第3話第3回 基礎となる技術その3・代名詞、類語、換称、換喩など、いわゆる「言い換え」の使用(前編)

【6】基礎となる技術その3・代名詞、類語、換称、換喩など、いわゆる「言い換え」の使用


 省略や文末の変更に比べると、3つめの類語、換称、換喩など、いわゆる「言い換え」の使用は、より専門的な文章執筆のテクニックだと思われます。


 ただし、その方法は単純で、一つの対象に対して、同じあるいは近い意味を持つ複数の単語を使うことによって「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則に沿った書き方をするだけです。


 にもかかわらず、このスキルを理解する、あるいは使うには基礎的な読解力が必要とされるため、専門性が高いと考えられます。これも具体例を挙げて説明しましょう。


(例8)

 ジョナサンは物思いに耽る素振りを見せた。

 しばらくするとジョナサンは机を叩き、無言で教室を出て行った。


 この例文は、二つの文章で続けて「ジョナサン」という人名を使ってしまっているので、「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則に反した書かれ方をしています。


 そこで、2つめの文章の「ジョナサン」を代名詞に置き換えてみます。


(例9)

 ジョナサンは物思いに耽る素振りを見せた。

 しばらくすると彼は机を叩き、無言で教室を出て行った。


 この2つの文章は、「ジョナサン」と「彼」が同一人物であると言う前提で読まなければ意味が分かりません。この名詞と代名詞を同意と認識する読解力を照応と呼びます。


 つまり、照応ができなければ、この文章は書けないし読んでも意味が分からないか、あるいは薄ぼんやりしたものになってしまいます。


 ここで読解力の程度という問題が出てきます。読解力の高い作家であれば、照応に限らず様々な単語で単一の意味や対象を表現することが可能ですし、読解力の高い読者であれば、それらの表現を喜んで受け入れることが可能でしょう。


 しかし、書き手も読み手も読解力が低い場合は? 答えは言うまでも無く、こうした技術が「使えない」し「理解もできない」わけです。とは言うものの、プロアマに限らず代名詞が全く使えない書き手に会ったことは一度もありません。


 けれども、類語となると怪しい書き手が結構います。類語は類義語とも言い、意味の似かよった語を意味します。意図的に「言い換え」を行う場合は、類語はほぼ必須で、特に長編を書く場合は類語への依存度が高くなります。


 これはどういうことかというと、長編小説(ここでは仮に四百字詰め原稿用紙で三百枚以上の作品を、長編と呼称することにしておきます)を書きつつ、「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則を守るためには、省略や文末の変更では限界があるからです。


 省略は主に主語、場合よっては文末に、文末の変更は文末に関わります。けれども、それ以外の文章に関与することが少ないため、類語を使わず長編小説を書いていると、省略や文末の変更では修正できない箇所で、何度も同じ単語を同じパターンで使い回してしまうことがあります。そこが「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則に反してしまうわけです。


 例えば、登場人物Aが驚いたというシーンを書いたとしましょう。常識的に考えれば、その文章は、


Aは驚いた。


 になるはずです。しかし、物語が進むにつれてBやCといったキャラクターが驚くシーンを書く時にも、


Bは驚いた。

Cは驚いた。

Dは驚いた。

Eは驚いた。


 と書いてしまっては、読解力のある読者に「ははあ、さてはこの作家、驚いた時の表現がこれしか無いんだな」と思われてしまいます。これは作家として、あまり良い評価とは言えません。


 そこで類語を使って可能な限り重複を避けるとどうなるのか? 「驚く」の類語は比較的多く、


 ぎょっとする、息を呑む、飛び上がる、仰天する、愕然とする、目を丸くする


 などがただちに思いつきます。これらの類語を用いれば、「驚いた」という表現をできるだけ回避しつつ、キャラクターが驚いているシーンを書くことが可能なのです。


 この類語ですが、執筆者がその全てを暗記することは難しく、かつ非効率的なので、類語辞典を利用するのが良いでしょう。類語辞典は様々なものがありますが、日本語で小説を書くのに向いているとされているのが『角川類語新辞典』です。


 特に便利なのが『ATOK』と呼ばれる日本語入力システムと併用できる電子版の『角川類語新辞典』で、執筆中に類語を調べたいと思ったら、該当する単語を選択して、CtrlキーとTabキーを同時に押すだけで類語を表示してくれます。


 なんらかの事情で類語辞典の購入が難しければ、ネット上で類語を調べられる『Weblio』などのサイトにアクセスするのが良いでしょう。金銭的に余裕があるなら、海外の特殊な類語辞典を購入するのも良いと思われます。2017年の段階では、フィルムアート社が出版している、アンジェラ・アッカーマンの類語辞典の翻訳版がこれに該当します。特に『場面設定類語辞典』はネット上でも話題になりました。


 いずれにせよ、小説向けの文章を書くためには類語辞典が必要です。ただし、辞典を購入しただけでは駄目で、使う癖をつけなければなりません。高校までの学校における授業で、類語辞典を使用する頻度はそれほど高くないはずなので、この辞典を自在に使えるようになるまでには、それなりの時間がかかります。


 しかし、それが出来るようになれば「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則に沿った文章の執筆が容易になります。金銭と時間がかかる分だけ、省略や文末の変更に比べるとハードルが高いですが、覚えるだけの価値があります。


 次に、換称の説明をします。この技術は、代名詞や類語以上に、書き手にも読み手にも一定以上の文章読解能力を要求するという意味で「小説らしい」技法ですが、分かり易さとは相反する技法でもあります。


 換称とは、要するに「呼称の言い換え」です。たとえば、アリストテレスという人物が哲学者であったとしたら、「アリストテレス」と呼ぶところを「この哲学者」と呼ぶのが換称です。


 換称を用いるためには、それ以前に対象となる人物や物体の特徴が、読み手に情報として開示されている必要があります。最初は全てを人名で記述した例文から見ていきます。


(例10)

 ハンナは背が高い。

 ハンナがハイヒールを履くと、身長が二メートルを超える。

 ハンナは運動神経もよく、女子バレーの関係者から「バレーをしないか」とたびたび声を掛けられた。

 しかし、ハンナはバレーよりも読書が好きだったので、それらのお誘いは丁重に断っていた。


 この(例10)は、全て募文章の主語を「ハンナ」にしているという意味では非常に読みやすいですが、「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則に則っていないため、ひどく幼稚な文章でもあります。


 そこで、次は代名詞を使ったバージョンを見てみましょう。


(例11)

 ハンナは背が高い。

 彼女がハイヒールを履くと、身長が二メートルを超える。

 ハンナは運動神経もよく、女子バレーの関係者から「バレーをしないか」とたびたび声を掛けられた。

 しかし、彼女はバレーよりも読書が好きだったので、それらのお誘いは丁重に断っていた。


 今度は、「ハンナ」という単語が連続で使われることがなくなった分だけ、だいぶ小説向きの文章になっています。次は換称まで使った文章を見てみましょう。


(例12)

 ハンナは背が高い。

 彼女がハイヒールを履くと、身長が二メートルを超える。

 この上背がある女性は運動神経もよく、女子バレーの関係者から「バレーをしないか」とたびたび声をかけられた。

 しかし、ハンナはバレーよりも読書が好きだったので、それらのお誘いは丁重に断っていた。


 どうでしょう? (例11)では3行目の文章の主語が「ハンナ」、4行目が「彼女」となっていたところを、(例12)では3行目が「この上背がある女性」になり、(例11)では3行目の主語だった「ハンナ」が1行スライドして4行目の主語になっているのがお解りいただけるはずです。


 ここで「何だ。たった一行変わっただけじゃないか」と思った皆さんは、次の計算をしてみてください。


 まず、ある小説の主人公の名前がハンナだとします。次に、代名詞や換称が使えないのであれば、「ハンナ」を主語とした文章が、小説の中で300行を占めていたとしましょう。


 もしも、主語として使える単語が、人名と代名詞の場合は、300行を2つに割るので、それぞれが150行になります。


 それに対して、人名と代名詞と換称まで使えるのだとしたら、300行を3つに割るので、それぞれが100行になります。


 「ハンナ」という人名のみを使って長編小説を書いたケースを100%とすれば、「ハンナ」という人名と「彼女」という代名詞を使った場合はその50%、「ハンナ」という人名と「彼女」という代名詞と「この上背のある女性は」という換称を使えば約33.3%しか人名を繰り返し使わずに済むことになります。


 ちなみに、換称が二つあれば、キャラクターの呼び方が4種類ある事になるので、25%まで繰り返しの頻度を落とせます。

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