美樹十歳、いつでも誰とでも全力投球

「げぼくー!」

「和真、今日も美那の事を宜しくね!」

「僕達、武道場にいるから」

 自分の職場に、子供の甲高い声が響き渡った事について、和真は半ば諦めながらも、一応抗議の言葉を口にした。


「おい、こら! 俺は仕事中だ! 見て分かるだろうが!!」

 しかしそんな事を気にする美樹と美久ではなく、あっさりと妹をその場に放置して武道場へと向かった。


「げぼく こんにちは!」

 最初に顔を合わせた時とは雲泥の差である、はっきりとした声で挨拶をしてきた美那に、和真は溜め息を吐いてからしゃがみ込み、目線を同じようにしながら言い聞かせた。


「美那さん。私の名前は小野塚和真なので『おのづか』、もしくは『かずま』と呼んで下さい。お願いします」

 それを聞いた美那は、僅かに首を傾げてから問い返した。


「……かずま?」

「はい」

「かずま!」

「良くできました」

 元気良く名前を呼んだ美那を、和真が思わず笑顔で誉めて軽く頭を撫でてやると、彼女が上機嫌にある事を言い出した。


「かずま けっこん!」

「……はい?」

「よしな およめさん!」

 そう叫んでニコニコしている美那に、和真は一応確認を入れてみた。


「あの……、まさか私と結婚するつもりとか、言いませんよね?」

 しかしその問いかけは、肯定で返されてしまう。


「よしな およめさん! かずま おむこさん!」

「…………」

 和真を含めた信用調査部門の社員が無言で固まる中、部長の吉川だけは笑いを堪える表情で和真に近付き、その肩を叩きながら面白がっている口調で告げた。


「小野塚君。口説いた女性の、最低年齢記録を更新したな」

 それを聞いた和真がゆらりと立ち上がり、上司に向かって剣呑な視線を向ける。

「……部長。私は今まで未成年者を口説いた覚えは一度もありませんし、面白がっていないで、何とかして下さい」

 しかし吉川は全く動じず、笑顔を深めながら言い返した。


「これは、何ともならんなぁ……。ああ、美那様、小野塚と一緒に写真を撮ってもよろしいですか? 桜様に送りたいもので」

「うん!」

「だそうだ、小野塚。美那様を抱き上げて差し上げろ。やはりここは雰囲気を出して、お姫様抱っこか?」

 にこやかに申し出た吉川に、和真が唸るように恫喝する。


「部長……。嫌がらせにしても、程がありますよ?」

「文句があるなら、俺を部長の座から蹴落として構わないぞ?」

「…………」

「おひめさまー! かずまー!」

 他の社員達が肝を冷やしながら様子を見守る中、笑顔の吉川と渋面の和真の間で睨み合いが勃発した。しかし美那がニコニコと主張しながら自分に向かって両手を伸ばしてきた為、和真は色々諦めて溜め息を吐いた。


「全く……、仕方がないな。付き合ってやるか」

 そして美那を抱き上げ、吉川の指示通りに横抱きにして写真を撮っているところに、何故か美樹が戻って来た。


「ごめん、美那。忘れてたわ。はい、美那のおやつと、汚れた時の着替え……。って、あなた達、何をやってるの?」

 時ならぬ撮影会じみた場面を見て、トートバッグを差し出しながら美樹が首を傾げ、誰かが言葉を返す前に美那が叫んだ。


「よしな およめさん!」

「はい?」

「かずま おむこさん!」

「…………和真?」

 妹の訴えを聞いた美樹は、未だに彼女を抱き抱えている和真に冷たい視線を向けたが、彼は盛大に反論した。


「おい、ちょっと待て! 俺がガキ相手にちょっかいを出したとか、とんでもない誤解をするなよ!? 第一、妹の面倒を見ろと言ったのは、お前だろうが!」

 そして慌てて美那を床に下ろした和真を見ながら、彼の部下達は笑いを堪えながら囁き合った。


「おう、修羅場だ修羅場」

「部長補佐、モテモテだよなぁ」

「モテ層が下過ぎるがな。羨ましかったら、代わってこいよ」

「いえ、遠慮します」

 そんな部外者達が見守る前で、美樹が美那を見下ろしながら真顔で尋ねた。


「美那? 和真のお嫁さんになるつもりなの?」

「うん!」

「それ、無理よ? だって和真は、私と結婚する事になってるし」

「……え?」

 目を見開いて固まった妹に、美樹は冷静に駄目押しをする。


「だから美那は、和真と結婚できないのよ?」

「よしな…… およめさん……」

「だから、それは無理なの。諦めなさい」

「ふ、ふえぇぇっ……、うぇえぇっ……」

 ぐすぐすと泣き出してしまった美那を美樹は冷静に見ていたが、目の前で泣き出されてしまった和真は、たまったものではなかった。


「おい! どうする気だ? まさかこのまま、美那をここに放置して行くなよ? そんな事をしたら、武道場まで連れて行くからな!?」

「分かっているわよ。五月蠅いわね」

 非難されて盛大に顔をしかめた美樹は、しゃがみこんで妹と視線を合わせながら尋ねた。


「美那、そんなに和真が良いの?」

「……うん」

 両目を手で拭いながら、美那が小さく答えると、美樹が溜め息を吐いてコメントした。


「男の趣味が悪いわね。将来、大丈夫かしら?」

「おい!?」

「ねぇねも?」

「…………」

 美樹の台詞に、反射的に文句を言おうとした和真だったが、美那が何気なく口にした一言でその場の空気が凍った。しかし何故静かになったのかが分からなかったらしい美那は、きょろきょろと周囲を見渡してから姉の顔を眺め、不思議そうに首を傾げる。


「……ぷんぷん?」

 それで気を取り直した美樹は、微妙に引き攣った顔ながら、冷静に言葉を返した。


「怒ってはいないわよ? 怒っては。最近の美那の会話能力の向上には、目覚ましいものがあるなとは、思ったけどね」

「おい、“ねぇね”。こめかみに青筋が浮かんでるぞ? 眉間にくっきりシワが刻まれる日も、そう遠くはないな」

「うっさい! オッサンは黙ってて!」

「おう、高みの見物をさせて貰うぞ」

 苦笑いで茶々を入れてきた和真を一喝してから、美樹はいつもの表情で美那に向き直った。


「美那。どうしても和真と結婚したいの?」

「うん!」

「分かったわ。それなら私と戦って、私を破って和真を盗りなさい。それ以外に、和真と結婚するのを認めないわ!」

 語気強く宣言した美樹に、ここで和真が口を挟んだ。


「ちょっと待て、お前! いきなり何を言い出す!?」

「五月蠅い! 高みの見物をしているんでしょう!?」

「ねぇね? たたかう?」

「そうよ。やる?」

「やる! がんばる!」

「よし、良く言った! それでこそ、私の妹!」

 美那が決意漲る顔で頷いたのを見て、美樹は満足げに褒め称えたが、和真は益々焦った様子で美樹を叱りつけた。


「だからちょっと待て! お前とこいつで、まともに勝負ができるわけ無いだろうが!? どれだけ年齢差と体格差があると思ってるんだ!」

「あんた馬鹿? 普通の勝負をするわけが無いでしょう? ちゃんと美那が、私と五分の戦いができる方法にするわよ」

「そんな物があるのか?」

「あるわよ。黙って見てなさい」

 疑わしげな和真から視線を周囲に投げた真紀は、室内の隅々にまで響き渡る声で呼びかけた。


「ごめーん! 誰か厚紙、というか画用紙みたいな紙を持っていない? それから書く物と、ハサミも貸して貰いたいんだけど?」

 それを聞いた者達は、顔を見合わせながら動いた。


「紙?」

「美樹様、こんな物ではどうですか? ハサミはこちらで」

「うん、ちょうど良いわ。ありがとう。後は、底が広くて薄い箱かな?」

「こんな物で宜しいですか?」

「うん、ばっちり。ありがとう助かったわ。これの底に、落書きをしても構わないかしら?」

「はぁ……、どうぞお好きになさって下さい」

 意味が分からないまま社員が渡した物を受け取り、美樹は妹を促しながら歩き出した。


「美那、ちょっと来なさい」

「ねぇね?」

 そして普段自分が使っている机まで来た美樹は、美那の靴を脱がせて椅子に乗せた。


「はい、ここに乗って、座って。これをこう、半分に折って」

「はんぶん ぺたん」

 ちょこんと椅子に膝立ち状態になった美那を横から支えつつ、美樹は貰った厚紙を妹の前に置いて、半分に折ってみせた。美那はその通りに真似してみせると、美樹は今度は折り目からボールペンで滑らかな線を引く。


「よし、こうやって線を引いて頂戴」

「ぐにゃぐにゃ?」

「そうそう、やっぱり美那はアーティスト系よね」

 真似して同様の線を引いてみせた美那を美樹が誉めていると、付き合いきれんという雰囲気を醸し出している和真が、隣の席に座りながら声をかけた。


「……俺は、仕事をしていて良いか?」

「勝手にしてなさい。あんたには関係ないわ」

「一応、俺を取り合っているかと思ったんだがな……」

 もう何も言うまいと心に決めた和真は、姉妹を無視して中断していた仕事に取りかかった。しかしすぐに、思わず突っ込みを入れざるを得ない事態に陥った。


「よし、できた! 美那、上手にできたわよ?」

「ほんと?」

「ええ。どっしりしてるわ。抜群の安定感よ」

「どっしりー」

 互いに笑顔で満足している姉妹の手元に視線を向けた和真は、反射的に美樹に尋ねた。


「おい……。何だ、それは?」

「何よ。仕事をしてるんじゃなかったの?」

「隣でごそごそやっていれば、嫌でも気になるだろうが! しかも、紙相撲にしか見えないんだが!」

「勿論、紙相撲よ。それ以外の何だって言うのよ」

「……もう良い」

 堂々と言い返されてしまった和真は、もう何を言っても無駄だと悟って口を閉ざした。


「さあ、美那! これなら条件は互角、女と女の真剣勝負よ! 見事、私を打ち負かして、実力で和真を盗りなさい!」

「よしな かつ!」

「ふっ! 例え妹でも、手加減なんかしないわよ? この際世間の厳しさってものを、とことん教えてあげるわ。どこからでもかかって来なさい! さあ峰岸さん、行司をやって!」

「はっ、はいっ!」

 いきなり指名を受けた近くの席の峰岸が立ち上がり、慌てて美樹達の机にやって来る。


「それではお二人とも、見合って見合ってぇーっ! はっけよーい、のこったのこった!!」

「とりゃあぁぁっ!!」

「うきゃあぁぁっ!!」

「……五月蠅いんだが」

 そして峰岸の掛け声に合わせ、美樹と美那が奇声を上げながら土俵の形を書いた箱の裏を指で叩き出した為、和真は心底うんざりしながら溜め息を吐いた。

 それから、約一時間後。


「はぅぅっ……」

「ふっ……、これで三十八連勝ね。まあ、何回やっても、負ける気はしないけど」

 涙目の美那は膝立ちのまま机に突っ伏して動かなくなり、美樹は満足そうに自画自賛した。そんな姉妹の姿を、和真が隣の机から、生温かい目で見やる。


「俺は今、めげずに三十八回も挑んだ美那を誉めるべきか、妹を容赦なく三十八回も叩きのめしたお前を、大人げないと窘めるべきか、結構真剣に悩んでいるんだが……」

「美那の事は、無条件で誉めなさいよ。あんたの為に、あんなに一生懸命頑張ったんだから。だけど私は大人じゃないから、大人げなくても構わないでしょうが。寧ろ婚約者のあんたを、身体を張って守ったのよ? 私も一緒に誉めなさい」

「……お前を誉めるのだけは、何か嫌だ」

「本当に失礼よね!」

 胸を張った美樹に対して和真が顔を顰めていると、ゆっくり顔を上げた美那が、和真に弱々しく声をかけた。


「……かずま」

「ああ、どうした?」

「けっこん いい」

 俯き加減の涙目で言われた和真は、さすがに美那が気の毒になって慰めた。


「そうか……。だが、美那はこれから、もっと若くて格好良いお婿さんと出会えるからな? 心配するな」

「ほんと?」

「ああ、本当だ。だから間違っても“ねぇね”みたいに、強過ぎる女になるなよ? ほどほどにしておけ」

 苦笑しながら和真が告げると、美那が真顔で頷く。


「つよい ほどほど」

「そうだ。お婿さんにはなれないが、俺が美樹と結婚したら、俺はお前のお義兄さんになるからな。それで我慢してくれ」

 それを聞いた美那は、まばたきしてから尋ね返した。


「おにいさん? かずにぃ?」

「そうだな」

「うん! かずにぃー!」

「よしよし、やっぱりお前は、素直な良い子だな」

「…………」

 目を輝かせて笑顔で呼びかけた美那の頭を、和真が腕を伸ばして笑いながら撫でてやったが、何故か美樹はそれを憮然とした表情で見やった。

 するとここで、道着姿の美久が現れ、呆れ気味に姉に声をかける。


「姉さん、何やってるんだよ。もうとっくに稽古が始まってるのに。公社内で迷子かと思って、探しに来たんだけど?」

「迷子なわけ無いでしょう? 今行くわ。和真、美那を宜しくね」

「ああ、行ってこい。……美那。かずまにぃと少し遊んでいような?」

「うん!」

 すこぶる上機嫌で頷いた美那と妙に面倒見が良さそうな和真を、美樹は一瞬面白くなさそうな顔で見てから、美久と一緒に部屋を出て行った。 そして完全に美樹の姿が見えなくなってから、吉川が傍らに居た部下に声をかけた。


「吉村、一部始終を撮っていたな?」

「はい、ばっちりです。今回のサブタイトルは『女の戦い』でしょうか?」

 録画を終了させる操作をした吉村が、何気なく口にした言葉に、吉川は小さく笑ってしまった。


「ちょっとベタな気もするが、そこら辺だろうな。あの美樹様の、何となく面白く無さそうな表情など、桜様が喜びそうだ」

 それを聞いた吉村が、思わず感想を口にする。


「……部長も結構、人が悪いですね?」

「そうでなければ、ここの管理職など務まらないと思うが?」

「愚問でした」

 すました顔で言ってのけた吉川に、吉村は納得して軽く頭を下げたのだった。

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