自棄酒

 アルコールを浴びるほど飲むためには、ビールは不向きだった。

 だって、炭酸はお腹にたまるし、なにより缶ビールって重いから、何缶も持って歩けないでしょ。

 こんな時櫂君が居たら、たくさん買ってもひょいっと軽々持ってくれるんだろうな。

 ……いや、駄目だよ。

 そもそも、櫂君が佐々木さんに連れて行かれたから、私が忙しくなっちゃって大変だったし。なんだか、胸の辺りだってモヤモヤするし。

 佐藤君まで出現して、酔っ払ってもいないのにまた肩なんか抱いて告白なんかしてきちゃうし。

 そんなんだから自棄酒なのに、櫂君が居たらなんてのは……、おかしいよね……。

 今まで何をするにも櫂君がいたから、つい頼りがちになっていることに、今更ながら自覚していた。

 ダメダメ、菜穂子。櫂君の愚痴を肴に自棄酒でしょ!

 ひらひらちゃんや佐藤君に、イライラだから飲むんでしょ!

 仕方ないので、駅前にある酒屋さんで日本酒とワイン、どちらにしようかと何度も交互に見ながら悩むこと数分。美味しそうなワインを四本選び、買ってみた。

 ビールよりも度数の高いアルコールを飲みまくって、酒に溺れてやるのだ。ついでにスーパーへも寄り道して、美味しそうなチーズや生ハムも買ってみた。

「ワインも、さすがに四本持つと重いなぁ」

 自棄酒、自棄酒。

 ずっしりと重いワインの入る袋を手にしながらも、鼻歌交じりにマンションへと向かう。

 エントランスに入り、エレベーターを待っていると後ろから声をかけられた。

「川原さん」

 振り向くと、会社帰りなのか、スーツ姿の神崎さんが立っていた。

「あ、こんばんは」

 頭を下げると、「重そうだね」と、私が手にしていたワインの収まる袋を持ってくれた。

 さり気なく気か利く。

「パーティーでもあるの?」

「え?」

「いや。ワインなんて、四本も買ってるから」

 神崎さんは、ワインの入る袋を少しだけ上に持ち上げた。

「あ、いえ。一人で飲むんです」

「え? ああ、買い置き?」

「いえ。自棄酒です」

 四本全部飲むのかよ。とちょっと怯んだような表情をする神崎さんは、その理由を訊ねる。

「……なんかあった?」

 訊かれて、口ごもってしまった。

 なんて、応えたらいいのか、咄嗟に解らなかったんだ。

 応えられないまま二人でエレベーターに乗り込んで三階に着くと、部屋の前で神崎さんが持ってくれていたワインを少し持ち上げ言った。

「自棄酒。付き合おうか」


 お互いにスーツからラフな普段着に着替えたあと、私の部屋で飲むことになった。

 まさか、また神崎さんとこうしてテーブルを間に挟んで向かい合い、自分の部屋で二人っきりになるなんて想像もしていなかった。

 しかも、前回の時は、半径一メートル以内には近づけなかったから、かなりの進歩だよね。

 ん? 進歩なのか?

 お姫様抱っこしてもらったあとに、連絡先交換の、テーブルで向き合うって。なんか退化している感じ?

 まー、なんにしても親密になってきているには、変わらないか。

 神崎さんは、四本のワインのうちどれから飲むかを吟味すると、オープナーでコルクを抜いて香りを楽しんでいる。

 私はグラスを用意し、買ってきたチーズやお肉をなるべく丁寧にお皿に並べてテーブルに置いた。

「あ、このチーズ。うまそうじゃん」

 神崎さんはワインを注ぐ前にチーズをつまみ食いすると、クシャリと顔を崩して親指を立てた。

 ああ、なんて素敵な笑顔なんでしょう。

 思わず見惚れてしまう。

「しかし。自棄酒でワインを四本買ってくるって、川原さん酒豪?」

 神崎さんは、少しだけ苦笑いを浮かべている。ザルだとでも思われているのだろうか。

「いえいえ。普通ですよ。普通」

 一応否定はしたものの、信じて貰えているような雰囲気でもない。だって、神崎さんは、おかしそうに笑っているから。

 実は、酒屋さんでワイン四本と日本酒一升とを迷った、なんて事は、口が裂けてもいえない。

 笑ってもらえるだけじゃ、すまなかっただろう。

 日本酒を選んでいたら、完璧引かれていたよね。オヤジかって。

「で、自棄酒の理由は?」

 チーズを一口食べてワインを飲むと、神崎さんが訊いてあげるよ。なんて顔をして私の目を覗き込む。

 その素敵な顔にドキリとしながら、自棄酒に至った理由を自分なりに整理してみようと口にしてみた。

「なんなんでしょうね……。こう、胸の中がモヤモヤッとして、イライラッとして。うまく説明できないんですよけど……」

「モヤモヤに、イライラ?」

 続きを促すように、神崎さんは私を見た。

「はい。たとえばー。今日、櫂君の同期の子が来てですね。あ、櫂君て、この前神崎さんに抱えてもらって、タクシーに乗せた後輩君なんですけど」

「あー、彼ね。ゆかいな仲間だっけ?」

「そうです、そうです。そのゆかいな飲み仲間です」

 応えながら笑っていると、神崎さんも肩を揺らして笑っている。

「その櫂君の同期ちゃんに、佐々木さんていう別部署の女の子がいるんですけど。どうやら彼女のPCが壊れたらしく、機械が得意な櫂君にみて欲しいってやって来たんです。櫂君は、私と同じ部署だから、連れて行かれるのは仕事に影響が出るので本当に困るんですけど。結局、一日連れ出されてしまいまして。おかげで、私一人で二人分の仕事をしなくちゃいけなくなっちゃって。迷惑な話ですよ。それに、私には酔っ払いの相手なんか軽くかわせ、なんて怒ったのに、自分は可愛い女の子の頼みをほいほい訊いて、自分のところの仕事ほっぽらかしって、どう思います? 丸々一日戻ってきませんでしたからね。ホントに、もうっ」

 私は、怒りにまかせてグラスのワインを一気に飲み干す。

 すると、神崎さんがニコニコしながら、すかさずボトルからワインを注いでくれた。

「そしたら今度は、営業の佐藤君が俺と付き合えなんて言い出して」

「へぇ。川原さんて、やっぱもてるんだ」

「へ? いえいえ、そんなんじゃないんですよ。さっき、酔っ払いの相手なんて軽くかわせ、なんて話したじゃないですか。あれ、実はその佐藤君のことなんです。クリスマスパーティーの時に、酔っ払って一度口説かれてまして。まー酔っている席ですからね。相手にしてなかったんですけど。佐藤君だって、本気じゃないと思います。なのに、櫂君がえらい怒っちゃって。さっきのセリフですよ。酔っ払いなんてちゃんとかわしてくださいよって。そんなこと言ってるけど、自分の事は棚上げじゃないですかね」

 櫂君の口真似をしながらぶちぶちと零し、「まったくもぉー」と私はまたワインをゴクリゴクリと飲んでいく。

 すると、神崎さんはまたニコニコと笑顔を浮かべながら、ワインを注ぎ足してくれた。

「でも、またその佐藤とかいう彼に、告白されたんだから、やっぱ本気なんじゃないの?」

「違いますよー。ちょっと私がパーマなんてこじゃれたことしたから、物珍しさにからかってるだけです。きっと冗談ですよ」

 私は、肩を竦める。

「ふーん」

「そうそう、ランチだって。いつもは櫂君と一緒だから、戻ってくるのを待ってたのに。連絡もないまま、結局お昼も戻ってこなくって。そしたら、その佐々木さんとお外でランチしてたんですよ。こっちは待ってるんだから、連絡くらいしてくれてもいいと思いませんか?」

 グラスのワインを、ここでまた一気飲み。

 やってらんないとばかりに次々にワインを煽っていると、神崎さんは心配そうに私の顔を覗く。

「大丈夫? 自棄酒だから仕方ないと思うけど、ちょっとペース緩めようか」

 神崎さんは、私が握っていたグラスを引き取りテーブルへ置く。それから、代わりにというように、チーズをあーん、というように私へ差し出すからカプリと口にした。

「おいし」

「さっきから、何も口にしないでガンガン飲んでるから、心配になるよ」

「そうでしたっけ?」

 愚痴を話すのに夢中になって、無意識にワインだけをひたすら体内に流し込んでいたらしい。

 せっかく買ってきたチーズやお肉も食べなくちゃ、もったいないよね。

「この生ハム、たまに買うんですけど。美味しいですよ」

 フォークで生ハムを刺して、胸元あたりに持ち上げて見せる。

 すると。

「どれどれ」

 私が刺した生ハムに、神崎さんがパクリと食いついた。

「あっ。私の生ハム~」

「うん。うまい」

 悪気のまったくない顔で、美味しそうに生ハムを食べる顔はやっぱり素敵だ。なんなら、お皿に乗ってる生ハム全部食べてください。と献上したくなるくらい。

 それにしても。

「櫂君て、本当にもてるんですよ。会社の女の子の半分は、櫂君目当てなんじゃないかってくらいです」

「それは、言い過ぎだろ」

 神崎さんは、「大袈裟だ」とクツクツ笑っている。

 だけど、そんなことはないって私は思う。

「だって、入社当時なんて、櫂君見たさに女性社員がうちの部署に押しかけてきて、部長も困り顔だったし。私なんて、席が隣で教育係なんてやらされちゃったから、みんなから目の敵にされていたんですよ。今は、大分落着いてきてますけど。あっ、そのさっきの佐々木さんなんて。私のこと、すんごい目で見るんですから。怖い、怖い」

 少しわざとらしく私は自分の両肩を抱き、怖さをアピールした。

「で、その櫂君は、そんな時どうしてるわけ?」

「どうもしません。きっと、ああいう状況に慣れているんでしょうね。周囲のことなんかお構いなしで、他人事みたいにシラーッとしてますよ」

「そっか。川原さんがそんな風に嫌な思いしているのにも、気づいていないのかな?」

「どうなんでしょうね。私もそんなことをいちいち櫂君に言ったりしないので、気がついていないんだと思います」

「じゃあ、川原さんは、嫌なこと諸々を黙って我慢してるんだ」

「我慢というか……。余りそういうのを告げ口したりするのは、好きじゃないって言うか。……あ、けど。今、神崎さんに愚痴ってますね、私」

 思わず苦笑い。

「それに、櫂君て――――」

 私が続けて話そうとすると、神崎さんが話を遮った。

「さっきから、その櫂君の話ばっかりだね」

「え? そうですか?」

「自棄酒は、その櫂君が一番の原因かな?」

 櫂君が一番の原因? そうなのかな?

 佐々木さんや佐藤君のことでモヤモヤ、イライラしていると思うんだけど。

 私は、首をかしげる。

「次のボトル、開ける?」

 訊かれてさっきまで飲んでいたボトルを見てみると、既に空になっていた。

「あ、もう空だったんですね」

 我ながら、ペースの速さに驚いてしまった。

「どうする? 開ける?」

「はい。開けましょう。今日は、自棄酒って決めてるんで」

「明日、平日だけど」

「いいんです。朝起きてみて無理だったら、お休みします」

「マジで?」

 私の答に「潔いいねぇ」クククッと声を上げる神崎さんは、「じゃあ、とことん付き合う」といったあとに、ポンッといい音をさせてワインのコルクを抜いた。

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