公国魔法部隊

kattern

第一章 剣石街道の姉妹

第1話 白峰城

 商業都市オラン。


 帝国中部の山間にあるこの街は、南部と北部を繋ぐ赤レンガ街道と、東部と西部を横断する山脈の峰を行く剣石山道のちょうど交差点にある。

 峻険な岩山を取り囲んで何層にも重ねられ築かれた居住区はさながら城の様であり、石灰岩から作られた白色の漆喰で塗り固められた外壁から、この都市を白峰城と呼ぶ者も多い。


 そんなオランの街へと続く道の上、いよいよつぶさにその姿が見えてきた白峰城を眺めて、俺は感嘆の声をあげた。


「見事なもんだな、白峰城。風の噂には聞いてはいたが、こりゃ凄い」


「意外だなルドルフ。流れ者のお前が、交通の要所オランに来た事がないなんて」


「流れ者だからな、正面からの関所破りは面倒なのよ。表参道は普通は使わない」


「獣道を使って山を越えますの。ふん、貴方にはお似合いでしてね、ルドルフ」


 俺の後ろを歩いていたヒルデがいきなり悪態を吐いた。

 こいつの口の悪さと意地の悪いところは今に始まったとこではない。軽く無視してやると、彼女は俺の後ろ脛を足で蹴り上げてきた。


「痛えじゃねえか。なんだよいちいち五月蝿い奴だな」


「貴方が私を無視をするからですわ。まともに話もできませんの」


「口を開いたら喧嘩になるから俺が引いてやったんじゃねえか、そんなことも分からないのかこの高飛車女が」


「なんですって!!」


「なんだやるか!!」


「ははっ、元気だな二人とも。とりあえず、痴話喧嘩は街に着いてからにして」


 前を歩いていた隊長殿が、俺とヒルデの方を振り向いて言う。

 痴話喧嘩とは軽く言ってくれたものだ。

 こいつと夫婦なぞこちとらまっぴら御免だ。


 貴方のせいでマルク様に怒られたではありませんの。

 ぼそりと呟いて、またヒルデが俺の後ろ脛を蹴った。世間知らずのお嬢様にムキになってどうなるというのだ、俺は、怒りたいのをぐっと我慢して大人しくマルクの後ろを続いた。


「隊長、この街は何が美味しいんだ? 山が近いから、猪とか? 鹿とかか?」


 ヒルデの後ろを歩いていた、大女が能天気な質問を隊長に浴びせる。

 そんな彼女を振り返って、同じくらいに能天気なお人よし隊長が微笑みを返す。

 続いて、そんな彼の信望者が落胆の溜息を吐いた。


「まったく、ユッテは本当に食べることばかですわね」


 背中に隊の全員の兵站を背負い、豊満な胸を揺らして警戒に歩く彼女はユッテ。

 広大な帝国の領土を越えて、南海を越えて、密林の秘境より流れ着いた女傑族の女である。


 流石は音に聞こえし女傑族の娘。

 そんじょそこいらの男よりも力がある。食い意地も。


 ぐぅとユッテの腹の虫が鳴った。

 山道に入ってから何も口にしていないのだ無理もないか。


「流石にこの岩山じゃ猪はいないかな。鹿はいそうだけれども」


「鹿かぁ。アタシ、鹿は初めて食べるな。楽しみだなぁ。なぁ、リヒャルト」


 ユッテが最後尾を歩く者の名前を呼んだ。しかし、彼からの返事はない。

 それもそのはず、最後尾を歩く彼の姿は、道の遥か遠く、その姿が豆粒ほどに見える程に先にあったからだ。


 ふらふらと、おぼつかない足取りでこっちに向かってくる眼鏡を掛けた痩身の男。

 この隊の中にあって珍しく、得物らしい得物を持たず、そこに加えてローブという、軽装をしている彼はリヒャルト。帝国の大学を卒業した俊才にして、その後帝国議会の要職につき損ねて、地元の森に篭った元隠者である。


 俺と同じ民間徴用の兵だが、元が学者である、長旅も得意でなければ、山登りも得意ではない。この旅が始まる前から、彼がこの隊のお荷物になるのは俺たちも本人も含めて分かりきったことであった。


 だから無理せず、ロバにでも乗っておけと言ったのに、しょうのない奴である。


「ありゃ。おーい、リヒャルト、大丈夫かぁ!!」


 ユッテの声にリヒャルトが歩みを止めた。

 口を大きく開けて、なにやら言葉を発しているようではあるが、声を出すことすら出来ないほどに疲れているのだろう、その声は届かない。


 なんだってとユッテが返すと、また、同じように大きくリヒャルトが口を開ける。と、ついに限界が来たのか、その場に膝を折る、リヒャルトは道の上に倒れこんだ。

 ありゃりゃ、と、ユッテ。


「隊長、ごめん、先に行っててくれるか。リヒャルトの奴を拾ってくるから」


「分かった。先にウドと合流して門の手前で待っているよ」


「ありがと。おぉい、大丈夫かぁ、リヒャルト。すぐ行くからなぁ」


 大きな荷物を左右に振りながらも、けろりとした顔つきで坂道を軽快に下っていくユッテ。女傑族とは恐ろしい。

 俺の後ろの乳なしが、これだったらと思うと、ぞっとする。


「ちょっと、何を私の顔をじっと見ていますの。気分が悪くなりますわ」


「おう、俺もお前の声を聞くと気分が悪くなるんだ。すまないが喋らんでくれるか」


「だから喧嘩はやめなって二人とも。ほら、それより急ごう。ウドが待ってる」


 街に着いたら覚えていろ。睨みあっていた俺たちは、どちらともなく顔を逸らすと、再びマルクの背中に続いて、オランの街の入り口である関所へと向かって歩き出した。


 もう既に、関所の門は目に見えている。あとはこの急勾配な坂を上るだけだ。


「しかし、この軍服、長旅で着るには少々堪えますわね」


「襟元まできっちりと爪で留めてるからだろ。もうちょっと楽に着とけばそんなでもないって」


「まぁ厭らしい、私に公衆の面前で肌を晒せと。これだから分別の無い獣は」


「公衆の面前も何も、人通りなんてそんな無いじゃないか」


 多くの交易商によって賑わっているはずの街道に、今は俺達の姿しかない。


 それというのも俺達が、こうしてこの街に派遣される事件が原因であった。


「お疲れさま、マルク、ルドルフ、ヒルデ。門番には話を付けておいたよ、そのまま入れる」


 大理石を積み重ねた重々しい関門の前、俺の腰程の背丈をした金髪の少年が立っている。尖り耳と、思わず男の俺でもはっとするような美しい顔立ち、彼こそ、我等が部隊付きの魔法使い、副隊長のウドであった。


 幼い容姿に見えるのは、彼がエルフだからだ。その容貌で俺の七倍近い年月を生きているのだというから、エルフという種族には驚きだ。


 そんな俺達からすると人生の大先輩に当たるウドに、マルクは無遠慮に歩み寄るとその頭を撫でた。ピンと、ウドの耳が尖ったかと思うと、すぐに垂れる。


「ありがとう、ウド。助かったよ」


「いや、うん、仕事だからね。別に褒められるようなことじゃないよ」


 随分とマルクに懐いたものである。


 エルフというと人嫌いでお高いイメージがあるが、ウドはそのイメージには当てはまらない珍しいエルフだ。俺達にも随分と好意的に接してくれる。

 なにより性格がおとなしいというかおくゆかしいというか、そういう所に親しみが沸く。どこぞの暴力女より、よっぽど女らしい。それを言うと、僕は男だと彼は怒るのだが、まぁ、その仕草も可愛らしいというか、保護欲を掻きたてられる。


 いいかげんにして、と、マルクの手を振りほどくとウドは彼から離れた。


「あぁ、それと、フリッツの昔馴染みからの連絡が入った。どうも司教殿が我々を警戒して用心棒を雇っているらしい。教会へと向かう道中の路地裏に、武器を持った輩が潜んでいるから、気をつけて欲しいだってさ」


「用心棒、ごろつきの間違いじゃないのか?」


「査問官の私たちを亡き者にしてとぼけるつもりですわね。これで決定ですわ」


 風の噂に違わない、いかにも小悪党だな。

 らしいことをしてくれるじゃないか。


 俺は腰のナイフに手をやった。この旅に出てから幸運なことに使う機会には恵まれなかったが、ついにここでその機が巡ってきたか。


「上等ですわ。帝国の使節という権威を笠に専横をする司教も、それに与して国家人民に仇なす不届き者にも、この私が正義の鉄槌を落としてさしあげますわ」


 長柄の斧を振り回して意気込むヒルデ。

 やれやれいつものことではあるが、調子の良いお嬢様だ。勝手に動いて、人質にでもとられたらたまったものではない。よくよく気をつけなければ。


「血気に逸るのはいいけれど、なるべく穏便にね。僕達は別に喧嘩をしに来た訳じゃないんだからさ。二人とも、今回の査問の目的はちゃんと覚えている?」


 ウドが落ち着いた表情で俺達に問うた。確かに名目上は査察である。

 だが、俺達を使いに選んだ時点で、実質、鎮圧か捕縛、荒事が目的なのは明白だ。


 ここ数ヶ月に渡って、オランの近隣集落を山賊が襲い、滅ぼすという事件が多発していた。


 普通、山賊の襲撃といっても、作物や女を攫われるのがせいぜいで、村が一つ滅ぼされるなどということはそうそう無い。どうも力のある魔法使い崩れが仲間に加わっているらしい。また、襲われた村落は徹底的に破壊され、再び人が住むには時間がかかるほどの荒らされようであった。


 そこに加えて起こったのが、キャラバンへの山賊の襲撃である。これまた、手で数えられぬ程度のキャラバンが、村を襲った山賊と、同じと思われる山賊の手により襲われ、その荷を奪われる事件が発生したのだ。


 帝国軍の輜重隊も通る、赤レンガ街道において許せぬ暴挙である。

 しかし、ここにきて都合の会わない、説明がつかない事実が幾つか合った。


 一つが山賊たちの居所。村を襲った山賊の本拠地が分からないことである。

 普通これだけ大規模な襲撃を行うとなれば、それなりの構成人数が必要となる。となると、村落と同等の砦や要塞を作って、そこをねぐらに活動をしているはずだ。


 だが、俺達に先立って派遣された帝国軍は、山賊のねぐらを見つけ出すことが出来なかった。


 もちろん、魔法によりねぐらを隠している、偽装しているというのは、考えられない話でもないが、そんなことが出来るのは高位の魔法使いである。食い詰めて、山賊などに身をやつすということはちょっと考えにくい。


 もう一つが、村やキャラバンから奪った荷の行方である。


 これがどうにも納得がいかない。物資に乏しい山間の村だ、人が暮らしていくとなればそれなりの蓄えが必要である。山賊たちもそれは同じだ。

 あるいはねぐらがあるとして、そこに食料を蓄えているとして、盗んだ食料だけで蔵が建つほどの量だ。隠すのもひとしおならば、帝国軍の目を欺ける訳がない。


 また、キャラバンから盗まれた、幾つかの装飾品が、ここより北にある幾つかの衛星都の市にて出品されたのが確認されている。そして、それが確認された衛星都市で、麦の供給過多により、市場価格が下がる事案も確認されている。


 事実だけを素直に受け取ったなら、食料から装飾品に至るまで、山賊たちは奪った物を、すぐさま金に換えたということになる。


 装飾品はともかくとして、食料を金に替えるだろうか。


 先にも言ったように、大規模な山賊であればねぐらが必要であり、その規模を養っていくだけの食料が必要となる。わざわざ金に換える必要も無く、食料は、彼らに必要な物資だ。


 最後に、これが本当に謎なのだが、襲われた村人達の被害が軽微なことだ。

 山賊に襲われたというのに、死者は数えるほどしかおらず、また、女が一人として攫われていないのだ。住むところを失ったその多くの村民は、今、オランの郊外に開かれた緊急の開拓地にて、多くが難民として滞在している。


 山賊の仕業にしては妙な点が多すぎる。


 そんな不可解な行動をとる、山賊が街道を荒らしだしたのと時を同じくして、帝国が庇護する教会より、オランに一人の司教が派遣されていた。


 ディーター卿。


 帝国北部の一州を収める貴族出身の司教である。

 元は教会の首脳部に属していた司教で、数十年後の教皇候補とまで囁かれた男だ。だが、その地位に上り詰めるまでに随分とキナ臭いことをしたらしく、その一件を現教皇に咎められて一度破門を言い渡されている。


 そこは処世に長けた男であるディーター卿。地位を失うことを恐れた彼は、全面的に今までの悪行を認め、改心の誓約と多額の寄付金によりなんとか破門を逃れた。


 しかし、教会の中枢部からは追い出され、故郷に程近いこの衛星都市国家オランに、教会からの使節司教として派遣されることになったのだ。


 司教の派遣と時を同じくして起こったこの事態である、彼を怪しまないわけが無い。皇帝および帝国議会は、彼に対して査問部隊を送ることを決定し、この度、帝国の属国でオランに程近いアイゼンランド公国に、部隊派遣の要請が入ったのだ。


 それも名指しで、聖者マルクが率いる公国魔法部隊を遣わせろと。


「別に他の部隊でもよかっただろうに、どうして俺達が呼ばれるかね。おかげでこちらは大忙しだぜ。こき使ってくれるよな帝国の奴らは」


「それだけマルク様のご高名が広まっているということ。喜ばしいことですわ」


「高名だなんてね、僕はただ、至極全うな普通の魔法使いなのに」


「なぁ、ちょっとボケたお人よしの兄ちゃんなのにな。世の中どうなってんだか」


「ルドルフ!! マルク様への侮辱は許さなくってよ!! 今すぐ取り下げなさい!!」


 聖者マルクの信者筆頭とも言えるヒルデは、すかさず斧の刃先を俺の首筋に立てて俺を脅してきた。その侮辱された当人が、そんな風に言われても、へらへらと陽気に笑っている時点で俺の評価は間違っていないと思うのだが。


 止めなよヒルデ、だって事実じゃないか、と、マルクが止めた。

 しかしと食い下がる彼女をたしなめて、この優男は、いやはやまいったね、なんてのんきな台詞を吐いた。


 その公言して憚らない信念と、それを実践してみせる姿勢から、聖者だ救世主だと持て囃されているが、本人の言うように、基本はただの能天気なお人よしである。


 こんな男を、救国の英雄だとありがたがってる奴等の気が知れない。

 そして、そんな奴等の無遠慮な頼みに、ほいほいと応えるこいつのお人よし振りにも頭が痛い。どうして俺はこんな部隊に所属することになっちまったのか。

 日に一回は必ず思い悩まされる。


「とにかく、今回の任務はあくまで査問が目的。鎮圧は、状況によっての話だ。安易に司教の挑発に乗らないことだよ。中枢を追い出されたとはいえ、まだ、彼の息がかかった人物は、教会本部に多数居る。下手を打てば、公国の名に泥を塗ることになる。だから慎重にね」


 俺でもなく、ヒルデでもなく、隊長のマルクに向かってウドは言った。

 分かっているよと、本当に分かっているのか不安になるくらいお人よしの笑顔でマルクは応えた。


「やっと追いついたぜ。お待たせ、隊長、それにウド」


「ひぃ、皆さん、ひぃ、すみません、はぁ、私が、ひぃ、体力がないばっかりに、はぁ、ご迷惑を、ふぅ、おかけして」


 上り坂からユッテがひょいと顔を出した。その背中におぶられているリヒャルトの顔も一緒にだ。すっかりと青冷めているその顔。見れば焦点も定かではない。


「おい、大丈夫かリヒャルト、意識はあるか」


「大丈夫です。ひぃ、ただ、ちょっと、はぁ、空気が薄い、そんな気が、ふぅ」


「高山病かもしれないね、これ。後で診てあげるよ。それにしたって、今日は早めに宿屋で休んだほうが良いかも知れないね」


 剣石街道を横断するのはキャラバンでも普通に難儀する。特に、オラン周辺の道は、街道の中でも飛びぬけて険しく、この付近で命を落とす者も多いと聞く。


 俺も何度か近くの獣道を抜けて、関所破りをやったことがあるが、よっぽどのことでもない限りには、そう何度も通りたいと思える場所ではなかった。

 のっそりとユッテの背中から降りたリヒャルト。

 風が吹けば飛んで行きそうな細い体を、俺とユッテが支える。


 これでようやく今回の作戦に参加している部隊のメンバーが揃った。

 行こうか、というマルクの言葉で、皆が門に向かって歩き始める。使節の来訪などそうそうないのだろう、槍を持った衛兵達がこちらに向かって慌てて敬礼した。


「アイゼンランド公国魔法部隊、第五隊、マルク以下六名である。帝国陸軍の勅令により司教ディーター卿へ面会に参った。通らせていただく」


 堂々と名乗りを上げて俺達は門を潜る。

 背中に衛兵達の視線を感じながら門を抜ければ、深い水色をした空の下に、交易都市らしい市場の姿が見えた。


 天井に向かって吹きあげる青い噴水。

 広場で遊ぶ子供達。

 道端に品を広げる行商人に、吟遊詩人の奏でる音楽に合わせて踊る、情熱的な衣服をまとった踊り子達。


「山賊騒ぎでキャラバンが避けて通るようになったのに、随分とまぁ賑ぎやかだな」


「輜重隊は相変わらず通るからね、多少客が減ったところで、暗い顔をしてはいられない、ってことだろうね」


 商人ってのはどんな時でも逞しいものだ。

 とはいえ、このまま山賊に好き放題されたら、商人達の空元気もいつまで持つか。


 よそ者の来訪に気づいた子供達がこちらを指差している。

 余程久しぶりの来訪なのだろう、すぐさま彼らはこちらに駆け寄ってきた。


「いらっしゃい、オランへようこそ。お兄さん達、今日のお宿はお決まりで?」


 なんとも可愛らしい客引きだ。

 遊んでいるのかと思ったら、なんだ、暇を潰していたのか。


「うちは豚の庵亭。おっとうの作る豚料理には自信があるよ。たらふく美味しいものを食べたいなら是非うちへおいでよ」


「うちは鴨の湖畔亭。どの部屋からもオラン唯一の人工湖、マレ湖が一望できるよ。隣が酒屋だから、良い酒だってすぐ手に入る」


「アタシのうちはね、野うさぎ亭って言うのよ。オランにある宿屋の中じゃ一番あたらしくできたの。ふかふかのベッドに、大理石のお風呂が自慢よ。是非いらしてね」


 流石は交易都市の子供達、やいのやいのと取り囲んで、こちらの都合など構いもせずにまくしたててくる。これがいかがわしい店の親父どもなら、問答無用で振り切って去るところだが子供が相手ではどうしようもない。


「お姉ちゃん、ねぇ、そのお荷物重たくない。俺が持ってあげるよ」


「おうそうか。けど、これ、結構重たいぞ」


「ユッテ渡すんじゃない。そのまま荷物を宿屋に運ばれるのが落ちだぞ」


「お姉さんお綺麗ね。ウチは今、ハーブ湯をやっているのよ」


「あら、子供の癖によく分かっているじゃありませんの。ふぅん、大理石のお風呂にハーブ湯ね、マルク様、是非この娘の宿屋に泊まりましょう」


「おべっかに簡単に引っかかっんな。新築の宿屋なんて高くて泊まれるか」


「君、君、隣が酒屋なんだってね。聞いた話によると、この辺りは、良い湧き水が出るので、ウィスキー造りが盛んだということらしいが。お勧めはあるかね」


「さっきまでふらついてた人間が、何を酒の話してんだよ、リヒャルト!!」


「あっはっは、どうしたものかな、これは迷うねウド」


「僕は別に野宿でも良いかな。強いて言うなら、温泉なんかがあると嬉しいかも」


「なに能天気こいてんだよお前たちも、だぁもう、邪魔だ餓鬼ども。俺達は用事があって、まだ宿には入らないんだよ。もうちょっと後で来い」


 けど、旅の荷物が重くて邪魔だろう、宿に置いていったらどうだい。そんなことを言って、しつこく食い下がってくる子供達。


 この調子で、頂上の教会まで着いてこられたら五月蝿くて敵わない。

 ここは一つ荒っぽい手段にはなるが、怒鳴ってみせて散らすとするか。


「やめないかお前たち。その方たちは司教様の大切なご客人だぞ」


 今まさに声を張り上げようとしたその時、それを制するように男の声がした。


 広場の横から少しそれた街路。葦毛の馬が繋がれた馬車の上。手綱を握り締めていたその少年は、手に持ったそれを街路樹へと結わえ付けると、急いで俺たちの方へとやって来る。

 身なりの良い服装をした少年だ。それにウドには劣るが美少年である。


「あぁ、エゴンだ!! 久しぶり!!」


「どうしたのさ、今日は司教様のところでお勤めじゃないの?」


「そのお勤めで今日はここに来たんだよ」


 幾ら言っても聞かなかった子供達を慣れた手つきで追い払うと、エゴンと呼ばれた少年は、マルクの前へと歩み出た。そして、胸の前に手を当てて、頭を垂れた。


「オラン教区司教、ディーター卿の下で小間使いをしているエゴンと申します。アイゼンランド公国、魔法部隊のマルク様ですね」


「あぁ、確かに僕がそのマルクだけれども」


「お迎えにあがりました。お仲間の方々と、用意しました馬車にお乗りください」


 驚いた。まさか雇った用心棒が、こんな年端も行かない少年だなんて。


 もちろんそれは何かの間違いだろう。彼の体つきからしてそれは明らかだ。暗殺者にしては華奢すぎる。相手の虚を突く為に、やつれた少年暗殺者を仕向けることはよくある話だが、それでも、事を為すために最低限の筋力だとかは残しておくものだ。


 そして彼はどうやらこの街の住人らしい。


 暗殺稼業は汚れの仕事。わざわざ、定住地のある人間が、そのような仕事に手を染めることはない。何かの間違いでそんな仕事に手を染めれば、たちまち故郷で自分の居場所を失うことになるからだ。どんな理由があるにせよ、護国の英雄や兵士でも無い限りには、殺人者を受け入れる者などこの世界には居ない。


 とすると彼は本当にディーター卿が差し向けた従者なのだろう。


「どういうつもりだ。館に来る前に暗殺するつもりじゃなかったのか」


「従者ごと襲わせる作戦なのかもしれませんわ。マルク様、気をつけてください」


「そうだろうかね、皆、心配しすぎじゃないのかな」


 と、ここでまた、マルクのお人よしが出た。


 彼は不用意にエゴンに近づくと、少しの躊躇も無く彼の手を取った。

 エゴンが驚きの表情を見せる。マルクがこんな行動にでるとは思っていなかったのだろう。仕方ない、その気持ちは、彼と長らく一緒に居る俺たちも同じなのだから。


「よく来てくれたねエゴン。歓迎、痛み入るよ。それじゃ、折角だし馬車に乗せてもらおうかな」


「よろしいのですか?」


 無意識にだろう、エゴンはそんな言葉を口走った。

 刺客かもしれない自分の言葉を迂闊に信じていいのか。

 そう、彼はマルクに問うたのだ。


 その言葉をはぐらかすように、マルクは視線を逸らすと馬の方を見る。

 エゴンの手を離して馬車の前へと近づくと、二頭の並んだ葦毛の馬の鼻を、彼は優しく撫で上げた。


「良い馬だね。君が手入れをしているのかい」


「いいえ。ディーター卿が帝都から連れてきた、自慢の愛馬だそうです」


「そうかい。だったら、何も心配することは無いね」


 なるほどそうか。

 馬の良し悪しは、俺には分からないが、これでエゴンの意図は分かった。

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