第二十六錬成 銀嶺を揺るがすモノ

 いろいろとしがらみが多い俺は、一カ所の土地に腰を落ち着けることができない。

 その結果ではあるが、大陸の様々な場所を、この目で見てきた。


 赤いマグマと、冷えて固まった溶岩の黒だけが支配する、死の世界。

 海辺の街から、十年に一度だけ〝道〟ができる絶海の孤島。

 砂漠の地下に眠る、青い地底湖。

 おおよそこの大陸のすべては、この頭蓋の中に収めてきたと言って過言ではない。

 だが、すべてのことには例外がある。

 その例外が、ニヤロ以東に広がる大山脈だった。


 以前訪れた西の街も、吸血鬼が残存しているほど神秘が色濃かった。

 しかし、ここからはもはや、その比ではない。

 大陸の神秘は日々薄れ、科学と論理の時代へと移り変わっている。

 ゆえに錬金術は衰退し、魔女は消え、代わりに碩学者と、秘匿的神秘に頼らない魔術師が生まれたのだ。


 それでも、この場所だけは例外なのだ。

 そんな当然の理屈は、通用しない。

 大陸の屋根と呼ばれる、オルフォニア霊山。

 万年雪に覆われたこの大山脈には、いまだ神秘が色濃く残る。


 秘境。


 そんな言葉が、適切だろう。

 銀色の山脈には、永久に溶けない万年雪が降り積もり、この世から忘れ去られたすべてが眠っている。

 銀嶺とは、すなわちこれを言うのだと、額に手をかざしながら、遠方に輝く急峻な山脈やまなみを見て、思う。


「すっごい! まっしろだわ!」


 ようやっと俺に追いつき、霊峰をその目に映したステラが、白い息を吐きながら、はしゃいだように歓声を上げた。

 彼女は犬かなにかのように、雪原にダイブすると、ゴロゴロと転げまわった。


「雪! 冷たい! えい!」

「……たしかに、つめてぇな」

「あははははは!」


 なにがおかしいのか、丸めた雪玉を俺へと投げつけ、大笑いするステラ。

 やはり、そのさまは年齢相応だ。

 最後の魔女には、とても見えない。


「寒くないか」

「平気よ、ヘルメスが買ってくれた服、すっごくあったかいわ!」


 そういって、くるりとその場で一回転して見せる彼女。

 ボトボトと、服に絡みついていた雪が落ちて、本来の生地の色がのぞく。


 制服なのか、防寒着なのか、あるいはフード付きのケープなのか、いまいち判然としない、ポケットとベルトに覆われた赤い旅装束。

 ニヤロの街で買い与えたものだが、どうやらお気に召したらしい。

 ニットの帽子とマフラー、手袋もふもとの町で調達しておいて正解だった。

 俺は荷物に手を突っ込み、折りたたまれ、シーリングされた地図を取り出す。

 オルフォニア霊山を目の前にするこのポイントに、大きく赤い丸が付けられていた。


「さて、アニーの地図が本物なら、この辺りになるはずだが……」

「ここに魔女の楽園があるの?」

「いや、もっと先だ。だが、そこに行くためには、おまえが試練に挑戦しなきゃならん。その試練が、ここに現れるはずなんだ」

「試練? 現れる……?」


 首をかしげるステラを無視し、俺は霊峰へと続く山道を進む。

 周囲の地形と地図を照らし合わせ、頷く。

 やはり間違いない。

 場所は、ここであっている。


「ホムホムちゃん」

『太陽の位置、風向き、地面の熱、雪の積もり方……間違いないぞ、ご主人』


 なるほど。

 合っているのなら、きっかけが足りないのか。


「ステラ。ひとつ前の街で、登山の準備をしただろ」

「うん、いろいろ買ってもらっちゃった」

「代金はあとで請求する」

「えー! なによー、けちー!」

「吝嗇家のおまえにだけは言われたくないが……それじゃあステラ、そのとき店のオヤジが口にした伝承は、覚えているか?」

「もちろん! あたし記憶力いいのよ! あの町に古くから伝わる口伝、だったわよね? えっと、たしか──」


 彼女はそれを、うたうように口ずさんで見せる。


「霊峰の深く、深雪の奥深く──眠る永久、黄金に至る竜は──夢見る魔女を、真理の扉を叩くものを──遥かなる楽園へ、空のかなたへ運び去らん──」


 彼女が、詠い終えるのと、ほぼ同時だった。

 雪山が、鳴動した。

 地鳴り──


「え? なに!? まさか──雪崩!?」

「いや、違う。この特徴的な気配は──」

「──!?」


 ほとんど同時に、俺とステラは顔を跳ね上げ、空を見上げていた。

 雪山の中腹を割り砕き、体表にこびりついた無数の氷雪をまき散らしながら飛翔する、巨大な影。

 太陽を背に、ダイヤモンドダストをまとう、その威容。

 全体的に、それはトカゲに似る。

 巨大な翼。

 鰐のような顎と、乱杭歯。

 大樹ほどもある尻尾。


 伝説において、最強と名高い幻想種。


「ドラゴン……!」


 歳を経た巨大な古竜ドラゴンが、まるで幻のように、そこに姿を現したのだった。

 ズシン、と。

 地面を大きく揺らしながら、そのドラゴンは、俺たちの眼前へと降り立つ。

 爬虫類特有の、縦に長い黄金の虹彩が、そこに宿った確かな叡智が、俺たちをぎょろりと見て。


『よくぞ来た、最後の魔女よ。さあ──試練ディシプリンを始めよう』


 遠雷のように響く声音で、そう告げたのだった。

 ステラの、長い試練が幕をあける──

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る