ジョウホウセカイ

二由 孝

第1話 新たなセカイ

「さあ、行こうか」

 情報省が指定した広いスペースの場所で、高さ5メートル横4メートルほどあると思われるゲートの前にいる大勢の人のうちの一人の青年がつぶやく。脇には2055年に新たに設置された情報省の情報官たちが厳密に人の出入りを取り締まっていた。そんな彼らの検問を経て今ようやくそのゲートの向こうへ黒髪の青年は踏み込んだのだった。


 

 21世紀後半、人類は深刻な資源不足に見舞われていた。いくらリデュース、リユース、リサイクルの3Rを叫んでも、徐々に資源がなくなっていくことを避けることはできず、2050年の段階で人類の資源は残り50年分と断定されたのであった。諸国の重役たちは頭を悩ませていたが、どうなるわけでもない。頭を悩ませて資源が生まれるならば苦労はしないだろう。

 そんな折、ある物質が発見された。人類の救世主とも言える原子情報化物質(通称AIS)である。AISは文字どおり原子を情報に昇華することができ、その情報は情報世界において確かに存在することとなる。当初は物体保存、汚物処理等を主要目的として応用が進められていったが、その過程でとある若き科学者が突飛なことを口にする。

「人間も含め、この地球、宇宙、大気、空間、その他諸々情報化して、新たな世界に移し替え、そこで生活することはできないか。」

 その後、情報世界最重要取締役として名を馳せることになった、かの有名な木城雅臣の発言だ。

 2100年3月、十年の準備期間と1ヶ月の移行期間を経て、ついに人類は新たなステージへとコマを進める。




 2100年3月3日。

 ふう、と一息ついて青年が周りを見渡す。やはり元の世界と何も変わらない。いや、何も変わらないと言っては誤解が生じるかもしれないが。

「一希さん、では参りましょう」

 小さい頃から一希の警護役としてその身を置く蒼本陽菜である。彼女の整った顔立ちと艶のある長い青髪は凛々しさを感じさせる。一希の警護される理由は情報世界の発案者である木城が唯一知識を叩き込んだ弟子だからだ。もっとも、警護など今の一希にとっては不要なものである。

 彼女はその立場上、一希の隣に家を構えている。

「急にさん付けはやめてくれよ。緊張するだろ」

 彼女なりの気の引き締め方だろう。無理もない。彼らは今、情報世界に来たばかりなのだから。海外へ行くなどという話ではない。実在世界から情報世界へ移り住むのだ。たとえ誰であっても不安を感じることは避けられないだろう。

「わかってるわよ。気合を入れたかっただけ。適当に流してくれて構わないわ」

 彼女は微笑みながら、少し照れ臭そうにしていた。

 一週間後に高校の入学式を控えた一希と陽菜は、とりあえず前住んでいた場所と全く変わらない、新しくない新居への帰路に着いた。若干の違和感を感じるかもしれないが、情報を写し取りそこに住むとは、そういうことだ。もともと住んでいた家を情報化して、そこに情報化された一希が住むだけの話。言葉で表すと簡単に思えるが、実際には途方もない苦労がなされて今の世界がある。

 かくして、人類は情報世界への移住を果たした。情報世界、それは情報化された世界。現実世界とは決定的に異なった世界。当初は反対だかりだったこの案も、命と天秤にかけられれば賛成多数へと様相を変えていった。五感すらも情報化し、それを完全に再現しているが、最も構造が複雑とされていた人間のみが、かのゲートをくぐらねばならないのであった。他の構造物、動植物等は6年かけてコピー生成された。

 1年で光を生成し、2年で空を、3年で大地、海、植物を生成した。4年で太陽と月と星を再現し、5年で魚と鳥を生成した。そして、6年で獣と家畜を生成したのであった。  

 その後一年を経て、人間はいよいよその情報の世界に移り住む運びとなった。政府はラスト・ヒューマン・プロジェクトと称し、実行に移した。その名の通り、最後の人類なのである。

 残念なことに、複製はできても、成長は再現できず、それはつまり新しい生命を生み出すこともできないのである。何故なら情報を写し取っただけだからだ。年は取らずそのまま。知識だけはふんだんに吸収し、やけに大人びた子供が出来上がってしまう。

 しかし、人類存亡の前では詮方無いとされたのだ。もちろん、今後の研究によっては成長すらも再現されうるが。  




2100年3月7日。

 一希は情報世界で「できうる」ことを思いつく限りリストにまとめていた。半世紀前まではパソコンというデバイスがあったらしいが、現在はウェアラブル端末の発展の流れを汲みつつアトミック端末が主流となっている。ピアスの形をしたデバイス(アトメカ)をオンにして自分の前に原子を媒体にして画面を呼び出す。そのピアスの形をしたアトメカに触れることで、それは起動する。

 余談だが、アトメカという名称はアトムとオートメイクとメカニズムがかけられているらしい。

 ちなみに一希が使っているアトメカは一希が独自に開発したオリジナルタイプとなっており、紛失を防ぐために種々の工夫も凝らされている。そのアトメカで複数の画面とキーボードを呼び出し、一希は作業をしていた。

「お兄ちゃん、朝だよ」

 ドア越しにノックをする妹の声がしたタイミングでリビングへ向かうのがこの情報世界に来てからの一希の日課だ。

「ああ、ハルネ、今行くよ」

 春音は実によくできた一希の妹である。ありきたりな表現ではあるが容姿端麗、文武両道、そして人当たりも良く、良い意味で純粋だ。黒髪セミロングでファッションや立ち振る舞い、言葉遣いは清楚な印象をうかがわせる。。

 ちなみに一希はこの春高校1年生になるのに対し、春音は中学3年生になる。

 一希が階段を降りリビングに行くと、すでにクールな少年が座っていた。中学1年生になる弟、風都である。彼は寡黙で生真面目な性格をしている。

「おはよう、兄ちゃん」

「ああ、おはようフウト。朝ちゃんと起きてえらいぞ」

 微笑みながら、一希が風斗の男にしては少し長めな髪をわしゃわしゃと撫でる。

 その時二人は気づいていないが、春音は物欲しそうな表情を浮かべていた。そんな自分をはしたないと思ったのか、すぐさま彼女は自制した。

 風都は風都で、からかわないでくれよ、と反抗しようとしたが、すぐに面倒そうな顔をして、無反応を決め込んだ。とは言っても無自覚で口元を緩ませている。

 冷めた目と緩んだ口元はどうにもアンバランスだ。

 春音が作った朝食を一同が食べ終えようというところでいつものように兄の予定を聞く。

「私は春休みの宿題を今日中に片付けるつもりだけど、お兄ちゃんはなんか予定あるの?」

 まだ1か月も期限がある宿題をもう終わらせようとしているあたり、流石だなと感心しつつ、

「今日は練馬区警に行ってくるよ」

と一希は回答した。その途端、春音は一瞬表情を曇らせたが、一希には悟られていない。

「僕も行きたい!」

 普段内気な弟がこの話の時だけ身を乗り出して、主張する。

「風都が一人前になったらね」

 そしていつものようにごまかす。

「兄ちゃんはいつもそうだ!僕は早く兄ちゃんの仕事の手助けをしてあげたいだけなのに!」

「そうだな.・・・学校の成績で一番をとったら・・・」

「もうとったよ!」

「口が堅くなったら・・・」

「兄ちゃんと姉ちゃん以外には何も情報漏らさないよ!」

「AISの基本理論を理解し終えたら・・・」

「それは・・・まだだけど。」

 兄に言われたことを数々こなしてきた風都だったが、つまずいているところを指摘されてしゅんとした。

「別に俺は風都を仲間はずれにしたいわけじゃないんだ。ただ危ないことや大変なことがたくさんあるから、まだ風都には早いと考えているだけで。悪く思わないでくれ。な?それに俺だってまだ候補生なんだぜ?」

 兄の気遣いを気遣ったのか、彼は無言で小さく頷いた。春音は姉らしく弟をなだめていた。



「じゃあ、行こっか」

 先ほどとは打って変わってフレンドリーな態度になった陽菜が一希を玄関前で待っていた

。待っていた、というよりちょうど立ち止まった。

「相変わらずの感知能力だな。陽菜の半径500メートル以内にいるだけで位置が把握されるかと思うと気が気じゃないよ」

 情報世界においては情報感知特性というものがあり、自分の周りでどのような変化があったかをある程度把握できる人間が存在する。一希も半径250メートルは完璧に把握しきるが、広さで言えば陽奈のそれには及ばない。陽奈は小さい頃から現実世界でその特性が大きいとわかり、その能力を認められて一希の警護をしてきた。現実世界ではその力は発揮できないが、情報世界では大きなアドバンテージになる。小さい頃から一希とともにいたのは一希といることに慣らすためだ。優秀な人材を揃えておくと相乗効果的にお互い成長することも考慮されていただろう。

「ちょっと!私がストーカーみたいな言い方はやめてよね!異変も察知できるんだから護衛には有用でしょ」

 億劫そうに見せつつ微笑を浮かべる一希に対して陽菜が少し顔を紅潮させながら反論する。一希はその反応が面白かったのか、挑発的な目線でわざとらしくため息をついて見せた。

「気が気じゃないって言う割には気の抜けたため息をつくのね」

「あ・・・」

 カウンターを食らって動揺する一希。

 してやったり満足顔の陽菜。

「行くわよ」

 陽菜と合流した一希はとある目的地へ足を運んだ。

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