ストーカー?

 半休を使ってまで追っかけた甲斐あって、私は愛しい彼のお名前を知ることが出来た。その名も“アツヒロ”!

 あぁ、なんて素敵な響き。“ア”と聞いただけで、心がうっとりとしていく。

 両手を胸の前で握り締めながら、社員が既に仕事に精を出しているフロアへと踏み込めば、机に向かっていた櫂君が気づいてじっとりとした目を向けてきた。

 そそそっと、上司の目を盗むように櫂君の隣にある自席へと行く。

「おはよ。櫂君」

 バッグを机に置いて椅子に座ると、「まったく、はやくないですから」と皮肉られ肩を竦める。

 「ところで。なんて誤魔化してくれたの?」

 遅れる理由を部長にどう報告したのか訊ねると、しらっとした顔のあとにニヤッとされる。

 ちょっとぉ、なにその不敵な笑みは……。嫌な予感。

「“前日に食べすぎて、お腹を壊してしまい。トイレから出られなくなったそうです。”と言っておきました」

「か、櫂君の……いけずぅ」

 悲しげに櫂君を見ていたら、部長がやって来た。

「川原。もう大丈夫なのか? 腹が痛いなら、我慢せずトイレに行っていいからな」

「え……。あ、はい……」

 部長からのセクハラにも受け取れる気遣いに苦笑いを浮かべて返事をしていると、隣に座る櫂君が俯いたまま肩を揺らしている。

 声を殺して笑うな。

部長が席を離れてから、半休届けに“腹痛のために”なんちゃらかんちゃらと遅刻の理由を書きながら、今朝のことを櫂君に報告した。

「完璧に怪しい女じゃないですか」

 送れて出社してきた私の話を聞いて、櫂君は無碍もなく言い切った。

「だいたい。それって、ストーカーですよ」

「えっ! ストーカー!? この私が?」

 櫂君の言葉に余りに驚いて訊き返すと、大きく頷かれた。

 それはマズイ。ストーカーなんて、れっきとした犯罪行為じゃないのよ。訴えられたら、捕まっちゃうよ。永久に彼に近寄るな、的な約束させられちゃうじゃん。

「それは、困るっ!!」

 何とかしなくちゃと必死になって櫂君へ言うと、呆れた顔を向けられる。

「いえいえ。困っているのは、訝しそうに菜穂子さんのことを見ていた彼の方ではないかと……。きっと、恐がっていますよ」

 櫂君は呆れたのを通り越してしまったのか、自分の仕事に取り掛かり始めた。一目惚れ様の貴重な話を、片手間で聞くなんてなんて罰当たりな。

しかし――――。

「恐がる? 私を?」

「はい」

 訊ねる私の顔を見ると、仕事の手を止めしっかりと頷き返す。

 これは、驚きだ。まさか彼に恐怖を与えてしまっていたなんて。愛を与えるつもりが、とんだ誤算だわ。

「わざわざ半休使ってまで追っかけるのとか、もうやめたほうがいいですよ」

 櫂君は、再び呆れた溜息を零し私を見る。その目がなんとなく私のことを可哀相な奴、的に見ている気がするんだけれど……。

「けどねぇ。こうでもしないと、彼の事を知りようがないんだもん」

「別に知らなくってもいいじゃないですか」

 えぇー。櫂君が私次第だって言ったから、彼のこと知ろうとしたのにぃ。

 不満を口には出さなかったものの、膨れた私の顔を見て察知した櫂君が、「やり方を変えてください」

と窘める。

「どういう風に?」

 私は膨れっ面のまま訊き返す。

「ちゃんと話しかけて、自分の気持ちを告白するとか」

「それで撃沈したらどうするのよ」

「それはもう仕方のないことなので、諦めてください」

「簡単に言わないでよぉ」

 久しぶりに心がきゅんと愛を求めたというのに、簡単に撃沈するわけにはいかないのよ。

「それとも、警察のお世話になりたいですか?」

 け、警察……。

 櫂君に脅されて、私は渋々ながらもコソコソと嗅ぎまわるのはやめることにした。


 コソコソ嗅ぎまわるつもりは毛頭なかったのだけれど、これぞまさに“運命”ではないでしょうか。帰りの電車内で、彼と私は又も一緒になったのだ。

 ふっふっふっふ。わっはっはー。

 どうだ櫂君。私と彼は、ぶっとく赤い糸で繋がっているぞ。

 ふっ、と笑いを零し、悦に入ってしまう。

 私は興奮に鼻息も荒く彼の動向を窺ってみると、相変わらずスマホにご執心のようで、二つ隣のつり革に掴まったまま画面に見入っている。

 そんな彼を私はガン見……、したいところだけれど、今朝方あとをついて行って恐がらせてしまったかもしれないことを思い、見すぎるのはマズイと視線を逸らす。私だって少しは学習するんだから。

 直にガン見できないのなら、夜の車窓に映った彼をガン見するのだ。

 私ってば、賢い!

 それも立派なガン見です。という櫂君の声が聞こえてきそうなのを振り払い、私は愛しの彼を観察する。

 スマホで何してるんだろう? ゲームかな? それとも調べ物? 友達とLINE?

 気になる、気になるー。

 そのうちに、私と同じ最寄り駅で彼は降りた。

 当然よね。落し物を拾ったくらいだから、同じ駅を利用しているに決まってるもんね。

 問題は、何処に住んでいるのか? って話よ。

 でも、このままあとをつけて行ったら、本当にストーカーになっちゃう? でも、知りたいっ。アツヒロさんのお家が何処なのか、知りたいよー。

 誘惑に勝てなかった私は、彼の後をちょっとだけついて行くことにした。

 うん。本当にちょっとだけだよ。

 駅から直ぐの商店街を歩いて行く彼。その数メートル後ろを私もついていく。

 というよりも、私の帰る道順もこっちなんだから、つけてる事にはならないよね?

 いえ、立派なストーカー行為です。という櫂君の声が頭の中を駆け抜けたけれど、無視無視。

 それほど長くない商店街を抜けた先には、大通りがある。私の家は、この通りを渡って直ぐのところにあるのだけれど、残念なことに、彼の家はこっち方向じゃないらしい。通りを渡らずに大通りに沿って行ってしまった。

 追いかけたい欲求を一生懸命に抑え込み、私は離れていき見えなくなる彼の背中をいつまでも見つめていた。

 アツヒロさーん。また電車内でお逢いしましょうね~。

 見えなくなった背中に、私は大きく手を振るのだった。

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