第104話 また一人が塵を噛む。

「アルク君。今は君の相手をしている場合じゃない。」

 片手で氷壁を張り、何てことない顔で俺の炎術を相殺するマキハラ。確かにお前は強い。だが、その強さから生じる油断がお前の弱点だ。

 この炎はあくまでブラフに過ぎない。俺の本当の狙いは、地面スレスレに火炎放射を放つ事で床に張り付いた氷の表面を溶かし、マキハラの手元まで伸びる一直線の水の導線を生成する事だ。俺の攻撃は当たらなくていい。奴の指先の氷がほんの僅かでも溶ければそれでいい。


「……!!」

「気付くのが遅ぇぜ!!ハラマキッ!!!」

 流動する水を伝い、放たれたライカの電撃がマキハラを直撃する。大技を使った直後のスキを突く不意打ちだ。さすがの奴でも回避は不可能だろう。さあ大人しく気絶しろ。マキハラ。


 ガシャアァァァァン!!

「な、何だ!!?」

「オレじゃねーぞ!?」

 部屋中の何かが砕ける音が聞こえ、辺り全体が突然の暗闇に包まれる。まさかライカの放電で非常照明が破壊されてしまったのだろうか。あるいはまさか……。

「…!?」

 暗闇に気を取られていると、俺の背後を二本の赤い線がすさまじい速度で通過する。あまりに突然の事で振り向く事すら出来なかったが、あの光の正体はおそらく…人間の眼だ。


「あらあら。最強の氷術使いと云う割には、全ての属性を使いこなしているように思えますが。」

「あ、嘘をついたことは謝りますよ。でも全属性の適性を持っている事が万が一バレでもしたら、クラスAアスカロン認定もあり得ますので。」

 暗闇の中で、エミリア教授とマキハラの会話が聞こえる。強烈な不意打ちをお見舞いしたはずなのに、奴の喋り声にはダメージを受けた痕跡すらも感じられない。これじゃアイツも学部長たちと同じ化け物じゃないか……。

「おい、おいおいおい…。アイツピンピンしてるじゃねえか……。」

 焦るライカが両手を光らせ、一応の光源を確保する。聡明な彼女の事だ。この状況を見れば俺たちが弄ばれていただけだという事もすぐに理解するだろう。最初から気付けない俺達がバカだった。

「待ちたまえ。」

「ひっ…!?」

「ヒイィィィイ!!?」

 戦力外を自覚し、立ち去ろうとする俺たちの肩を誰かが掴む。状況が状況なのでかなり取り乱してしまったが、肩を掴んだのは学部長だった。

「この非常事態、いつタイムマシンが破壊されてしまうかも分からん。という訳で致し方ないのだが…、君達でこのタイムマシンを利用して、数十分前の私に現状を報告してもらえないかね?」


 それは、世界一堂々とした【過去改変】の提案だった。


 提案に乗れば人類初の時間旅行をこの身で体験する事ができ、しかもマキハラの馬鹿げた時間警察ごっこを未然に阻止することが出来る。過去の自分に出会った場合の事を考えると少し不安だが、さすがに出会い頭で対消滅するような事は有りえないだろう。ともあれ、今の状況でそんなデメリットをいちいち考えてる余裕はない。

「…行きます。」

「当然オレも行くぜ。」

「ならば来たまえ。長引けばエミリア君が死ぬかも知れん。」

 洒落にならない冗談を聞き流し、俺たちはタイムマシンの内部へと急いだ。


 バリィィィン!!

 薄暗闇の中、俺たちの目の前でタイムマシンの内装──巨大な砂時計のガラス部分が粉々に砕け散る。おそらくマキハラの攻撃が命中してしまったのだろう。学部長のおかげで飛び散るガラス片は回避出来たが、タイムマシンが受けた損傷はどれくらいだろうか。

 ぴちゃり。破片に紛れて溶けた氷が飛び散る音も聞こえる。だが、ライカの電気だけでは暗くて周りがよく見えない。

「……学部長!今のは…!?」

 尋ねるが、学部長の返事は無い。不審に思い俺も炎を光源に変えてみるが、タイムマシンの周囲は所々が真っ黒になっており、学部長の姿を確認することが出来ない。仕方がないので俺は魔術の炎を消し、文明の利器であるスマホを使って明かりを確保しようとするが……。


「まあ落ち着いてくださいよ、学部長。それよりも見てもらいたいものがあるんです。面白いライブ中継ですよ。」

 俺よりも先に、マキハラがスマホを取り出した。奴は眩しい画面を手で弄り、俺たちに何かを見せようとしている。

 ピッ。ピッ。ピッ。音量の目盛りを上げる音が聞こえる。画面は眩しくて見えないが、音量が上がるにつれて雑音と共に少しずつ人間の声が聞こえてきた。…若干聞き覚えのある声だ。喋り方もハチスに似ている。

 ……ハチス?この声ってまさか、本当にハチスなのか?…やかましい声に交じって聞こえる女の声は、ネギシか!?


『お、おーい?これ誰に繋がってんの?…アルク?だよなやっぱり!…ってか何だしこの…縄!人質かよ!どんなドッキリだよ!!』

『ねえ、かれこれ30分以上待ってるんですけど!!このドッキリまだ終わらないの?』

『門限を過ぎるとライカに添い寝されるから帰りたい。』

『え、えっと…。』

 二人以外にもフウカとアンセルメアの声を聞き取る事が出来た。…声の主はみんな、俺たちの知り合いだ。

「おいマキハラ…!お前まさか……!!」

「そう。これは人質だ。」

 マキハラは割れたメガネを踏み潰し、赤い瞳を輝かせながら悪魔のように嗤う。



「アルク・マックィーン。君は誰が為に歴史を変えるのかい?」


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「さあ、選びなよ。」

 悪魔のような笑みを浮かべ、マキハラは俺たちにスマホを放り投げる。とっさの事で反応が遅れたが、スマホをキャッチしたのはライカだった。画面に映っているのは間違いなくあの四人。全員が等間隔に並べられ、椅子に縛り付けられている。


「フウカ!?…フウカなのか!?」

 暗闇の中、眩しく光るスマホの画面を顔に寄せて人質の様子を何度も確認するライカ。二人はスマホの小さな画面越しに互いの名前を呼び続ける。あれだけ勝気だったはずの彼女なのに。今はもう、見るに堪えない有様だ。


「二者択一だよアルク君。友達を見捨ててここで死ぬか。あるいはタイムトラベルを諦めるか。」

「……。」

 二つの選択を提示し、俺たちに決断を迫るマキハラ。タイムトラベルを望めばアイツは人質を殺し、俺たちすらも殺しに来る。一方でタイムトラベルを諦めれば、俺たちは過去へ飛ぶ事が出来なくなる。


 ……ああそうか。それだけで済むんだな。

 俺は呆気に取られてしまった。こんな決断、初めから選ばせる意味も無いじゃないか。タイムトラベルなんてのはただ単に面白そうだと思って志望しただけだし、友達を見捨ててまで無理に飛ぶ理由が無い。そもそも安全に飛べるかどうかも怪しいし、飛ばなきゃ未来が滅ぶという話も脈絡が無さすぎる。


「……諦めよう。」

 俺は決心するまでもなく呟いた。そう。それだけでいい。諦めればあいつらを全員救えるんだ。かけがえのない友達の命に比べたら、命をかけたタイムトラベルなんてやるだけ無価値だろう。

「ライカ、俺はタイムトラベルを諦める。」

「……フウカが救えんならオレも諦めてやるよ!!……なぁハラマキィ!!それでいいんだろ!!?」

 二人の意見はすぐに一致した。違えるはずもない。


「決まりだね。じゃあ一緒にタイムマシンを破壊しようか。」

部屋全体の青白い微弱な非常照明が再点灯する。目の前に立っていたのはやはりマキハラだ。奴は俺たちに手を差し伸べて協力を仰いでいる。

「ほう。諦めるのかね。」

 学部長が俺を呼び止める。だが、俺は振り向かない。学部長には申し訳ないが、もはや俺たちに敵味方を選ぶ意思は無い。

「これで三体一だね。」

 俺とライカはマキハラの手の上に自分の手のひらを重ね、団結の意を示す。皮肉にもこれで再び三属性のバランスパーティが成立してまった。しかし、三体一という事はつまり、マキハラは既にエミリア教授を倒しているという事になるのだろうか。教授には時間停止魔術があるはずなのに、それですらマキハラには敵わなかったという事なのだろうか。

 俺は床に点々と残された血の跡を追い、半壊したタイムマシンの奥の壁を見る。するとそこには散乱したタイムマシンの破片と、血だらけで横たわるエミリア教授の姿があった。血だらけの彼女はぐったりとしたままぴくりとも動かず、生きているのか死んでいるのかも分からない。はっきり言って、あれだけ大量の血を流す瀕死の人間を現実で見たのは生まれて始めてだった。映画なら全然平気なのに、現実の世界で容赦なく流れ出る真っ赤な動脈の血は本能的に恐ろしくて、意識とは無関係に目が逸れた。


「彼女の時間停止能力には苦戦したよ。でもね、彼女とて僕の【能力創造能力】の前では敵じゃない。」

「んな自慢話は聞いてねぇ!!さっさとタイムマシンぶっ壊してオレのフウカを返してもらうぜ!!」

 叩き付ける勢いでマキハラにスマホを返却するライカ。彼女の両手は既に電気を帯びており、破壊する意気込みは十分だ。だが、タイムマシンの前にはまだ学部長一人が立ちはだかっている。彼は両手に短剣を構え、その場から動かず俺たちに声を掛けた。

「アルク君。ライカ君。本当に諦めてしまうのかね。私ならば人質を救出する手立ても考えてあるというのに。」

「止してくださいよ学部長。あなたがその場から少しでも行動を起こせば、僕はこのスマホで指示を出して人質を一人ずつ殺させます。貴方とて娘のアンセルメアを死なせたくは無いでしょう?」

「……そうか。」

 マキハラの説得には動じず、今なお短剣を構え続ける学部長。このままでは本当にアンセルメアが殺されてしまうかもしれない。危機を感じた俺は、マキハラに続いて学部長への説得を試みた。


「聞こえたろ学部長!!もう……やめてくれ!!未来の危機とか、そういう事は俺も分かってる、けど!!今は今を大事にするべきだろ!!」

「学部長テメェ…!!自分の子供だろ!!子の事は親らしく大事にしやがれってんだ!!」

 俺に続いて、ライカも説得を始める。彼女の言葉は少々荒っぽくて鋭いが、人の心に刺さる強い何かを感じた。

 これなら学部長も納得してくれる。タイムトラベルを諦めてくれる。そう思った矢先だった。



「いいや?…私は一向に構わんよ。出来の悪いアレで良ければ思う存分に殺したまえ。」


 それは、あまりにも早すぎる踏み込みだった。50メートル近く開いていたはずの間合いが、ほんの半歩で0メートルに縮まった。はっきり言って時間停止と全く大差ない挙動だった。マキハラの片腕は千切れ飛び、学部長は彼のスマホを奪い取って人質に通話を試みる。


「もしもし生徒諸君。私だ。」

『誰だよ!?』

『誰って…学部長じゃない!!』

『学部長、たすけて。』

『お、お父様……?』

 突然の学部長に騒めくが、事情を知り一斉に安堵する生徒たち。驚いた事に、彼らを誘拐したのはハチス家の執事であるロミューさんだった。普段優しい人ほど変貌すれば恐ろしいと言うのはあながち本当の事かも知れない。


「さてアンセルメア、事情は説明の通りだ。残念だが私ではあの男には勝てん。かと言って悲願を諦めるわけにもいかん。」

『はい…!私もお父様が夢を諦める姿を見たくはありません!』

「そうか。ならばアンセルメアよ。お前は理由付けの為に今ここで死ね。」

『はい!お父様の為なら喜んで!!』


 スマホのスピーカーから漏れる大音量の悲鳴。


 アンセルメアは何の抵抗もなく学部長の言葉を聞き入れ、それを実行した。

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