自宅巡り その二(2):地鐸の申し子、地底の迷い子
人々が知る地鐸の恩恵とは、あくまでその壮大な神通力の一部に過ぎないのかもしれない。
これはそんな地鐸にまつわる怪現象の一例である。
自宅警備とは血族の生業であり、その多くは世襲によって次世代へと引き継がれていく。
つまり、自宅警備員候補となる子供たちの多くは、その成長の過程を自宅と共に過ごしている。
言わずもがな、自宅とは自宅でありながら聖域であり、地鐸を祀る神殿なのである。
そんな聖域で生まれ育った彼らの中に時折、奇妙な感覚に目覚める子供がいる。
その直感は天啓である。
彼らはどれだけ遠く離れていても自宅の位置を見失う事がなく、見知らぬ土地でも迷子にならず最短距離の帰路を歩いていく。
子供たちはまるで無意識に導かれるように、その場その場で最適な道を選び取りながら一切の迷いもなく帰宅を果たすのだ。
この奇妙な帰巣本能について、現代科学においても明確な理屈付けは不可能である。
さらに、その子供たちの証言や検証の結果によって地鐸に原因がある事を知るや、科学者たちはこぞって匙を投げだした。
地鐸にまつわる怪奇現象は、もはや現代科学においてアンタッチャブルになりつつあった。
そんな学会事情はさておき、地鐸との共感覚を持つ者の存在は多くの自宅警備員には秘匿、というよりも、あまり信じられてはいなかった。
地鐸が人を選ぶ、という事実が自宅警備員には重すぎたという側面もある。
これだけ地鐸の為に尽くしながら、その愛が自分には向いていないかもしれない。この事実がどれだけそのプライドを傷つけるか。
考えてしまえば発狂しかねない事実だけ、端から迷信とくくって相手にしない者が大多数を占めるのもやむを得ない話ではあった。
そんな中、熱烈な地鐸信仰を信条とする
一世代に一人か二人。必ず出て来るその異能者を指して、人は彼らをこう呼んだ。
地鐸に愛された子供たち――――『地鐸の申し子』と。
■ ■ ■
「大飯田の
その後ろ姿はすでに巫女衣装ではなく、元の動きやすい汚れた浴衣姿に戻っている。
二人は木材で簡単に舗装された段差を一歩一歩、確実に踏みしめながら、その道を下っていく。
「元々、廣田も他の自宅警備員と同じように地上に住んでたんだが、初代が根っからの地鐸信奉者でよ。お前も知ってるだろ? 地鐸は地中に埋めてその大地の気をどうたらこうたらって。実際はどうなのかは知らねえよ。でもそういう風に言われてるし、事実としてうちの一族はそれを信じてる。お前んとこ、
急に話を振られて、少年・
自圏の警備状況を他人に漏らしていいものか、躊躇した為である。
しかし、これから向かう先を思えば、今、自分が知る実情をつまびらかに明かす事こそが誠意ではないかと思えた。
「……実物を見た事はないですが、父の部屋の床下に埋蔵してあると聞いています」
「やっぱ他所はそうなのか。……でも、うちの先祖はそれで満足しなかった。地鐸の為を思えばもっと深くに埋めるべき、って考えたんだ。もっともっと深く深く。それを息子が継いで、さらにその次の代も掘ったんだ。掘って、掘って、掘って、掘って、掘って。そして出来上がったのがこの大迷宮」
大飯田地下迷宮のはじまり。それは地鐸への信仰によって始まった、一途なまでの掘削作業。
そんな一人の男の思いを受け継いだ、廣田が一族の結晶であった。
「いつの間にか掘る事自体が地鐸に対する奉仕活動になっててよ。今じゃ神州でも土を掘る事にかけちゃあ大飯田がブッチギリ。そういや最近、よそでも地鐸を安置する為の地下施設が増えてるそうだが、あれに使われてる技術はほとんど廣田が生み出したもんの応用なんだぜ。すげえだろ」
だが、そんな熱い一族の思いとは裏腹に、宇佐の言葉にはどこか一歩引くような、冷めたものを感じさせるのも事実だった。
継嗣の頭にふと
「廣田さんは、地鐸を信じていないんですか?」
地鐸を信じない自宅警備員・観音寺長虫。
小柄な廣田宇佐の姿が、なぜかあの巨漢の白い怪人と重なって見えた。
「……そう見える?」
何気なく訊ねた言葉に、宇佐の歩みが止まっていた。
振り向いて見せた小豆色の瞳は、その心の動揺を示すように揺れている。
暗がりに怪しく煌めく女の瞳に、継嗣はとっさに言葉を返せなかった。
「……あんたも地上の街は見てきただろ?」
大飯田の温泉街。
昼は活気と湯気がたちこめ、夜ともなれば隅々までをネオンの光が照らし出す、神州でも有数の温泉街である。
実は継嗣もその一角に宿を求め、この地下迷宮に挑む前に鋭気を養うべく、半日ほど温泉三昧な時間を楽しませてもらっていた。
「あの温泉街の七割が、廣田の所有物だっていったら驚く?」
「えっ」
「ふふっ、名義は変えてるけどな。実際に運営してるのは分家の連中だから他圏の連中は知らねえだろうが、あの街を作ったのは紛れもなく廣田だよ」
予想通りの反応に気を良くしたのか、宇佐は悪戯っぽく笑うと再び薄暗い道を歩き出した。
道は次第に荒削りになり、足下にも注意が必要になってくる。
しかし宇佐はそんな事はおかまいなしに、慣れた足取りで先導しながら軽口を続けた。
「元々は温泉以外には何もない土地だったからね。先祖さまもなんとかしたいって気持ちがあったらしいんだけど、先立つものがなくってよ」
自宅警備員の給金が破格であるとは言え、圏そのものを活性化させる金額となれば個人の手には余る代物である。
だが、地上の巨大な温泉街は廣田の所有物であると云う。
ならば、それを可能としたものは何なのか。
「地鐸ってほんと何なんだろね。あたしら廣田の家がこうまで信仰に篤くなったのにも理由があんだよ」
「理由、ですか?」
「代々の自宅警備員が初代の遺志を継いだのは事実。でもだからって馬鹿正直に、どいつもこいつも素直に初代の掘削事業を継ぐと思うか?」
どこか自虐する風に宇佐は言った。
――――見返りがあったんだよ。
「まず最初に見つかったのは金銀財宝だ。初代が深きを目指して掘り進めた先で偶然、大昔に埋蔵された宝箱が見つかったらしい。それからこの地域でも見なかった鉱物、宝石の類い。歴史的に価値のある文化遺産なんかが発見されて、みるみるうちに廣田の財産は膨らんだ」
後の話は簡単だった。
その金で街を興し、観光資源を整えて神州にも稀な一大温泉街を築き上げるに至った。
そんな廣田の歴史とは、やはり尋常なものではない。
「この辺りは昔から掘削事業が盛んだったが、いくら掘っても金目の物なんて見当たりゃしなかった。それがいきなりだぜ? 偶然と割り切るのはどう考えたって無理がある。だからあたしらは一層、地鐸を信じた。そして掘り続けた。その度に金になるものが見つかって、また信仰する気持ちが強くなっていったんだ」
「もし、それが本当なら……」
「なんで他圏に教えないのか、って言いたいのか? 教えたんだよ。でも誰も信じやしねえ。だからこそ余計に、あたしらは頑に信じたんだ」
積み重ねられていく信仰のサイクル。
掘れば掘るほど、代を経れば経るほどに、その信仰は洞窟と同じく深さを増していく。
「特に先代の
「もうお亡くなりに……?」
「バカ! 勝手に殺すな! ……ただ、自宅警備員を辞めてからは一気に老けちゃってね。今は呑気に温泉道楽の日々を送ってるそうだよ」
「すいません……」
「それで、まぁ、その、オヤジの後を継ぐあたしの重責ってのも生半可じゃなくてね。オヤジが言うのさ。掘るべき場所は地鐸が教えてくれる。無心で掘り続けろ、って」
父がその後を継ぐ娘に残した助言。
だが、それにしても奇妙な言葉だった。
一聞して、ただの人生訓のようにも聞こえる。が、その中に意味のわからない単語が含まれている。
「掘るべき、場所?」
「あたしら廣田の自宅警備員はなんとなく『掘るべき場所』ってのが分かるんだよ。そしてそこを掘り進めるとやっぱり何かが見つかった」
それはにわかには信じ難い話だった。
観音寺のうどん神話でもあるまいが、地鐸がそこまで即物的な奇跡を起こした話など聞いた事がない。
だが事実として、今も地上ではあの広大な温泉街が栄え盛っている。
そこに異論を挟む余地があるのだろうか。継嗣はうなり返すことしか出来なかった。
「大飯田のやつらは狂信者でありもしない事を触れ回る。そんな風に言うバカもいるらしいけどね。あたしらは嘘なんかついちゃいない」
宇佐はそんな風評を軽い口調で吐き捨てる。当然、背後の継嗣からはその表情を窺い知る事が出来ない。
だが、その後ろ姿からはありありと悔しさがにじみ出るようで、ましてやその奥に隠された表情など見るまでもなく屈辱に歪んでいるはずだった。
「掘れば出る。これは揺るぎようのない事実。だから廣田の人間はこの大迷宮を作り上げた。そこまではいい」
宇佐の声は少しづつ大きくなっていた。
人がやっと一人通れるほどの道を往けば、その声はなお洞窟の中に響き渡る。
「でもあたしは考えちまうんだ。あたしらが掘り進んでるのは地鐸の為なのか、それとも金の為なのか」
語りはいつしか自問自答の気を帯びていた。
暗がりの中、宇佐の右手に握り締められた電気ランプが震えている。
「初代の廣田は確かに地鐸の為に掘った。先代の親父もそうだった。だが他の代はどうだ? ――――あたしはどうなんだ?」
これまでの短い会話で分かっていた事だが、宇佐は激情の人だった。
その怒りが今、自分自身に向かって燃え始めている。
「地鐸の為に掘ってんのか? 地上の温泉街をさらにでかくするための金欲しさに掘ってんじゃないのか!?」
ふいに継嗣の顔を熱風が煽った。
後ろから見ているだけで、今にも弾けそうな気溜まりが宇佐を中心にして膨らみ始めていた。
だが、その気勢は形にならず洞窟の闇に散っていく。
長く続いた下り道が、とうとう終点に到着したのだ。
「……そしたら分かんなくなっちまったんだよ。掘るべき場所、ってやつが……」
大飯田大迷宮。その最深部。
宇佐が地面に転がっていたスイッチを手にすると、たちまち吊り電球が灯り、その全容を明らかにしていく。
廣田宇佐自ら掘り下げ、掘り広げ、掘り固めた地鐸を祀る大空洞。
本来、自宅警備員がその地鐸を祀る場所に他人を招き入れるなど、あってはならない事だった。
現に継嗣は東都圏の自宅で生まれ育ちながら、そこに祀られる地鐸を目にしたことすらない。
そんな場所に足を踏み入れてしまった継嗣は、今更ながら自身の軽率さを後悔していた。
ここは自宅警備員以外の人間が立ち入るべきではない空間。
地熱を伴った空気で顔を炙られる度、まるで来る者を拒むような嫌な気配が肌を突き刺すのだ。
そして継嗣の眼の前に広がるのは無数の穴。穴。穴。
無差別に掘られ、そのまま放置された迷走の残骸。その禍々しい景色に、継嗣は呑まれていた。
無意識に後ずさる継嗣を横目見て、宇佐は言った。
「――――なぁ、継嗣。あんたのその直感に、頼みがある」
継嗣は愕然とした。
宇佐の小柄な背丈から伸びる影が、見知らぬ土地に足を踏み入れてしまった迷子のように細く震えていたのである。
それまで勝ち気に見えた女の印象が、今では見る影もない。
薄暗い洞窟の中で立ち尽くす女の影に、継嗣は後ずさりかけた足を一歩前に踏み出した。
いかなる無理難題が降り掛かろうとも、自宅警備員を目指す者に後退の文字はない。
継嗣の返事は、既に決まっていた。一度でも腹を据えてしまえば顔を炙る熱気も涼風に等しい。
継嗣は目じりを決して言う。
「それで、俺は一体何をすれば?」
火中に飛び込む勢いで足を踏み出したが、当の宇佐の返答は至ってシンプルなものだった。
覇気のない声で宇佐が答える。
「あんたは示してくれるだけでいい」
「……示す?」
「場所だ。あんたは『掘るべき場所』を示してくれるだけでいいんだ」
掘るべき場所を示す。
そう事も無げに言いながら、しかし宇佐はいまだ恐れるような目つきで自らが守るべき『自宅』を眺めていた。
継嗣もその視線を追って、あらためてその空間に目をやった。
地の底は思っていた以上に明るかった。
天井には複数の裸電球が吊るされており、どれも直視すれば目がくらみそうな輝きを放っている為か、地底とは思えぬほどに明るい。
だが、そこかしこを無遠慮に照らしながら、それでもその全容を見渡す事が出来ないのは「穴」のせいだった。
そこには無数に、無差別に掘り返された穴ぼこが手つかずのまま放置されていた。
まるでチーズのように連なる穴が黒点となり、見渡す限りに広がって点描の闇を形作っている。
それは紛れもなく宇佐が作り出した迷走の跡であった。
「これでも昔はいつでも地鐸とバッチリ繋がってる感覚ってやつが、あたしにもあったんだよ」
宇佐はどこか気恥ずかしそうに、まるで言い訳でもするような口ぶりだった。
眉間には特有の暗さがある。
「なのに、今じゃどこを掘ってもしっくり来ねえ。最初はここじゃないかと思って掘り進めてみると徐々に変な感じがして違和感を覚えちまう。そんで次のとこ、次のところって掘った結果がこの有様だ。まったく、笑っていいぜ」
言われてみれば、この掘削された空間の広さもまた異常だった。
これまで迷宮で見かけた空間は、どれも元あった自然の空洞をそのまま活かして作られた物だった。
だが、この空間の壁はどこも荒々しく削り取られた跡がある。それはつまり宇佐が自身の手で切り開き、この広さにまで無差別に掘り広げた事を現していた。
前後左右、どころか上下に至るまで迷い、掘り抜いてしまった。
その部屋は宇佐の迷妄を示すように、かつてない広さを晒してしまっている。
だが、継嗣はそんな迷いを軽蔑したりはしない。むしろ苦笑を伴って答えた。
「廣田さん、俺だって似たようなもんです」
「あ?」
「迷走に関しては俺の方が上じゃないですかね」
努めておどけるように継嗣は言った。
「現に今、ここにこうして居る事自体が迷走中ですから」
たとえ推薦状を集めたところで継承権を取り戻せる保証など、どこにもないのだ。
いや、振り返ればその半生自体が迷走によって形作られたと言っても過言ではなかった。
「そんな奴に頼ってるあたしも、いよいよ焼きが回ってるってか」
「そういう事ですかね」
強張った表情からやっと笑顔に流れて、宇佐は平生の調子を取り戻したようだった。
蒸し蒸しとした暑さの中にありながら、むしろ水を得た魚の振る舞いで首を鳴らす。
「まぁ、あんたもそう捨てたもんじゃないぜ。何せ『地鐸の申し子』なんだからな」
『地鐸の申し子』
聞きなれない言葉の響きに眉をひそめた継嗣の表情を察し、宇佐は説明を付け足した。
「いるんだよ。稀にそういうやつが。地鐸と感覚を共有できる体質、とでも言やあ良いのか。お前が『懐かしい』といった感覚の正体がそれだ」
「俺が……?」
「でもあんま過信はすんなよ。いつ無くなってもおかしくないくらい希薄な力なんだから」
とっさに沸いた感慨を、宇佐は冷えた言葉で打ち消した。
言葉には妙な実感のこもった重みがある。
不思議に思う継嗣だったが、その答えはすぐに返ってきた。
「あたしも、そうだったから」
懐かしみながら、それでいてどこか後悔がにじむ声だった。
かつて地鐸の申し子だった女が、今はその異能を失い、何を思うのか。
地鐸信仰が篤いこの大飯田の自宅警備員であるからこそ、その喪失が持つ意味は継嗣には計り知れない。
かける言葉を失ってしまった継嗣の代わりとばかり、宇佐は空元気を続けながら腕を回す。
「さ、ちゃっちゃとやろうぜ。何、場所を示すといっても大したことじゃない。あたしも何か確信があって言ってる訳じゃないからさ。軽い実験だと思ってもらえばいいんだよ。今も『地鐸の申し子』やってるあんたの勘にちょいと賭けさせて欲しいんだ」
だが、継嗣は見逃さなかった。
宇佐は意気揚々と自宅に足を向けながら、その足取りがわずかに強張っている。
「こっちも駄目元で頼んでんだ。気軽に、直感で場所を選んでくれ」
軽い口調とは裏腹に、その頼みごとの持つ重さを継嗣は重々に承知した。
だからこそ足もすくむ。しかし、ここまで深く関わって、今さら逃げ出すことなど出来るはずもない。
さきほどから地中の息苦しさが増しているように感じるのも、あながち錯覚とも思えなかった。
かくして何一つ確信を持てぬまま、継嗣の『掘るべき場所』を探す調査が始まった。
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