ヘイ・ジュード (現代ドラマ、作者:黄間友香) 

 私にとってのヘイ・ジュードは、ビートルズの曲ではなくてオルゴールの音楽だった。手でくるくると小さなハンドルを回すと、細かい鉄琴のようなところと、つぶつぶとしたが歯車がピンっと音を立てて可愛らしい曲になる。小さい頃によくぐるぐると回しては、繰り返しこの曲を聞いていた。だから名前すら知らなかったこの曲が、まさかロックバンドのものだったなんて想像すらしていなかった。実はずっと、この曲を子守唄か何かだと勘違いしていたぐらい。お母さんは鼻歌でしか歌ってなかったから、歌詞なんて無いもんだと思っていたし。


 だから今日の授業はびっくりした。親よりもちょこっと上の世代の先生は、カーペンターズとかサイモン&ガーファンクルとかビートルズとかの曲を選んで、授業の最初に私たちに歌わせる。月ごとに変わっていった歌はほとんど知らなかったからよく覚えてないけど、どれも有名なやつ。めんどくさいけど、私的には教科書の内容が少なくなるからちょっと好きな時間。


 今日は月始めだったから、いつもと同じように英語の授業で歌詞の載ったプリントが配られた。タイトルは『ヘイ・ジュード』。初めてのビートルズの曲。長い歌詞は正直、いちいち入ってくる”Hey Jude”のところぐらいしか意味わかんなかい。でも私がプリントをぼんやり見ていると、


「あ、これ知っているよ」


 と隣の子が嬉しそうな声をあげた。CMか何かでやってたのかもしれないけど、もう一度タイトルを見ても私には全くピンとこなかった。だから特に思い入れもなく、プリントに名前を書いた。


 分かったのは先生がテレビでPVを流し始めた時。ちょっとたれ目のおじさんがアップで映ったと思ったら、歌が始まった。


 オルゴールの曲って、こんな歌詞だったんだ。私は慌てて歌詞の載ったプリントを追った。おじさんの声はまっすぐで、とてもあたたかい。不思議な色の目は、画面越しに私の方をじっと見つめているような気分になる。何か、伝えたいことがある。そんな風な真摯な目。おじさんががふとピアノの方に目を移したタイミングで、画面はゆっくりとバンド全体を映し始めた。


 ゆったりと流れるバックコーラスだったりピアノの音、それからカンカンと鳴るドラム。もちろんギターとベースを持った人もいるから、ちゃんとロックバンドだ。


 曲の終盤、たくさんの人が集まって歌い始めた。ただ体を動かして思い思いに歌っていて、楽しそうだ。そしてその楽しそうな雰囲気のまま画面がフェードアウト。歌が終わった。


                  ***


「この曲は、ポールマッカートニーがジョンレノンの息子、ジュリアンに向けて作った曲とされているんだ。**ジョンレノンはその時ちょうど離婚しようとしていて、ジュリアン君がふさぎがちだったからね。これはいわばジュリアン君へ向けての励ましの曲だよ」


 先生がそう言った。そうか、ジュードというのは名前で、曲の間はジュードにお喋りしているような感じだったんだ、と思うとあのまっすぐな視線に合点がいった。きっと、テレビの前で一人寂しく座っているジュリアン君を見ていたんだ。


 多分曲が出来た時、ジュリアン君はきっといろいろなことを抱えて辛かったと思う。離婚と、新しいお母さんができるっていうイベントが、一気にやってくるんだから。ポールマッカートニーはそんなジュリアン君を助けるために、この曲を書いたんだ。


『お前次第で、きっと全てはよくなるから』


 面と向かって言ったらプレッシャーだけど、歌ならきっと大丈夫。そう思ったのかもしれない。素敵な曲をもらったジュリアン君を、少し羨ましいとさえ思う。私はプリントのタイトルに横線を引いて、ジュードからジュリアンと変えた。


                  ***


 家に帰って、オルゴールのハンドルをくるくると回してみた。いつも取り、音楽が流れ出す。でももう音だけじゃない。どんな気持ちで、どんな声で、どんな歌詞でこの歌が作られているのか私はもう知っている。


 ジュリアン君は私よりもずっと年上だろう。もしかしたら、お父さんとかお母さんよりも年上なのかもしれない。本来ならジュリアンさんといった方がいいかもしれない。でも、きっと私とジュリアン君は同じぐらいの年頃からヘイ・ジュードを聞いてきたと思う。だからジュリアン君でいいということにしよう。


 オルゴールはいつもよりも優しくメロディを奏でる。私はオルゴールを鳴らすたびに、ジュリアン君を知らず知らず励ましていたのかもしれない。ジュリアン君じゃなくても、誰かからの一押しが必要な子へ。


 大丈夫、心を開けばきっとうまくいくんだから。私は歌詞プリントを横において、オルゴールと一緒に歌った。


 **Judeの意味については諸説あります。

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