【急】Ⅰ『フラッシュバック・トゥ・ザ・トラウマ』


〇 〇 〇


「エミリアさん!」


 無様に横たわっていた陽介は慌てて飛び起きると叫ぶようにエミリアへ呼び掛ける。

 返事は無かった。それでも彼はエミリアの生存を信じてもう一度声を掛け、られなかった。

 空を覆い尽くし、地を黒く染める存在が彼を窺っていた。陽介は恐る恐る見上げる。巨獣と化した《アンノウン》が此方へと手を伸ばしていた。


 叩き潰すか、または握り潰すかで悩むように宙を漂ってから伸ばされた巨大な手は陽介を掴もうとして失敗する。

 何度も挑戦するが掴み損ね、その度に陽介は寸前の所でその手を躱した。体勢が安定せず、フラフラと巨体を揺らす《アンノウン》に陽介は疑問を抱く。

 巨大な《アンノウン》の足下へ視線を向けると少しだけ浮いていることに彼は気付く。


「こ、のぉ!」


 巨大な足を押し上げながら必死に食い止めるエミリアの姿があった。踏み潰されてたまるか、と言わんばかりの気迫に陽介は圧倒される。


 脱出の機会を得ようと奮闘するエミリアの視界に陽介の姿が入り込む。助けたいのに何も出来ないと己の無力さを恥じている彼に舌打ちしながらエミリアは怒鳴った。


「何をぼんやりしてるんだ!さっさと逃げろ!」

「で、ですが!あなたを置いて行けません!」

「今出来ることをしろ!出来ないことをするのは余計なお世話だ!迷惑だ!」


 早く行け、と促すエミリアに陽介は近寄ることも逃げることも出来なかった。青い瞳に涙を溜めて泣き出しそうな顔で此方を見る彼にエミリアは苛立ちを覚える。


 まるで昔の自分を見ているようだ、と彼女は苦笑した。誰も助けられず何も出来ずに泣いていた頃を思い出す。

 しかし回想に耽っている場合ではない。押し迫る強大な力に反発しようと食い止める両腕に力を込めた。


 歌わなくとも十分な戦闘力は発揮されるが限度はある。歌うことでギアの活動に必要なエネルギー源である【歌力】を確保出来る。

 歌力が無ければ武器は使い物にならず、身に纏う白銀の鎧は役に立たない。


 ギアの出力を上げようとしても喉から引き出せるのは苦悶に満ちた唸り声のみであった。

 惨めに踏み潰されるわけにはいかなかった。それは彼女にとって【死】は敗北と消滅を意味する。


 死は生きる資格がないと貼られるレッテルである。

 死は存在する資格がないと消される忘却方法である。


 だからこそ死ぬわけにはいかなかった。仲間達が悲しむからではない。無き者にされたくないからである。


 次の瞬間、忌々しい過去が脳裏に蘇る。エミリアは長い前髪で隠した双眸を見開いてわなわなと震え出した。

 頭の中が憤怒で覆い尽くされ、思い出したくない思い出に埋め尽くされていく。


 冷静さを失うと同時に頭上から押し潰そうとしている巨大な《アンノウン》の存在すら消えつつあった。

 幼い少女だった頃、母星が優性遺伝子保持者至上主義となった。両親は謀殺される形で絶命した。年の離れた姉とともに劣性遺伝子保持者の烙印を押された。

 そして兵器となるための実験と訓練を受けさせられた。


 実験台になる素質が無い。そんな理由で脱落と同時に命を奪われた年の近い同類達がいた。


 予想を上回る成果が出ない。そんな理由で無理難題に命を奪われた名の知らぬ小さな被験者達がいた。


 拒絶反応を起こした。そんな理由で肉体改造を施された直後、全身から血を噴き出しながらドロドロの塊になって絶命した哀れで幼い成れの果て達がいた。


『さっさと成功させろ!彼女ならば今まで以上の成果を出せる!僕の命令に背くのか!』


 そんな理由で度重なる人体実験の末、標本として瓶詰にされた姉がいた。


『お前のせいだ!』


 そんな理由で、


『お前が直ぐに成果を出さないから、お前の姉は身代わりになったんだ!この役立たずの化け物め!』


 この異質になった両目も、私という存在を完全否定したバカな科学者おとこがいた。


 思考が停止する。視界が真っ暗になる。

 血液が熱くなる。筋肉が膨張する。


 許せない。

 許せない。許せない。

 許せない。許さない。許さない。許さない!


「テメェも、」


 ワタシ、ヲ、ヒテイ、スル、ノ、カ?


〇 〇 〇


「お二人さん、お取込み中に申し訳ないけど話題の問題児ちゃんが大変なことになってるよ?」


 放っておいて良いのかい?と灰沢が訊ねた直後、ギアの異常を報せる警告音が指令室に鳴り響く。


「イエロー・ギアの数値、急上昇!やばいよ、千鳥。このままじゃエミリアさん、《暴走》しちゃうよ!」

「分かってる、ラルゴ!だけど、」


 俺達じゃどうすることも出来ない、と千鳥は苦悶の表情を浮かべる。指令室からの支援は限られていた。


 《アンノウン》出現時の位置特定や被害状況、民間人の救護に対する情報提供や援助、そしてシオン達が装備するギアの数値を監視することである。

 ギアの数値や機能に異常が発生した場合、奏着者の生命を第一に千鳥達スタッフが出来る手段は僅かであった。


 手動による遠隔操作で武装を強制解除。もしくは活動を鎮静させる【サイレントプログラム】の起動のみだ。


 ギアの停止は緊急事態のみ許された選択肢であり、ミランダの許可の下でなければ実行に移せなかった。 

 それ以上に迂闊には手を出せない状況であった。ギアの停止が巨大な《アンノウン》の足下に居るエミリアの生命を危険に曝すことになるからだ。


『指令室、何が起こってる!Sエリアからでも目視出来る《アンノウン》が出現したぞ!』

「エミリアが対応中だ!そっちはそっちで集中しろ、人魚の王子様!」

 

 シオンからの通信に千鳥は掻い摘んで応答する。全貌を明かすわけにはいかなかった。

 もしエミリアの現状を知ってしまったらSエリアから駆け付ける可能性が高い。毒舌で皮肉屋のくせに一度でも認めた相手にはとことん世話を焼く。


 ツンデレにも程がある、と千鳥は内心呆れながらラルゴとともに対応に追われていた。

 フォルテとミランダの二人は互いに睨み合いながらも聞き耳を立てていた。周囲の状況を優れた聴覚で捉えると最初に行動したのはフォルテであった。


 ミランダの手から離れるように彼女は自らの手で予備の【歌力】に切り換えるプログラムを中断させる。

 ミランダを一瞥してからフォルテは画面を切り換えるとエミリアに呼び掛けた。


「応答しろ、ジョルトイ!聞こえてるなら返事しろ!その状態で《暴走》したら死ぬぞ!」


 警告音が鳴り響く指令室にてフォルテは何も応えないエミリアへの焦りと苛立ちを露にする。

 彼女の隣に立つミランダはメイン画面に映し出されたWエリアの状況を無言で見据えていた。


 緊張が高まる指令室を灰沢は横目で見渡す。悠然とした様子で表示されている全エリアを一通り眺めてから何も言わずに背を向けた。

 真っ先に彼の異変を桃花は気付く。退出しようとする彼にスミレ色の瞳を向けた。途端に灰沢と目が合う。


 彼は桃花に微笑むと人差し指を口元に当てる。「静かに」と無言で告げてから灰沢は指令室を後にした。


〇 〇 〇


 おどろおどろしい雰囲気を漂わせるエミリアに陽介は言葉を失う。彼女が両手で押し上げていた巨大な《アンノウン》の足は侵食するように白く変色し始め、周囲のコンクリートは見えない力によって罅割れて砕けていく。


 白銀の装甲が不気味に赤黒く染まり出したことで陽介は事の重大さを理解する。しかし彼にはどうすることも出来なかった。エミリアを救いたいと思っても、そのための力を持っていない。


「俺は、」


 此処でも何も出来ずに見ているだけなのか?と陽介は自身の無力さを痛感した。エミリアの変異を見ている以外に能が無いと悟った彼の意識は次第に遠退いていく。

 視界が『銀』の世界に塗り潰されると同時に陽介は己を手放した。


〇 〇 〇


『ジョルトイ!聞こえているなら応答しろ!ねぇお願いだから返事をしてよ、エミル!』


 意識が淀む。(何モ分カラナイ)


 視界が歪む。(何モ見エナイ)


 血液が濁る。(何モ感ジナイ)


 筋肉が軋む。(何モ聞、)


「お止しなさい、我が綺羅星。」


 声が、聞こえた。


「闇夜を照らす星が自ら地に堕ちてはならない。」


 視線を、感じた。


「その輝きを道標にする者達が路頭に迷ってしまうぞ?」


 研ぎ澄まされた刀から放たれる温かな光のような声色に聞き覚えがあった。顔を上げると見覚えのある淡い青銀色の瞳が悲しそうに、困ったように窺っていた。

 

 心身を蝕む憤怒が消え去り、胸の奥底に封じ込めていた懐かしさが込み上げる。目の前に居るのは仕方なく助けた赤の他人なのに何故心が温かく痛むのか、エミリアには分からなかった。


「   」


 無意識に『燻し銀の師』の名前を口にした時、絶望さえ切り刻むような斬撃音に彼女は我に返る。

 激痛に悶え苦しむように巨大な《アンノウン》は甲高い悲鳴をあげた。エミリアを踏み潰そうとしていた足が一瞬にして解体される。


 白く変色して砕け散る足の一部から退避する彼女の目に入り込んだのは『燻し銀の師』のような微笑を浮かべて手を振る陽介の姿であった。

 巨大な《アンノウン》は肢体を支えられずに転倒する。その腕が陽介の頭上に勢いよく振り下ろされた。


 危ない。


 彼女がそう叫ぶ直前である。砂煙と轟音に包み込まれるように陽介はエミリアの視界から姿を消した。

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