06本目 残り火から育った大禍

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それは既に物言わぬ物体ものだった。


魔核を引き抜かれ、心臓を止めたその死体は、永い時の中で静かに朽ち続けていた

右目ごと頭部に大穴が空き、残った左目は完全に濁り、かつて煌きを放つほど艶やかだった紅の鱗は黒ずみヒビ割れ所々苔して、指や爪の間にはツタが絡み入り込んでいる。そもそもその巨体の中ほどまでが、風によって運ばれた土によって隠されていた。


そう、もはや死体は土に還るか化石と成り果てるだけの時間は過ぎていた。にも関わらずその死体は、多少朽ち果てようともその原型を留めていた。勿論腐ってもいない。


かつて内包した膨大な魔力の影響なのか。

ただ、もはや動くことはない、それだけは確かだった。


―――確かなはずだった。




§




体高4メートル、体長10メートル。筋肉質の巨大な後脚、発達した前腕、剣のように鋭い歯が並ぶ顎。全身を覆う鱗。

それはアッシェが〝異形〟と出会う前、アラオザル大森林の中で壮絶な被追撃戦おいかけっこを繰り広げた、正体不明の亜竜ディノシアだった。

〝異形〟の行動範囲と重なっているようで、実はこれまでも何度か出くわしていた。

だが毎度、アッシェの傍にいる〝異形〟に礼でもするかのように頭を下げると踵を返し、そそくさと立ち去ってしまうのだ。

その巨体に見合った振動と足音を響かせて歩くその存在感は、アッシェにとって脅威としか映らなかったが。


ググオオオオオオオオ――――!!!!!


ともかくそれほどまでに強大でありながら、なおかつ〝異形〟との交戦を避ける程度には頭の廻るその大型亜竜が、


―――オオオォォォォォォォォ…………


まるで何かに追い立てられるようにして、異形とアッシェの目の前を駆け抜けていった。

「これは……」

それを見送ったアッシェが呟く。いいや、彼は呟くことしかできなかった。

陽が傾き、森は紅に染まっている。アッシェと異形はこの日の探索を切り上げ、ねぐらである洞窟に戻ろうとしていた。そんなときに、この光景に遭遇した。

目の前を走り去っていった大型亜竜だけではない。風を従える旋狼ガルムも、巨体を誇っていた魔熊も、普段は身を隠す被食動物たちも。魔獣ではない動物も含めて、いつも〝異形〟に襲い掛かっていた啄竜オルカニバスまでもが、一切異形やアッシェに注意を払わず、森の中を一目散に走っていく。

いいや、普段は大人しく樹に擬態している擬樹霊ドリュアスまでが、そのを大地から引き抜き全力で駆けている。

二〇メートルはあろうかという胡桃カリュアモレアなどの巨木が走るさまは、そうそうみられることではない。彼らドリュアスが動く時は十数年に一度の大繁殖期か、根付いた

「一体何が……!」

そんな呟きは大地が揺れるかのような音に掻き消され、何の意味も持たなかった。ひとまず状況を確認しようとアッシェは走り出す。塒の洞窟の裏は高台となっている。その場所から見渡せば、少しは状況を見通せるだろう。


異形はアッシェの背を見送りしばし佇んだのち、やがて彼を追い始めた。

せっかく得た係わることのできる人間。それを些細なことで失いたくなかったのだ。


人間と異形は、魔獣が溢れ惑う大森林を進んでいく。




§




声が、微睡まどろみひたを呼んだ。


定められた目覚めの時には、少し早い。

しかし彼らは呼び掛けに応えるように目を開く。


彼らは主と舞い踊るものども。

主の振る舞いは彼らの振る舞い。彼らの喜びは主の喜び。

主の大敵は、彼らが討つべき大敵。

彼らは大敵を討滅するものども。


故に彼らは、その声に応えるようにして目覚め、


それは千年間眠り続けた激情の残骸だった。

だがその残骸に今、彼らは宿っている。

千年という長い時間ときに抗い続けたその無念こそが、彼らの最高の糧だったから。


果たして彼らが骸を喰らったのか

それとも彼らは骸に喰われたのか


だが一つだけ言えることがある。

それは彼らが歓喜に震えていることだけだ。


故に彼ら眠りを拒絶する猛々しく狂い踊る

行き場のない激情の発露を求めて相応しき大敵が其処にいる


その朽ちた血肉がその敗北した魂が一片まで崩れるまで全て燃え尽きるまで


彼らは動き続ける。




§




アッシェと異形とが高台から見下ろす森は、紅に染まっていた。

それは夕焼けの優しい色ではない。既に日は地平線に隠れている。

―――それは緑の上を這い回る、乾いた灼熱の炎の紅だった。

「馬鹿な……」

そう呟くアッシェの視線は一点に固定されていた。

大森林を焼き魔獣たちを煽る炎の元にいるのは――目算で全長十五メートルほどの大きな影。

長い首と長い尾。四足で大地を踏み砕き、両翼を誇るように広げている鱗の巨体。

本を読んだことが一度でもあるならば、子どもでもその姿を知っている。あらゆる絵本のどこかにその姿は描かれている。

人属ヒトはその名を、畏怖と尊敬とをこめて呼ぶ。


―――龍属ドラゴニア、と。


だが、その光景は異常に過ぎた。

争いを好まない龍属が、破壊火災の中心にいること。まるで彼こそがこの惨状大火災を作り上げたかのように。

何より異様なのは、その炎によって照らされた龍属の姿。

疑、龍、生あの龍属は生きているのか?

異形がそうアッシェに問うたように。

左目は白く白濁し、紅色の鱗は黒ずみヒビ割れている。大きく広げた翼膜も、襤褸ぼろ切れのようなありさまだ。

生気を感じるのは、爛々と輝くだけ。それ以外の龍属の体は、まるで屍のそれだった。

そしてアッシェは気づかなかったが、異形はその肉体から〝続いている命の気配〟を一切感じていなかった。

感じたのはどちらかといえば、そう、に近い気配。

だがアッシェは、異形の感覚を知りえない。そして眼下に蠢く姿は、間違えようもなく龍属。ひとまず常識的な対応をする。幸い初対面の龍属への挨拶の言葉は師から教えられていた。

「――まずは、語り掛けてみます。念のために警戒を」

そう異形に告げると、アッシェは魔法を行使する。肺と喉に肉体強化。更に魔法式魔法版〈風の詩〉。己の声を拡大し、より大気に響かせる。

「――我はシャヴォンヌ湖の白龍と縁繋ぎし者!紅の龍属よ、我が声が聴こえるならば応え給え!」

その大音声は、眼下の龍属に間違いなく届くだけの声量だった。

だというのに、龍属は反応を帰さなかった。アッシェの声が響いて消えて、静寂が訪れる。アッシェは龍属の反応を待ち続けた。喉が渇く。足を何かが這い上がるような感覚を覚えた。そう、不吉な予感が這い寄るような錯覚を。

随分長く待ったように思えたが、ようやく動きがあった。

龍属が首を擡げ、こちらを見上げた。

その口元には、完全に制御され活性化した火属性の自然魔力が踊り、その様が紅の燐光として溢れていた。死の気配を撒き散らしながら。

そして次の瞬間、


―――號


分厚い大気を突き破り、太い炎の柱が撃ちだされた。その巨大な紅の光は間違えようもないほど真っ直ぐに、アッシェたちに向けられていた。

「…っ、〈守旋壁ムロトゥルビーネ〉!」

アッシェは用意していた[風壁]の魔法を即座に展開した。補助言語スペルを利用した最速かつ最強硬度での全力展開。

最も適性があるのは炎とはいえ、風に対しても人並み以上の適性を持っている。だがその彼を以てして、その炎の柱を防ぐには不足していた。

間に合わないし、間に合ったとしても防ぎきれない。一瞬もったとしても、次の瞬間には容易く焼き落される、その程度だった。

だが未だ変質しきらない自然魔力はすべて、根こそぎ奪われた。〝異形〟が臨んだ風の護りのために。

ただ異形が願っただけで瞬く間に編み上げられた風の壁は炎の柱と衝突し受け止め――、更にそれを受け流した。

意図的に角度を付けられた[風壁]は炎を滑らせて逃がす。アッシェと異形の足下や周囲が灼熱によって溶けていく。が、それに心乱されている状況ではない。

収束された炎はもはや光の柱と化していた。そしてその内包するエネルギーは、直撃すれば骨まで一瞬で溶かしただろう。それが今目の前で衝突して砕けて撒き散らされ、そこら中を跳ね回っている。

だが炎の柱が勢いを失い、やがては消え去った。

異形の[風壁]の勝利だった。その結果はアッシェにも、衝突の瞬間なんとなく見当がついていた。

そして間違いなく、あの龍属にも。

だからこそ次の瞬間、高台は沸騰し瞬時に蒸発した。

龍属の初撃。その四倍はあろうかという太さの光が次弾として叩き込まれたのだ。

光が過ぎ去った後には、溶解した岩――ドロドロに溶け流動する溶岩が赤く灼熱に輝いていた。勿論そこには、人属の姿も異形の触手も残ってはいない。

彼らは着弾の瞬間、高台から身を躍らせていたからだ。

異形の風の防壁は未だ余力があるように見えた。けれど自らの命を賭金にした勝負を続けるつもりは一切なかった。

アッシェは風の魔法で落下速度を殺し、異形は無数の触手で巨体を支えて衝撃を受け止めた。

アッシェはそのまま離脱し、一度身を隠そうとした。あの龍属と思しき相手とは交渉不可能。無視して逃走するにせよ、或いは積極的に敵対するにせよ、今必要なのは仕切り直し。このまま戦って勝てると思うほど、彼は龍属に対して無知でなかった。

けれどそう思う彼と異形を、強烈な光が鮮烈に照らす。

見れば龍属のもたげた首の周囲を、先ほどまでとは比較にならないほど強烈な光が埋め尽くすように踊っていた。

その一つ一つが、先ほどの火線を生み出す。骨も大地も溶かすほどの熱量を、だ。

放たれればそれはまるで山津波土砂崩れのように、面としてアッシェと異形に叩きつけられただろう。

だが龍属は、その首をさらに持ち上げた。

首が大きく反り、鼻先が天を真っ直ぐに指し示す。

その視線を追ってみれば、遥か高空には亜竜が居た。地上を伺うように旋回する、複数の黒鱗の翼竜ワイバーン

地上の龍属は、異形と人間よりもそちらを優先し、その光を解放した。

――その輝きは先ほどのものとは比べ物にもならない。

まるで太陽のような輝きを以て屹立した光の柱は、夜天を穿ち、森を煌々と照らす。

一瞬遅れて轟く轟音。

大気そのものが爆発したかのような振動がその場に居合わせた全てに降り注ぐ。アッシェは引き倒され、異形の触手によって支えられた。

異形はそのまま身を翻す。アッシェを抱えたまま、龍属から逃げることを選択した。彼にとってあの炎を撒き散らす龍属は、天敵にも等しい。

幸い龍属は天を仰いだまま微動だにしていなかった。その顔面は放った光線の余波か、激しい炎に包まれていた。炎の狭間から爛々と光る右の瞳についさっきまで映っていたはずの翼竜は、今や一頭も存在していなかった。死骸も肉片も、ともかく存在を示唆する痕跡の一片さえ。

「――もはや疑いの余地はありません」

触手に巻きつかれ抱えられながら、アッシェは語った。

いかな龍属の〈魔法の吐息〉が強力であろうとも、天まで届くほどの威力を放つ個体はそう多くない。

考えられるのはよほど成熟した竜か、或いはその

それは、『魔法の始祖』。

或いは『永遠を生きるもの』。

『伝道者』『降臨せし神』『魔の頂点』『明けの明星lucifer』『天の主』『理から絶するもの』――……

数々の渾名を持つそれは、最強と至高と完全の代名詞。


「あれは竜ではなく―――【エルダー】」


苦々し気に呟いたあと、アッシェは続ける。

「そしてあれは生きてはいない。動いてはいるが、間違いなく死体です」

濁り切った左の瞳。罅割れた龍鱗。とても生きているようには見えない。

だが唯一その気配を拒絶する爛々とした右目と、眼前で見せた龍の動き。

それらはつまり、お伽噺でいうところの『生ける死体Lebende Tote』。

とはいえその出典も実在の真否も、現時点での重要事項ではない。

重要なのは、目の前で災厄を撒き散らす龍の死体の出典でどころについて、アッシェの心当たりが一つしかなかったこと。そしてその心当たりこそが最大の問題だった。

―――彼は、親を人属に殺され復讐として殺戮を行った幼き龍。

魔核を引き抜かれるまでの間、四の都市と多数の村々を破壊しつくした復讐の龍。

最終的に同胞である龍に殺され、とある森に墜とされた炎龍。


「千年前に大魔帝国を滅ぼした【国崩し】の狂い龍―――


その死体が、何故だか動いて破壊を撒き散らしている。

そしてアッシェと異形は明確に攻撃を受けた。

間違えようもなく。彼らの生命にとっての脅威だった。


離脱を図る異形の背後で、龍の咆哮が高らかに轟いた。




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【らくがき】

『RPGでまるでラスボスが最初のMAPに現れたかのような』


ちなみに『Glut』はドイツ語で『残り火』或いは『種火』。そして『灼熱』。


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