鈍感?

 昨日、色々と新しい物で着飾り張り切ったせいなのか。それとも、新しいヒールで捲れてしまった傷のせいなのか。何故だかイライラして飲みすぎたせいなのか。

 とにかく、今日は朝から体がダルかった。

「なーんにも、したくな~い」

 お昼近くになってもベッドから抜け出せずに、ぬくぬくとした布団の中でウトウトとしてしまう。

 朝食も口にしていないのに、珍しくお腹も空かないのは、きっと夜中にラーメンを食べたせいなんだろうな。

 太ってなきゃいいけど。

「うぅっ」

 ゴロンと寝返りを打って、ぼんやりと部屋の壁を眺めて思う。

 それにしても、昨日は幸せだったなぁ。まさか、神崎さんと一緒にラーメンを食べにいくことになるとは思わなかったし。

 更に更に、お姫様抱っこまでしてもらって。むふふふふ。

 足は痛いけど、このくらいの怪我でお姫様抱っこなら悪くないな。

 枕元に置いておいたスマホを手に取ると、ダラダラと寝ていた間にお祖母ちゃんから電話が来ていたみたい。スマホの音に気づくこともできないくらい、私ってば爆睡していたのね。

 もぞもぞと、布団の中からお祖母ちゃんに折り返す。

「もしもし、なに?」

 名乗りもせずにそう訊くと、くぐもった私の声を聞いたお祖母ちゃんが呆れているのが電話口からでも判った。

「なんだい。まだ寝てるのかい? 休みだからって、ダラダラしていたらお嫁にいけないよ」

「お嫁にいけそうになったら、早起きするよ」

「ああ言えば、こう言う」

 更に呆れかえるお祖母ちゃんに、用事は何かを訊ねた。

「空き物件を探していたんだろ? 少し駅から離れてしまうけど、年明けに空く予定の物が一つ出たよ」

「えっ、本当。それはよかった。じゃあ、それキープしておいてよ」

「余り長いこと保留にはできないからね」

「ありがと」

 早速、櫂君へ連絡してあげよ。

 ぬくぬくと潜っていた布団からパッと起き上がり、LINEの画面を開いたら頭がクラクラッときた。

「あれれ? まだ二日酔いの続きかな?」

 焦点が定まらずに、またそのままベッドに倒れこむ。

「そうか。朝から何にも食べてないからだ」

 お腹が空きすぎて目を回すなんて、櫂君に話したら笑われそうなネタだよね。

 何か食べなきゃいけないけど、布団から出たくないなぁ。

 お祖母ちゃんに叱られても、ダラダラからはなかなか抜け出せない。

 スマホの時間を見てみたら、もう少しで一二時だった。

 布団に潜ったまま、取り敢えずLINEで櫂君に物件のことを伝えると、詳しく訊きたいから今からこっちへ来るらしい。

「私と違って、元気だなー。フットワークの軽さが違うよね。若さか? いやいや、そこに触れてはいけない」

 ブツブツと独り言を呟きながら、せっかくなので何か美味しい食料を持参するようお願いした。

「櫂君が来るまで、もう少し寝てよっと」

 櫂君が美味しい食べ物を持ってくるのを期待して、私はまたウトウトとしてしまう。


 どのくらい経ったのか。インターホンがしつこく鳴っているのに気がついた。

「五月蝿いよぉ……」

 モゴモゴと布団の中に頭まで潜り込んでから、櫂君が来ることを思い出し、ダルイ体に鞭打ってベッドから這い出る。

 パジャマのままだけど、櫂君だからいいよね。

 カーディガンを上から羽織り、寝起きでぼんやりした顔のまま玄関ドアを開けて出迎えた。

「いらっしゃーい」

「……寝てたんですか……。どおりで、電話もインターホンもスルーのはずですよ」

 呆れた溜息と共に、袋に入った食料を手渡される。

 袋の中身を覗くと、デパートの地下食料品売り場で仕入れた高級感満載のお惣菜がたくさん入っていた。

「わぁおっ」

 嬉しさについ目が輝く。

「あがって、あがって」

 美味しそうな惣菜たちに、現金な笑顔を浮かべて櫂君を部屋に招くと笑われてしまった。

 美味しい物に目がないのが、わかりやす過ぎたのだろう。

「何時だと思ってるんですか。もう一三時過ぎてますよ」

 現金な私を見て笑っていた顔を、少しだけ引き締めた櫂君が溜息を零す。

「あ、そうなんだ」

 時間をまったく気にせずにいたら、もうそんな時間なんだ。一日が終わってしまうな。

「だって、だるくって、何にもしたくなかったんだもん」

 唇を尖らせて訴えかけると、櫂君が少し眉根を寄せる。それからマジマジと人の顔を見始めた。

 ん? もしかして、涎のあとがついてる?

 さすがにそれは乙女としてないだろう、と口元を手で拭ってみる。

「何やってるんですか」

 そんな私を見て、櫂君が更に眉根を寄せた。

「いや。あんまり櫂君がガン見するから、涎のあとでもついてるのかと思って」

 ヘラヘラ笑うと、また溜息を一つ零されてしまった。それから徐に近づいてきて、おでこに手を伸ばしてきた。

「熱、ありますね。ダルイのは、そのせいですよ」

「え? 熱? ホントに?」

 櫂君に言われて驚いてしまった。

「自分の事なのに、気がつかなかったんですか?」

 体温を測ってみると、確かに熱があった。

「気づかなかったよ」

 どおりで、何もする気になれないと思った。

 体温計の三八度二分という数字を確認したら、なんだか急に気分が悪くなってきた。

「結構あるじゃないですか。よく今まで平気でしたね」

 平気というか、ずっと寝ていただけだからね。

「けど、もう駄目。また寝る」

 駄目といいながらも、しっかりと買ってきてもらった惣菜の袋を抱えてベッドへ潜り込んだら、「そこで食べないで下さいよ」と櫂君に釘を刺された。

「だって、食べたいんだもん」

「子供ですか」

 呆れながらも、苦笑いの櫂君が惣菜をお皿に並べてくれている。

「布団が汚れるし、行儀が悪いですよ。ちゃんとここに座って食べてくださいね」

 テーブルにはあったかいお茶も用意されていて、勝手知ったる我が家のように、櫂君が甲斐甲斐しく私のお世話をしてくれる。

 私、介護老人みたいだな。手厚い介護、よろしくお願いします。

「風邪薬は何処ですか? それとも、病院いきますか? 土曜の午後でもやっているところ、きっとあると思うので」

「じゃあ、食べたら病院に行く」

「解りました。食欲があってよかったです」

 笑顔の櫂君は、すぐにスマホを取り出し病院を検索してくれる。

 至れり尽くせりです。

「昨日、あんな寒いベランダになんて出ちゃったからじゃないですか?」

 パーティー会場で、櫂君と言い合いになった時のことだ。

 確かに、あそこは寒かったな。上着なしだったから、一気に体温奪われていったもん。

 だけど、それよりも――――。

「昨日の夜。帰ってから、神崎さんとラーメンを食べに行ったのもあるかも。すっごく寒かったもん。ついでに足も痛かったし」

 痛みを思い出したら、自然と顔がしかめ面になる。

「ちょっ、ちょっと待ってください。なんですか、それっ?」

「え? だから、マンションに戻ったら、小腹の空いた神崎さんと丁度会って、私も何も食べてなくてお腹が空いてたから。あ、ほら。前に櫂君と食べに行ったラーメン屋さん。あそこへ一緒に食べに行ったの。けど、帰りも寒くってさー。風邪引くかと思ったよ……って、引いてるし」

 一人突っ込みをして笑っていると、櫂君が眼を見開いて私を見ていた。

「今の、笑うところなんだけど」

 少し苦しくなってきた呼吸と、胸の辺りの気持ち悪さに深く息を漏らしながら櫂君に言っても、ピクリとも頬を緩めてくれない。

 仕方ないから、取って置きの情報を教えてあげることにした。

 これを聞いたら、さすがの櫂君もぶっ飛んで一緒に喜んでくれるよね。

「それでね。ヒールで足が痛くて歩けなくなったら。神崎さんがお姫様抱っこをしてくれたんだよ。凄くない? もう、夢心地ですよぉ」

 むふふふふ。

 思い出したら、またニヤニヤが止まらなくなって来た。

 緩んだしまりのない顔のまま、櫂君も一緒に喜んでくれているだろうと様子を見ていたら、何故だかスマホを握り締めたまま、完全にフリーズしてしまった。

「あれ? かいくーん?」

 櫂君の顔の前で手を振ってみても、瞳孔が開いたみたいに魂が抜けている。

「驚きすぎて、言葉もない? だよね。私だってびっくりしたんだから。一応ね、悪いなと思って断るには断ったんだよ。けどね、神崎さんがゴチャゴチャ言ってないでサッサとしろってな感じだったものだから、つい甘えてしまいましたのですよ。むふふふ」

 思い出し笑いをしていると、櫂君が不意に俯いてしまった。そうして、絞り出すような苦しげな声を出したんだ。

「なんなんですか……神崎さんて……何考えてるんですかっ」

「へ?」

「ストーカーなんて、菜穂子さんのこと言ってたくせに……なんなんですかっ」

 暗く沈んだ声を床に向けて零す櫂君は、神崎さんに怒っている様子だ。

 握ったこぶしを床について、何かを溜め込んだみたいに体が小刻みに震えている。

「どしたの? 何で櫂君が怒るの?」

 様子がおかしくなった櫂君に、私はちょっと動揺してしまう。

 お姫様抱っこの話で盛り上がれると思ったのに、まったくそなん雰囲気にならない。

 櫂君の怒っているような様子に不安になってきても、私はどうすればいいのかわからなかった。それと同時に更に熱も上がり始めているのか、脳内のクラクラが二倍増しくらいになってきた。

 クラクラしながらも、俯き何も言わなくなってしまった櫂君のそばへより、「大丈夫?」と背中に手をやり声をかけてみたけど何も言わない。

 胸の辺りの気持ちの悪さを抱えながら、怒っているような落ち込んでいるような櫂君の肩に手を添える。

「もしかして、櫂君も風邪ひいちゃってる? 熱があるの? 体温計ってみる?」

 理由を見つけられないくて、とにかく体温計を差し出すと、その手をぎゅっと握られた。

「菜穂子さん……」

 俯いていた櫂君がゆっくりと顔を上げる。その表情は悲しげに歪んでいて。女の子なら、ここでどっと涙が溢れ出してしまうんじゃないかってくらい瞳が揺らいでいた。

「櫂君?」

 どうしちゃったの? 何でそんなに悲しい顔をしているの?

「僕は……」

 何かを言おうと口を開きかけて、躊躇うように一度閉じる。

 その口元を見つめながら、私は意識がぼんやりして行くのを感じていた。

 どうしよう。気が遠くなってきちゃった。

 櫂君が何か大切なことを言おうとしているみたいだけど、それを聞く余裕が……ない……かも……。

 櫂君に手を握られたまま、私は櫂君へ倒れかかってしまった。

「えっ?! 菜穂子さん? 菜穂子さんっ!」

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