第10話 愛しのマスクメロン様

 試写会会場前で待ち合わせた清香と聡が、談笑しながらその中へ入ると、こじんまりとしたロビーの向こう側から、一組の男女が目敏く清香達を見付けて近寄って来た。


「あら、清香ちゃんじゃない。こんな所で奇遇ね」

 ビジネススーツ着用でも華やかさが漂う真澄が、偶然を装って声をかけてきた為、聡にしてみれば些かわざとらしかったその台詞に、清香が笑顔で応じる。


「真澄さん! それに浩一さんも、お久しぶりです!」

「ああ、元気そうだね、清香ちゃん」

「二人も試写会に来たんですか?」

「ええ、そうなの。付き合いで招待券を貰ってね」

 女同士でその場で和やかに話し始めると、男二人はその背後で微妙な視線を交わし合った。


(確かこの二人、柏木家の……。このタイミングって事は、絶対兄さんが絡んでいるよな?)

(やっぱり清人から連絡を貰って、お邪魔虫要員として顔を出した事を分かっているよな、彼。どう考えても、あからさま過ぎるし)

 聡が溜め息を吐きたいのを堪え、浩一が神経質そうに眼鏡のブリッジを指で僅かに上に押しやると、この状況を面白がっているとしか思えない真澄が、思い出した様に聡に顔を向けた。


「そういえば……。どこかでお見かけした事があると思ったら、そこに居るのは確か、小笠原物産営業部の角谷さんじゃないかしら? 清香ちゃんの彼氏? なかなか隅に置けないわね」

「い、いえっ、あのっ! か、彼氏とかって言うのは聡さんに失礼でっ!」

 くすくすと笑いながらの問い掛けに、聡は(白々しい……。ライバル会社の課長クラスと、顔を合わせた事なんかあるかよ)と心の中で悪態を吐いたが、清香は少々焦った。


(そうか! 聡さんと真澄さんって同業者だから、仕事関係で顔を合わせた可能性が有ったんだ。良かった、まだ本名で小笠原さんって紹介していなくて)

 そして互いの紹介がまだだった事に気がつき、初対面ではない空気だったものの、一応声をかけてみる事にした。


「えっと、真澄さんが仰る通り、こちらは小笠原物産の角谷さんです。最近ちょっとした事で、お知り合いになりまして。私、角谷さんに今回の招待券を頂いたんです」

「あら、そうだったの。良かったわね」

 にこやかに頷いた真澄から視線を移し、清香は聡に向かって説明を続けた。


「角谷さん、こちらは昔から家族ぐるみで親しくお付き合いしている、柏木真澄さんと弟の浩一さんです。二人とも柏木産業に勤めていますから、角谷さんとはどこかでお会いしているかもしれませんね」

「ああ、そうなんですか。清香さんから話は聞いてますし、勿論柏木のご令嬢と御曹司の事は、以前から存じ上げてました。この機会にお見知り置き下さい」

「こちらこそ、小笠原物産のホープと評判の高い角谷さんとお知り合いになれて、光栄です」

「ご冗談を」

 思い切り社交辞令を交わす三人に、清香がのんびりと声をかけた。


「会場が開いたみたいですし、後は中で座って話しませんか?」

「あら、そうね」

「何も立ったまま話し込む事もないか」

 そう言ってスタスタとホール内に向かって歩き出し、(二人きりになんかさせないわよ?)というオーラを醸し出しつつ、「清香ちゃん、ここら辺にしましょう?」と当然の如く手招きする真澄達に、聡は今度こそ小さな溜め息を吐いた。


 結局四人は向かって左から聡、清香、真澄、浩一の順番で横に並んで着席し、主催者の挨拶や上映開始まで時間があるのを幸い、女二人はそれぞれの連れそっちのけで、四方山話に花を咲かせた。


「そういえば清香ちゃん、年が明けたら成人式があるのよね」

「はい、お兄ちゃんが振袖を買ってくれました。それに久しぶりに、同級生と会えるのが楽しみです」

 嬉しそうにそう語る清香を見て、真澄がしみじみとした口調で言い出した。


「本当に……、月日が流れるのって早いわね。おじさま達が亡くなった時、清香ちゃんは中一だったのに」

「そう言えばお葬式の時は、一家揃って来て貰いましたね」

「ええ。今の清香ちゃんを見たら、おじさま達もお喜びになるだろうなと思って」

 思わずしんみりとなってしまった空気を払拭したかったのと、以前から気になっていた人物の事が話題に上っていた為、ここまで黙って二人の会話に耳を傾けていた聡が、礼儀正しく会話に割って入った。


「清香さん、ちょっと聞いても良いかな?」

「どうかしたんですか? 聡さん」

「その……、君のご両親って、どんな人達だったの?」

「え? どうしてですか?」

 キョトンとしながら尋ね返す清香に、聡は幾分言い難そうに話を続けた。


「いや、ちょっとした好奇心なんだけど。公表されている先生の顔写真を見ると、かなり整った顔立ちをされているから、ご両親が結構美形だったのかと思って」

「美形、ですか?」

(うっ……、かなり苦しい言い訳だったか。何だか柏木さん達の視線が痛いし……)

 以前から母親の前夫に対しての好奇心はあった為、思い切って口にしてみたのだが、清香の向こう側から自分に向かって投げかけられる柏木姉弟の胡乱気な視線を受け、聡は一気に居心地が悪くなった。しかし自分越しにそんな無言のやり取りが交わされているなど、夢にも思っていない清香は、怪訝な顔で考え込みながら自分の考えを口にする。


「う~ん、確かにお兄ちゃんは美形の部類に入るけど、お父さんは娘の私から見ても、間違ってもその範疇には入らないと思いますよ? お兄ちゃんは、お兄ちゃんのお母さん似だと思います。どういう人なのかは分かりませんが」

「そうなんだ」

 冷や汗をかきつつ言葉を返した聡の声に、真澄達の声が重なる。


「そうねえ、清香ちゃんも香澄おばさま似だと思うし」

「だからパッと見、二人は兄妹に見えにくいんだよね。年も少し離れているし」

「う……、浩一さん、微妙に気にしている事を。それじゃあ私達が親子に見えるとか言うんですか?」

 少し恨みがましく言われた台詞に、浩一が苦笑しながら弁解した。


「いや、流石にそこまでは。でも初対面の人に、叔父と姪位の関係に間違われたりしない?」

「……時々、間違われます」

 ボソッと呟かれた言葉に、清香以外の三人が小さく吹き出す。それに「皆酷い!」とむくれた清香を三人がかりで宥めてから、再び会話が続いた。


「佐竹のおじさまは、美形と言うよりは、貫禄がある顔立ちって言った方が良いわよね」

「そうだね。気後れしないでどっしりとしてて、人に安心感を与えると言うか」

 実際に会った事のある真澄と浩一が、清香の亡父である佐竹清吾について分かるような分からないような論評をしていると、清香がうんうんと頷きながら同意した。


「その通りですよね。強いて物に例えるならお兄ちゃんはマスクメロンですけど、お父さんはジャガイモですし」

「は?」

「え? 私、何か変な事を言いました?」

 異口同音で疑問の声を上げ、(もの凄く変な事を言った)と全員が思ったが、それをストレートに清香に告げたら傷付くだろうと思った三人は黙ってアイコンタクトを行う。その結果三人の中で一番年下、かつ一番立場の弱い聡が、慎重に口を開いた。


「あの……、清香さん? そのジャガイモっていうのはどういう意味?」

「えっと、だって茄子の様につるんとした印象じゃなくて、どっちかって言うとちょっとごつい感じで。でもちゃんとお料理すれば色々な料理や味付けに合いますし、見た目によらず万能食材なんですよ?」

「あ、ああ。つまり、見た目も中身も良く知ると、結構味のある人だったと」

「ええ、そんな感じです!」

「……良く分かったよ」

 小さく溜め息を吐いて無理やり納得してみせた聡だが、柏木姉弟から視線で無言の圧力をかけられ、更に清香に質問した。


「それで清香さん。先生を例えるとマスクメロンって言うのはどういう事?」

「何となく似てるかなと思っているので」

「……どこら辺がそうなのか、聞いても良い?」

 理解不能のまま思わず懐疑的な視線を向けてしまった事を聡は自覚していたが、清香はそれに気を悪くした様子を見せず、何かを思い出す様な風情で話し始めた。


「あれは……、そうですね、私が幼稚園の頃の出来事ですけど、当時住んでいた団地の側に、昔からある商店街があって、いつもそこで買い物をしていたんです。そこに結構大きな八百屋さんがあって、大抵棚の上の方に五千円位のマスクメロンが果物の盛り合わせの籠とかと並べて、ドンと置かれていました」

「ああ、そういうのはお見舞い用とかお祝い用とかで、結構需要があるよね」

 納得しながら口を挟んだ聡に、軽く頷きながら清香が話を続けた。


「当時は背が低かったから、普段上の方まで見なくて気がつかなかったのに、ある日何気なく顔を上げたらそれを見付けて、何だろうって凝視しちゃって」

「何だろうって、どうして?」

「その頃、私の中でメロンと言えば、いつもお母さんが買っていたプリンスメロンとかの、表面がつるんとした物だったんです。それで大きさも見た目も違うそれが、メロンだと認識できなかったんです」

「なるほどね。それで?」

 悪い事を聞いたかと微妙に視線を逸らしながら聡が続きを促すと、清香は淡々と状況を説明した。


「動かないでじっと見ていたら、顔見知りの八百屋のおじさんがどうかしたのかと聞いてきたから、あれは何かと尋ねたらメロンだよって教えてくれたんです。そうしたら私、腹を立てまして」

「え? どうしてそこで怒るの?」

 思わずと言った感じで真澄が口を挟んだ為、清香は今度は真澄の方に体を向けて説明を始めた。


「さっきも言いましたけど、それまでメロンと認識していた物にはあの独特の模様は無かったから、『あんなのメロンじゃない! 気持ち悪い模様!』って思い切りけなしたんです。そしたらおじさんが笑って説明してくれました」

「どんな説明を?」

「『これはマスクメロンって言って、外の皮より中身が大きくなるのが早くて、中から押されて皮が裂けちゃうんだ。だけど中から出てきた汁がそこを塞いで、覆ったかさぶたがこの模様なんだよ? だからこのメロンは自分が甘くなる為に一生懸命努力して、全身痛い思いをして頑張った奴なんだ。それで変な模様が付いてるけど、その分とっても美味しいし、凄いなって皆が尊敬するから値段も高いんだよ』って。それを聞いて子供心に凄く感動して、一目惚れしたんです!」

「そ、そうだったの」

「一目惚れ、ねぇ」

「…………」

 所謂上流階級に生まれ育った面々は、マスクメロンなど見慣れた代物であり、そこまで感動を露わにする清香の気持ちがいまいち理解出来なかったが、適当に話を合わせた。


「それでその時、お母さんに『あれ買って! 清香が美味しく食べてあげるの!』と言ったら、お母さんの顔が見事に引き攣って、『清香は子供だからまだ駄目なの!』って叱られて、無理矢理八百屋さんから引きずり出されました」

(やっぱり庶民的な生活してたんだ。困っただろうな)

 突然店先で子供に「マスクメロンを買って」と言われて動揺したであろう当時の香澄に、三人は思わず同情した。


「それで商店街をズルズルと引きずられる様にして帰ったんですけど、どうしても諦めきれなくて、ちょうどアーケードの真ん中辺りで『マスクメロンさま~! 清香が大きくなったら食べてあげるから、待っててね~! 清香の事を忘れないで~』と涙声で叫んで、後からお母さんに滅茶苦茶怒られました」

 そこまで言って仏頂面になった清香だが、聞いてい三人は揃って微妙に顔を歪めた。


「マスクメロン、さまっ……」

「忘れないで、って……」

「聞きようによっては、凄い愛の告白……」

 そんな事をボソッと呟いてから、三人は申し合わせた様に爆笑した。


「い、嫌ぁぁぁっ! さ、清香ちゃん、笑わせないでぇぇっ!!」

「酷い真澄さん、笑うなんて! 私にとっては、ちょっと切ない思い出なのに!」

「この場合値段が、二人の間に立ちはだかる、唯一の高い壁だったんだね」

「今だったら大丈夫だね。美味しく食べてあげられるよね?」

「うもぅ~っ! 浩一さんも聡さんもバカにしてぇぇっ! もう知らないっ!」

 大笑いした為にすっかり拗ねてしまった清香を、何とか笑いを収めた三人が宥めた。


「ごめんなさい、悪かったわ」

「いや、当時幼稚園児だし、可愛いエピソードだよね」

「うん、清香さんがマスクメロンに並々ならぬ思い入れがあるのは分かったよ。だから同じように大好きな先生をそれに例えたの?」

 その聡の問い掛けに、清香はちょっと考えてから反論した。


「確かに最上級で好きですけど、それだけで例えた訳じゃないですよ?」

「と言うと?」

「お兄ちゃんっていつも飄々としていて、意志が強くて才能があってすぐに何でも出来るスーパーマンみたいに思われがちですけど、実は結構繊細で不器用な所があるんです」

「そうなの? あまり想像しにくいけど」

 意外な表情を浮かべた聡に対し、思うところのあった真澄と浩一は清香の話の行方を黙って見守った。


「基本的にお兄ちゃんは凄い努力家ですけど、それを隠すと言うか、あからさまにしたがらないタイプなんです。ああ見えて、実はある意味恥ずかしがり屋? それにいつも穏やかに笑ってるイメージがありますけど、結構感情の起伏が激しくて、それを当たり障りのない笑顔で隠してる気がします。だから交遊関係はそれなりに広いけど、本当の意味で心を許してるって人は、ほんの一握りじゃないかと。……あ、浩一さんは勿論、その一握りの筈ですよ?」

「それは光栄だね。ありがとう」

 取り成す様に付け加えられた言葉を聞いて、いつもは冷たく見える眼鏡の奥の目を優しく和ませた浩一が、嬉しそうに礼を述べた。それに小さく笑い返して清香が話を続ける。


「それで、いつ頃からか、どうしてそんな風に思う様になったのかは分からないんですけど、お兄ちゃんって自分の苦しい事とか悲しい事とかは一切表に出さないで、しかも嫌な事に目を背けたりしないで真正面からぶつかった挙げ句、全部自分の中に抱えて最後には自分の力だけで昇華させてしまう、とことん不器用なタイプなんじゃないかなって思ったんです。そういう心の痛みってものが、今のお兄ちゃんを形作って、魅力的に見せてると思うんです。だからその時聞いた、自分自身が傷つきながら自らを作ってるって聞いた網目模様の話とダブって、ひょっとしたら似てるかな~って思って。う~ん、これって身内の欲目かしら? どう思います? 真澄さん」

 そこで唐突に意見を求められた真澄は、些か呆然とした表情で口を開いた。


「清香ちゃんって……。天然かと思ってたけど、意外に鋭いのね……」

「姉さん。この場合、天然だからストライクゾーンど真ん中を突いてくるんじゃないか?」

「そうとも言えるわね」

「どういう意味ですか?」

 思わず小首を傾げた清香の頭を、真澄が軽く撫でながら穏やかに告げた。


「清人君の妹に、清香ちゃんがいてくれて、本当に良かったって事。できるだけ一緒に居てあげてね?」

「勿論ですよ。あんまり私にかまけててお兄ちゃんが結婚できなかったら、老後の面倒を見てあげるって約束してますから」

「あら、それなら彼の老後の心配はなさそうね」

 思わずくすくす笑ってしまった真澄を、横から浩一が小声で窘める。


「姉さん、清香ちゃん。そろそろ主催者の挨拶が始まるから」

「そうね。じゃあ話はまた後で」

「はい」

 そうして会話は中断し、挨拶の後に上映が始まったが、聡は先程まで交わされていた会話の内容を暫く黙って頭の中で反芻していた。


 それから無事映画は終了し、会場内の明かりが点くと共にざわめきが戻って来た。

「やっぱり榊原先生の作品は良いなあ、世界観が独特だし。映像化しても原作に沿ってしっかり人物描写も出来てたし」

「時代考証もしっかりしてたみたいね。ただテーマが家族愛っていう地味な物だから、売り出すのは難しいかもしれないけど」

「それはそうですよね。派手な殺陣とかもないですし、大衆受けはしないかも」

「でもそれはそれで、最近では平凡な日常とか人生とかを深く掘り下げた作品が見直されてるから、こういう物も上映期間の後半になったら観客動員数が延びるかもしれないわよ?」

「そうですよね」

 女二人が上映された映画について好意的なやり取りをしていると、横から聡が声をかけた。


「清香さん、榊原先生がお帰りになるみたいだけど、もし会えたらサインをお願いしてみるとか言って無かった?」

 そう言いながら聡が指差した前方を見て、一人の老人が今まさに席を立とうとしているのを認めた清香は、慌ててバッグを手に立ちあがった。


「本当だわ! 聡さん、ごめんなさい! ちょっと行ってきます!」

「焦らないで良いよ。ちゃんと待ってるから」

 笑顔で言い聞かせ、自分も立ち上がりながら聡が出入り口に向かって駆け出す清香を見守っていると、横から今までとは打って変わった不機嫌そうな声がかけられた。


「小笠原さん、あなた清香ちゃんは単なるツテで、本来の目的は貴方の母親とお兄さんを会わせる事よね?」

「……そうだと言ったら、どうなんです?」

 本名で問いかけた事で明らかに嫌がらせと分かる口調に、清香がこの場に居ない為聡も些か挑戦的に返したが、それ以上に冷たい浩一の声が響いた。


「止めておけ」

「あなた方には、関係ないかと思いますが?」

 途端に睨み合う聡と浩一に、少ししてから真澄は疲れた様な溜息を吐いた。


「全く……。もう放っておきなさい、浩一。見ず知らずの間柄でも、一応忠告はしてあげたんだから」

「分かった」

 そう言いながらも納得はしていない顔つきで自分を睨みつけている浩一を、聡も負けじと睨みかえしていたが、ここで明るい声が割り込んだ。


「聡さんっ! 榊原先生から首尾良くサインを貰えたの、ほら!」

「あ、ああ、良かったね、清香さん」

 自分の背後から駆け寄って来た清香に、慌てて険しい表情を戻しながら振り向くと、満面の笑みを浮かべた清香が手にした本を差し出し、表紙を捲って流れる様に書かれたサインを示して見せた。、


「うん、もっと気難しい人かと思ってたのに、『貴方の様なお嬢さんに読んで貰っているとは嬉しい限りですね』って快くサインして貰えて! 聡さんにここに連れて来て貰ったお陰だわ。本当にありがとう!」

 心の底から喜んでいるのが分かる笑顔に、聡は胸の中に溜まっている色々な物が、すっかり消え去った様な錯覚を覚えた。少しだけそんな穏やかな心地を味わいながら、自然な動きで片手を伸ばす。

「そこまで喜んで貰って嬉しいな。できればお礼してくれると、俺も嬉しい」

「お礼ですか? 私にできる事だったら何でもしますよ?」

「じゃあちょっと触らせて」

「はい?」

「え? ちょっと!」

「何をする気だ!」

 さり気なく聡が口にした内容に真澄と浩一が慌てて事の真意を確かめようとしたが、それには構わず聡は清香の頭を撫で始めた。


「えっと……、聡さん。そんなに私の頭が撫でたかったんですか?」

「うん、そうだね。本音を言えば初めて会った時に言った様に、そのポニーテールを引っ張ってみたいけど我慢するから」

 当惑して尋ねる清香に、聡が些か残念そうに本音を告げたが、それを聞いた清香は少しの間だけ考え込み、クルッと後ろを向いて聡に背中を向けた。


「う~ん、この際、ちょっとだけなら引っ張ってみても良いですよ?」

「本当に? じゃあ遠慮なく」

 そう言いながらも実際には引っ張ったりはせず、髪の束に指を通してサラサラとした手触りを堪能している聡を見て、真澄達は顔を顰めつつ囁き合った。


「外見と違って良い度胸してるわね、こいつ。すっかり私達の存在を忘れてない?」

「この場に清人が居なくて正解だったな。これを見たら、問答無用で殴りかかる」

 そうして下手するとバカップルに見えかねない行為を止めさせる為、真澄は二人の間に容赦なく割り込んだ。


「さあ、食事に行きましょう! 今夜は私が奢ってあげるから、大人しく付いていらっしゃい」

「え? 真澄さん。それは流石に悪いし、これから聡さんと」

「柏木さん、俺はそれほど親しいわけではありませんので、遠慮させて頂き」

「四の五の言わないで付いて来るのよ。この中で一番稼いでる人間が奢るのが当然でしょう? それとも何? 私の奢りじゃ食べられない理由でも?」

 清香と聡が固辞しようとする台詞を遮り、真澄が半ば脅しをかけると、横から苦笑しながら浩一が言葉を添えた。


「悪いね。姉は言い出したら聞かない性格だから、付き合ってくれると嬉しいな」

そこまで言われて清香と聡は苦笑いの表情を浮かべた顔を見交わした。

「それじゃあお言葉に甘えて」

「ご馳走になります」

「最初から素直にそう言いなさい。じゃあタクシーを拾うわよ!」

 そう高らかに宣言して率先して歩き出した真澄の後ろに付いて、三人は諦めた様な苦笑を浮かべつつ、ホールの外へ出て行った。

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