小説向き文章の原則と基礎技術

鳥山仁

第1話第1回 はじめに、小説向き文章の原則、基礎となる技術その1・省略

【1】はじめに


 最初に念を押しておきますが、小説向きの文章執筆能力は換金性が低く、文章が上手になってもヒット作家になれるわけではありません。つまり、文章は絵や映像に比較すると技術的な優劣が商業的な成果に結びつきづらいのです。


 従って、仮に職業作家を目指すにしても、無理に文章を上手くしようと心がける必要性はなく、最低限の技術さえあれば作品を執筆するのに十分です。ただし、技術力が低いと書ける内容の幅が狭くなりがちなのも事実で、この点が気になるようであれば、本稿を読むことに価値があると思われます。


【2】小説向き文章の原則


 まず、小説向き文章を書くためには、その原則を理解しておく必要があります。原則を理解しておかなければ、どの文章が上手で、どの文章が下手なのかも判断ができないからです。


 そして判断が出来ない人は、高確率で「とにかく読者に伝われば良いんですよ」と言い出すのですが、これは技術力の向上を放棄したことを宣言しているのと同じで、本稿の趣旨に反します。というわけで、まずは原則を覚えてください。


 小説向き文章の原則は、正確性を重視する論文向きの文章や、分かり易さを重視する雑誌や新聞記事向きの文章と、根本的に異なります。それは「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」というものです。


 この原則があるのは、ギャグ、あるいは詩的な効果を狙わない限り、同じ表現を高頻度で繰り返すことによって、文章が幼稚に見えてしまうのを避けたいからです。


 具体例を提示しましょう。


(例1)

 僕の名前は太郎です。

 僕の年齢は十歳です。

 僕は小学生です。

 僕の身長は140センチです。

 僕の体重は35キロです。


 どうでしょうか? この文章は読みやすいし正確ではあるけれども、小説に使うにはためらわれるだろうという事がお解りいただけると思います。何故かというと、どの文章も文頭が「僕が」で始まり、文末が「です」で終わっている、すなわち同じ表現を高頻度で繰り返してしまっているからです。


 このような文章を避けることが、小説向きの文章を書くための基本的な方針となります。裏返すと、前述の原則を重視しない人は、いつまで経っても小説向きの文章を書く技術が身につきません。


 たとえば、プロでもよくいるのが「分かり易さ」を重視する人です。分かり易いか、そうで無いかという基準で文章の良し悪しを判断してしまえば、「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」よりも、同じ表現を繰り返した方が分かり易いに決まっているからです。


 極言してしまうと、小説向きの文章は「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」ので、他の文章表現に比較すると分かりづらいという傾向が明確にあります。これが、上手な文章の換金性が低い最大の理由です。つまり、読者の何割かは分かりづらい表現を理解できるほどの読解力がありません。


 これは学術的な研究でも証明されており、たとえば2017年9月23日の東京新聞によれば、国立情報学研究所の新井紀子教授や名古屋大学などのグループが、全国の小中高校生や大学生、社会人らを調べたところ、中学三年生の約15%は主語が分からないなど、文章理解の第一段階もできず、約半数は推論や二つの文章の異同などを十分に理解出来なかったことが分かっています。しかも、高校以降は読解力が上昇する傾向が無いというオマケ付きです。


 こうした読解力の低い人達の全てが小説の書き手や読み手になる可能性は無いでしょう。しかし、一部が小説を読んだり作家を志望しているのも確実で、そうなると文章の良し悪しを判断する基準のファーストプライオリティが分かり易さになるのはむしろ必然と言えます。


 そこで、読解力の低い人をターゲットにして小説を書くのか、あるいはこうした人達を切り捨てても小説向け文章の原則に従うのかというジレンマが生じますが、結論から言ってしまえば「客、あるいは編集者を見て決めろ」ということになります。


 たとえば、編集者が「普段は小説など読まない人向けに書いて欲しい」という発注を出してきたら分かり易さを重視して、「小説を読み慣れた人向けの小説を書いて欲しい」という発注を出してきたら小説向け文章の原則に沿った書き方をすればいいわけです。


 そして、そのためには「どちらも書ける」ことが重要になります。しかし、本稿はあくまでも小説向け文章の原則と技術を説明するために書いているので、分かり易さについてはそれほど重視せず話を進めていきたいと思います。


【3】基礎となる技術その1・省略


 それでは、次に「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」ためには、どのようなテクニックを用いれば良いのかを考えていきましょう。その方法は幾つも考えられますが、


(1)省略を使う。


(2)文末の変更。


(3)代名詞、類語、換称、換喩など、いわゆる「言い換え」の使用。


(4)主語が異なる文章の追加。



 の4つが代表的なものだと思われます。

 この中で、恐らく技術的に最も簡単なのが「省略」です。

 具体例を見ていきましょう。


(例2)

 僕の名前は太郎。

 年齢は十歳。

 小学生。

 身長は140センチ。

 体重は35キロだ。


 この(例2)は(例1)の文章を省略したものですが、ぐっと「小説らしい」文章になっているはずです。その理由は「僕は」や「です」といった高頻度で繰り返し使用していた単語を省略することによって、「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という原則に則った文章になっているからです。


 省略は日本語で小説を書く作家のほとんどが使用している技術ですし、主に主語を書かない、あるいは文末を書かないだけでできるという簡単なものですから、絶対に覚えてください。というよりも、この技術が使えないのであれば、小説を書くことそのものを諦めた方が良いでしょう。


 ただし、(例2)のように省略形ばかりを多用していると、主語が無い体言止めの文章が延々と続いてしまいます。これはこれで「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という原則を守っていない事になりますし、文章を読み慣れた読者からは「あ、こいつは技術が無いんだな」と舐められます。


 そこで、同じ省略でも少し捻った方法を使うことによって、文章を読み慣れた読者にも「こいつは分かっているな」と思わせるのも大事です。それは「二つの文章を一つに繋ぐことによって、主語を省略する」というものです。


 これも具体例を見ていきましょう。


(例3)

 僕は夜道を歩いていた。

 僕は公園の入り口に一万円札が落ちているのを見つけた。

 ↓

 夜道を歩いていた僕は、公園の入り口に一万円札が落ちているのを見つけた。


 どうでしょう? この方法では「僕は」で始まる二つの文の片方の主語を文末に持ってくる、すなわち「僕は夜道を歩いていた」を「夜道を歩いていた僕は」にした上で、次の「僕は公園の入り口に一万円札が落ちているのを見つけた」の「僕は」に重ねてしまうことによって一つの文にして、二つあった「僕は」の片方を省略してしまったわけです。


 小説がどの程度の技術力で書かれているかを判断するには、まず最初にこの「二つの文章を一つに繋ぐことによって、主語を省略する」という方法を多用しているかどうかをチェックするのが良いでしょう。もしも、調べた作品にこの技法が多用されているのであれば、作者は平均以上の文章執筆能力があると考えるのが妥当です。


 何故なら、「二つの文章を一つに繋ぐことによって、主語を省略する」という方法は、脳内で二つの手順を経て書けるものなので、単純な省略に比べると難易度が高く、意図的に訓練しない限り身につかないからです。


 逆の言い方をすると、この技術を使っている段階で、既に「分かり易い文章」からは逸脱していると見なして良いと思います。そして、少し残酷な言い方ですが「分かり易さ」を重視している作家が、この技術を自在に使えることはまずありません。

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