番外編 佐竹清人に関する考察~佐竹清香の場合

 四月に入ってすぐの日曜日。浩一の誕生祝いの席に招かれ、柏木邸に一人でやって来た清香だったが、到着するなり主役の浩一への挨拶もそこそこに、待ち構えていた総一郎に捕まり、皆での会食が始まってからもなかなか離して貰えない状況に陥っていた。

 それを少し離れた所から眺めていた彼女の従兄達は、「今まで大っぴらに可愛がれなかった分、反動が来てるよな」などと苦笑しながら、酒の肴にしていた。


 そうこうしているうちに、だいぶ酒が入った雄一郎達が、総一郎の席にやってきて色々世間話など始めたのを機に、清香はさり気なく席を離れ、漸く従兄達が固まっている場所にこそこそとやって来た。


「お誕生日おめでとう、浩一さん。ごめんなさい、お祝いを言うのが随分遅くなっちゃって」

 引き攣った笑顔で祝いの言葉を述べた清香は、続けて疲れた様に溜め息を漏らす。それを見た浩一は、苦笑しながら言葉を返した。


「ありがとう。そしてお祖父さんの相手お疲れ様、清香ちゃん。俺の事は気にしないで良いからね?」

「そうそう、ここに来た途端、祖父さんに捕まっちゃったし、仕方がないよ」

「ああ、どう見ても不可抗力だな」

「清香ちゃんがお祖父さん達の相手をしているからこそ、俺達が説教されずに、気楽に飲んでいられるんだしね」

「清人さんも、来れれば良かったのにな~。もう俺達と清香ちゃんの関係を秘密にする必要は無くなったんだから、色々突っ込んだ話をしたかったのに」

 浩一に引き続き、周りの皆も口々に清香を宥める言葉を口にしたが、明良が何気なく口にした台詞に、清香がピクリと反応し、申し訳なさそうに口を開いた。


「……えっと、すみません。お兄ちゃん、今日は一緒に行くって言ってたんですけど、大学時代の恩師が急逝したとかで、今、お葬式に出向いてるんです。せっかく一緒に、招待して貰ったのに……」

 気落ちした様に俯いた清香を見て、明良は失言を悟ったが、周囲からも冷たい視線が突き刺さる。

(……このバカ)

(一言余計だ)

(何でここで、清人さんの話題を出すかな?)

 そんな中、清香が浩一に、何気なく話を振った。


「浩一さんは同級生ですから、今回亡くなったその教授の事を知っていますか? 川原教授という方だそうですけど……」

 そう問われた浩一は、僅かに顔を引き攣らせた。


(おい、誰だよそれ? 清人……、お前、架空の教授を作って殺すな。そんなに家に来たく無かったのか? まさか俺の誕生日を祝うのが嫌だとか、女とのデートを優先させたとかいう訳じゃあるまいな!?)

 しかし考えた事を正直に清香に告げた場合、清人から制裁を受ける可能性を考えると迂闊な反応はできず、苦労しながら素知らぬふりを装った。


「川原? ……ええと、清人とは違うゼミを取ってた時もあるし、聞き覚えが有るけど、どんな人だったのかは……」

「そうですか」

 そんなやり取りを真澄は黙って眺めていたが、浩一の引き攣った笑みから容易に真相を悟った。


(あのろくでなし野郎、やっぱりトンズラしやがったわね?)

 密かにそんな事を考えながら、真澄は無言のままグラスを傾けていたが、その隣で少しでも場を明るくしようと考えたらしい玲二が、些かわざとらしく陽気な声を上げた。


「じゃあ清人さんが居ない事だし、せっかくだから清人さんの話題で盛り上がろうぜ? あ、悪口とかでも良いよな」

「清人さんの話題?」

「……盛り下がりそうだ」

「悪口なんて……、どこからどう耳に入るか分からなくて、怖すぎるだろうが……」

 心底うんざりとした声を上げた面々だったが、ここで明良だけは面白そうに身を乗り出した。


「そうかな? 俺はある意味、面白いと思うけど」

「だよな?」

「お前達、怖いもの知らずだな……」

 顔を見合わせて頷き合う玲二と明良に、浩一がうんざりとした表情で溜め息を吐いた時、清香が控え目に話に割り込んできた。


「あの、玲二さん、明良さん。面白いかどうかは分からないけど、ちょうど皆にお兄ちゃんについて、聞いて欲しい事があったの。そして意見を貰いたいんだけど……」

 そう言われて、男達はこぞって清香の方に身を乗り出した。


「うん? 何だい?」

「そういう事なら、いつでも何でも言って構わないよ?」

「何か心配事でもあったの?」

「遠慮しないで、言ってご覧?」

 口々に優しく、心配そうに促された清香は、幾分安堵しながらゆっくりと話し出した。


「うん……、じゃあ聞いて欲しいんだけど。元々お兄ちゃんってどこか超人的な所があるなと思ってたんだけど、最近ある事に関して、ますます尋常じゃない位、鋭くなっていると思うの」

「どういう事?」

「所謂、第六感が冴え渡ってると言うか、『血は水よりも濃し』というか……」

「はぁ?」

「清香ちゃん、分かるように話してくれるかな?」

「あの、えっとですね……」

 そうして清香曰く、『清人の超人的な所』についての話が始まった。

 それは二週間程前に遡る……。


 ※※※


「あ、あの~、聡さん? 私、こんな高そうな服、また頂く訳には。この前、ホワイトデーのお返しに、買って貰ったばかりなんですけど……」

 デート中に立ち寄った店で、例によって例の如く聡や店員に囲まれて服を見立てられていた清香が、ごくごく控え目に異議を申し立てたが、聡は平然と笑い返した。


「ああ、これは遅れた二十歳のお誕生日祝いの分だから、気にしないで? その直後に知り合ったから、贈るのをすっかり失念していてね」

「えっと……、二十歳になってから、もう五カ月経過してるんですけど。それなら、二十一歳になった時にでも……」

 そんな事をもごもごと弁解する清香を眺めていた聡だったが、ここで真顔で呟いた。


「……何だか段々、この服に合わせたアクセサリーも買いたくなってきた」

「え?」

 冷や汗が流れるのを自覚しながら清香が尋ね返すと、聡はにっこりと笑い返しながら、とんでもない事を言い出す。


「何だか、時間が経てば経つ程、買う物が増えそうだね?」

(『増えそうだね?』が『増えるから』に聞こえる! 何かお兄ちゃんに通じる物があるかも……)

 清々しい笑顔を振り撒く聡に、清香は思わず顔を引き攣らせた。と同時に両手に一つずつ持っていたハンガーを見下ろして、本気で途方に暮れる。


(と、取り敢えず、早くどちらかに決めないと、買う物が増えちゃう。うぅ……、どうしよう)

 清香が二枚の服を選びあぐねて困っていると、ショルダーバッグの中で携帯電話の着信音が鳴り響いた。


「え? ちょっと失礼します」

「ああ、良いよ?」

 ハンガーを二つ聡に預けた清香は、慌ただしくバッグから携帯電話を取り出し、通話ボタンを押して話し出した。


「もしもし、お兄ちゃん、どうしたの?」

「……兄さん?」

 条件反射的に聡が僅かに顔を引き攣らせるのを認めた清香の耳に、清人の困惑気味の声が届いた。

「いや、今何となく、清香が悩んでいる様な気がしてな。今、ひょっとして、手にサーモンピンクとペパーミントグリーンの物を持っていないか?」

 その問い掛けに、清香は怪訝な顔で聡の手にある物を見やった。


「確かに持っていて、今聡さんに預かって貰ってるけど……、どうして?」

「何となく、清香がそんな色の物で悩んでいる気がしたものから、電話してみた」

「気がしたって……、あの、お兄ちゃん?」

 戸惑いが最高潮に達した所で、清人が幾分強い口調で言い聞かせてくる。


「悪い事は言わん、サーモンピンクの方にしろ。それじゃあ邪魔したな」

「え? あ、ちょっと、お兄ちゃん!?」

 言うだけ言ってあっさりと清人が通話を終わらせると、清香は半ば呆然としながら携帯電話を耳から離し、手の中のそれをまじまじと見下ろした。そんな彼女を見て、聡が怪訝な顔で声をかける。


「清香さん、兄さんがどうかしたの?」

「それが……、私が『サーモンピンクとペパーミントグリーンの物で悩んでいる気がした』と言われて……。それで『サーモンピンクにしておけ』と……」

 それを聞いた聡は、辛うじていつもの口調で感想を述べた。


「……へぇ、凄い偶然だね」

「お兄ちゃんって、時々物凄く、常人離れした所が有りますから。じゃあこっちにします」

「ああ、決まって良かったよ」

 一人納得して片方を選んだ清香に、聡は引き攣った笑みを向けた。


 そして場所は変わり、昼の時間帯に某レストランに聡ともに赴いた清香は、再び危機に直面していた。

「さあ、好きなのを選んで良いよ? どれにする? 決められなかったら、俺が選んでも良いかな?」

「え、えっと……、一応メニューを見てみますので……」

「勿論構わないよ?」

 愛想良く笑う聡の視線から顔を隠す様に、清香はメニューを開いて中を隅々まで確認し始めた。


(うぅ……、ドレスコードが必要な超高級店ではないにしろ、やっぱりそれなりのお値段……。聡さんにお任せしたら、滅茶苦茶高額コースになりそうだし、どうしよう……)

 そんな風に困惑していると、バッグの中で再び携帯電話がメールの着信を伝えてきた。


「……すみません、ちょっと失礼します」

 聡に断りを入れて椅子に置いておいたバッグから携帯電話を取り出した清香は、送信者の名前を見て戸惑った声を上げた。

「お兄ちゃん? ……え?」

「どうかしたの?」

 そのまま黙ってディスプレイを凝視していた清香に聡が声をかけると、清香は困惑も露わな口調で答えた。


「その……、お兄ちゃんからメールで……、『奢るって言う相手の顔を、変な遠慮して潰すなよ? お前が恐縮する気持ちは分かるが、仮にも一人前の社会人なら、相手が負担に感じる様な最上級コースとかは間違っても注文しない筈だからな。安心して奢られろ』だそうです」

「……はは、それはまあ、一番安い物を頼んだりはしないけど、一番高額なコースを頼んだりしたら、清香さんが負担に思う位分かっているよ?」

 ヒクッと顔を引き攣らせながら聡が応じると、清香が救われた様に聡に笑顔を向ける。


「ですよね? やっぱり良く分からないので、注文は聡さんにお任せします」

「……ああ」

 それから終始笑顔の清香に対し、聡はさり気なく周囲に視線を向けながら、落ち着かない気持ちで食べ終えたのだった。


 昼食を食べ終えて場所を移動した二人は、四季折々の花が整えられている庭園が有名な公園に来ていた。そこを散策しながら、清香が横を歩く聡を見上げて話し掛ける。

「さっきの桜並木、綺麗でしたね」

「ああ、やっぱり桜を見ないと春になった気がしないね。この先にある、ここのバラ園も結構有名なんだよ? 見ごろの時期になったらまた来ようか?」

「はい、是非!」

 互いに満面の笑みを浮かべながらそんな事を会話していると、再度バッグの中から携帯電話の着信音が流れてきた。


「え? 誰からだろう?」

 怪訝に思いながら携帯電話を取り出した清香は、ディスプレイに浮かんだ名前を見て、聡に断りを入れる。

「すみません、お兄ちゃんからなので、出ますね?」

「……どうぞ」

 何とか鷹揚さを醸し出しながら聡が応じると、清香は不思議そうに電話の向こうに向かって問いかけた。


「もしもし、お兄ちゃん、どうしたの?」

「いや、たった今、何となく胸騒ぎがしてな。無事か?」

「無事かって……、いきなり変な事を言わないで。どんな胸騒ぎだって言うの?」

 幾分気分を害した様に清香が言い返すと、清人はいかにも申し訳なさそうに言葉を継いだ。


「その……、清香と一緒にいるそいつの頭の上に、何か落ちる様な気がしてな。何事も無ければそれで良いんだ。デートの邪魔をして悪かったな。それじゃあ」

「あ、お兄ちゃん、ちょっと!?」

「どうしたの?」

 慌てて問い返そうとして憮然とした顔で耳から携帯電話を離した清香に、聡が不思議そうに問い掛けた。それに清香が溜め息混じりに応じる。


「それが……、聡さんの頭の上に、何か落ちる様な気がしたから電話してみたとかなんとか、縁起でもない事を言って一方的に切れまして……」

 ぶつぶつ文句を言いながら清香が携帯電話をバッグにしまうと、聡は若干乾いた笑いで応じた。


「はは……、兄さんは白昼夢でも見たのかな? それとも仕事が押して寝不足とか?」

「あ、あはは……、そうかもしれませんね。今日は早く寝るように言いますね」

「そうだね」

 互いに何となくぎこちない笑みを浮かべながら、庭園と庭園を繋ぐ小道の上に掛かっている陸橋の下をくぐり抜けた直後、二人の背後で何かが落下した様な異音が生じ、反射的に振り返った。


「……え?」

 その視線の先には、未だクワンゴワンと微かな音を立てて震えている、両手で抱え持つ大きさの金タライが通路の上に転がっており、それを認めた清香と聡は、互いに微妙な表情を浮かべた顔を見合わせたのだった。


 ※※※


「……それで、その音で振り返ったら、通り過ぎた所に大きな金タライが落ちていたんです。多分一段上の所で何かイベントをやっていたみたいですから、偶々陸橋の所から、何かの弾みで落ちたと思うんだけど、凄いでしょう!?」

「………………」

 嬉々としてそう訴えてきた清香にその場の全員が無言になったが、互いに顔を見合わせた結果、浩一が代表して尋ねてみた。


「清香ちゃん。何がどう凄いのか、教えて貰って良いかな?」

 その問いかけに、清香が驚きを露わにしながら解説を加えた。

「え? だって! お兄ちゃんが最近もの凄く勘が良くなっているのは、私が聡さんと一緒にいる時限定なんです。だから、口では『あれ』とか『あの野郎』とか『ろくでなし』とか色々酷い事を言っていても、心の中では聡さんと血の繋がった兄弟だっていう事を、認めているんだわ!」

 しかしその説明を聞いて、皆は益々清香の台詞の意味が分からなくなった。


「ごめん……、聡君を弟と認めている事と勘が良い事が、どう繋がるのか教えてくれるかな?」

 浩一が申し訳なさそうに再度問い掛けると、清香は真顔で言い聞かせる様に話し出した。


「ですから、タライだって頭に当たったら痛いし、下手すれば怪我をするじゃないですか? だからお兄ちゃんが無意識に聡さんの危機を察知して、それを教えてくれたんですよ。『血は水よりも濃し』って本当ですよね。すっかり感動しちゃいました! 兄弟仲良く語り合うのも、そう遠い未来じゃないです!!」

(それ、どう考えても無理だから。そもそも危険を察知したわけじゃ無くて、寧ろ危険な状態に陥れているし……)

 清香以外の全員がほぼ同時にそんな事を思い浮かべたが、自分の考えに浸りきって満足げな清香に告げても無駄な事だと分かっていた為、誰も否定しなかった。

 そこで座卓の向こう側から、上機嫌な総一郎の声がかかる。


「おい、清香! 早くこっちに来んか!」

 それに清香が慌てて立ち上がりつつ応じた。

「あ、は~い、今行きます! じゃあ、お祖父ちゃんに呼ばれたから行きますね?」

「ああ、相手を宜しく」

「しつこいけど許してやって?」

「分かってます」

 皆に軽く断りを入れてから笑顔で清香が離れて行くと、他の皆はドッと疲れが出た様な溜め息を吐いた。


「もう、どうにでもしてくれって感じだな」

「何がどうしたら、公園で金タライが落ちてくるのか突っ込もうよ……」

「いや、それより、自分経由で清人さんが聡君にえげつなく脅しをかけてる事に、清香ちゃんまだ全っ然、気付いてないよな?」

「血縁者と認識した故の愛で、感覚が鋭敏になってるわけ無いだろう……。どうして清人さんが、自分達のデートを監視しているって発想にならないんだ? 謎だ」

「相変わらずの、信頼っぷりだよな。しかし清人さんもやるとやったらトコトンだな。自分の行動の一挙一動を監視されてたなんて分かったら、清香ちゃんがショック受けそうだ」

 正彦がしみじみと漏らした呟きに、玲二が思わず真顔で応じた。


「それは受けるだろうな…………。俺だってあの時、かなりの心理的負担とショックを受けたし」

「え? あの時って、何の事? 玲二」

「どういう事だ? まさか以前、清人に何かされたのか?」

 しかしここで鋭く姉と兄が突っ込んできた為、自分が何を口走ったかを自覚した玲二は、慌てて笑顔を取り繕った。


「あ、いや~、別に、大した事じゃないから」

「玲二?」

 笑って誤魔化そうとしたものの、真澄と浩一、両者から鋭い追及の視線を向けられた玲二は、潔くこれ以上隠すのを諦めた。


「分かった、話すよ。何年も前の話だし、もう言っても良いかな……」

 そして小さく溜め息を吐いてから、玲二が語り出した内容は、他の人間が誰一人として予想していない内容だった。

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