上がると街路灯に手が届きそうだ。これでまだ小さいのか。八つ当たりでもするように近くの木をなぎ倒し、ときどき周囲を見渡し鼻をヒクヒクさせていた。

「うわぁ、すごいねぇ、聡ちゃん。でっかいね」

 聞き慣れた声にまさかと思いながら振り返る。そこには、ビデオカメラを構えた幼なじみがいた。

「有馬……ッ! お前は、何やってんだよ、毎回毎回くるんじゃねーよ! 怖くないのかよ。てか、なんでここがわかった?」

「町内放送で」

 けろりとした顔で言い、ビデオカメラを暴れるマグマグマに向けている。

「ごめん聡介、まずかったかな……」

「いや、他の人は避難したようだからいいんだけど……」

 あとで不発弾なんてないし処理班も出動してないってわかるだろう。ただのいたずらだったで済むんだろうか。そんなことを考えてしまうのは、目の前の光景から心が逃げたがっているのかもしれない。

 鼻先をひくつかせていたマグマグマは、顔をこちらに向けると背伸びをし、溶岩を撒き散らしながらこちらへ向かってきた。

 どうやら、聡介たちの存在に気づいたようだ。

 近づくにつれ、その大きさに圧倒される。口からは溶岩混じりの涎をたらし、牙を剥いている。腹が減っているのかもしれない。

 そいつの通ったあとの草木は燃え、焦げたにおいが辺り一面に広がっていた。

 どうやったら倒せる? あまり乱暴なことはできない。中に子どもがいるのだ。

 ダメだ、考えている間にもどんどん近づいてくる。灼熱の塊を撒き散らしながら。

 あれが厄介だな。燃え広がったら大惨事になる。

「聡介、腰んとこ!」

「えっ? あ……」

 慌てて腰に手を回すと、棒状の物があった。

 よく見ようと一回転させると、それは上下に伸び、あのとき使っていた形状になった。二メートルほどの柄は血管が浮いたような気味の悪い文様、刃は大きく反り、鈍色に輝く。

 もう、すっかり原形は留めていないが、あのとき変形した堤の薙刀だ。

 力任せに上空で振り回すと、降り注ぐ火の雨は千々に散る。しかし、芸もなく振り回すだけでは襲いくる火の玉は防ぎきれない。

「有馬! 危ない……!」

 少し離れたところにいた有馬目がけて一際大きな塊が飛ぶ。有馬を突き飛ばし、自分も飛びすさる。が、遅かった。

 真っ赤な流動体は聡介の足元へ落ちた。途端、派手な水蒸気が上がる。視界は白く濁り、むせ返るような熱気がまといつく。

「なんだ……?」

 地面がグツグツと煮えるように粟立っている。溶岩の熱で沸いているのだ。まるで、地面が水になったように。

 地面が……水? まさか。

「あっちーッ!」

 叫びながら地面から飛び出てきたのは、見覚えのあるワニに似た姿の男だ。短い手足をばたつかせて、身体を冷やそうとしている。

 ワニマッチョだ。初めて見たときにはあんなに恐ろしいと思ったのに、今では愛嬌があるようにさえ見える。

 彼の長い口吻の、僅かに空いた牙の隙間から、小さな吸盤つきの手が見えた。よく見ると、口の中にはまん丸なうるうるの目をしたカエルがいた。黒くて、背中にはヒラヒラとした飾りがついている。

「お前……っ、またきたのか! ケロケロ食うんじゃねぇ!」

「ちっ、違うっ。ラーナは友達。昔から、友達」

 慌ててケロケロを口から出し、手のひらに載せる。その仕草は不器用そうだけど優しい。ケロケロは怖がる様子もなく、小さく喉を鳴らし瞬きをした。

「何やってるの! お前たちは用済みだって言ったはずよ。特にラーナ、お前はもうこちらにきてはいけないわ」

 言いながらヒトミはそっと手を伸ばし、カエルの額を撫でる。すると少し恥ずかしそうに、小さな吸盤つきの手で顔を覆うような仕草をし、小さく鳴いた。

「アウロラ様のお役に立ちたい。ラーナもそう言ってる」

 ヒトミは唇を嚙み、ワニマッチョを睨みつける。その目は見る見る潤んで今にも涙が零れ落ちそうだった。

「泣くなよ」

「泣いてない!」

 聡介の胸を突き飛ばし、ヒトミは向かってくる敵の正面に立つ。

「ギュスターブとラーナは、有馬君をお願い」

 ヒトミの言葉に、ワニマッチョは嬉しそうに大口を開け、両腕の力コブを見せる。ケロケロは有馬の肩に飛び乗った。

「聡介、わたしが囮になる。攻撃する場所はわたしが指示する」

「ダメだ。ヒトミさんは彼らと待っていてくれ。指示なら、今聞く」

「わたしが近くで指示しないと、聡介には判断ができない」

 言い切られると、それ以上反論はできなかった。中の子どもを傷つけずに攻撃するには、彼女の言うことを聞くしかなさそうだ。

 ヒトミは聡介が納得したのを見ると、ほっとしたように息をつき、前方のマグマグマを見つめる。

「本当は、見せたくなかったな……この姿」

 言いながら、ヒトミはチョーカーを外した。彼女の首には赤い輪のようなラインがあった。

 聡介の腕に出現したのと似ている。

 赤いラインはぼんやりと発光し、ヒトミの身体を包み始めた。

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