1-6

 

 少年とはいえ囚人であり、手練れのテロリストでもある以上、近づくのは危険だ。

 まして何かを与えたりすれば、そこから脱出する隙が生まれかねない。

 しかし今唯は、少年の口に向けて、水の入ったコップの縁を向けていた。


「んぷっ……わりぃ」

 口の端から少し水をこぼしつつも、口に与えられた潤いに感謝の意を述べる少年。

 少年が人並みに感謝の言葉が言えることを知り、唯の緊張はみるみると解けていく。

 よく唯は彼の幼なじみに、無謀な冒険心をとがめられることがあった。

 彼がその場にいれば、間違いなくコップをとりに行くことすらできなかっただろう。


 それでも彼女が彼に水を与えた理由は、物好きの若者特有の好奇心でもあったが、同時に彼女自身が持つ使命感でもあった。

 彼女が十九年間送ってきた人生は、戦争から十五年経過した現在になってもなお、

 EoEの『歪み』を、自分の目で見据えるだけに終わってはいけない。自分ができる限りの範囲で、『歪み』を少しでも正さなければ意味がない。


「口の中に……なんか入れないと、栄養取ってる感じがしなかったんだ、あんまり」

 口をきけないようにマインドコントロール、あるいは人体改造を施された若いテロリストには、空腹やのどの渇きなどの感覚が失われている者たちが多い。この少年が空腹感を満たされているということは、同時に痛みや閉塞感という形で起こる体内の危険信号が正常に作動しているということでもある。

「貴方は…」

 そのことに安堵した唯は、しばしの間ためらいつつも、唯は何とか言葉を連ねる。

「EoEの出身? 家族はいないの?」

 戦場の中で、年端も行かない少年が大人たちと共にGOWを駆って破壊活動を行っている。少年がこうやって口を聞くようになった今、唯はそのことについてどうしても彼から直接聞きださずにはいられなかった。

「か、ぞく……」

 直後、金切り声のような不快な音声が唯の耳を襲った。

 少年の、笑い声だと気づくのに、数秒要した。

「ククク、クハハハハっ」

「な、なんで笑うの…?」

「いや、ごめんよ。かぞくの意味が、いまいちわからんかったんだ。そうだな、『おふくろ』と『おやじ』……ってことだよなわりぃわりぃ」

 手足を拘束され、体を思い通りに動かせないにも関わらず、その笑いにはどこか余裕さえちらつかせた。

「やっぱ地球人の姉ちゃんは発想がちげぇなぁ…家族、か、ぞ、く、ときた。んなもんがEoEの人間に、当たり前にいると思ってんだからよぉ…」

 こちらの安全は守られているはずなのに、唯の顔は不安で歪み始めていた。

 ただ話している内容だけに恐怖を感じていたのではない。親が誰かもわかっていない孤児たちを、唯はEoEで少なからず見てきたし、この少年もそのようなみなしごの一人なのだと理解するのは困難ではなかった。

 問題は喋っている少年の姿だった。唯は今、人生で初めて口内の全ての歯が犬歯のようにとがっている人間を見ている。肉食恐竜にも似たその口内から乾いた笑いと共に紡がれる言葉は、地球人として唯が十九年間培ってきた世界観にヒビを入れるには十分だった。

「は、は、おや……とか、ち、ち、おや? 姉ちゃんは、地球あっちに、そういう連中がいるんだな」

 唯は少年の言葉に、怖気づきながらも、なんとか首を縦に振った。ようやく相手がコミュニケーションの機会を与えてくれたのだから、こちらの感情で機会を棒に振るわけにはいかない。

「ちげぇんだよなぁ、何もかもが……俺の周りにゃ、親と暮らしている奴なんかほとんどいなかったぜ。姉ちゃんくれぇの年齢トシのやつでは、な。両親を亡くしたなんてのはザラだ」

 護衛の兵士はもちろん、唯に間接的に会話の機械を与えたセアリー自身も、彼女と少年の会話に割って入ろうとはしない。信頼を寄せていたセアリーに対して、唯はこの時自分が彼女に試されているかのような感情を、ぼんやりと覚えていた。

「そんな……彼らほどの年齢で、親が亡くしたら、子供たちはどうやって生きれ ば……」

「……何勘違いしてる?」

 何かが口の中に引っかかったような表情で、少年の顔は再び唯に向けられた。

「殺された奴らの子供が、自分たちの親を殺したんだぞ?」

 振り向いた唯の目の焦点は、一瞬合わなかった。一節一節の単語や接続詞を理解することはできても、言葉が真に意味するところを受け止めきれなかったのだ。

 意味を完全に飲み込んだ後、思わず彼女はほぼ反射的に後ずさっていた。顔は無表情のまま、目を虚ろにさせて肩を震わせる。

 すぐにセアリー――自分がこの場で最も信頼できる女性――に向き直ったが、彼女も彼の言葉を真正面から否定せずに、居心地が悪そうな顔をこちらから逸らした。

「そうおかしな話でもねぇさ……聞いてるだろ?クソみてーな環境で働かされるEoEこっちの連中の話を」

「……」

 聞きたくない、とその場で拒むこともできた。しかし唯がこの世界に来た目的が、彼女の行動を縛った。聞かなければならない、この世界の実情を理解しなければならないという使命感が、今この瞬間にも彼女の脳内で働き続けていたのだ。

「……当然連中は状況改善のためにストを始める。そーいうストのために経営側は、を引き入れるんだ……よーするにもっと安い環境下で働いて、スト連中をお払い箱にしてくれる奴らをな。後は治安維持の名目でスト連中を追い出してしまえば、万事OKって寸法だ」

 理解力の早い唯には、少年の語る【スト連中】と【スト破り】が何を意味するのかすぐにわかった。将来的な富を約束したのか、宗教的手段でマインドコントロールを施したのかは不明だが、ストを行った親たちを、その子供たちが労働の場所から追い払ったのだ。そして彼の言葉が正しければ、親が見せしめに殺されるのを黙ってみていた子供もいたことになる。

 唯はセアリーからもケイイチからも、同じような話は何一つ聞かされていない。少し狡猾な人間であれば、この少年が嘘を語っていると疑うこともできたかもしれない。しかし唯には不思議と、この少年が嘘をついているようには見えなかった。自らの上司が割って入らなかったこともあるが、何より目の前の少年が嘘をつくような雰囲気をまとっていなかったのだ。

「何だい、何ならもっと教えてやろうか姉ちゃん? 8歳の時にテロリストと寝て、12の時に赤ん坊を産んだガキの話とか。少年兵養成施設を占拠したNGO職員を皆殺しにした年齢一桁の暗殺チームとか」

 口につけられたマスク越しにも、少年の口角が吊り上がっていることが分かった。セアリーも護衛の兵士も、その表情の変化が唯の恐怖とも警戒ともとれない表情を見据えてのことであると理解していた。

 冷静さを欠いた唯が、目の焦点をしっかりと少年に定めながら彼から距離を取っていることに、セアリーだけが気づいていた。少女は彼の話の内容のみならず、話をしている彼自身にも恐れを感じていたのだ。悲壮感を顔に出さないままに、あれほどの凄惨な出来事を語っていればある種当然ともいえた。

 そしてそのことに、少年自身も気づいた。

「で、姉ちゃん、さっきから何後ずさりしてるんだよ?」

「え…あの、私は」

「はっきり言えって」

 声からしてサディズムに染まっていた少年の口調と表情は、その一瞬だけ笑みを消していた。


「卑しく見えたんだろ?」


 その言葉に唯は、今自分がいる場所におぞましい怪物の気配を感じ取った。

 その怪物の正体は、少年ではなく、彼女自身だった。

 少年の問いを、彼女は否定することができなかったのだ。

 笑いながら地獄のような異世界の話をする彼に対して、彼女の脳内を支配したのは、理解ではなく恐怖であった。

 人のいだく恐怖はやがて敵意となり、差別や戦争の火種となる。それを歴史から学んでいたからこそ、彼女は恐怖や敵意を愚かな感情だと考え、異なる思想や価値観を理解すべきだと考え、EoEこの世界に来た。

 なのに。

 目の前の少年に対して、理性による理解よりも先に、彼女の体は本能による恐怖を選択していた。自分と目の前の少年はただ背負った過去と性格、価値観以外は何も変わらない、同じ若者だという考えが、ものの一瞬で覆されたのだ。そして覆したのは、目の前の少年ではなく、彼女自身であった。

 そのことを見透かされ、唯は否定できなかった。自分の内面に潜む、という名の怪物に。

「……ごめんなさい、コップ閉まってきます」

 差別感情にも近い衝動を囚人に見透かされた彼女には、言い訳を作って逃げ出すしか選択肢は残されていなかった。独房から出ていく唯の瞼から涙がにじんでいるのを、セアリーは見逃さなかった。

 強引な形で、会話は打ち切られ、その場を再び沈黙が支配する。少年はつまらなそうな顔をした後、目を閉じて再び元の石像のような沈黙をまとい始めた。

「……澄み切った女の子だこと」

 その時セアリーがつぶやいた小言を、少年も警備兵も聞き逃していた。


 ◆ ◆ ◆


 GOWに内蔵されている【サリナスドライブ】は、地球には全く存在しない未知の化学反応を、エネルギーに転換する回路である。物理学、力学の観点から不可能であると思われた二足歩行型巨大ロボット兵器が、各国正規軍の兵器となり、あげく戦車や戦闘機を凌駕する戦場の顔となった歴史も、このエネルギーをそもそものきっかけとしている。

 しかしGOWが戦場の顔となっていても、どのようなシステムによって開発されているのかを詳しく理解できるものは少ない。

 ピックスレー基地内の、薄闇が包む地下室には、その秘密が隠されている。


「ここ、に、来るのは……ひさしぶり……だね、ケイちゃん」

「俺は幼稚園児かよ? その呼び方はやめてくれって」

 苦笑気味にあいさつに応じるケイイチに、小さな天才は無邪気な笑ってごまかした。


 GOWを動かす、【サリナス・ジーン】と呼ばれる未知なるエネルギー。その調査のために各大学の研究プロジェクトが結成させたのが、聖典調査機関・【ヴァイキング】であった。同期間は【サイラス】との提携により、GOWの動力源となる【サリナス・ジーン】の情報を解読し、【神話】の詳細を解明すると同時に、【サリナスドライブ】を有効活用するためのヒントとするための機関である。この機関は現在ピックスレー基地を含む、【ジーン】の発生するあらゆる場所に拠点を置いている。

 「【ジーン】解読はどうだい? アリス」

「【アーロン】を動かしてるカテゴリー・エデンは……昨日1.2%くらい解読が進んだ……よ。【ジーン】の供給……も、安定して、る……から、【アーロン】の力も、もう少し、引き出せる、はず」

 おぼつかない口調なりにわかりやすく説明してくれるのは、若くして【ヴァイキング】・【ジーン】解読研究員のエースを務めるミシェル・アリスだ。人見知りの激しい性格ながら、【サリナスドライブ】の開発に関しては一流の腕を持ち合わせているEoE出身の科学者である。彼女は、真正面を見つめたまま語るケイイチに対し、同じ方向を向きながらそう返した。

 今ケイイチいの視線の先には、天井と床から伸びる柱によって固定された、光る巨大な電球のようなものがそびえたっている。球形のガラスの中で光る物体の正体は、解読不能な文字列が紐のように不規則に絡まって形作られる、毛糸玉のような球体だった。【サイラス】ピックスレー基地が運営するGOWの動力源である【サリナス・ジーン】。この場所はそのエネルギーが地上に湧き出るためのいわば泉、通称【サリナスベース】である。

 アリスによると、今ケイイチたちが見ている光を帯びた文字列自体が、【サリナス・ジーン】が見せる幻覚だという。このエネルギー物質と邂逅してまだ日の浅い人類に対し、わかりやすい形で存在を理解させるために【ジーン】自体が幻を見せているそうだ。

 【ジーン】の源流になっているのは、かつてこの世界に存在していると言われた古代人、【サリナス・シビリアン】の記憶情報だという。調査班の脳内に流れ込んできた【サリナス・シビリアン】の記憶情報は、聞き取り調査の後に再構成して一つの物語大系に作り上げられた結果、【サリナス神話】の通称で呼ばれることになった。過去に【サリナス・シビリアン】なる人々が本当にEoEで生活していたかも、彼らが姿を消してからもなぜ記憶情報がこの世界に残留し続けているのかも定かではないが、【ヴァイキング】によると。それらの物語は、ギリシャ神話がギリシャ文明の、エジプト神話がエジプトの文明の特質を表しているように、【EoEがEoEたるゆえんの物語】として便宜的に【神話】などという仰々しい通称で呼ばれている。

 EoEへと続く扉が地球上生まれて間もなく、地球から派遣された調査団員たちは、謎の幻覚に見舞われた。これらの幻覚は空気中の成分や重力、放射能密度が地球と変わらないこの世界の中で、唯一といっていい、地球にはない特徴だった。幻覚を見た調査団員たちの神経や脳を解析した結果、EoE内で放出されている地球上には存在しない波動が人体内の神経伝達物質に影響を与えていることがわかった。

 ほどなくして、【ジーン】の正体が脳神経に直接作用する電気信号であり、脳に流し込まれる【ジーン】は電力に似たエネルギーとしての利用も可能という事実が科学的に証明された。そのことが現在、【ジーン】の情報を内部に保存し、エネルギーへと転換させるジェネレーター・【サリナスドライブ】が商業・軍事の面で利用されるきっかけにもつながっている。

 そしてマイルズ歴の初期の段階ですでに存在していた研究の結果、【ジーン】には複数のカテゴリ(神話大系を構成する部門。聖書でいう創世記や出エジプト記など)が存在することが分かった。【ジーン】が見せる【神話】の中にあるこれらのカテゴリは、【サリナスドライブ】のスペックの違いとなり、そのまま【ジーン】を動力源とするGOWの性能差に直結している。

 【サイラス】の【アルバカーキ】、【リオグランデ】といった量産型GOWを所持しているのに対して、テロリスト側【テハチャピ】や【サリソー】などの異なるGOWを配備しているのも、拠点を置いている【ベース】から生まれる【ジーン】のカテゴリが異なっているからだという。【アーロン】を含むサイラス陣営のGOWの動力源となっている【ジーン】は、【サリナス神話】の中の第十二章、カテゴリ・エデンに属している。【サリナス神話】における【新天地の開拓者】の記憶をベースとした機体が【アルバカーキ】であり、【内戦の兵士】の記憶をベースとした機体が【リオグランデ】である。

 【ジーン】が【サリナスドライブ】によってGOWの動力になる際、素体となった記憶の持ち主によっても異なるという。同じカテゴリ・エデンの【ジーン】から生まれるGOWでも、【開拓者】と【兵士】の違いが白兵戦特化の【アルバカーキ】と、砲撃特化の【リオグランデ】の違いの原因となっている。

 【ジーン】が解読されればされるほど、どのような性能や兵装で設計すれば最も出力が発揮されるか、という問題も鮮明になってくる。だからこそ現在でも【ジーン】の解読は【サイラス】にとっての最重要課題であり、基地内に研究機関【ヴァイキング】の研究室が広大なスペースを使うことを許されている。

 と、そこまでは知識として知っているケイイチだったが、はっきり言って今までの彼にとってこれらの知識は何の役にも立たなかった。最新鋭機の【アーロン】を操り、テロリストの掃討というほぼ作業に近い作戦を遂行していれば、彼の役目は済んでいたからだ。

「なぁ、アリス」

「……ん……?」

 しかし、今の彼は少し違った。

 少し言いよどんだあと、ケイは何かを決断したような顔で聞いた。

「【アーロン】の力をもっと引き出すために、俺に何かできることはないのかな」

 最新鋭機によって圧倒的な戦績を維持する彼の心はこの日、自らの駆るGOWをさらに強くする方法を思案していた。

 旧式のGOW相手に、【アーロン】が傷を負ったこと。

 憎たらしい母親の居場所を未だに突き止められないという焦り。

 イレギュラーな敵の発生と、現状への不満が、彼自身も意識しないうちに、この青年の心に焦りをもたらしていたのだ。

「……う、うん」

 今までの明らかに義務感で【ヴァイキング】の研究室に来ていた彼とは打って変わって、真剣なまなざしをこちらに向けるケイイチに少し気おされながら、アリスは語り始めた。

「……ケイちゃんは……自分がどーして【アーちゃん】のパイロットに選ばれたのか……考えたこと、ある……?」

「それは……【アーロン】のメインコンピューターが選んだのが俺だったからじゃないのか。あと、烏丸エイルあの顧問の横やり」

「そうじゃなくて……そもそもなんでケイちゃんに、適性があるのかってこと」

「……理由があるのか?」

 アリスの思わぬ問いかけに、彼の返事のタイミングは0コンマ数秒遅れた。


 【アーロン】はもともと、第二次モントレー戦争の末期に造られた、【ジーン】を動力とするGOWの開発計画を基としている。

 例えば量産型のGOW、【アルバカーキ】の原動力となっている【ジーン】の記憶の持ち主は、【新天地の開拓者】という肩書は明らかになっているものの、記憶を所持していた個人の名前までは理解できない。【アルバカーキ】の【ジーン】は【開拓者】個人が持つ記憶というよりも、【開拓者たち】という集団が持ち合わせていた記憶の平均値なのだ。

 しかし、【アーロン】―――第七世代型GOWを構築するフレームの一種、【スタインフレーム】の一機である【アーロン・トラスク】のベースとなる【ジーン】は、事情が異なっている。あの機体の中で【サリナスドライブ】を動かしているのは、他の誰でもない、かつてEoEに存在した【アーロン・トラスク】という一個人の記憶だ。【ベース】から放出される【ジーン】では、本来個人の記憶だと特定できるものは非常に稀だという。

 元となる記憶の鮮明さ故に、情報量が他よりも圧倒的に多い【アーロン】の【サリナスドライブ】は、当然出力を上げるためのスペック、兵装も量産型より明らかになっている部分が多い。結果として【アーロン】は、馬力、加速度、最高速度、FCSなど、あらゆる性能で【アルバカーキ】などのほかのGOWを凌駕している。

 だが量産システムを構築できない【アーロン】は、メインコンピューターの選んだ適合者だけをパイロットとして認めるというもう一つの厄介な欠点を持ち合わせていた。その欠点を理由に【サイラス】の正規兵がシステム起動にことごとく失敗していたところ、当時地球で暮らしていたケイイチが難なく起動させたことが、今の彼の現状につながっている。

 当初ケイイチは、【アーロン】が自分を選んだ理由を全くの偶然だと考えていた。息子を目立つ位置に立たせて自分の権力を誇示しようとした母親の横やりだと考えたこともあったが、それにしたってもう少しうまいやり方があるはずだ。

 百年前までは地球人が触れたこともなかった不可思議なエネルギーを動力とする兵器なのだから、自分が選ばれるような不可思議なことがあっても可笑しくはない。その程度にしか考えなかったケイイチの思考に、アリスは容赦なく疑問を提起してきたのだ。

「じ、実はね、ケイちゃん、アタシ、仮説を……立ててるんです……GOWたちが、人間の形じゃないと動けない……のは、GOWが、人間の記憶……要するに、を持った、人間に、限りなく近い、存在、だからなんじゃないか……って」

 ある種の形而上学的な概念とはいえ、随分と科学者らしくない発言をするアリスに、少しだけ面食らった。しかし目の前の【サリナス・ジーン】と、自らが乗り込む【アーロン・トラスク】も、ほんの百年前はおとぎ話の上での出来事だったのだ。GOWが鋼鉄の体を肉体として現代に顕現した人間、という仮説を否定せず飲み込むことに、さほど時間はかからなかった。

 つまり彼女は、人間の記憶が蓄積された【サリナスドライブ】には、一種のが内包されていると言いたいらしい。【ジーン】という形で人間の記憶を秘めている【サリナスドライブ】は、自らのことを人間だと考えこむ。だからこそ戦車や飛行機など、人間の形をしていない兵器をとしても、動かし方を理解できなかった、という理屈だろう。トラウマや人生経験が人間の性格を形作っていくように、記憶が個人を形成する一因となる、という理論からの思考らしい。

「ん……?待ってくれアリス、ってことは」

「……うん」

 彼女の言葉を咀嚼したケイイチの思考を、アリスは穏やかに肯定した。

「【アーちゃん】は、かつての【アーロン・トラスク】っていう人の、生まれ変わりみたいなもの……かもしれないの」

 二人の間を、沈黙が支配した。

 地球市民にとってはおろか、【サイラス】で実物を動かす兵士の大半にとってすら、大半の人類にとって「不可思議な動力で動く機械」でしかない兵器。それらがただの機械ではなく、くろがねの鎧を身にまとった、何万年も前に朽ち果てた人間のなれのはてであるという可能性。

 人間としての意識があることを確認はできないし、突飛かつ現実離れした仮説だと一笑に付すこともできたかもしれない。だが【ジーン】が実際に幻覚として過去の人間の記憶を見せること、人型以外の形状の兵器に【サリナスドライブ】を利用できないことなどを理由に、ケイイチはアリスの仮説に口をはさむことができなかった。

 やがてケイイチは、自分がした質問に彼女がそのような返答を返した意味に思い至る。

「【アーロン】の潜在能力をより引き出すためには、俺自身がかつての【アーロン・トラスク】を理解することが必要ってことか……」

「カテゴリ・エデンの【ジーン】の……解読結果……コピーとってきてあげる」

 目標達成の手段がはっきりしたケイイチをうれしそうに見つめた後、アリスは踵を返して【ジーン】情報を記載したデータベースへとアクセスできる資料室へと歩いて行った。

 【アーロン】という最新鋭の武器があり、アリスのようなよき協力者がサポートしてくれる。パスカルや唯のように、気遣ってくれる仲間もいる。

 今後の強敵テロリストにも十分戦い続けられる可能性を認識したにも関わらず、彼の心はどうしても晴れなかった。


―――戦場では常に、貴方はGOWと共にある。

あの忌まわしき母親の言葉に、またしても正当性が与えられたからだった。

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