一年目の秋と冬

紅葉狩りへ



 それは――とある秋の日の、夕食時のことであった。



「いろは、今度の休みの日には紅葉狩りに行こうか」

 圭人としては、きっといろはが喜ぶだろうと思っての提案だった。いろははよく庭に出て、樹木や花を眺めたりして過ごしているようので、きっと自然が好きなのだろうと思っていたのだ。

 しかし、いろははスープ用の銀のスプーンを手にしたままで固まっている。

「……どうした、いろは。紅葉は嫌いだったか?」

「え、えぇっと……ねぇ圭人、貴族様にはそういう風習があるものなの……?」

「ん? まぁ、一応、そういうのは随分昔からあるみたいだが」


「そう……そっか……えっと、えっと……貴族様って変わったもの食べるんだね……私、紅葉なんて食べたこと無いから……」


 直後、食事の場の礼儀作法もお構いなしに圭人が爆笑したのは言うまでもない。






「……なんで紅葉を見ることをわざわざ紅葉狩りなんていうんだろ、紛らわしいね」


 紺色の自動車から圭人の手を借りて降りながら、いろはは恥ずかしそうにそう呟く。

 休みの日、圭人はいろはと約束通り紅葉狩りに来ていた。

 桜都から少しばかり車を走らせたところにある小さな山は、いい具合に赤と黄に染まっていて、ところどころには緑が残っている。

「さぁ、ずっと昔からそういうことになっているからな。一説には――」

 圭人の左手は弁当の重箱包みを持ち、右手はいろはの手を握っていた。

 さすがに山の中であちこち動き回って迷子になられたら、危険だ。

 すでにいろはには居場所を探知する魔法に必要な“魔法の目印”を付けているので、どんなに離れても問題はないのだが、迷子にならないに越したことはない。

 メイド長の胡蝶も同じようなことを考えたようで、今日はいろはの服装は活動的な洋装……ではなく、わざわざ和装だ。クリーム色とピンクの地に秋の植物が色とりどりに描かれた着物と紫色の帯、半襟は紅葉を刺繍したもので、帯留めは小さな赤い石が光っていた。それに赤い手袋をしている。圭人としては和装に手袋はいかがなものかと思ったが、実際に合わせたところを見てみるとこれがモダンな雰囲気があってなかなかよろしかった。

 

 絵画のように美しい紅葉山をいろはと散策して歩く。


 いろははやはり自然の中に居られることが嬉しいようで、圭人の手を引っ張って元気よく先を歩いていた。

「いろは、今日は和装なのだから、もう少し大人しやかに歩けないのか?」

「だってだって、こんなに綺麗な空気は久しぶりなんだもの! ね、もっと上の方まで行ってみようよ!」

「だめだ。いろはの足袋が汚れてきているからな」

 いろはが、自分の足元に視線を落とす。腐葉土に沈み込んだ足先が、泥で汚れている。

「あ……これ、胡蝶さんに怒られる……かな?」

「かもしれんな」



 とりあえず上に登るのは諦めてもらい、適当なところで持参の弁当を食べることになった。

「えへへ、今日のお弁当はね、私が作ったんだよー! 胡蝶さん達にも手伝ってもらったけど」

「厨房に入ったのか?」

「レディっていうのはそのお家のことをなんでも知ってないといけないから、厨房の仕事のこともちゃんと把握してないといけないんだって。圭人、知らないの? 雑誌にもちゃんと書いてあるよ」

「う……まぁ、そう言われれば、そうなんだが」

 綺麗なドレスを着て微笑み、つつがなく社交を行い、バイオリンやお琴を奏でたり、芸術について語らうだけがレディの役目ではない。わかっている、わかっているのだが、そういうところがわからないのが、圭人が女性というものを理解してないからなのだろう。

「で、いろははどれを作ったんだ?」

 魚に肉に卵に豆に根野菜が詰まった色とりどりの美しい重箱の中身を覗き込みながら、いろはに尋ねる。

「卵焼き! 卵の殻は入ってないよ。多分!」

「多分ってなんだ」

「ある、を証明することは出来ても……いない、を証明することはできないから……多分なの!」

「おい……そこで悪魔の証明を持ち出すか?」

「この間知ったんだ、で、使ってみたくて、えへへ」

「まぁ……いい、食べるか」

「うん!」

「「いただきます」」

 圭人はさっそく、卵焼きに手を伸ばす。

 中にはひじきと人参の煮物が混ぜ込まれている。味付けはだしを使わず醤油と砂糖を使っているようで……どちらかといえば和桜国東方の料理方法で作られた卵焼きである。

 噛み締めて咀嚼すると、甘じょっぱい卵の味。

「うん、美味いじゃないか」 

 もちろん、卵の殻の食感など存在しない。

「お、美味しい? ……よかったぁ」

 いろははうつむいて、三角のおにぎりを頬張っている。ちらりと見える赤い具材は、おそらく秋鮭。

 ……どうして人の食べているものは、こうも美味そうに見えるのか。

「鮭にぎりも、美味そうだな」


「じゃあ食べる?」


 ごく自然に『それ』は差し出されて――


 圭人は赤い秋鮭と握られた飯を頬張った。


「「あ」」


 二人は見つめ合い、そして同時に同じ音を発した――が、その意味するところはまるで違った。


「圭人ひどい!! 鮭の具のところ全部食べちゃったなんて!!」

「何故俺が怒鳴られねばならんのだ!! どう考えてもお前が悪い!! 何故差し出すんだ、自分の食べかけのものを!!」

「でも……だって……だって……」


 でも、と、だって、を繰り返すいろはの声は次第に小さくなり。

 そして――


「だって……お父さんやお母さんとは、こうして食べてたんだもの…………。ごめんなさい、圭人」


 しょんぼりと謝罪するいろは。

 その姿に、圭人も申し訳ない気持ちがあふれてくる。


「……その、俺もすまなかった。大人気なく怒鳴ったりして」

「うん……ごめんなさい、圭人」

「……あぁ」


 そのときだった、ひぅぅぅ……と山から冷たい風が吹いたのだ。

「……いろは、寒くないか?」

 いろはは上着を着ていない。動き回っているときならともかく、座っている今は寒いのではないだろうかと、圭人は案じた。

「……ちょっぴりだけ」

「これでも羽織っていろ。あとで返せよ」

 そう言って圭人がいろはにかけてやったのは、えんじ色の大きなショール。

 それは不思議と、今日のいろはの装いにしっくりきていた。


「うん……ありがとうね」

「お前に風邪でもひかれたら、一大事だからな」

「……うん、ありがとうね」


 きゅ、と……いろはがストールの合せ目を抱きしめた。





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