一目惚れ?

「素敵男子だったんだけどなぁ」

「なんですか。それ」

 自席の椅子をギシギシ言わせながら定型業務を適当に仕上げていると、隣の席から呆れた声がした。

 それほど広くもないフロアは、私の身長ほどのパーテーションで簡単に区切られている。

 営業に経理に総務に広報。他色々。

 その中でも、何でも屋的なうちの部署。総務第二課と、なんとも真面目な名前がついているけれど、やっている仕事は雑用や他の部署のやらかしちまいました的な後始末ばかり。

 ようするに、クレーム処理ね。胃が痛いっつーの。

 そんな雑用を隣の席に座る私の後輩、藤本櫂君ふじもとかいは、今日も真面目にコツコツこなしているわけです。

 よっ。会社の鏡!

「だから。落し物の乗車カードを拾ってあげてね」

 私は、朝のできごとを再度口にする。

「それは聞きましたよ。あ、まさか、一目惚れ、とか言わないでくださいよ」

 櫂君が、勘弁してくださいよ、という顔を私に向ける。

 何を勘弁して欲しいのかはわからないけれど、どうにもそんな顔にしか見えないのだ。

 そんな櫂君が言った、まるで学生みたいな一言にひっかかる。

「一目惚れ?」

 そうか。これは、もしかしての一目惚れなのか?

 そして一目惚れならば、わたくし川原 菜穂子かわはらなほこ人生初の経験ではないでしょうか。

 恋多き人生ではないけれど、あんな一瞬で虜になるなんて自分でも驚きだわ。

 とにかく素敵だったのよ。あのスーツ姿も、サラリとしたヘアスタイルも、長い手足も。

 全てに見惚れてしまっていたんだもの。

 何なら、彼が持っていた鞄になりたいくらいだわ。

 視線を上に向けて朝の彼を思い出していると、出社時からバリバリと仕事をこなしている櫂君が目の前でパンパンと大きな音を立てて手を叩いた。

 目を覚ましなさい、とでも言われているようだ。

「はーい。そこまで。それ以上余計な事は考えないでくださいよ、菜穂子さん」

「何よ、余計なことって」

 不満顔で見返すと、まあまあ。なんて軽くあしらわれる。

 私の抱く淡い恋心を難なく砕き落とすように、櫂君は仕事という現実を容赦なく突きつけてくる。

「今日も忙しい時間の始まりですよ。ちゃっちゃと片付けちゃいましょうよ。ね」

 言葉と共に資料がドサリと机に置かれた。

 その厚みにげんなりしている私へ、後輩の櫂君は小悪魔的な笑顔を向けてくる。

 何だその憎めない笑顔は。そんな可愛らしい顔したって、私は騙されないぞ。

 櫂君は、この会社に入ってまだ一年半の新人君だ。どこぞのアイドル系とでも言うのか、二重のクリッとした目はなんとも愛らしい。なんなら、あなた女の子でしょ? と言いたいくらい私なんかよりも、ずっと可愛い。

 身長は高いといえるほどではないけれど、一六三センチにヒールを履いた私よりは高い。

 とっても仕事の要領がよくて賢くて、私はいつも彼に助けられている。

 心強いというか、自分のふがいなさに情けないというか……。

「ああ、菜穂子さん。ここの数字、間違ってますよ。やり直してください」

「はーい」

「返事は伸ばさないでください」

「はい。承知しました」

 まったく、どっちが先輩だかわかったもんじゃないのである。

「川原ー」

 櫂君に指摘された数字を入力しなおしていると、部長からのお呼びがかかった。

 部長は、椅子に座ったままで私に一言告げる。

 また、あれか。

「会議室いってくれ」

 やっぱり……。

 数字には弱い私だけれど、PCの入力だけはやたらと速い。おかげで、会議のたびに会議議事録を頼まれる。まさに何でも屋だ。

 使えないと思われるよりはいいけれど、会議って、本当につまらないのよね。

 ノートパソコンを片手に、「いってきます」と櫂君へ言って席を立つと、「頑張ってくださいねー」なんてヒラヒラ手を振りお見送りをしてくれた。

 そうして約二時間後、同じスタイルで私は席に戻るのだ。

「ただいまー」

「お疲れ様でした。どうでした、今日の会議は?」

「どうもこうもないわよ。いつもと一緒。やる気あんのかね、うちの営業は」

 愚痴りながら席に着く私へ、帰ってくる時間が判っていた、とでもいうように労いの言葉とともにコーヒーが手渡される。

「熱いから気をつけて下さいね」

 言われなくても淹れたてだと判るほど、湯気がしっかりと上がっている。

「櫂君て。気遣いばっちりだよね」

 カップのコーヒーに息を吹きかけて冷ましていると、「そうですか?」なんてとぼけた顔をしてみせる。

 周囲の状況はよく見ているし、判断も早い。彼は、物凄いスピードで出世して行くのではないだろうか。どんなできる社員になるのか、先が楽しみだ。

「出世したらさ、私のお給料上げてよ」

「僕、何処まで出世したらいいんですか?」

 他力本願な私の発言に、櫂君が噴き出し笑っている。

「私なんて、入力がスペシャルに速いくらいで、他になーんにも取り得ないし。しかも女性なんて出世コースに乗るの難しいじゃない?」

「で、僕に上を目指せと? しかも、スペシャルにってさりげなく自分の能力自慢してるし」

 櫂君はクククッと笑うと、帰りに飲みに行きましょうよ。と誘ってきた。

「いいねぇ~」

 一瞬で、汗をかいたビールジョッキが脳裏に浮ぶ。

 さっさと仕事、片付けようっと。

 彼は、私の飲み友達でもあるんだ。

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