追憶から逃げて

 夢を、見ている。

 それは仄暮灰児ホノグレハイジにとって、苦い過去の連続だ。

 逃げても逃げても、ただ追いつかれる。

 その都度つど逃げて、また追いつかれる。

 繰り返される、出口のない迷路のような記憶。それは、最も鮮明なワンシーンとなって、再び灰児のまぶたの裏に浮かんでいる。

 激昂げきこうに声を張り上げ、当時の上官に吠えている自分がいた。


『どうしてですか、日暮ヒグレさん! 今の、見てたでしょう! 俺の勝ち、圧勝だった!』

『……結果はな。だが仄暮、状況をよく見ろ』

『状況ってなんすか、結果が全てでしょう!』


 独立治安維持軍どくりつちあんいじぐん時代の自分がいる。わずか数年前なのに、酷く若くて、幼稚とさえ言える過去。今と変わらず、負け犬のようにすさんでいた。

 そんな灰児の前で、過去の上官は冷静に、そして的確に言葉を選んでくる。


『今回の模擬戦、お前のチームがオフェンス、新入りたちのチームがディフェンスだったな。勝敗の判定は、ディフェンスが護衛対象の車両を守りきれるかどうか、だが』

『だから、俺がはちの巣にしたでしょう! 奴の、槻代級ツキシロシナの護衛対象を!』

『……お前はオフェンスチームの小隊長、そうだな?』

『それが? 俺ぁ誰よりも危険な先頭で戦った。リーダーってそういうもんでしょ』

『ディフェンスチームの敗因は、新人集団故の経験不足……イージーミスだ。教訓から学べば、次は失敗しないだろう。だが、仄暮。お前はオフェンスチームのメンバーが苦戦していた時、なにをしていた?』

『戦っていましたよ! 例の新人と。ド素人です、奴ぁ! 軽くひねってやりました!』

『そうだ。お前が槻代と遊んでるうちに、お前の部下たちは全滅したんだ』

『ック! そりゃ、あいつらが俺についてこれねーからで!』

『お前を釘付けにしておとりをやりながら、槻代はチームの全員に気を配っていた。ディフェンスチームの機体に致命的な損傷判定はない。だが、お前のチームは』

『仲間を守って、護衛対象を守れねえ奴が評価されるんですか! そりゃ傑作だ!』

『技術は学べる、失敗は糧になる。だが……お前には学んで得られぬ何かが欠けているんだよ。仄暮……お前ほどの腕の男が、それは悲しいことだと気づかんか?』


 セピア色の追憶の中で、日暮昭二ヒグレショウジは深い溜め息を零す。

 それは、怒りにたけりつつ言葉も出ない、当時の灰児にヘッドギアを放り投げさせた。よく覚えている……昨日のことのようにはっきりと。言い返せなかったのは、昭二の正論を理解して納得する程度に、灰児もレヴァンテインの操縦に自負があったから。

 誰にも負けない自信が、なにかで負ける都度、みじめなプライドをささくれ立たせる。


『また逃げるのか? 仄暮灰児。国防軍で冷や飯を食わされ、それでも自分を試したくて……誇れる自分を探しにここにきたんじゃないのか。俺が拾った男は、そういう奴だった筈だが』

『うるせえ! うるせえよ……どいつもこいつも! なら何故、俺を一人で出撃させねえ! 俺は一人でもやれる、チームなんざ必要ねえんだよ!』

『孤高の天才気取りもその辺にしておけ。……見てて辛いんだよ、仄暮。力を持ちながら、その使い方を知らないお前は……このままでは誰にも勝てず逃げ続ける。独立治安維持軍からも、槻代からもだ。そういうのはもう、よせ』


 夢が次第にぼやけてにじみ、不鮮明なまどろみのなかに消えてゆく。

 同時に覚醒して、灰児は瞳を開いた。

 ぼんやりと見える天井は、テントのようだ。自分は今、簡易ベッドの上に寝かされている。起き上がろうとして痛みが走り、右脚がギブスで固定されてるのが見えた。

 どうやらダマスカスでの接敵遭遇エンカウントから、自分は生還したらしい。


「イチチ……どこだぁ? ここは。クソッ、折れちゃいねえが、大げさなギブスだな」


 すぐに自分の肉体を確認して、枕元の杖を手に立ち上がる。粗末な杖で、木の枝を手刀かなにかで削ったものだ。強度を試してみてから、灰児は立ち上がる。

 テントの外に出ると、意外な光景が広がっていた。


「おいおい、なんだよここは……ッ!? あ、あれは! こいつぁ、例の……悪魔」


 見渡す限りにテントが連なり、多くの者たちが行き来している。

 広い広い荒野のド真ん中、まるで難民キャンプだ。

 そして目の前に……片膝をついて屈むレヴァンテインの姿があった。漆黒の重装甲は、間違いなくあの時戦った機体だ。その証拠に、長い長い大砲を肩に立てかけている。それは今、風になびく赤十字の旗を掲げていた。隣に下ろした巨大なジェネレーターユニットは、どうやら電力に使われているらしい。無数のケーブルとコードが、医療施設らしき白いテントへと伸びている。

 そして、黙して語らぬ巨兵によじ登って、沢山の子供たちが遊んでいた。

 こうして見ていると、人の乗らぬレヴァンテインも平和に見える。

 だが、パイロットと人機一体じんきいったいとなった時、この殺戮機械は破壊の権化ごんげとなるのだ。

 灰児が呆気にとられていると、不意に隣に一人の男が立った。この場に不釣り合いなリクルートスーツで、男と知れたが……恐ろしく華奢きゃしゃで中性的な顔立ちだ。そして、目を細めての笑みが顔に張り付いている。

 彼はよく通る声で、歌うように呟いた。


「試作実験機、ダンタリオン。過剰なまでの重装甲と加速力を持つ、強襲用の一点突破型レヴァンテインです。うちで作ったんですが、これがまたじゃじゃ馬でして……あかつきの門では使いこなすどころか、使い方もわからなかったみたいなんですよねえ」


 そう言って、青年は灰児を隣から見上げてくる。

 笑顔で覆われた表情からは、なにも読み取れない。


「申し遅れました、わたくしはドヴェルグという組織のダーインと申します。まあ、有り体に言えば武器商人ですねえ。中東ではなにかと、手広く商売させていただいてます」

「……例えば、ディロン・インダストリィの新型テストに乱入、とかか?」

「お察しがいい! ……まあ、皆殺しにするようお願いしたんですが」

「並の腕なら死んでたな、ありゃ」

「見事な逃げ足でしたねえ。なかなかできるようなことじゃあ、ありません」


 少しかんさわったが、黙って灰児は目の前の機体を見上げる。ダンタリオンという悪魔は今、完全に子供たちが遊ぶアスレチックになっていた。開けっ放しのコクピットからも、黄色い声が楽しげに響く。どうやら駆動キィは脱いてあるようだ。

 ――ドヴェルグ。

 その名は初耳で、数あるレヴァンテインのメーカーのどれでもない。だが、作業用機械であるレヴァントから進化した陸戦兵器レヴァンテインは、基本的に設計を拡張して用途や所属に合わせてカスタマイズされる。フレームだけでも組み合わせパターンは無数にあり、少数ロッドのアッセンブル方式が主流だ。円月タイプのように各地でライセンス生産されるものの方が珍しいくらいである。


「で? 武器商人のあんちゃんがなにしてんだ?」

「いえ、そろそろダンタリオンのオーバーホールの時期でして。それと、ですねえ。ええ、上から新装備のテストを押し付けられまして。背部に増設したラッチにミサイルポッドとカノン砲、そしてこの物干ものほ竿ざおですね。それに、脚部と腕部にも追加で――」

「パイロットは?」

「ええと、お会いしませんでしたかあ? のテントに寝てたんですよね、あなた」


 彼女? その言葉に灰児は苛立ちを覚える。

 自分が女に負けたとしたら、それはどんなメスゴリラなのか。きっと、筋骨隆々たる肉達磨にくだるまみたいな女に違いない。それでも女は女、負けた悔しさを何倍にも増幅させる。

 まだまだ灰児には、旧態然とした偏見と差別意識があった。

 女は愛でてかわいがり、守ってやるものという意識がある。

 その女に手痛い敗北を喫したのが、目の前のダンタリオンの性能だけのせいじゃないことがわかる……だから、尚更悔しい。

 そして、背後で声が響いた。


「ダーイン、この子のパーツは? オーバーホール、急いでくれる? 敵はいつ来るかわからない……あんたの玩具おもちゃのテストも兼ねてるんだから、すぐ始めて」


 振り向くと、そこには一人の女が立っていた。

 少女とさえ言えるような、若い東洋人の……日本人の女だ。長袖のシャツにカーゴパンツを履いている。まるでさむらいのように、長い長い黒髪を頭の上で無造作に縛っていた。

 日に焼けた顔で彼女は、ちらりと灰児を見る。

 冷たい瞳が、深い暗黒を湛えていた。底知れぬ闇が輝くという、矛盾した言葉を灰児の脳裏に浮かべさせる。その美貌は、灰児が抱いてきたあらゆる女よりも清冽せいれつで、凄絶せいぜつなまでに美しかった。

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