7−2

 結局、ヒトミは二晩続けて帰ってこなかった。居場所がわかったのは三日目の朝だ。開店してすぐ、店に電話があった。堤からだ。彼女もあれから店にきていなくて、気になっていたところだ。

 堤の話によると、三日前の夜遅く、ヒトミが訪ねてきた。白ビキニにマントという変な格好でぎょっとしたが、とりあえず家に泊めたということらしい。

「すみません、本当に。ご迷惑ばかりおかけして……」

「ご迷惑ばかり? 何かあったかしら」

 とぼけた声で聞き返され、聡介は返答に困る。

 ヒトミの格好に驚いたと言っていたし、何も覚えていないのか。それとも、なかったことにしようとしているのか。堤の声音からは読み取れなかった。

「迷惑なんてことはないのよ。楽しく過ごさせていただいたわ」

 朗らかに言い、堤はヒトミとどう過ごしていたかを話した。一緒に料理を作って食べたり、テレビを観たり、庭の手入れをしたり。それから、物置の片づけを手伝ってもらって助かったと。

「すぐに迎えに行きます」

「急ぐことはないわ。今日の夕方、お店を閉めてから迎えにいらっしゃい」

 最後にそう言って堤は電話を切った。

 夕方六時、いつもより早めにCLOSEの札をドアに下げると、聡介は急いで閉店作業を済ませ、普段着に袖を通す。それから、ヒトミの着替えもリュックに詰めた。

 なんて言えばいいのだろう。とりあえず謝るか。いや、本心じゃない謝罪の言葉なんてヒトミには見抜かれてしまうだろう。

 それとも、礼を言うべきか。

『お前の父親は間違っていない。絶対』

 あのときのヒトミの言葉に戸惑った。受け入れがたかった。今も、その思いは同じだ。

 だけど。

 ヒトミに肯定されて、少し救われた気がしたのだ。

 堤の家までは徒歩十分もかからない。近づくにつれ、緊張してきた。まだ、かけるべき言葉は見つからない。

 いや、特別な言葉はかけないほうがいいだろうか。何事もなかったように『迎えにきたよ』とか。それとも、夕食に誘うか。一緒に暮らし始めてから外食なんてしていないし、帰りに冷やし中華でも食べていくか。

 よし、それで行こう。決心したところで、歩調を早めた。近いはずなのに思いのほか時間がかかってしまった。夏の空はうっすらと暮れ始め、ぬるい風が半袖の隙間から吹き込んでくる。

 ようやく辿り着いてインターフォンを押し、改めて堤の家を眺めた。立派な日本家屋だ。この家に一人暮らしでは確かに寂しいだろう。

 しばらく待つと、堤が出てきた。いつものきちんとした印象は家にいるときも変わりなく、涼しげな綿のワンピース姿だった。

「いらっしゃい。急いできたの? 頬が少し赤いわ。うちで涼んでいきますか?」

「いえ、大丈夫です。お世話をおかけしました」

 頬が赤いと言われ、余計顔が熱くなった。夕方なのに蒸しますねと手で顔を仰ぎ誤魔化す。

「ヒトミさん、何をしているの。早くいらっしゃい」

 堤に手招きされ、ヒトミはおずおずと引き戸の影から現れる。その姿に、聡介は唖然とする。冷やし中華の件などすっかり頭から消し飛んだ。

 ヒトミの姿が、あまりに眩かったから。

「浴衣……着せてもらった。これ、堤さんが若い頃に着てたんだって」

 夕闇に映える白地に藍の絞り、袖と裾には鮮やかに朝顔が咲く。朱色の帯には麻の葉模様が織り込まれ、光の加減で見え隠れした。帯と揃いの朱色の鼻緒の下駄、髪はシンプルな玉簪でまとめてある。

 古式ゆかしい大和撫子といった風情に、聡介は惚けたように口をぽかんと開け、しばし見とれる。ヒトミは、初めて身に着ける浴衣に不安げな様子だ。

「今日はお祭りでしょう。二人でいってらっしゃい」

「お祭り……今日でしたか」

 堤に言われるまですっかり忘れていたが、この時期は近くの神社で祭がある。縁日が出て、小規模だが花火も上がる。ずいぶん長い間、祭のことなんて頭から抜け落ちていた。

 ヒトミは聡介の顔色を窺うように上目遣いに見つめてくる。

 そんなに見ないでくれ。そのよく見える目で。浴衣姿にドキドキしているのがばれてしまう。

 聡介もヒトミも言葉が出ず、ただお互いの出方を窺うばかりだ。業を煮やしたのか、堤が口を開いた。

「よく似合っているでしょう。その浴衣、ヒトミさんに差し上げるわ」

「いいんですか、大事なものでしょう」

「わたしが着るには派手だし、箪笥にしまっておくよりずっといいわ。もう、思い出に埋もれるのはやめたの」

 新しいことに目を向けることにした。堤はそう話して、ヒトミに小さく頷いて見せた。それを見て、ヒトミもほっとしたように唇を緩める。

 彼女の孤独な状況は何も変わっていない。だけど心持ちが少し、変化したようだった。

「お祭り、堤さんもご一緒しませんか」

「わたしはいいわ、観たいドラマがあるの」

 ヒトミと何気なく見ていたテレビで、お気に入りの俳優を見つけたのだと言って照れたように笑う。少女の頃、こんなふうに笑っていたんだろうなと思うような、可愛らしい表情だった。

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