16:夜伽宥免

 ラスタは駆けていた。フランから拝借した白のドレスを纏い、その上に軽く甲冑を重ねて。――確固たる決意を胸に、獅子の如く眼光を瞳に秘め、悪鬼の待つ巣窟へ今一度舞い戻っていた。


 しかして恐るべくは、我が猊下たるあの少女だ。まさかラスタが恐れ慄いた陛下を相手に、毎夜まぐわいの相手を務めていたとは。不死の錬金術師とは、斯くも頑健なものであるのか。と同時に、少なくとも見た目は幼女の彼女ですら耐え抜いた情交に、背を向けて逃げ出した自身の惰弱を心から卑下する所存でもある。


 だからラスタは、自らに言い聞かせる。今度こそは大丈夫なのだと。フランから渡されたマナ入りの麻袋を握りしめ、我が陛下の前に立った時の震えが無いようにと十字を切る。ジシュカの死を境に、憎悪の対象となった神ではあるが、こういう局面で癖として宗教が現れるのは実に忌々しい。


 ヤン・ジシュカ……そういえば義父もまた、戦場で盲となった時は折りに触れ荒れ狂ったものだった。自身の力を十全に発揮できない苛立ちから、ラスタに向けて鉄拳が飛んできた時もままあった。ああ、あの時の光景を思い出していたのかも知れない。朧げに思い起こし頷いて、ラスタは歩を進める。ジシュカを恐れ、距離を置いたその間に発覚したペストへの罹病。それまで優しかったジシュカの豹変が、果たして病に罹った自身から、ラスタを遠ざける為の演技であったのかどうかを知る術は無いが、今わの際まで気づくことが出来ず、治癒どころか抱きしめる事すら叶わなかった悔恨は延々と残り続ける。もう二度と、二度とあの過ちを繰り返すまいと内心で繰り返し、ラスタはジルの、部屋のドアを叩いた。




「……フランか」


 力の無いジルの声が響く。脂汗を垂らしながら跪き、そして俯いているジルの視線は、こちらには無い。


「――ラスタです、陛下」


 その声にはっとしたように目を見開いたジルは、驚きの表情でラスタを見上げる。元々痩せこけていた頬は、さらに痩せて死人にも見える。いや今は、なるほど吸血鬼だったか。


「ラスタ・オルフェ、なぜ戻ってきた。しかもその格好は」


 頭を抑え呻くジルに、ラスタは颯爽と駆け寄っていく。その永訣な吸血鬼を抱きしめる為に。


「お気になさらず、陛下。どうか思うままに。陛下が今、思うままに」


 目を背けるジルの手を取り、次に頬に手を当てて振り向かせるラスタ。唇はジルの青ざめたソレに重なり、こじ開けて舌を絡ませる。冷たい。血を吸わない鬼の体温は、こんなにも低いものか。


「……やめろ……やめろ。ラスタ・オルフェ……このままでは」


 赤子のように駄々をこねるジル。ラスタは唇を離すと、それを慈しむように見つめ、微笑んだ。羊水に濡れた赤子を、或いはあやしでもするように。


「なぜ……なぜ……どうしてだ、ラスタ・オルフェ」


 ラスタは今にも泣きそうなジルの、そのくせ屹立したままの股間に手を当て、淫猥な笑みを浮かべる。びくりと脈打った熱い肉塊は、彼の中の生が今だ生きている事を示しているようで、ラスタは一人、安堵の念を抱いた。


「……何を腑抜けているのですかジル! あなたともあろう者が、戦場を前にそのように怖気づいて!!!」


 そこで意を決して声を張り上げるラスタ。見る間に変わるジルの表情に、ラスタはこれでスイッチが入ったのだなと、これから訪れる暴力に身を委ねる。


「くそっ、お前たちは、そうしてッ!!」


 煌めく灼眼。隆々たる伸びる手。頚骨が軋み、痛みの次に視界が黒く滲むのを感じる。薄れ行く意識の中で、獣に成り果てたジルの、野犬めいた呻き声だけが聞こえる。


 愛撫も無いままの、乱暴な抽送。最も既に濡れていた自分にとっては、破瓜の痛みでは到底ないが。それでも村の男では比較にもならない怒張に貫かれ、串に刺された豚のように惨めな声をあげてしまう。


「んげッ!!」


 子宮がめくれ、内蔵が吐き出されるような感覚。口元から酸っぱい胃液が垂れて、恐らく今、自分は酷く無様な格好をしているのだろうとラスタは推し量る。


「ジャンヌ……ジャンヌ!!!」


 もはや狂いきったジルの口から、ラスタの名は溢れ落ちない。――ああまったく非道い虚無だ。この虚無に我が猊下は耐え忍んでいるとは。なるほどどうやら、それはそれは深い思慕らしい。


 びくびくと震えるジルの身体から、ほんの少し遅れてラスタも震える。繰り広げられているのは、おぞましい程の皮肉。まさか自らが愛する女性に対し、抱いていたのがこの破滅的な願望だったとは。そしてだからこの人は、愛する者の側に、自分を置こうとしないのだなとラスタは悟る。無論ラスタとて、ジシュカを蘇られた暁には、昼を問わず夜と問わず一緒に居たいと希ったものだ。だけれど我が陛下は――、ジル・ド・レは、愛と相反する暴力の狭間で、愛を選ぶことを選んでしまった。ゆえに孤独で、だから代わりを求めている。


 哀れで惨めで、そして愛おしいとラスタは呻き、どうにかジルの背中に手を回す。少しは撫でてあげられるだろうか。抱っこの真似事ぐらいはできるだろうか。だけれど意識は、ラスタの意識は、そう思った所でプツリと途切れた。




*          *




 どれだけの時が経ったのか。ラスタが重い瞼を開けると、足元に縮こまる影を見つけ暫し慄く。しかして闇に目が慣れれば、それがジルだとはすぐに分かった。誰かがかけてくれたであろう毛布の下で、先刻まで獣同然だった獰猛な男は、丸まって猫のように寝息を立てている。


「陛下」


 そう呟いて長い黒髪に手をかけるラスタ。彼の表情は穏やかで、とても暴力を振るっていた人間には思えない……いや、既に人ならざる者だったかと思い直す所ではあるのだが。


「……すまない……ジャンヌ……私は……」


 しかして。返答の代わりに、うわ言のように繰り返される謝罪。ああこれが毎晩の繰り返しなのだなと何となくラスタは推し量り、頷いて目を細める。不思議な事に顔面の痛みは無く、そこで触れてみて初めて、傷が全て癒えているであろう事に気づく。




「よくやりました、ラスタ・オルフェ。ひとまずは及第点です」

 そこで響く幼い声に、思考の糸を手繰り寄せたラスタが振り向いて答える。


「ヴォート・グレイル。まさかこの治療も、猊下が?」


 目の前に映るのは、起き上がった態勢だからこそ見上げるものの、立ち上がればラスタよりも小柄な少女、フランソワ・プレラーティ。またもこの少女に助けられたというのだから、ラスタは尊崇の念と共に謝辞を述べる。


「勿論です。あのままではラスタ。あなたは死んでいましたからね。それでは少々困りますので」


 気取る素振りも無いフランは、つかつかと歩みながら概況について語る。


「ま、これが天下の大元帥様の成れの果て、ジル・ド・レという男です。ラスタ・オルフェ。幻滅しましたか?」


 椅子に腰掛け、肩をすくめるフランに、いいえとラスタは即答で返す。


「そんな事はありません。むしろ、より一層、お慕いする念が強まったものと」


 ところが、あらあらそれは困りましたねとフランは、真意の読み取れない笑みを浮かべるに留まる。闇に浮かぶ銀髪の、間に間に輝く灼眼は、常世ならざる美しさを放っていて、それにラスタは暫し惚けた。


「とは言え、その答えを期待していた向きもあります。ラスタ・オルフェ。ボクはこう見えて中々に嫉妬深い質ですが、好奇心には非常に弱い。今回は可愛い可愛い女神様の、ちょっとした気まぐれと思って頂ければ、結構ですよ」


 フランの曰く、ラスタが生娘だと思い違いをしていた事。淡い恋心なら徹底的に打ち砕いて、それを理由に調教でもおっぱじめようと、そんな考えでいたらしい。だがラスタの覚悟と姿勢を見るにつけ、少々心持ちが変わったとの事だった。


「多分に貴女、義父に対してそれなりの劣情を催しているでしょう? ジルがジャンヌに手を出さず、そのくせチンポだけはおっ立ててるのと同じように。――鏡合わせなんですよマーシャとラスタは。だから腹ただしくはありますが、残してみる事にしました」


 図星を指されたラスタは、しどろもどろとしながらも辛うじて頷き、フランの仮説に間違いが無い事を暗に示した。ヤン・ジシュカへの思慕こそ疑いようも無い事実だが、かといって自分でまぐわいに行くほどタガが外れてはいない。


「ですから、これからはこうしましょう。ラスタ・オルフェ。貴女は父親の代わりにジルと交わり、ジルはジャンヌの代わりに貴女を抱く。よくよく考えれば。ボクだって毎日暇な訳じゃありませんからね。週に一、二回のペースで、ひとまずセフレをローテしましょう」


 本当は、代わりなんかじゃないんだけれど。半分は当たり、だけれど半分は外れだと内心で独りごち、ラスタは、しかして嘘を突き通そうと言い聞かせ頷く。


「分かりました、ヴォート・グレイル。微力を尽くし、陛下の御為にこの身を捧げます」

 

 ――よろしいよろしい。そう満足げなフランを他所に。ラスタは一つだけついた嘘を、胸元にしまい込む。ジル・ド・レ元帥閣下その人を愛しているなどと告げた日には、この首が天井まで飛んでしまう可能性を恐れたからだ。


 確かにラスタは……ラスタ・オルフェは。ジシュカの面影を残すジル・ド・レという男に、好意を超えた劣情を催しつつあった。どうしようもなく、押しとどめようもない程に。

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