【序】Ⅳ『脅威との遭遇』

 

 スピーカーを通じて伝えられる現実に町中は大混乱に陥った。目の前で赤信号を表示していた信号機は瞬時に変形し、シェルターの場所を記す案内板となる。

 規則正しく佇んでいた電柱は警戒警報の発令とともに内蔵されていた専用の標識が現れ、『caution』という文字を表示している。

 

 人々は逃げ惑う。我先にとシェルターへ駆け出す。

 恐怖や不安による悲鳴が上がる。罵声が飛び交う。

 幾多のクラクションが鳴り響く。鈍い衝撃音が響き渡る。


 陽介は青い瞳に入り込む現実を呆然と眺めながら立ち尽くしていた。何が起きているのか全く理解出来なかったのだ。例えるならば映画の一場面を見ている心地である。

 地球侵略を企む宇宙人の船が出現し、町を襲い始める。非現実が現実を侵蝕していく。その早さについていけない陽介だけ喧騒の中で独り取り残されていた。


 茜色の空が一瞬にして黒くなる。薄暗くなり始めていた夕刻の空で起きた出来事に誰もが驚愕し、困惑し、そして恐怖した。


「あれは、何だ?」


 陽介が恐る恐る空を見上げると彼の視界は『黒』の一色に支配された。 

 

 空が黒くなったのではない。空を飲み込むほどに巨大な戦艦が町の上空に浮かんでいるのだと陽介が状況を把握した瞬間、戦艦から勢いよく何かが産出された。

 それは砲弾ではなく『卵』である。戦艦は母体のように多くの卵を産み出し、産出された卵は瞬時に孵化した。


 生まれた存在達が恐ろしい化け物であることを知る人々はシェルターを目指して走る。事の重大さに気付いた陽介は自転車を食堂に続く道に向けると一目散に漕ぎ出した。


〇 〇 〇


 目の前で繰り広げられる光景にシオンはうんざりするように顔を顰めた。


 慌ただしく廊下を行き来する多くのスタッフ。

 緊急の生放送を流す準備を始めたスタジオ。

 最新の情報を何度も確認するニュースキャスター。


 今日のスケジュールには人気音楽番組の生放送特番が組み込まれていた。自分達の出番は疾うに終わり、司会者との退屈なトークも済んだ。後はカメラの前で他の参加者達とともに笑顔を向けて手を振るだけであった。

 その直前で伝えられる《アンノウン》の出現にシオンは深く溜め息を吐いた。


 異星人との邂逅から十年経ったある日、地球は正体不明の未確認生物に襲撃されるようになった。

 未確認生物は世界的な規模で災害を引き起こし、各地で生々しい爪痕を残した。地球に限らず他の惑星でも出現し、それらによって壊滅の道を辿った惑星も少なからず存在した。

 

 宇宙に存在する惑星の首脳が集う会談【銀河サミット】にて、未確認生物を指定大災害として認定。


 名称を《アンノウン》とした。


 《アンノウン》の外見は地球の言葉で例えるならば潜水服に酷似する。しかし、ただの潜水服ではない。

 微生物のような形状の恐ろしい何かに寄生されたことで突然変異を起こし、一定の目的を果たすための意思と禍々しい容姿を持った化け物としての潜水服である。


 攻撃手段は二つ。一つは人間を飴細工のように嬲り殺す圧倒的な腕力を用いての物理攻撃。人間として容易く死ぬことは出来るが、もう一つはとても厄介な攻撃だ。

 それは《アンノウン》が吐き出す『泡』である。浴びると全身を蝕む激痛にもがき苦しみながら跡形もなく消滅、もしくは泡に含まれるウイルスによって心身が変貌して《アンノウン》となる。


 《アンノウン》の行動は常に予想不可能だ。何処の何時に現れるのかなど不明で、規模など不特定である。

宇宙には多くの《アンノウン》専門家が存在するが彼らは《アンノウン》の不可解さに日夜手を焼いていた。

 

 そんな無駄な足掻きをする専門家達にシオンは皮肉に思う。


 本当の意味で《アンノウン》を知るのは自分達しか存在しない。何故、今も無意味なことをし続けているのか理解出来なかった。

 唯一の対抗手段が《アンノウン》殲滅に特化した部隊の存在だが、どのような集団なのかは謎に包まれていた。

 マスメディアでは常に殲滅後の様子が取り上げられるが殲滅した人物達の姿はない。


 理由は単純明快、知られたら困るからだ。手段も人間も数に限りがあれば取捨選択になる。

 運良く助けて貰えた人々は大袈裟に称賛するが、運悪く助けて貰えなかった人々は口喧しく非難する。

 もし何者なのか分かってしまえば罵声を浴びる羽目になり、変な邪魔をされるのは一目瞭然だ。


 日常的に手の平を返す人間達のために戦いたくないと思いつつも、それでも戦う理由がある。

 今も帰らない【彼】のために、【彼】が守り続けた地球のためにも戦う意義があった。 


 ツンツン、と自分の二の腕を突く何者かの指先にシオンは気付くと特徴的な黒い瞳を静かに向ける。

 其処には黒紫色のステージ衣装を身に纏う少女が赤く大きな瞳で物言いたげに見上げていた。


「ああ、ごめん。ちょっと考え事。」

「しおん、ぼんやり、だめ。ゆだん、たいてき。」

「そうだね。《アンノウン》が出現してる時なのに。」

「どう、うごく、する?」


 特番のために用意された青いステージ衣装を身に纏うシオンに紫の少女は拙い地球語で訊ねる。

 【本業】のために此処を抜け出すならば『今』しかないだろう、と判断するや否やシオンは周囲を見回してから紫の少女に回答した。


「ヴァネッサ、ミランダに連絡して。被害状況や出現地域が知りたい。」

「りょーかい。」


 紫の少女、ヴァネッサ・ヴァイオレットは華奢な手首に装着していたリングを起動させる。

 紫色のラインが入ったリングに小さなコンソール画面が出現するとヴァネッサは細い人差し指で素早く画面を操作した。

 リストからミランダの名前を見つけるとヴァネッサは彼女の端末に向けて発信を試みる。


 通信に出たミランダと対話するヴァネッサを目視すると、シオンは緑色のステージ衣装を着用した男性と黄色のステージ衣装を着せられた女性に告げる。


「ベンジャミン、エミリア。局内にいる人々の避難誘導を頼む。」

「ああ、分かった。」

「めんどくさっ。」


 シオンの指示に緑の男性、ベンジャミン・グリューンは二つ返事で引き受けるが黄色の女性は不満を呟いた。

 

 黄色の彼女、エミリア・ジョルトイは特徴的な長い前髪で双眸を隠しているため表情は読み取れないが不満の色だけは露骨に表れていた。

 エミリアは【少女だった頃の出来事】がきっかけで酷い人間不信に陥った過去がある。

 これでも当初より丸くなったが彼女にとって赤の他人は足元に転がる石ころ当然だ。

 

 このまま真っ直ぐ向かって《アンノウン》をぶっ倒せばいいでしょ?と言わんばかりの雰囲気を放つエミリアにベンジャミンは苦笑しながら宥めた。


「エミリア、確かに避難誘導は面倒な作業だ。でも、オレ達がその場にいたという証拠は必要だ。それに人柄の良さをアピールするには打って付けだ。良い点数稼ぎだぞ?」


 だから仕事の一つとして取り組むと全然違うぞと語るベンジャミンにエミリアは後頭部で結い上げられた黄色の長髪を乱暴に弄りながら少し考えた後に渋々と無言で頷いた。

 この人は赤の他人でも助けようと手を伸ばせる。自分とは正反対だ、そういう点では絶対に敵わないとエミリアはベンジャミンを見上げながら思う。


 どんなに面倒な仕事が来て断ろうとしても「頑張ろう、良い経験になる」と説得する彼に自分達はやり遂げようという気になってしまうのだ。

 仕方が無い、今回も面倒事を頑張ろう。エミリアは肩を竦めると淡い緑の短髪と黄色の瞳を持つ筋骨逞しい彼に言う。


「分かったわよ、ベン。やれば良いんでしょ?やれば。」

「大丈夫、大丈夫。お釣りはたんまり来るから。」


 それじゃあ始めるとしよう、とベンジャミンはエミリアを連れてスタジオを後にした。

 ミランダとの通信によって得られた情報の数々を整理するヴァネッサの隣でシオンは次の行動に移る。

 

 ヴァネッサ同様、手首に装着したリングを起動させた。青色のラインが入ったリングに小さなコンソール画面が出現すると彼は何の迷いもなく操作してから表示された【人物】の名前をタッチしてコールを発信した。

 

「レイ。」

『なぁに、シオンくん!今はとっても忙しいの!後にしてくれない?』

「こっちなんて倍以上に忙しくなるっての。そちらはどうなんだ?」


 スクリーンに現れたのは顔見知りの男性である。白髪でアシンメトリー・ヘアーの彼はシオンの問い掛けに対して「分かっているわ!だから聞かないで頂戴よ!」と言わんばかりに返答した。


『先ずは悪いニュースよ。ギアの搬出が遅れてるわ。』

「何だって!」

『文句ならドクターに言ってよね。新機能を搭載するって言い出して聞かないんだから。』


 こんな緊急事態に何を言い出すのよ、伯父様ったら!と呆れ果てているレイモンドにシオンは同感する。


 如何なる時でも《アンノウン》との戦闘に控えなくてはならない。「今から襲撃しに行きますね」と律儀に告げるような奴等ではないのだ。

 挨拶代わりに全力で無差別攻撃する相手が迫っているのに新機能とやらで時間を取られるわけにはいかない。


「《アンノウン》がもう目の前なんだ。時間を取られちゃ困るんだ。」

『シオンくん、それはあんまりだよ!』


 新機能搭載に着手しているであろうドクターへの文句を口にすると画面の中から聞き覚えのある声が勢いよく飛んできた。

 嫌な予感しかしない。直後にシオンの不安は現実となり、レイモンドを突き飛ばす(というか突き飛ばした)ように突然現れた人物を見た彼は露骨に嫌な顔をする。


 丁寧に撫で付けられた灰色の髪。

 綺麗に切り揃えられた灰色の口髭。

 多くの実験を重ねて所々汚れた白衣。

 その下から覗かせるストライプ柄のワイシャツ。

 首に下げるのはアンティーク調のポーラー・タイ。


 ロマンス・グレーという言葉が体現された外見に反してハイテンションな声がシオンの鼓膜を貫く。

 スクリーンを埋め尽くすようにぎゅむぎゅむっと映し出されたのはドクターという呼称で慕われている灰沢はいざわとおるの顔である。

 黙って大人しくしていれば多くの女性を虜にするほど素晴らしい見た目の紳士だが喋り出したら止まらない。

 最終的には全てが台無しになる奇人変人科学者兼医者だが腕前だけは本物だ。そして騒がしい。


『《アンノウン》の生態は今も不明!未知数!そして彼らは!そう、【学習】をする!昨日まで効果覿面だった攻撃が今日は効かない時なんて当たり前!新しい機能を搭載すれば対抗策になる!馬鹿にしちゃ困るよ、シオンくん!なんせ、このドクター灰沢が』

『伯父様、邪魔!あと煩い!一刻を争うのよ!』


 レイモンドの体当たりとともに灰沢は画面の外に追いやられる。「酷いよ、レイくん!」と灰沢の声が画面の端から聞こえたが敢えて無視をした。

 体当たりの際に乱れた白髪を鼻息荒く整いながらレイモンドはシオンにこれから新しく搭載されるギアの機能について説明した。


『新機能は二人以上のメンバーと波長を合わせることでギアの出力が向上、そして大多数の《アンノウン》が殲滅可能になるわ。対抗策としては十分よ。ギアの最終調整が完了次第、バトに持たせるから現場に急いで!』

「了解した。」


 レイモンドとの会話を済ませた後、シオンは通信を操作してチャンネルを切り換える。

 スクリーンが変わり、レイモンドと交代するように銀色に輝くボディとライトシアンのオプティックを持つアンドロイドが姿を現した。

 

「バト。」

『はい、シオン様。つい先程、レイモンド様からの通信を頂きました。』

「レイから私達のギアを預かり次第、大至急届けてくれ。」

『かしこまりました、シオン様。どうか、ご武運を。』


 一礼をするバトにシオンは「頼んだよ」と一言だけ付け加えてから通信を切る。

忠実で誠実な執事にして唯一無二の友人を待ちながらシオンは待機していたヴァネッサとともに局内での避難誘導を開始する。

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