3-3 「あの狐っ娘め」

「あの狐っ娘め」

 ほんとうは感謝してもいいぐらいなのだろうが、実感がわかない。

 アパートに戻ったおれは、手を握ったり開いたりしてみても、手ごたえひとつない。Qがおれの肩を叩く。

「だんいん……とぼしいのびしろでよくやった。きをおとすな」

「ねぎらうふりして足蹴にするのやめろ」

 修行といっても、山にこもって何箇月も帰らないというわけにはいかない。おれはしょせん文明人だし、Qのこともある。毎日の積み重ね主義であるところの師匠に言わせれば「そうかんたんに効果が出てたまるか」ぐらい言われそうではあるが。

「やるか……たしかあったと思ったんだが」

 おれは押し入れを開けると、カラーボックスやらダンボールやらをひきずり出して中身を検分していった。

「えっちなほん」

「そういうもんはもうすこし念入りなところにしまってある」

 おれは冗談を言いながら捜索を続けた。

「あったぜ」

 筆と墨に硯、そしてつごうのいいことに専用紙も残っていた。

「しゅんがでもかくのか」

「おまえの知識のかたよりなんなんだよ。さてと」

 師匠がおれに施したのは、力の循環を高める特殊な術と、それを維持する呪符の作成方法だった。いまからその札をつくるというわけだ。

「なんて書くんだったかな……」

 これを完成させ身につけておけば、日々生活しているだけで魔力がわずかずつ増幅するとかいう、まるでうさんくさいダイエット器具みたいなふれこみだった。虫のいい要求をしたのはおれのほうだが、話がうますぎるのではないか。


「結論からいえば、いまさら再修行なんかしてもむだじゃ」

 そぼ降る雨の下、師匠ははっきりと言ってくれたもんだった。

「ぬしの強みは立ちまわりの小ざかしさじゃ。それしきの才でなまじの強さを得たところで、相手の警戒を強め、みずからの無謀を招き、死に近づくだけぞ」

「言いたいだけ言ってくれるな。そこをまげてと頼んでるんだが」

「『なんとかしろ』に応えるのは好きじゃが、『そこをまげてなんとか』はわしのいちばん好かんことばじゃ」

 わがままな話もあったもんだ。しかし一理ある。

 おれだって、かのじょの言いぶんを理解しないほど思いあがっているわけじゃない。むかし教わったときに痛感したことだ。

 他者の支援、嫌がらせにも使える強化効果の上書き、そして逃げ足。ここがおれの限界であり、最も強みを活かせる領分。

「しかし、それじゃ天使どもには対抗できん……」

「ぬしゃー」

 師匠は呆れはてたという顔で雨天を仰いだ。雨粒がその顔も身体もすり抜けていく。

「天使相手になんとかしようなんて考えとったんか!」

「いまのところは泳がされてるが、事情が複雑なんだよ。ほかにもあいつはいろんなやつに狙われててな。遠出に連れまわしてるのも、長期間ひとりで置いておけないからだ」

 Qはしゃがみこんで、墓石を這っているかたつむりを眺めていた。

「つまり、べつに新しい力がほしいってことじゃなく、勝ちたいだけなんじゃよな?」

「そういうことになる」

 そういうことになるが、なんかその言いかた、いやな予感がするな。

「では話はかんたんじゃ」

 そう言ってかのじょが見せた悪だくみの笑いに、奇妙な頼もしさがあったのはたしかだ。


 とりあえず言われた内容ですべての符を書けたはずだった。呪符に使われる紙は強靭さと柔軟性を兼ねそなえている。服の各所の裏地にでも縫いこんでおくことで、身体の動きにも影響なくなじむ。

「ほんとうにこんなことでいいのかね」

「いわしのあたまもしんじんから」

「ごもっともだ」

 ひととおり服にセットし終わり、それを着こんでみる。

「やっぱり、とくにそれらしい感じは――」

 言い終えることはできなかった。

 まず平衡感覚が狂い、重力がひっくりかえったみたいな衝撃を受けた。床にじぶんの上半身すべてを叩きつけるように倒れる。

「だんいんっ」

 おれはQに応えるどころか、肺から息をすべて吐きだしてしまったようで、苦痛の声もあげられなかった。

 甘かった。魔法使いにとって、魔法の循環は血液の流れのようなものだ。それを強制的に早回しすることでかかる負担は、肉体をつくりかえるに等しい。

 ただ――

(どうせすぐ慣れるさ、すぐ)

 すでに心の片隅に、そう冷静に考えているじぶんもいたのだった。

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