The S.A.S.【10-4】

 そこからの一箇月は仲間曰く、気質の荒いボケ老人の介護がD中隊の任務に加えられたらしい。クラプトン小隊長殿は常に血走った眼で射撃に没頭し、高濃度のアルコールを摂取しても寝付けず、深夜に仲間が寝静まった兵舎を抜けて走り回っているのを兄弟に連れ戻された。次男の病状を深刻と判じた親父はヘリフォードの連隊本部から軍医のベンを召喚し、昏倒するレベルの睡眠薬が夜間の馬鹿息子に投与された。これが老害への対処か。

 そんな始末であったから、俺は現地軍を訓練する任を解かれ、起きている間はカウンセリングを受け、先の作戦でトラウマを負った同胞と傷の舐め合いに従事していた。その場の誰もが他者を責めず、示し合わせた様に上層部への不審を言葉にしなかった。ただ、疑念に怯える視線が全てを物語っていた。士官として緊張の緩和に助力したくとも、不用意な発言は厳禁であった。現状、水面下で動く上層部の企図は知れず、連隊内部で根も葉もない憶測が飛び交う。迷えば兵士は駄目になる。そこに来て小隊長が躁鬱に喚くのだから、これ以上の負債は抱えられない。

 先の貨物船襲撃での殉死者の家族から、続々と訃報への返事が部隊に届いた。生き残った仲間は彼らの不条理な死を追想し、涙も流せずに困惑の無表情を貫いた。彼らの当惑と時を同じく、D戦闘中隊に補充要員が配属された。本国が我々に寄越したのは新米隊員ばかりで、左右はおろか自分自身も見えていない具合であった。にもかかわらず、特殊部隊としての日が浅い彼らは、先任の兵士に漂う違和感を察していた。ここはもう、かつてのベトナム戦線と変わりない。


 ブリジットの選抜訓練が本国で始まって、二週間が経過した。クラプトン兵卒の訓練進捗を告げる本部からの通達が、六通目に達する。写真の一枚もない書面を一目してシュレッダーへ放り込み、コピー用紙の千切りを灰皿へ空けて火を放つ。空に舞った指先大の紙片が、目の前で燃え尽きた。燃えさしを兵舎のすぐ外の砂に混ぜ、整備を済ませたC8カービンをたすき掛けした。月が雲に隠れており、NVG(暗視装置)なしには基地から一歩も出られないだろう。

「ボス!忘れ物か!」

 ランドローバーの運転席から、フル装備のダニーが叫ぶ。こんなに格好悪い不良士官を、あの弟子はまだ慕ってくれていた。

「歳を取ると小便が近くてしょうがない。その点、砂漠はいいよな。見渡す限り便所だ」

「ああ。砂漠の主成分って知ってるか?ラクダとヤギのうんちだよ」

「そこにテロリストの干物も入れとけ。抜群の肥料として売れるぞ」

 紳士らしい気品を漂わせ、ダニーの車輌の助手席へ尻を埋める。これから丸二週間、第一六小隊は再びテロリストの遊撃任務に砂漠を奔走する。小隊がキング・ハリドへ戻る頃には、選抜訓練を突破した教え子が中東へ戻ってくる手筈だ。高出力のエンジンが始動に唸り、前方偵察を受け持つ四台のバギーが検問を通過した。ダニーがアクセルを踏み込むのと一緒に、PTTスイッチに掛けた指に力を込める。

「アルファ・ワンより全部署へ告ぐ。これより、敵情偵察及び、遊撃任務へ出立する」

〈了解、全アルファの出立を許可する〉

 生理でもないのに機嫌の悪いシェスカの応答を合図に、全隊員がNVGの電源を入れる。ランドローバーのタイヤが地を掻き鳴らし、濛々たる砂煙を巻き上げた。急発進した四輪駆動の戦闘車輌が、前を行く偵察バギーの後を追う。攻撃車輌の車列が事故を起こすぎりぎりの速度で走り、後方で軍事都市が地平線の下へ沈んだ。そろそろ頃合いだろう。

「全アルファへ告ぐ、以後十分間、小隊を無政府状態とする」

 荒唐無稽な言を発し、小隊の全員が仲間内で取り決めた周波数へと切り替える。上層部の裏をかこうなどと、高等な目論みはない。我々には、懸念や愚痴を吐き散らす場所が必要だった。情報統制が敷かれた軍事都市を任務で離れる間、少しばかりのガス抜きを禁ずる規範はない。

 作戦用の無線に、仕事と無関係の汚い単語が飛び交った。ブレナン中将への中傷。貧弱な官給品への悪態。不味い食事を理由にした労働組合結成。シェスカのおっぱいに話題が及ぶと、普段から物静かなショーンがむきになってスピーカーを震わせた。新入りが呆然とするのを歯牙にも掛けず、小隊は貴重な六百秒で二週間分の鬱憤を精算した。俺は小隊の暴動には加わらず、早々に周波数を作戦用のチャンネルに戻した。通信が途切れた件に関して、作戦本部の追求はなかった。軍歴の長いシェスカはこの道のプロであり、事情を察していた。もっとも、砂漠のど真ん中で自分のおっぱいの姿形が論じられていると知れれば、その限りではないだろうが。優等生ぶった物言いで本部との通信を終了し、助手席に設置された機関銃に頬杖を突く。我が身の破滅なんぞ頭の隅にもなく、新たな教え子の安否だけが気掛かりであった。

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