美樹十八歳、似たもの親子は傍迷惑

「陸斗君、ちょっとお姉さんのお願い、聞いてくれるかな?」

「うん、なあに? よしきおねえちゃん?」

「あのね……」

 素直に頷いて見上げてきた陸斗の耳に、美樹はしゃがみ込んで何かを囁く。すると彼は小さく頷いて試合会場に向き直り、子供の声量とは思えない位の大声で叫んだ。


「しゃちょうぅ――!!」

「何?」

「え?」

「陸斗?」

 当然、三人は何事かと声のした方に視線を向けたが、ここで陸斗は予想外の内容を叫んだ。


「しゃちょうぅ――!! がんばれぇ――!! パパにまけるなぁ――!!」

「はぁ?」

「ちょっ、おい、陸斗! ぐおっ!」

 どうして父親では無くて秀明を応援するのかと、和真は呆気に取られただけだったが、さすがに寺島は動揺しながら息子のいる方に向き直った。するとすかさずその背中に、秀明の蹴りが炸裂する。

「がはっ!」

 そして体勢を崩した寺島の脇腹に、素早く距離を詰めた秀明の膝蹴りが入った上、首筋に手刀を打ち込まれ、たまらず倒れ込んだ。


「うっ……」

「そこまで! 寺島、大丈夫か!?」

「……何とか」

 そして審判の肩を借りて、よろめきながら場外に向かった寺島と、すぐに油断無く構えている秀明を交互に見ながら、和真が唖然としていると、今度は先程よりも甲高い声が響いてきた。


「何だったんだ?」

「ひでぇ――!!」

「え? 真論?」

 娘の声を聞き間違える筈もなく、反射的に和真は顔を向けたが、静まり返った会場に予想外の台詞が響き渡った。


「ひでぇ――!! ゆぅーあーうぃーなー!! ごうぉ――!!」

「はぁ? ぐおっ! しゃ、社長!?」

 真論は一体何を言っているんだと唖然とした隙に、和真は秀明に腕を取られて豪快に投げ上げられた。咄嗟に受け身は取ったものの、起き上がったところでまともに蹴りが入る。


「ちいっ! このっ、ごはぁっ!」

 更に続けざまに拳が顔と腹に入り、さすがの和真も身体を折って膝をつく。

「ぐっ……」

 そこで彼らの間に、審判が二人、必死の形相で割って入った。


「そこまで! 加積、もう止めておけ!」

「……ああ」

「社長も止めてください!」

「分かった」

 そして秀明が構えを解いたのを見た茂野が、声高らかに宣言した。


「うぉおぉぉ! 第1回武道大会優勝者は、藤宮秀明! さすがアラフィフの希望の星! やった、百万ゲーット!」

 大興奮状態の茂野だったが、殆どの観客達は微妙な表情で、拍手もまばらだった。


「何なんだ、このどんでん返し」

「いや、ある意味予想通りと言えば予想通りなんだが……」

「なんか、釈然としないわね」

 そんな微妙な空気の中、「借りるぞ」の一声で茂野からマイクを奪った秀明が、淡々と会場にいる全員に向かって呼びかけた。


「皆、社長自ら優勝してしまって、悪かったな。せっかく今回の企画に参加してくれた面々に、本当に申し訳ない。それで優勝賞金の一千万は、社員に対する福利厚生に使おうと思う」

 そこで一度言葉を区切り、ぐるりと会場を見回した秀明は、落ち着き払った口調で続けた。


「賞金の一千万に俺のポケットマネーを足して、全社員と家族対象の食事会や、アミューズメント貸切、職員旅行とかを企画しても良い。どんどんアイデアを出してくれ。意見集約は、財務部の田所部長に一任する。以上だ。皆、今日はご苦労だった」

 そして秀明が茂野にマイクを返すと同時に、会場中から歓喜の叫びが沸き起こった。


「うおぉう、さすが社長、太っ腹!」

「うわ、迷う。何が良いかしら?」

「いつまで、意見を出せば良いんだろうな?」

「それでは、第1回武道大会は、これで終了となります。皆様、お疲れ様でしたー!」

 ざわめきが増す中、茂野が閉会宣言をして武道大会はお開きになり、観客達は荷物を纏め始めた。


「なかなか面白かったわね」

「途中、ちょっとどうなるかと心配したけど、無事に終わって良かったわ」

 桜と美樹が、笑顔でそんな事を言い合っている所に、険しい表情の和真と寺島が戻ってくる。


「どこが無事だ、おい?」

「陸斗、どういう事だ?」

 特に父親の自分では無く、秀明の応援をした陸斗に寺島が険しい表情で問いただしたが、彼は恐れげもなく言い返した。


「だって、よしきおねえちゃんに、たのまれたんだもん! みらいのぎりのおねえちゃんのたのみだし、きかなきゃだめだよ!」

「誰が未来の義理の姉だ!?」

「よしきちゃん。りくと、よしなちゃんとけっこんするし」

「そうそう。陸斗君は、素直で良い子よね。長い物には巻かれないといけないのが、しっかり分かっているもの」

 にこやかに言い返しながら陸斗の頭を撫でた美樹を見て、寺島は床に崩れ落ち、両手両膝を付いて項垂れた。


「陸斗……」

「あなた、いい加減にそろそろ諦めたら?」

 妻の心海が苦笑いで寺島を宥める中、真論が上機嫌で父親に向かって呼びかけた。


「パパ!」

「真論……、お前さっき、変な事を叫んでたよな?」

「へん?」

 真論が首を傾げたが、彼女を抱きかかえていた美樹は、大真面目に言い返した。


「別に変な事じゃないわよ? 真論は大好きなひでおじいちゃんに、おねだりしただけよね?」

「ひで!」

「ふざけるな。何をおねだりしたって言うんだ?」

 完全に腹を立てながら文句を言った和真だったが、美樹が真顔のまま説明を続ける。


「真論は茹でウインナーが好きだから、『茹でウインナー五本食べたい』って言っただけよ」

「はぁ?」

「ゆあうぃーなー、ごほぉー、たぇーるー!」

「…………」

 母親の台詞を聞いて、反射的に口にした真論の台詞を聞いて、桜が堪えきれずに「ぶふぅっ!」と噴き出した。そのままクスクスと笑っている彼女を面白く無さそうに一睨みしてから、和真が美樹に凄む。


「ふざけるなよ? あのタイミングで、わざわざ真論に大声で叫ばせる内容じゃないだろうが」

「別に、どのタイミングで叫ばせたって構わないじゃない。何が問題なのよ?」

 堂々と言い返された和真は、小さく舌打ちして悪態を吐いた。


「全く、お前と言う奴は……。父親に花を持たせる為に、平気で俺を捨て石にするな」

「何を言っているのか、全然分からないんだけど?」

「ちょっと真論を借りるぞ。帰り支度をしておけ」

「構わないけど、どこに行くの?」

 真論を渡しながら美樹が尋ねると、和真はまだ渋面のまま説明した。


「社長と会長に挨拶してくる」

「……勝手に行ってらっしゃい」

 途端に憮然とした表情になった美樹に背を向けて、和真が歩き去ると、桜がおかしそうに声をかけてきた。


「美樹。今回はなかなか面白かったし、楽しませて貰ったわ」

「桜さんにそう言って貰えて良かった。どうせなら、定期開催にしちゃおうかな?」

「あらあら、色々大変そうねぇ」

 桜は益々笑みを深め、この間黙ってやり取りを聞いていた護衛達は、揃って疲労感満載の顔を見合わせていた。


「社長、失礼します。お帰りになる前に、ご挨拶に伺いましたが、会長はどちらに?」

 和真が真論を抱えて藤宮家が集まっていた席に向かうと、美子が不在だった為、秀明に尋ねた。すると彼が、肩を竦めて答える。


「美久が救急車で搬送されたから、付いて行った」

「……ご苦労様です」

「かずにぃもお疲れ様!」

「最後まで残って、凄かったね!」

「どうも」

 美那と美昌に健闘を讃えられ、苦笑した和真だったが、ここで真論が笑顔で秀明に声をかけた。


「ひで!」

「おう、真論。さっき叫んだのは、どこで覚えた? その年で、英語も喋れるとは凄いな」

「いえ、真論は『茹でウインナー五本食べる』と言ったつもりなんです」

「…………」

 笑顔で真論を誉めた秀明だったが、冷静に和真が解説した内容を聞いて、無言で顔を引き攣らせた。すると美那が、不思議そうに和真を見上げながら、問いを発する。


「真論ちゃん、茹でウインナー、好きなの?」

「美樹の話では」

「そうだっけ?」

「わかんない」

 子供二人が首を傾げる中、和真が説明を続けた。


「それであの時、社長におねだりするように、美樹が真論に言ったみたいです」

「…………」

 それを聞いても、秀明は無言のまま眉根を寄せただけだったが、再び子供達が言い合った。


「食べ物だったら、お母さんにお願いした方が良いんじゃないかな?」

「お祖父ちゃんだったら、旭日食品の商品をもらえるとか?」

「それだったら、お父さんだって同じだよ?」

「あ、そうか」

 するとここで溜め息を吐いた秀明が、真顔で和真に告げた。


「分かった。取り敢えず今度真論が家に来た時は、茹でウインナーをたくさん食べさせてやる」

「ほどほどにお願いします」

「それから……」

「はい、何でしょうか?」

 何やら言いよどんだ秀明に、和真が不思議そうに問い返すと、少ししてから彼が面白く無さそうに言いつける。


「偶には美樹にも、こっちに顔を出すように言っておけ。美子はあれの好物は、把握しているしな。どうせ今度の出産の時も実家に帰らずに、加積屋敷で何不自由なく過ごすつもりだろうし」

「伝えておきます」

 親子揃って素直じゃないなと、笑いたいのを堪えつつ神妙に頷いた和真だったが、それは秀明にしっかり伝わってしまったらしく、若干不機嫌そうに子供達を促した。


「ほら、美那、美昌、帰るぞ。荷物はちゃんと持ったな? 忘れ物が無いか気をつけろ」

「うん、大丈夫! それじゃあ、かずにぃ。またね!」

「さようなら!」

「ああ、気を付けてな」

 笑顔で手を振る子供達に、自身も手を振って彼らを見送った和真が、小さな声で呟く。


「全く、公社全体を巻き込みやがって。本当に、とんでもない奴だが……。まあ、仕方がないな」

 そこで完全に諦め、自分自身に言い聞かせるように呟いた和真の顔は、自然と苦笑の表情になっていた。

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